椎名作品二次創作小説投稿広場


燈の眼

其ノ十八 『信頼』


投稿者名:ロックンロール
投稿日時:04/ 3/ 1





















 我が神、我が神、何故わたしをお見捨てになるのですか……?

 わたしたちの先祖はあなたに依り頼み、依り頼んで、救われてきました。
 助けを求めてあなたに叫び、救い出され、あなたに依り頼んで、裏切られた事はありません。
 わたしは虫けら、とても人とはいえない。人間の屑、民の恥。
 わたしを見る人は皆、わたしを嘲笑い、唇を突き出し、頭を振る。
 「主に頼んで救って貰うが良い。主が愛しておられるなら、助けてくださるだろう」
 わたしを母の胎から取り出し、その乳房にゆだねて下さったのはあなたです。
 母が私を身ごもったときから、わたしはあなたにすがってきました。
 母の胎にあるときから、あなたはわたしの神。
 わたしを遠く離れないでください。苦難が近づき、助けてくれる者はいないのです。
(旧約聖書 詩篇 第二十二章 2節、及び5−12節(一部変更))
























 夜の終わり。朝の始まり。人為的な何かが介在する余地もなく、それは必然的に訪れる。月が輝きを失い、星がその存在を消し、闇が光に侵される。朝の訪れを告げる雀の囀りと共に、光は静かにやって来る。
 日が――昇る。

「……朝か――」

 風が――冷たい。
 それは――必ずしも不快なものではなかった。
 迷い―― 哀しみ―― それは、今でも確かに存在する。既に心に染み付いたそれらの感情はその一部として根を下ろし、既に容易には剥がれ落ちなくなっていた……

 ピエトロは、早朝の寒気の中に息を吐いた。……こうして教会から一歩外に出れば、風はこんなにも身体に活力を取り戻してくれる。澱んでは、いない。清涼な寒風。
 そして、清涼であるが故に冷たい。冷たいが故に、清涼。相容れない二つの自然要素は、既にピエトロ自身の心の中にもある。

 ――静かな――そう、静かな……

「今日……だよな――」

 自問には、既に心中で解答が与えられている。くたびれたスーツを脱ぎ、タンスの奥に眠っていたスーツに着替える。その行為の中に、既に答えは存在した。
 彼らは、既に探り当てているだろう。それは疑うべくもない。――単純に考えて、日本に来てひのめが逃げ込める場所はここ位のものであり、更にピエトロは、四年前にそれが元となってICPOを去っている。全ての現在ある事実が、逃れられない未来を伝えてくる。
 ゆっくりと――煙草を燻らせる。何日かぶりだった。――この四年間の間に覚えた煙草の味は、変わった自らを確認する事に役立った……
 ……そして、変わらない自分の中の何かをも……

 口元に浮かぶ薄笑い。煙草の煙がそれをかき消す。

(変わった……変わらない…………そんな事はもう、どうでもいい――な……)

 結局、それも恐らく今日で終わる……
 白煙が、ゆっくりと蒼空へ溶けて行く。それを追った視線をそのまま空へ解き放ち、ピエトロは涼気に身を震わせた。
 ――逆に、その冷たさが心地よい。温もりを知った、今となっては。――引き締まる。震わせた身体から暖気が抜け落ち、逆に心は、やらねばならない事に熱く熱されてゆく。心地よい。
 迷いはある。だが、もう気にする事もないだろう。

 ――最後まで、戦う。

 ……それが、昨晩ふたりで……いや、少なくとも心中で……決めた事。
 ひのめは、最後まで反対した。ピエトロが自分の為に死ぬ事はないと、涙を流しながら言い張った。――結局、ピエトロの考えは変わらない……

 そして――

「……ひのめ――――」

 背後に、いつの間にかひのめが立っていた。瞳の中に喜びと悲しみを同時に宿し、早朝の寒気に身を震わせる。――少女。いや、女性……

「起きたのかい?」

 軽く笑い、問い掛けた。同時に、その場に腰を下ろす。寒気に冷え切った草の感触。朝露がスーツのズボンを濡らしたが、それほど気にはならなかった。

「……うん」

 返って来る、答え。行動に理由をつけるというのならば、これこそがその理由なのだろう。――自らを納得させるという意味。若しくは、自ら納得したという理由。結局――そんなモノは言葉でなど言い表せない。単純に、したいからする。……それで、いいじゃないか。
 どうせ、他人を納得させる事などもう必要ない。自分で決めたのだから、自分でやる。それだけが――

 背中に、感触を感じた。――ひのめの背中。
 ――背中合わせに、草の上に座る。ピエトロが見ているのは朝日。ひのめが見ているのは、朽ちた教会。――希望。その中には、常にこういった矛盾が含まれている物なのか――?

「ひのめ――」

「大丈夫……もう、一人で死んだりしないよ……」

 その声は、しっかりしているように聞こえた。――ただ、振り返り、ひのめの表情を確認する事は出来なかった。その代わりに、背中越しに掌を掴む――

「仮に――そう、仮にだ。君が自分から死を選ぶとするならば……その時は、僕も一緒に行こう。……でも、それは、最後まであがいてからだ。最後まで……」

 視界を覆う前髪。その向こうには、希望の名を関するに相応しい朝日が見える。この瞬間がICPOのGS集団に筒抜けになっているとするならば、やはり彼らは、自分を敵対者と見なすだろう。


 ――その通りだ。それでいいんだ……


「――うん。約束……だもんね」

「ああ……」

 朝日は既に前髪に隠れて視界から消えていた。――その朝日を追うように空を仰ぎ、そこに映った眩しさに思わず眼を細める。

 ――背中越しの、崩れそうな温もり。

(今は……僕はそれを護るだけ……)

 掌から伝わる体温。背中から伝わる鼓動。――その全てが、彼女の『今』をピエトロに伝えてくれる。過去の楔に打ち付けられた、彼女。その、『今』を――

(護るだけ……だ――)

 出すべき答えは、多い。自分にも、彼女にも。それはあまりにも多く、あまりにも辛く。――そして、あまりにも、残酷な答え。

 ――逃げても、いいんだ。

 それは、必然的に彼女自身の……そして、自分自身の自滅願望へと繋がる。そう、少なくとも……昨日、彼女が逃げ込んでくるまでは。

 今は――恐らく、違う。
 少なくともピエトロ自身は、自ら想うべき存在を再び見つけ出す事が出来た。……それが、どんなものであろうと。自分はそれを信じる事が出来る。今ならば。その為にならば、自分は何でも出来る。

 背後の、温もり――

 彼女は――ひのめは、最後まで戦う事を約束してくれた。彼女自身が奪った――奪わされた数多くの生命、その意味に……苦悶するさなかに。
 ――逃げても、いい。だが、ひのめはそれを放棄した。

「……そろそろ、戻ろうか?」

「…………」

「――ひのめ?」

「あ、――うん……」

 答えを聞き、立ち上がる。
 ……苦悩はあるだろう。昨夜、ひのめは涙を見せていた。――彼の想いに応えた今も、無言で流れつづけるその涙だけは、止める事は出来ない。……少なくとも、自分が止められるものではない。
 立ち上がるひのめに手を貸す。――その手には、大小無数の傷が残っていた。――香港、または妙神山で残った、傷痕。この四年間、ひのめが歩いてきた道。

 笑った。笑うしか、なかった。
 涙は、自分で止めるものだ。もしくは、強引に止めさせるものだ。――前者が出来るのはひのめ自身。後者を成す事が出来るのは――少なくとも自分ではない。雪之丞にも出来なかった。それが出来るとするならば――

(誠、か……)

 このすれ違い。ひのめを捜し求めていた西条誠は、たったの一週間前にこの場から出発したばかりだった。――その時に、ピエトロが嘘を教えた訳ではない。……ただ、それは偶然的に嘘になった……

 ――誠は……どんな顔をするんだろうな……

 苦笑した。それしか出来なかった。
 それでも、後悔だけは沸いてこなかった。後ろめたさも、全くなかった。――ただ、場合によっては、自分は命を棄てて誠を止める。それだけだ。
 ひのめにこれ以上の重荷を背負わせたくはない…………だが。
 ……これだけは……自分がしなければならない事なのだ。……少なくとも、誠の――その名を顕すかのような一途な思いには応えてやらなければならない。

「……ひのめ……」

 繋いだ手から伝わってくるのは、ひのめの温もりだった。――ただ縋り付き合っている――そうだとは、僕は信じたくはない……!

「君は……僕が護る……」


 ピエトロの言葉に、ひのめは小さく頷いた。
 ――ただ、その瞳には涙が見えた……
























   ★   ☆   ★   ☆   ★






















 時間は、それを瞬間の事としてしか捉える事はない。――感覚がそれにどう異議を唱えようと、時を刻む絶対者はただただ同じ、時間という名の綿を紡いでゆくだけだ。
 そこに、人の意思の介在する余地はない。

 だが――――

 美神ひのめにとって、それは、間違いなく永遠とも言える瞬間だった。
 振り向き、自分に声を掛けたピート。その言葉は、昨夜と同じく優しい。――その、背後。既に昼に近づきつつある光の中にある、黒い穴。――先刻まで、自分が眠っていた礼拝堂の入り口から――
 光。チカリと光る……
 唇を、開こうとした。自分に微笑みかけるピートに、危険を知らせようとした。
 ――だが、瞬間的に引き伸ばされた感覚は、殊更にゆっくりと時間を紡ぎつづける。――その感覚に、身体が追いつかない。唇の動きが――もどかしい……!

 プシュ……!

 妙にくぐもったその音は、やや遅れて聞こえた。
 ――そして、その音に反応して後ろを振り返る――ピート。

 ――遅い……!

 その身体が、小さく震える。繋いだ手から、微かな衝撃が伝わってくる―― 振り返り、ピートは教会の入り口に向け霊波砲を撃ち出す。朽ち掛けた木造建築が、轟音を立て震える――

「走れ……ひのめ!」

「ピート……さんっ!」

 ピートは休む事なく、教会へ向けて連続して霊波砲を撃ち込み続ける。その右肩には、紛う事なき銃痕が刻まれていた。――恐らく、大口径の銃弾の――
 肉が――裂けている。肩が――千切れ掛けている……! 右腕はダランと垂れ下がり、夥しい鮮血が、見る見る内に溢れ出してくる……

「何をしてるんだ……! 早く――――ッ!」

「――!?」

 突如、ピートが飛びついてきた。――まだ動く左腕でひのめを抱き、先程まで座っていた芝生の上を転がる――
 緑の芝生に――紅の色が飛び散る。
 煙を噴く教会を背にして、ひのめはピートと向かい合った。

「……やっぱり、ダメだ。一緒にいよう。奴らの狙いは君だ――離れたら、まず君の方が始末される……」

「ピートさん……血……」

 血は、流れつづけている。あがらない右腕を一瞥し、ピートは無言でそれを血煙と化した。――紅い色をした霧は、昼の空へと溶けて行く――

「……包囲されている……」

「…………」

 その事実はひのめにも理解出来た。――明らかに人間の物と解る、霊気の反応が十個以上。――この空き地の周辺を中心に散開し、更に遠くにも敵意を感じる――

「まずい、狙い撃ちにされる……」

 ピートの呟きが、近くで聞こえる。狙い撃ち――? 狙撃?

「ピートさ……」

「教会に戻ろう…… 取り敢えずあの中には、昔――君のお姉さんが用意していた隠し通路がある。さっき中に入っていた奴が沈黙したんなら……そこから脱出できるはずだ」

 そう言うピートの表情は、蒼白だった。やはり、相当量の血を失っているらしい。ちぎれ掛けた右腕のあった場所には、今は霧のようなものが纏わりついている――

 ――そして、自分。何故、こんなに落ち着かないのだろうか……?

 死―― 既にその言葉は、憧憬して久しい。……この国に戻ってきたのだって、半分は楽になる為だった。――もう、自分の所為で他人が死ぬのは――嫌だ。絶対に……!
 ピートに、手を引かれる。――走った。生きる為に。

(何で……アタシ……)

 ピートは、優しかった。ひのめを許さないまでも――ひのめを必要だと言ってくれた。
 ――多分……アタシは、ピートさんの事を愛しているんだろう…………
 今、解るのはその事。――昨日のピートの想いに、ひのめは答える事しか出来なかった。……自分の事を護ると言ってくれるピートを、結局、巻き込む形になってしまった……


 そして――




 再びの、くぐもった咆哮。




 その咆哮はピートの身体の中心を貫き、ひのめの右肩を掠めた。

 ――再び、世界が無音になってゆく――

 ピートが、躓く。――走ったその勢いのまま、転んで地面を転がってゆく―― 繋いだ手は、離していない。ひのめもまた、ピートに覆い被さるようにして転がった――

「ピートさん……!!」

 その言葉を口に出来たのも、単純に運が良かったというだけの事だったのだろう。
 ――ピートは、動かなかった。胸の中央から――鮮やかな血が刻々と溢れ出して来る……

「……ピート……さん……?」

 教会の中からは、未だに人の気配が消えてはいない。――また、殺意も消えてはいない。……当然だ。奴らの本当の狙いは、ピートではなく自分なのだから。
 ピートは……ただ、それに巻き込まれただけ・・・・・・

(……違う……!)


 ピートは、それを覚悟して猶、自分を――美神ひのめを護ると言ってくれた!
 ――そのピートは…………


「……なんでよ…………」

 狙撃銃が、再びくぐもった咆哮を発する――

「ピートさんが死んじゃったら……意味ないじゃない…………」

 意識する事なく、その砲弾は燃え尽きた。――単純に……望んだわけですらなく――発生した、高熱の障壁。それは否応なく、周囲の温度を急激に上昇させてゆく――

 ……ピートの首の脈を計る。


 指に伝わる、かすかな振動。――生命の……源――
















 ――生きて……いる。


















 ――“生きる”





 それは、どんな事なのだろう。
 ピートはひのめの何倍もの時を生きたらしい。――そのピートですら、『解らないから、神様を信じるんだ』という事を言っていた…………

 ただ一つの事実は……



 指に伝わる、かすかな振動。――とても小さな、愛おしい……今にも弾けそうな鼓動……

















 ――ピートの生命は、“ここ”にある――






















「…………わかったよ……“ピート”」


 死なせない。――この人は……絶対に死なせない。
 ひのめは立ち上がった。……既に日は中天に達し、陽光が燦々と降り注いでいる。教会前の小さな芝生には鮮血が飛び散り、陽光を受け美々しく輝いている――
 何故かは解らないが、周囲に人はいない。感じるのは、自分に向けられる殺気だけ。――元々、周りを立ち入り禁止にでもしておいたのだろうか。警察の権力なら出来そうなものだ。

 ――だけど……お陰だ。

「ふうううぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!」

 仕事のときは暗惨と。そして、それ以外のときにはただ暴走する力に任せて。……焔は、常にひのめの望まない結果を回りに齎した。――そして、それ故に、ひのめもそれを忌避した……


 ――今……生まれて初めて……あなたに、感謝します…………





“望んで”発現した炎。














 それは瞬く間に、眼前の教会を焔の中に包み込んだ――――



















 〜続〜


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