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短編連作シリーズ 『ある人々の一日』

ある青年の一日


投稿者名:みはいろびっち
投稿日時:04/ 4/ 2

そこは薄暗い密室だった。

カーテンの隙間から朝日が細くさしこんでいるその部屋の中央では一人の男が横たわっていた。

わずかに聞こえてくる音は窓の外で鳴く鳥のさえずりであろうか。


今その部屋の唯一の入り口である障子にはなにやら黒い人影が写っていた。

そしてその障子はまったく音を立てず少しずつ開かれていく。

その隙間からは黒いコートにその身を包んだ怪しげな人物が現れるのだった。

謎の人物は部屋の四方にわずかに視線をやったあと、その視線を中央に横たわる男にとどめ、殺気、とでも呼ぶべき雰囲気を辺りに漂わせつつ男の元へ一歩また一歩と近づいていく。

男のすぐそばにまで近づいた後、その人物は冷たい瞳で男を見下ろし、おもむろに男の襟元へと手を伸ばし一言つぶやいた。

「いや、いい加減気づいてくれよ。……頼むから。」






伊達雪之丞23歳の春のことであった。






「おーい、横島。おかわりないか?カップめんもう一個くれ。」

まったく遠慮のない雪之丞の物言いにその部屋の主である横島はあきれたように答える。

「おまえなぁ、朝っぱらから人の部屋に押しかけてきて遠慮というものを知らんのか?」

「いいじゃねぇかよ。俺はお前がまったく気づかないからここで一時間も待たされたんだぜ。」

口を尖らせて答える雪之丞に、横島は疲れたかのように肩を落として答える。

「それだけ居たんなら起こせばいいじゃねぇかよ。部屋の隅っこで何してたんだ、いったい?」

そう、横島が目を覚ましたとき、雪之丞は部屋の隅で体育座りをして、いじけた少年ようにはらはらと涙を流していたのだった。

ジト目で睨まれて、雪之丞はしどろもどろになりながら答える。

「いや、だってよ。普通あれだけ殺気を出してたら気づくだろうがよ。」

「気づくか、ボケ。オレをお前みたいな人外の化け物といっしょにするんじゃない!」

「だいぶ前に来たときはお前、俺が殺気を消してたのに気づいただろうが。」

意外なことを聞いたかのような顔をして尋ねた雪之丞に、はっと何かを思い出したのか今度は横島が視線をそらしながらなにやらよくわからないことをつぶやく。

「いや、あれは、そのまぁ。あれだよ。」

「?」

「さ、ほら、カップめんだろ。これ食えよ。遠慮すんなって、オレとお前の仲じゃないか。」

不思議そうな顔をした雪之丞に対して、彼の肩を抱きながら急に先ほどとは矛盾したことを言い出す横島であった。






二杯目のカップめんを平らげ、満足げな顔をしておなかをさすっている雪之丞に横島が尋ねる。

「そういえば、おまえ今度は何しにきたんだ。確か外国に修行に行ってたんじゃなかったっけ?」

「あぁ、香港のほうでしばらく修行してたんだけどな。この間……ちょっと電話があってな。」

「?」

急に言葉に詰まり始めた雪之丞を不思議そうに見つめる横島に対し、雪之丞は微妙に視線をそらしつつ答える。

「弓のやつがよ……その、なんかさ。親が俺に会いたがってるとかどうとかで、一回こっちに顔を見せちゃあどうかとか言いやがるからよ。その……まぁそういうわけでさ。」

「ほぉ〜〜〜。」

しどろもどろになって答える雪之丞に対し横島の目は徐々に細められていく。

「それはあれかな。雪之丞君は、『かおりさんを、僕にください』とか、そ〜んなことをのたまいにいったりするわけかなぁ〜〜〜?」

「い、いや。しねぇって、まだ、急に、そんな……。」

あわてて腰の引ける雪之丞に対し、横島はまるでチンピラであるかのような顔をして追い討ちをかける。

「てめぇ。オレの弓さんに手ぇ出してんじゃねぇぞ。ぁあ〜〜〜。」

「だ、誰がおまえの弓さんだよ。」

「うるせぇ。世界の女はみんなオレのもんじゃあ〜〜〜。」

あたかもそれが世界の真理であるかのように無茶苦茶なことを叫ぶ横島に対し、雪之丞は恋人の姿を思い出し何とか反論を考えようとする。





コンコン





突然聞こえてきた扉をたたく音に対し、横島はピクリと一瞬体をこわばらせ、仕事の時でもほとんど垣間見せないような真剣な顔をして鋭い視線を部屋の四方へと走らせた。

そんな横島のただならぬ雰囲気に雪乃丞も体をこわばらせ、扉のほうへ視線をやり、声を落として横島に問いかける。

「なにもんだ?」

その問いかけに対し横島は片手で雪之丞を制し、すばやく扉のほうへと歩み寄る。

そして彼はおもむろに扉を開いた。





「やぁ!おはよう。ひのめちゃん。今日は早いね。どうしたの?」

「おはようございます。……?」

「?」

何かに気づいたのか不思議そうな顔をしているひのめの視線の先に横島が目をやると、そこには魔装術を身にまといズッコケている雪之丞がいたのだった。

「なにやってんだ、おまえ?」

「いや、いい。いいからほっといてくれ。」

なぜ雪之丞がそうしているのかがまったくわからないのか、不思議そうな顔をして問いかける横島に対し、雪之丞はただ力なく答えるしかなかった。





「それで、今日はどうしたの?」

「はい、実は…。」

雪之丞のことはほうっておくことにしたのか当初の疑問を再び問いかける横島に対し、ひのめは二枚のチケットを差し出す。

「……東京デジャブーランド招待券?」

「はい!」

「どうしたの、これ?」

差し出された二枚のチケットの意図をつかめず再度問いかける横島に対し、ひのめが説明をする。

「お母さんとおねえちゃんがきょうはおしごとでいそがしいらしいんです。それでおねえちゃんが、せっかくのおやすみなんだからお兄ちゃんにそこにでもつれていってもらいなさいって。」

「へぇ。そうなんだ……。!?。」

ひのめの説明にいったんはうなずいてから、横島はハッと何かを思い出したのかしまったという表情をする。

「?」

「あ〜〜。え〜〜っと、その…。」

そんな横島の表情をみて不思議そうな顔をするひのめを前にして、横島はなにやら言いよどんでいるようだ。

その表情から幼いながらも何かを察したのか、ひのめが少し悲しそうな顔をして話す。

「きょうはいそがしい……ですか?」

「……うん。……ごめん。実はだいぶ前からの約束があるんだ。」

ひのめの悲しそうな表情にいたたまれなくなった横島が何かを話そうとする前にひのめがポツポツと話し出す。

「やくそくは・・・だいじです。ちゃんと守らないといけません。」

その言葉にますますいたたまれなくなった横島は何か手はないかと必死に頭をめぐらせる。

そのときハッと何かを思いついたのか、雪之丞のほうへと視線を向ける。

すでに完全に忘れ去られていたのをいいことに勝手に三つ目のカップめんを食べていた雪之丞は横島の真剣な表情を見てなにやらあわてたようだ。

「へ?い、いや。おまえ秘蔵の『どん太(30%増量中)』には手をつけてないぞ!『青いイタチ』の一個くらいいいじゃねぇかよ。」

なにやらわけのわからないことを叫んでいる雪之丞はいったん無視し、横島はひのめに向き直る。

「ごめん、ひのめちゃん。ちょっとまっててね。」

ひのめにそういってから横島は状況を理解できず混乱している雪之丞を部屋の片隅へと引っ張っていくのだった。





「頼む!雪之丞。ひのめちゃんをデジャブーランドに連れて行ってやってくれないか?」

小声で雪之丞に状況を説明してから、横島は彼に向かって頭を下げて頼み込んだ。

「そ、そうはいってもよぉ。」

さすがの彼も子守には自信がないのか、渋る雪之丞に横島は手を合わせてさらに頼み込む。

「こんなことを頼める(ひまな)やつはおまえしかいないんだ!」

「しょうがねぇなあ。わかったよ。引き受けてやるよ。」

親友の頼みとあっては彼には断りきれなかったのか、雪之丞は引き受けることにしたようだ。

途中で横島がボソッと漏らした一言はどうやら彼には聞こえなかったらしい。

「それにしても、そんな大事な用があるんだったら何で美神の旦那にちゃんといっとかなかったんだ?」

雪之丞の当然といえば当然の疑問に横島もそのことに思い当たったのか少し眉間にしわを寄せて考える。

「……オレはちゃんといった……はずだぞ。たしか。でないとあの人が休みくれるわけないし。……でもまぁ、忘れてたんだろうなぁ。あの人のことだから。」

すでにあきらめの境地に達したかのように話す親友の姿に同情しつつも、『かわらねぇなあ、こいつも。』などと考える雪乃丞であった。





「で?」

「?」

「そんなに大事な用事ってのはいったい何なんだ?」

「あぁ。」

ついでのように尋ねる雪之丞の疑問を横島も理解したらしい。

答えようとする横島の機先を制し、釘を刺すかのように雪乃丞がつぶやく。

「まさかデートとか言うんじゃねぇだろうなぁ。」

「アホか、おまえ人を何だと思ってやがる。……ちょっと妙神山まで行って来ないといけないんだよ。」

さも心外であるかのように答える横島に対し、雪之丞はジト目で睨みながらつぶやく。

「小竜姫にちょっかいを出しにいく、とかじゃねぇだろうな?」

「おまえ……ほんとに人を何だと思ってんだ?」

雪之丞の疑問に対し、横島は疲れきったかのようにつぶやくのだった。

どうやらこの誤解を解くのは非常に困難なことであるらしい。






『人間、日頃の行いが肝心』ということであろうか。






「なんだ、あのチビに会いに行くのかよ。そうならそうと早くいやぁいいじゃねぇかよ。」

謎がすべて解けたかのような晴れやかな顔をして話す雪之丞に対し、今度は横島がジト目で突っ込む。

「人が説明する前になんだかんだ言い出したのはどこのどいつだよ。」

「ま、まぁそれはいいとしてだ。この埋め合わせに今度オレの修行に付き合えよ。」

微妙に目をそらしながらさわやかな顔で話をそらす雪之丞に対し、横島はいったん苦笑を浮かべてから答える。

「あぁ、いいぜ。弓さんが一緒ならいつだって付き合ってやるさ。」

「おい!」

声を荒げる雪之丞の追及をさらりとかわし、横島はひのめのほうへと向かうのだった。





「えっと、そういうわけでさ。こいつが連れてってくれるっていうんじゃ……ダメかな?」

「……いいえ。」

ひのめは何とか事情を説明してからそう問いかける横島に答えた後、隣に立つ雪之丞のほうに向き直ってからお辞儀をする。

「よろしくおねがいします。……ゆきのじょうさん……ですよね?」

「あ、あぁ。うん。こちらこそ、よろしく。」

どうやら顔に見覚えはあるようだが名前のほうは自信がないのか、少し上目がちにたずねたひのめに対し、雪之丞はなにやら顔を赤らめつつ答えるのだった。

しばしの間ぼ〜っとしていた雪乃丞は、どこからともなく浴びせられる視線にはっとして辺りを見回す。

その視線の元にはジト目で見つめる横島がおり、その視線に我に返った雪之丞は唐突になにやら叫びながら壁に頭をぶつけ始めるのだった。

「ち、ちがう!!違うんだよ、ママ〜〜〜。俺は間違ってもロリコンなんかじゃないんだ〜〜〜。信じてくれよ〜〜〜。」

血の涙を流しつつ叫び続ける雪之丞を見ながら、自分は間違った選択をしてしまったのではないか、という不安に襲われる横島であった。







雪之丞とひのめ、二人は妙神山での約束の時間が迫っていることに気づきあわてて準備を始めた横島に見送られ、彼のアパートを後にした……ところまではよかったのだが、雪之丞は早速大きな問題に直面するのだった。

元来子供が苦手な彼である。

加えて、いささか扱いにくい恋人を持つ彼にとって女性とはもっとも苦手な生き物であった。

子供に加えて女性でもあるひのめとの間に会話を成立させるなど、彼にとっては悪霊や妖怪とワルツを踊るよりも困難なことである、とさえいえるのかもしれない。

さらに、どうやらこのひのめ嬢、現在はいささか落ち込み気味でもあるらしい。

雪之丞が話しかけると元気に返事を返してくれるのだが、いったん会話が途切れると少しうつむき、さびしそうな表情を浮かべているのだ。

彼はただただ途方にくれるのだった。






打開策を模索し続けている彼の頭には、かつて彼の敬愛する母親から聞いたある言葉が浮かんできたのだった。






『旅は道連れ、世は情け』







この言葉の先に一筋の光明を見出した彼は意を決して隣を歩く少女に話しかける。

「なぁ、嬢ちゃん。」

「はい。」

うつむきがちだった顔を上げ、彼のほうを向いて答えるひのめに対し、雪之丞は器用に子供をあやす横島の姿を思い浮かべつつ問いかける。

「せっかく遊びに行くんだからよ。人は多いほうが楽しいとおもわねぇか?」

「……はい。」

ひのめは雪之丞の質問の意図を把握できなかったのか、少しの間考えてから答えた。

「よし。そこでだ。」

「?」

「嬢ちゃんは弓かおりって女を知ってるか?」

「えっと……。」

ひのめは雪之丞の飛躍する会話に戸惑いながらも、聞き覚えのある名前から必死に当てはまる人物を探そうとするのだが、どうやらなかなか出てこないらしい。

見かねた雪之丞が口を挟む。

「おキヌの友達になるんだけど……しらねぇかな?」

「あ、いえ。しってます。おキヌおねえちゃんとまりさんのお友だち……ですよね。」

「まり?あぁそうそう。そいつだ。」

雪之丞はうれしそうに答えるひのめの言葉から三人娘の片割れを思い出し、うなずく。

「で、その弓がだ。どうせ今日も暇にしてるはずなんだ。そこでこいつを呼び出してやろうとそう考えてるわけだが、協力してもらえねぇかな?」

「はい!わかりました。」

どうやらひのめの方も相手のことを打ち解けがたく感じていたようだ。

そんな相手から頼みごとを持ちかけられて、打ち解けるきっかけを感じ取ったのかうれしそうに答えるひのめの様子に雪乃丞は満足げにうなずく。

「よ〜し、いい返事だ。なぁに協力って言ってもそう大したことをしてもらう訳じゃねぇ。とりあえずはこれから俺が電話をかけてる間、静かにしといてくれりゃあそれでいい。できるか?」

「はい!」

ひのめの協力を取り付けた雪乃丞はコートから携帯を取り出し、かけ慣れた相手へと電話をかけ始めるのだった。






そこは大きな屋敷の一室であった。

純和風のその部屋を彩る大小さまざまな人形は、机の前にけだるげに座り少女漫画を読みふけっているその女性の趣味であろうか。

時折獅子脅しの音が聞こえる以外は漫画のページをめくるかすかな音のみが響いていたその部屋に、いささか場違いともいうべき携帯の着信メロディが響きわたった。

「もしもし。」

『弓か?…俺だ。』

あわててとった携帯の向こう側からは彼女が最も聞きたいと願っていた男の声が聞こえてくるのだった。

「こんな朝からかけてくるなんて、珍しいじゃない。雪之丞。雨でも降るんじゃないかしら?」

部屋では満面の笑みを浮かべながらもつっけんどんな口調で話しかける彼女は、どうやらあまり素直な性格ではないようだ。

『弓…。頼みがある…。』

「え、何?どうしたの?」

いつに無く真剣な男の言葉に彼女はあわてて電話に耳を傾ける。

『おまえにしか頼めねぇんだ。…ちょっとでてきてくれねぇか?』

「わかったわ。それで、どこへ行けばいいの?」

必死に問い返す彼女に、電話の向こうの彼はその場所を口にするのだった。





『東京デジャブーランドだ。』





居間から聞こえてくる声は彼女の父親のものだろうか。

「お〜い、かおりぃ。どこへいくんだ?」

だがその問いへの答えは決して帰ってくることは無かった。







駅を降りてからも必死に駆けてきた彼女の目はついに捜し求める男の姿を捉えたのだった。

満面の笑みを浮かべ、愛らしい少女と手をつないだ、その姿を。

とたんに彼女の両の眉は急角度で跳ね上がる。

「よぉ、弓。お疲れさん。わざわざすまねぇなあ。」

のんきに話しかける雪之丞に対し、弓はしばらくの間うつむき、無言で肩を震わせる。

「お〜い。どうしたんだ?弓?」

不思議そうな雪之丞の声を聞いて、彼女はおもむろに顔を上げ、ギロリと男を睨みつける。

「どういうことか、説明していただけるかしら?雪之丞さん?」

彼女の地の底から響き渡るような声を聞き、彼は急にあわて始める。

「い、いや。あの、その。ト、トリアエズオチツキマセンカ?弓サン?」

「ほぉ〜〜〜。何をどう落ち着けとおっしゃるのかしら?」

「エ、エ〜ト。」

まるで炎も凍るかのような彼女の視線に、ガクガクと震え始めた雪之丞は救いを求め傍らの少女にすがるような目をやるが、幼い少女にこのような窮地を救うすべがあろうはずも無いのであった。

彼にとっては己のかけた電話によって導き出されるであろう当然ともいうべき結果すら頭になかったようだ。






ひとしきり慌てふためく雪之丞をいじめたおすことによって落ち着きを取り戻した弓は、ようやく彼の隣にたたずむ少女に冷静な目を向けたのだった。

「あれ?あなた、ひのめちゃん?美神お姉様の妹さんの?」

「は、はい。は、はじめまして。美神ひのめといいます。」

いつも礼儀正しいこの少女であるが、今回ばかりはさすがに先ほどからの恐怖をすべて押し隠すことはできなかったようだ。

「あら、会うのは初めてじゃないのよ。あなたがもう少し小さいころに何度かあったことがあるわ。」

「す、すみませんっ。ごめんなさい。」

どうやら最も尊敬する女性の妹を完全におびえさせてしまったらしいと気づいた弓は、ただ引きつった笑顔を浮かべるしかなかった。






完全におびえきってしまった少女の心を解きほぐすことは、六道女学院大学部一の才媛と噂される彼女にとってもいささか骨の折れることであるらしい。

しかし、雪之丞に三人目のチケットと三人分の乗り物のフリーパスの代金を支払わせ入場したのちにも、多くの時間と労力をその一事に傾注することによって彼女はついにその偉業に成功したのだった。

「ねぇ、ひのめちゃん。次はあれに乗ってみない?」

これまでコーヒーカップ、観覧車、メリーゴーランドなど比較的穏やかな乗り物をこなすことによってゆっくりと少女の心を解きほぐしてきた彼女であるが、ひのめの様子からそろそろ己の最も好む乗り物の世界へと少女を連れて行くべきときが来たことを悟ったようだ。

「あれは……なんですか?」

目の前に聳え立つ大きな物体を眺めながらそう尋ねた少女に、弓はニヤリと笑って答える。

「いわゆる絶叫マシーンって呼ばれるものよ。ああいうの乗ったことある?」

「いえ、ないです。」

あたかも純真無垢な少女を引きずり込む魔女であるかのように、弓は微笑をたたえながら少女をいざなうのだった。

「あれ、乗ってみたくない?」

「のってみたいです。」

「じゃあ、決まりね。あそこに並びましょうか。」

そんな微笑ましい女性二人の会話に、まったく介入する隙を見出せず、ただついていくだけになっていた雪之丞はいささかボーっとしていたらしい。

「身長制限は大丈夫かしら?」

雪之丞の方を向き気遣わしげに尋ねた弓の言葉に憮然として答える。

「おまえなぁ、いくら俺の背が低いからって絶叫マシーンの身長制限になんか引っかかるわけねぇだろうが。」

「………ひのめちゃんに決まってるでしょ。あなた、バカ?」

「あ……嬢ちゃんね。決まってるよな、ハ、ハハ…。」

弓のあきれたような言葉に、顔を真っ赤にしてただ引きつった笑いをうかべるしかない雪之丞だった。






西の空が茜色に染まるころ、そこに存在する乗り物の大部分を乗り倒した三人はそろそろ帰途に着くことにしたようだ。

「ひのめちゃん、今日は楽しかった?」

「はい。とっても楽しかったです。」

微笑を浮かべ優しいまなざしでひのめを見つめながら語りかける弓の姿に、雪之丞は彼女の新しい一面を見つけ自分が彼女に惚れ直したことを自覚するのだった。

「また、ここに遊びに来たい?」

「はい!また来たいです。こんどはお兄ちゃんもいっしょに。」

「そうね。今度は横島さんも入れてみんなでまた来ましょうか。横島さんのおごりで。」

聖母のような笑みをまったく崩さずひのめに語りかける弓の姿を見て、近い将来におとずれるであろう親友の不幸にそっと涙をぬぐう雪之丞であった。





それぞれの自宅に最寄の駅につくころにはすでに日は落ち、辺りを照らすのは月明かりだけになっていた。

駅を出たところで三人は一人の青年を目撃することになる。

「お兄ちゃん。」

「おかえり、ひのめちゃん。」

「ただいま!」

真っ先に横島のことに気がつき彼の元へ駆けていったひのめに追いついた雪之丞はあきれたように問いかける。

「わざわざ迎えに来たのか?」

「え?あぁ、まぁちょうど帰り道だったからな。」

自然に答える横島の姿に、雪之丞はわらって心の中で『なるほど、懐くわけだ』とつぶやく。

「あれ?弓さんも一緒だったの?」

「えぇ、まぁいろいろありまして。」

追いついてきた弓の姿を見かけて意外そうに問いかけてきた横島に対し、弓はチラリと雪之丞の方に目をやってからそう答えた。

あさってのほうを向いて口笛を吹き始める雪之丞を不思議そうに眺めてから、横島は二人に礼を言う。

「二人とも今日はありがとうな。この埋め合わせはいつかするよ。」

「ひのめちゃんの相手ならいつでも歓迎しますわ。埋め合わせは次の機会にでも。」

にこやかにそう答えた後、横島に向かって意味ありげな笑みを浮かべる弓を見て不思議そうな顔をする横島を見ながら雪之丞の心の中には一つの言葉が浮かんでいたという。






『知らぬが仏』






「私はこちらですので、この辺で失礼させていただきますわ。」

「俺は弓を送っていくよ。」

分かれ道にさしかかり、弓に続いて雪之丞がそういい、互いに別れを告げる。

「では、さようなら。ひのめちゃん。横島さん。」

「さようなら。きょうはありがとうございました。かおりさん。ゆきのじょうさん。」

「じゃあな。」

「あぁ。」






「あ、そういえば。雪之丞。」

「ん?なんだ?」

月明かりの下、二人きりでの帰り道、ふと何かを思い出したのか弓が雪之丞に問いかける。

「あなた、香港帰りでしたわよね?」

「あぁ、そうだぜ。」

「私へのお土産はありませんの?」

弓の言葉に『しまった』という表情を浮かべる雪之丞に対し、弓は目を細めてささやく。

「へぇ〜。そうですの。」

弓の言葉に雪之丞の背中からはいやな汗が次から次へと湧き出しているようだ。

そんな雪之丞に弓は追い討ちをかける。

「香港でお世話になってる道場主の娘さんにかまってばかりで日本の女のことはきれいさっぱり忘れていたという噂はどうやら本当のことのようですわね?」

「ド、ドコカラソンナハナシヲ……。」

「巷の噂ですわ。」

雪之丞は弓の底知れぬ情報網にただ恐れおののくばかりであった。







「へぇ。今日はいろいろな乗り物に乗ったんだね。」

こちらの二人は今日の遊園地でのことを話題にしていたようだ。

「はい、とってもたのしかったです。」

「一番気に入った乗り物はなんだい?」

横島が何気なく尋ねたその言葉にひのめは輝くような笑顔で答える。

「ぜっきょうましーんです!」

「ぜ、絶叫マシーン??」

ひのめのあまりに意外な答えに横島は硬直する。

「はい。とってもたのしかったです。」

「へ、へぇ。そ、それはよかったね。」

「はい!こんどお兄ちゃんもいっしょにのりましょう。」

「そ、そうだね。い、いつかいっしょに乗ろうね。」

ひのめの純粋な誘いの言葉に、決してひのめを遊園地には連れて行くまいと堅く決心する横島であった。





帰途の行程も残り三分の一ほどに差し掛かったころ、ふと何かを思い出したらしくひのめは眉間にしわを寄せて横島に話しかける。

「そういえば、いきがけにゆきのじょうさんにいろんなおはなしをききました。」

「どんな話を聞いたんだい?」

珍しいひのめの表情に横島は不思議そうな顔をして聞き返した。

「お兄ちゃんのじょせいかんけいについて、です。」

「へ?」

ひのめの言葉に完全に硬直した横島に対し、ひのめは諭すように語り掛ける。

「お兄ちゃん、であった女の人みんなにいきなりだきつこうとするのはよくないですよ。」

「ハ、ハイ!スイマセン。ゴメンナサイ。モウシマセン。」

ひのめの言葉に直立不動になって謝る横島に対し、ひのめはなおも続ける。

「そんなことばかりしていては、こいびとができないですよ。お兄ちゃんもいつまでもわかくはないんですから。……。……。」

延々と続くひのめの言葉を聞きながら横島は一つのことを心に誓うのであった。






『雪之丞〜〜〜。覚えてろよ〜〜〜。』






その夜、自室でくつろぐ弓の元へ彼女の恋人が実はロリコンであるという謎の密告電話がかかったという。

弓の情報源は案外身近なところにあるようだ。






『類は友を呼ぶ』という言葉はいつの世においても真実を表しているらしい。





−おしまい−


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