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第三の試練!

〜願い・降臨・そして、雨〜


投稿者名:ヨコシマン
投稿日時:04/ 3/28

 口中に錆びた鉄の味が広がる。
 心臓が耳元に有るのかと錯覚をおこす程の激しい動悸。
 痛みは無く、むしろ体中が焼けるように熱い。
 肺が酸素を求めて喘ぐ。しかし、己の血液で詰まった気管はその欲求を満たしてはくれない。
 自分の体が一体どうなってしまったのか、もう見る事も出来ない。
 立ち上がろうとする意思に反して、肉体は急速にその力を失いつつあった。

(あー、今まで何度か死にかけた事はあったけど・・・コイツは極め付きだ。流石にもーあかん。)

 横島の中にそんな諦観の念が浮かび上がるほど、そのダメージは深刻なものだった。
 かろうじて残っている意識も、もう後僅かな時間で消失してしまいそうな程に弱々しい。
 横島の肺が何とか酸素を取り入れようと、気道に溜まった血液を口外に押し出す。
 ゴボッっという音と共に大量の血が横島の口から溢れだし、下に有る石碑を赤く染め上げていく。
 僅かながらもなんとか気道を確保した肺が、その命の炎が消えるのも時間の問題だと思われる肉体にどうにか酸素を送り込んだ。
 ほんの少し意識が鮮明になる。同時に周囲の音が横島の耳に飛び込んできた。

「馬鹿な・・・!そんな筈無いわ!アンタは私が倒した筈よ!」

 なんだ?美神さんか?誰に言ってるんだ?
 横島は力を振り絞って彼女の名前を呼ぼうとした。しかし喉から出てきたのは彼の声ではなく、真っ赤な自分の体液のみだ。

『グッグッグ、貴様如キニ我ガ倒セルトデモ思ッテイタノカ?思イアガルナ!人間風情ガ!!』

 この声には聞き覚えがある。だが、そいつはすでに自分達が倒した筈だ。
 しかし現実にその声がする以上、奴は生きていたと考える他はなさそうだ。
 奴の不快な笑い声の振動が、痛めつけられた体にやけに響く。

「黙れ!黙れ!!黙れ!!!よくも・・・許さない!!」

 怒りに我を忘れた美神の悲痛な声が森にこだまする。
 横島は声に出せないもどかしさに苛立ちながら、心の中で叫んだ。

(駄目だ・・・!逃げてくれ、美神さん!)

 横島は先程の大蛇の一撃で、はっきりと気付いてしまっていた。
 奴の本当の恐ろしさは、『霊波無効化の鱗』でも『酸の毒液』でもなく、その身体能力の凄まじさだ。
 あれ程の巨体でありながら、あのスピードで体当たりを繰り出してきたのがその証拠だ。
 先程までの戦闘では、恐らくはその能力を使わずに戦っていたのだろう。
 だとすれば装備の殆どを使い果たし、横島のサポートも見込めない現状での戦闘は無謀と言うほかは無い。
 しかしそんな横島の願いも虚しく、大蛇と美神の戦闘は始まってしまっていた。

「くっ・・・あっ!ハッ・・・ハッ。」

 決着は一瞬。横島の予想通りと言うべきか、心配どおりと言った方が良いか。
 重厚な打撃音の後に何かが大地を転がる音、そして美神の口から発せられる苦悶の声。
 例え見る事が出来ずとも何が起こったのかは分かる。

(まずい・・・!このままじゃ美神さんが殺されちまう!)

 自分の心配をよそに彼女の心配をしてしまう所が、彼が彼である所以と言えるだろうか。
 横島はもう自分の意思に従わなくなった体を無理やりに起こそうと試みる。だが、そんな安物の特撮ヒーローのような奇跡が起こる筈も無い。
 復活どころか、逆にぼやける視界と遠のく意識の中で、横島は己の不甲斐なさに絶望していた。

(俺はまた・・・“また”助けられないのかよ!!畜生!畜生!!)

 横島はかろうじて動く右手で力なく背中の石碑を叩いた。拳からひんやりとした石の感触が伝わって来る。
 ふと、その瞬間、横島の脳裏にある映像がフラッシュバックした。


―――「大昔にここで暴れていた大蛇を、ある高僧が孔雀明王の力を借りてこの地に封じたって刻まれてる。」
   「なーんだー!この呪文使えばラクショーじゃないっスか!」
   「ムリよ。ただ呪文を口にしても何の効果も無いもの。仏法に帰依して正しい印を組まないといけないのよ。」―――


 思い出した。今、自分が寝ている石碑について、確かそんな事を二人で話していた。

 ゴパッ。

 一際大きい血の塊が口から溢れ出た。どうやらコイツで最期のようだ。
 もう目の前が暗くなってしまって何も見えない。さっきまで耳に届いていた音も今はもう聞こえない。
 横島は震える両手を、もう見えなくなってしまった空にゆっくりとかざした。

(さっきは・・・美神さんが・・・バシバシ石碑叩いたり・・・失礼な事しちまったけど・・・。
 俺は・・・仏道に帰依してないし・・・正しい印も知らないけど・・・頼むよ・・・。)


―――どうか、美神さんを・・・助けて・・・やってくれ―――


 力なく震える横島の両手に、八つの珠が浮かび上がる。
 淡く輝きだしたその珠は、僅かに振動しながらその中に文字を浮かび上がらせる。
 即ち、

『口奄』(注1)  『摩』  『諭』  『吉』  『羅』  『帝』  『莎』  『訶』

 不思議な事にその文珠の輝きだけは、光を失った横島にも鮮明に見えた。
 八文字の珠は、横島の手を離れて回りだすと、激しく輝きを増して天高く流星の如く昇っていく。
 その光を見届けて、横島は満足そうに微笑んだ。

 そして、横島は息をするのを止めた。







 締め上げられた女の、骨の軋む音がする。その度に口から漏れる苦悶の声、そして苦痛に歪むその表情。
 そのどれもが蛇のプライドを心地よく満たす。
 蛇は笑っていた。そして愉しんでいた。
 自分をここまで追い詰めたこの忌々しい女。先程は一撃の下に殺してしまうつもりだったが、それは間違いだったようだ。
 むしろ、邪魔をしたあの男に感謝せねばなるまい。
 今、こうしてじわじわと嬲り殺す事が出来るのも、あの男のお陰なのだから。
 まあ、お礼に一発で苦しまずに殺してやったのだ、それでおあいこだろう。

 大蛇は先程までの怒りをようやく鎮めて、女を観察するように眺めた。
 そして、今まで長い事封印されていた怒りで忘れていた“遊び”を思い出した。
 かつて、自分を苦しめた人間には必ずやっていた“遊び”だ。
 久しぶりに大好きな“遊び”が出来る喜びにほくそ笑みながら、大蛇はゆっくりとその大きな顎を開いた。
 ここで怒りに任せて絞め殺すのは簡単だが、それでは面白くも何とも無い。
 勿論、これ程の霊能力の持ち主なら、丸呑みで食ってしまうという手も有る。そうすれば、この潰された片目もじきに回復するだろう。
 だが、そんなのはそこら辺の人間で事足りる。何なら次に来たGSとやらを食ってやればよい。
 やはり“遊び”だ。これ程活きの良い獲物ならば、きっとかつて無い程楽しめる。

 大蛇は己の思考に結論を出すと、その開いた大顎を美神に近づけた。
 そしてその左肩に片方の牙を少しづつめり込ませていく。
 激しい痛みのせいだろうか、獲物は激しく暴れだしたが、大蛇は意に介さずに続けた。

 その最中ふと、視界の端になにやら激しく輝く何かが有ることに気が付いた。
 その何かは更に輝きを増しながら空中で回りだし、始め緩やかに、徐々に加速しながら天空に昇っていく。
 それは輝く八つの珠だ。
 思わず美神から牙を抜き、その行方を追った。
 八つの輝く珠は回転しながら尚も上昇し続け、中空で閃光と共に弾け飛んだ。

 やがてその八つの珠が引き起こした光景に、大蛇は我が目を疑った。
 『穴』が開いたのだ。石碑を中心に天から真っ直ぐに地球の中心まで、すべての空間に『穴』が開いていた。
 この世と異なる次元に存在する様々な世界。それはこの地上に幾重にも折り重なって存在している。
 今起きている事を簡潔に述べるとすれば、それら次元の全てがその『穴』で直結されているのだ。
 なんにせよ、瞬時にその状況を理解しろ、と言う方が無理と言うものだろう。
 下を見れば、異形の大地、亡者どもの呻きと禍々しい空気を漂わせるうねり、そしてその更に奥には深遠なる闇。
 上を見れば、晴天の空に猛り狂う霹靂、その上には美しく波を打つオーロラ群、そして宇宙。
 そして、その宇宙の更に先に眩いばかりの光と美しく舞う淡い桜色の花弁。
 幻想的且つ神秘的なその光景は、大蛇の心胆を寒からしめるには充分のものであった。

『小僧ォォ!!!何ヲ、一体何ヲシヤガッタァァァ!?』

 大蛇は吼えた。得体の知れない恐怖を振り払うために。
 蛇は横島が事切れる直前、何かやっていた事に気付いていた。知っていて、敢えて好きなようにやらせていたのだ。
 人間という生き物はとにかく往生際が悪い。自分に挑んでくる者達は必ず、その最期のときに何かを仕掛けてくるのだ。
 捨て身の一撃、と言うヤツである。
 大蛇はその、相手が命を賭けてくる渾身の一撃をわざと撃たせるのが好きだった。
 そういう類の攻撃をかわす、若しくは難なく防いでしまう事で相手の死の瞬間に更なる絶望を与える事が出来るからだ。
 今回の人間の男のそれも、そういう類の“攻撃”だと思っていた。

 だが、横島が起こしたその奇跡は、白き蛇の想像した“攻撃”など及びもしないものだった。

 舞い散る花びらが森の中で優雅に踊る。その美しい光景だけを見れば、ここは天国か、と見紛う事だろう。
 その花吹雪の中、何かが空間に滲み出るように映し出された。それは始めのうち曖昧な輪郭であったが、次第に鮮明な像を結びだす。
 そして現れる。美しき孔雀と、その上に瞑目して座す女。
 呆然と見守る大蛇の前で、その孔雀はゆっくりと美しく光り輝く尾を広げた。

『貴様ハ・・・何者ダ!』

 蛇は内心の動揺をその声で押さえ込もうと、抑揚を抑えた声で問い掛けた。
 女は閉じていた瞼をゆるりと開くと、その柔らかな唇を動かした。

「我はかつて、汝を封印せし僧に力を与えた者。御仏の教えを力にて伝える『明(真言)』の王。
 我が名は“マハーマーユリー”。またの名を“孔雀明王”なり。」

 蛇は愕然とした。
 何故こんな“とんでもない存在”がここに現れたのか。大袈裟ではない、辺りを見てみろ。その圧倒的な存在のせいで空間が歪んでいるではないか。
 恐らくはこの森一帯で、凄まじい時空震が発生している筈だ。

『馬鹿ナ!!貴様程ノ存在ガ何故直々ニ、コノ地上ニ降リテキタ!・・・マサカ!アノ小僧ガ貴様ヲ請来シタノカ?!』

 信じられない、と言わんばかりにうろたえる大蛇の問いに、明王は再び目を閉じて答えた。

「それは汝が知らずとも良い事。」

 明王はあっさりと蛇の問いを打ち捨て、さらに続ける。

「蛇よ、汝は何故にかような惨たらしい行いをするのか。生きる為、食べる為に殺すのならばまだ許しもしよう。
 されど汝は楽しむ為に殺しすぎる。そのために封印されたというのに、封を解かれても尚、未だ同じ事を繰り返す。
 もはや見逃す訳にはいかぬ。」

 蛇は笑った。

『タワケタコトヲ!殺ス、喰ラウ、蹂躙スル!!楽シンデナニガ悪イ?貴様ラ“オ気ニ入リ”ノ人間ドモガ毎日ヤッテオル事デハナイカ!
 ソレガコノ世界ノ本来ノ姿ナノダ!ムシロ貴様ラコソガ“偽善者”ヨ!!』

 下卑た笑いを見せる大蛇を、明王は憂いと哀れみに満ちた表情で見つめながらため息を吐いた。

「哀れな・・・。道を踏み外した蛇よ、汝にはもう御仏の教えは届かぬか。良いだろう、我自ら力を以って汝を再び六道輪廻に送り込んでくれる。
 ・・・これが御仏の最後の慈悲と知れ。」

 静かな口調とは裏腹に、重厚且つ強大な霊力が孔雀の周りから溢れ出す。
 その力を何かに例えるとするならば、まさしく大海だろう。
 普段は波一つ無く穏やかに、そして怒れる時は全てを砕き飲み込む津波のように。
 孔雀明王の力が今まさにその津波のように、目に見えぬ圧力となって大蛇に襲い掛かろうとしていた。

『ムッ・・・!オオッ!!』

 強気な態度で平静を装っていた大蛇ではあるが、本能は正直である。その圧倒的な力の差は、大蛇の口から畏怖の声を漏らさせるには充分であった。
 明王はその強大な霊圧とは裏腹に穏やかな表情で、手に持っていた一枚の孔雀の羽を空に向かって放り上げた。
 羽は閃光と共に天に向かって舞い上がり、やがて見えなくなった。
 代わりに天空から舞い降りてきたのは巨大な鳥。極彩色に彩られた大孔雀だ。
 巨大な孔雀はゆっくりと明王の前に降り立つと、その翼と尾を全開に広げて大きく鳴いた。その大きさは白き大蛇と比べても遜色ない。

 そして、二頭の巨獣の戦いが始まった。

 大蛇はそのスピードとパワーを全開にして、毒の牙を突き立てんと飛び掛る。
 かたや大孔雀はその一撃をひらりと飛んでかわすと、そのまま上空から鋭い爪で鷲掴みにしようと狙いを定める。
 二頭の戦いは熾烈を極めた。辺りにあった木々が次々となぎ倒されてゆく。
 永遠に続くかと思われるほど、互角の戦いを繰り広げていた両者であったが、時間が経つにつれ、徐々に大蛇は劣勢に追い込まれ始めていた。
 先の美神との戦闘によるダメージと疲労が、ここに来て両者の戦闘力の決定的な差となって現れたのだ。
 大蛇の動きは明らかに最初の頃よりも鈍くなっていたが、それでも大蛇は決して抵抗を止めようとはしない。

 終わる事は無いかのようにも思えた二頭の戦い。だが、決着の瞬間は唐突に訪れた。

 疲労で動きが鈍くなった大蛇の腹に孔雀の爪が食い込む嫌な音がした。大蛇が思わず苦痛の叫びをあげる。
 信じられない程の力で締め上げる孔雀の爪。大蛇は“死”を直感した。

『オノレ!オノレェ!!後モウ少シデ・・・後モウ少デェ!!コンナ所デ・・・我ノ・・・野望ガァァ!!!』

 それが大蛇の最期の言葉になった。
 孔雀が爪を突き立てたまま、嘴で大蛇の頭を捻ったのだ。
 ゴキリ、と鈍い音がして、大蛇は大きく痙攣するとやがて動かなくなった。
 大孔雀はピクリともしない大蛇の頭を咥えるやいなや、そのまま丸呑みにしてしまった。
 そして大きく甲高い鳴き声を一つ森に響かせると、開いていた尾を畳んだ。
 同時に孔雀の全身が金色に淡く光り始め、次の瞬間、一瞬の閃光と共に掻き消えて一枚の羽に姿を変えた。

「ご苦労様。」

 明王は羽に向かって優しく微笑むと、再びその手に羽を持ち直した。
 そして自らの腹部に手を当て、語りかける。

「哀れな蛇よ、我が胎内にて穢れを落とし、再び六道にて修行せよ。」

 暫くの間、明王は自らの腹部を悲しげに見つめていたが、やがて顔を上げると美神と横島に目をやった。
 そしてまたしても悲しげに目を細めると、左手に持っていた蓮華の花を天に放った。
 その花弁が中空にて弾けるように散り広がると、にわかに森中を雨雲が覆い始めた。
 やがて、しとしとと霧雨が森中に降り始め、苛烈な戦闘で倒れた木々を優しく濡らす。
 信じられない事に、その雨に打たれた木々たちは緩やかに体を起こし始め、暫くすると完全に以前の森に戻っていた。

 霧雨の中、明王は乗っていた孔雀から降りると美神へと歩み寄り、手にした羽でそっと彼女の体を払った。
 美神の体にある傷が見る間に塞がり、その顔に血色が戻ってきた。

「・・・?この娘・・・。」

 傷が塞がった美神を見て、初め満足そうに微笑んでいた明王であったが、暫くすると怪訝な表情を見せた。
 明王は数秒の間、眠っている美神を見つめた後、くるりと振り返って横島を見た。
 そしてゆっくりと横島に歩み寄ると、先程と同じように羽で体を払う。
 横島の体も美神同様、あっという間に傷一つ無い状態に戻った。
 唯一、美神の時と異なるのは、その顔に血の気が戻らなかった事だけ。

「そうか・・・“そういう事”ね・・・。」

 全てを理解した孔雀明王は静かに頷くと、再び孔雀の背に乗り、そっとその孔雀の首を撫でた。
 それを合図に、孔雀は天に向かってゆっくりと舞い上がる。
 右手に羽、左手には先程まで持っていた蓮華の代わりになにか光る物を持って、明王は天空の裂け目に消えていった。
 明王が消えたと同時に、森に空いていた次元の穴も静かに次々と閉じていった。



 そして森にはただ霧雨だけが、静かに、優しく降り注いでいた。


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