椎名作品二次創作小説投稿広場


燈の眼

其ノ十七 『信念』


投稿者名:ロックンロール
投稿日時:04/ 2/22




















 我が神、我が神、何故私をお見捨てになったのですか……?
 何故私を遠く離れ救おうともせず、うめきも言葉も聞いて下さらないのですか?
 我が神、昼は、呼び求めても答えてくださらない。
 夜も、黙る事をお許しにならない……
 ですが……あなたは、聖所にいらっしゃる――イスラエルの賛美を受ける方…………
(旧約聖書 詩篇 第二十二章 2−4節(一部変更))
























 機内の狭隘な空間から開放されて、更に狭隘な人の群れに押し流される。一週間程しか経っていないのに、何故か別の国に来たような違和感を感じる―― 母国、日本。ナルニアからブラジルに渡り、更にそこから十数時間。凝り固まった全身をほぐし、それでも猶冷たくシコリを残す心を自嘲する。
 関東地方の住民にとって、海外への入口となり、出口となる新東京国際空港。――果たして、今の自分にとっては何に当たるのだろうか――

(…………)

 それは――恐らく、今は判りようもない事なのだろう。
 ――風が、強い。
 外気を受け、飛行機が発する轟音と共に強烈な日差しが眼を灼く。思わず、眼を細めた。
 日差しもまた――強い。
 彼――誠は歩を進めた。喩えどれ程の拒絶があろうとも、結局戻ってきてしまった事には変わりない。――決着をつけるまで、戻るまいと思っていた日本……その決着は――この国で着ける事となった。
 自分がどうしたいのか――? それは、まだ解らない。美神公彦が語った言葉に対する答えも――まだ見つからない。……ただ、少なくとも、自分はあの老人を裏切る訳にはいかない。父としての哀しみの全てを凝縮したかのような、あの底知れない瞳に見つめられた後では――

「賢者――か……」

 それは、あの瞬間……公彦に見つめられた瞬間に、自然に心に湧き上がって来た思い。――何もかもを知り、何もかもを見抜き――射抜く。その、哀しみに満ちた瞳に……

「……違うよ」

 空港のロビーの前。独り、かぶりを振る。

「あの人は――美神公彦は『賢き者』なんかじゃない…… 本当にあの人が賢者なら――俺に……あんな風に接する事は出来ない……」

 老人は、優しかった。優しく――厳しかった。厳しく――――哀しかった。

 ――残された者の、悲哀。愛する者を失った――その痛み。――既に老人は、四年前に妻を亡くし……そして今また――

 ――俺は……どうなのだろうか……?

 ……………………

 太陽は照っていた。空を見上げ、ぼんやりと泳ぐ眼が痛い。――よく考えれば、建物内からそのまま地下鉄に乗ることが出来るのだから、わざわざ外に出る必要もなかったのだ。
 だが――動かない。動く気も――しない。

「どうなんだろう……な……」

 父の死。
 その一つの事例。
 そこに、美神ひのめが密接に関わっている事に疑いの余地はない。――それに対する、自分の感情。それが……どうしても、解らない。
 ――会えば、解るかも知れない。

 ……その期待も、公彦に出会ってしまった事で霧のように溶けて消えた。あの老人は、喩え誠が彼女を殺しても――誠を恨む事はないだろう。深い悲しみを抱く事はあっても――決して、誠を責める事もないだろう。
 それが……痛い。

 師も――ピートもまた、何かを隠している。恐らく、まだ誠に知らされていない……何かを。
 師は……美神ひのめを知っている。――恐らく……四年前、彼女を国外へ脱出させたのはあの人なのだから。……実際に、誠が知る限り、他にそのような事が出来そうな人物はいなかった。

「先生――」

 思えば、あの人もまた苦しみの内に生きている。自らが属する組織の腐敗した部位を除くことも出来ず、逆にその腐臭を放つ者達によって除かれた。――それは恐らくピートにとっては……屈辱である以上に絶望であっただろう。
 自らの無力――それを端的に示された、絶望。
 死した者達に対しての――罪悪感。自らに託して死した――自らを護った者達への――――

(それを……)

 抉ったのは……俺か。
 そして――恐らく自分に対しても師は絶望的な罪悪感を感じているのだろう…… そして、それが解っていた自分は、それを利用して目的を果たした。


 ――そんな事をして置きながら……今の俺はどうなっているんだ!?


「く……そ……!!」

 壁を叩く。コンクリートの壁は音を響かせる事もなく、ただ殴った拳に痛みだけを伝えて来る。痺れと共に肩へと抜けるその痛みは、誠の心を多少なりとも落ち着かせる事には役立った。――少なくとも、表面的には。冷静とは言えまいが、今後の事を考えられる余裕を持てる程には――
 蒼空から、視線を転じる。目の前には壁……殴った部位には、かすかな痕跡さえ残っていない。

 ――結局、俺もまた……どこかの誰かの思うが侭に動いているのかも知れないな……

 そう思う心、それは常に在る。常に在るが故に常に噛み殺しておく事もまた出来る。組織に裏切られ、殺された美神美智恵。同じく裏切られ、心を壊されたピート。――多いなる力は常に個を圧殺し、また個を動かす。その、『力』とはいったい何なのだろうか――

『力』…………

 美神ひのめ――彼女は、それを持っていると言うのだろうか。――ICPOという一つの組織が総力を尽くして追い、今まさに追い詰めようとしている……彼女は。

「…………時間が、ないな」

 ――少なくとも。
 美神ひのめは恐らく、数日の内に消される事になる。自らがどう思っていようと――そのような事には一切構わない、組織という強大な力によって。
 その前に……自分は、西条誠は彼女に会わなければならない……
 歩き出す。建物の中に向かって。
 確証は――全くない。美神ひのめが今何処にいるのか……自分には全く知る術がない。
 ……だがそれでも――自分には、恐らく解っている。美神ひのめが――日本に来て頼れる人物。また、それをせざるを得ない人物。
 一人しか思い浮かばない。――そして、それは恐らく間違ってはいない。
 ピエトロ・ド・ブラドー。彼。……誠の師であり、更にはほんの一週間前に出発の場所となった――あの荒れ果てた礼拝堂。恐らく、そこに――
 彼女は――美神ひのめは……

「…………」

 足は、地下鉄へ続く階段へと吸い込まれてゆく。



 ふと風を感じ、誠は身を震わせた。
























   ★   ☆   ★   ☆   ★





















「…………」

 空き地が点在するその界隈には、妙に寒々しい風が吹く。――かつてこの周辺には住宅地が広がり、それなりに賑わってもいた。今は、空き地と共に空家が点在する――まさしくゴーストタウンと化している……

(傷痕――か)

 誠はその中を、独り歩いていた。――そこに、意味などはない。ただあるとするならば、確認……か。
 人間の再生能力は、計り知れない。旧世紀の原子爆弾の後も、生き残った人々は焼け跡の上で必死に命の炎を燃やした。ただ――生きる為に。

 ……失われている。

 恐らく、そこに住みたいと願う人がいなかったのだろう。空き地や空家には殆どの場合、『売地』『売家』などの立て札、もしくは張り紙があり、その下に現在の持ち主の電話番号が記載されている。――その値段は驚くほど安い。都会に生まれた、文明の抜け穴が――

「……ここ、か」

 その古びた建物は、あろう事か未だ生命を保っていた。時代を感じさせる煉瓦造り、あちこちに罅があるものの、構造としては致命的なダメージは受けていないように思える。――かつての名は、美神除霊事務所。
 構造上の傷は、やはり感じられない。――外から眺めた限りは……であるが。
 昔――聞いた事があった。この建物には霊が憑いている。その例はかつてのここのオーナー……美神令子の強力な霊気を吸って生き長らえており……そして恐らく、この建物を修復させると同時にその存在を消した。

「……火……か」

 流石に――中に入る気にはなれなかった。四年の歳月を経て猶生命が止まっているこの界隈が甦るのは――果たして、いつの事になるのだろう。その渦中に多くの生命を宿したまま時間を止めたこの町は、そのまま、美神ひのめが行なった事実を浮き彫りにしている。

 美神ひのめ――その存在。

 ……確かに、それは一概に言えば、危険極まりないものであるのだろう。
 少なくとも、ICPOオカルトGメンの首脳陣が懸念する事はその事――それと、もう一つ。もし彼女が、その強大な力を“自分の意志”で完全に使う事が出来るようになったら――?

「……どうなるんだろうな。全く――」

 少なくとも、自分には想像が出来ない。テロリストにでもなるというのか?

(それこそ――お笑い種だ……)

 どちらにせよ、自分のやる事は――やらなくてはならない事は変わらない。その後の事は――その後にしか、解らない事なのだろう。
 歩く。重い足を引きずって。
 師の教会は、もうそう遠くはない。







 ――ふと、足が止まった。








「…………」

 美神除霊事務所の、隣。そこも空き地になっていた。四年前に、完膚なきまでに粉砕されたビル。既に今は、その名残もない――


 オカルトGメン、日本支部。かつての、父の職場。悲劇の舞台。


 既に都心に新たに支部が建設され、機能は全てそこに移っている。かつての父と共に、目の前の過去の遺物は静かに眠っている……

「…………」

 再び――歩みを進めた。
 ――感慨……に似た思いはあるかも知れない。少なくとも、年月の経過だけは感じる事が出来る。
 ただ……虚しい。自分のやっている事。やって来た事。やろうとしている事――全てが…… 結局、自分が何をしても、それは自分以外の何者にも、何も及ぼさない……

(そして……その自分すら――)

 理解できていない。怒りも、悲しみも、湧いて来ない。ナルニアで出会った公彦老に植え付けられた、虚無の感情。絶対の物が存在しない――途方もない頼りなさ。
 そう、もしかしたら――

「……俺は……美神ひのめに会うという目的に……すがっているだけなのかも知れないな……」

 会って――そして何をするのだろうか。公彦が訊いたその言葉に、自分はこう答えた。『答えは出せない。――まだ、彼女の事を何も知らないから』――と。今思えば、あれは卑怯な回答だったのではないか?――少なくとも、質問者……公彦老人にとっては。

 ただ――保留しただけ。決められるだけの、覚悟も持たずに……

(卑怯――か)

 重い心とは裏腹に、重い足は動く。人通りが戻ってきた道を歩き、そして心の中でため息を重ねる。まだ見ぬ美神ひのめの姿が、心中に強烈なプレッシャーとなって圧し掛かっていた。

 ――俺は……決断を下す事が出来るのか……!?

 ……会わなければならない……その覚悟は、今でも変わらない。自分はその為にひたすらに彼女を追い求めて来たのだし、会わなければ、前へと進む事は出来ない……

 ――そして、もう一つ。会って――そして、決断しなければ……

 息苦しさを感じる。極度の緊張が、身体に悪影響を与えているらしい。さほど暑さは感じないのに、汗が一筋、地面へと落下する。――その汗の玉を、眼で追うことが出来た――
 恐らく、立ち止まればもう歩き出す事は出来ない。――それ故、立ち止まる事は出来ない。
 重い足を、引きずる。増えてきた喧騒の中を、這うようにして縫って行く。住宅地にしては――人が多い。



 ……いや。
























 ――――多すぎる……?

























「――――?」

 疑念は、瞬時に懊悩する頭とは別の部位を起動させた。内に向いていた感覚器が、全て外部に向けて解き放たれる。周りの状況が、頭に映る――
 人ごみは、予想以上に激しかった。彼らが見ているのは、ただ一つの方角。――誠が、これから向かおうとしていた、まさにその方向。
 そして、かなり近くから――これも、前方からだった――聞こえる、サイレンの音。緊急自動車のサイレンの種類など解らないが、この場合は一瞬で理解できた。


 ――消防車。


「な…………」

 うめいた瞬間、足は、勝手に疾走を開始していた。――ざわめく野次馬を押しのけ、擦り抜け、喧騒を弾き、走る。

 ――最早、緊張も何もあったものではなかった。先ほどのゴーストタウンの光景が、脳裏にフラッシュバックする。師、そして、美神ひのめ――


 焦燥。


「…………ッ!?」


 辿り着き、そして、敷地を囲むように貼られた黄色いテープの内側で……





























 ピエトロ・ド・ブラドーの住む教会は、オレンジ色の炎を激しく撒き散らしていた。






















 〜続〜


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