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Sweeper's Insignia

The final chapter 『Nobleminded』


投稿者名:矢塚
投稿日時:04/ 1/10

 バチカン宮殿を全壊させ、その後教皇から皮肉のたっぷり効いた謝辞を聞かされた美神夫妻は再度、ラプラスの独房の前に立っていた。
「……も〜、あかん……」
 独房の前に立つや忠夫がばたりとその場に倒れこみ、令子の方もそんな夫に構う余裕がない。
 二人ともに、悪魔達との戦闘で消耗しきっていた。
「また来たな、お二人さん」
 ラプラスはそれだけ言うと、ニヤニヤと笑いながら沈黙してしまった。
 その態度に疲労困憊の令子がキレかかる。
「このクソ悪魔。あんたは間違いなく私達がここに何をしにきたのか知っているし、その結果もわかっているわよね? ごちゃごちゃ回りくどい事をして、私をイラつかせるなっ!!」
「くっくっく。以前会った時にも言っただろう? 私は退屈していると。少しは私の暇つぶしに付き合って楽しい会話をしようじゃないか。何、ほんの10分もかからずに終わる会話だ。それに、君達がいくら焦ろうともイラつこうとも未来は全く変わらないし、君達が望まなければ余計な未来は語らない」
 前知魔の言葉に対し、いきなり令子が壁を殴りつけた。
 そして、無理やりに深呼吸をする。
「……いいわ。その楽しい会話とやらに付き合ってやろうじゃないの。ただし、後で一言でも嘘が混じってるのが分ったら、その時はあんたを殺す……」
「どうぞ、ご自由に」
 出来もしないことを言う子供を見るように、ラプラスが楽しそうに答えた。
 そして、令子は憎々しげな表情を浮かべ、ゆっくりと切り出した。
「私が聞きたいことはただ一つ。なぜ、あんたが面識もない流汐のことを知っていたのかってことだけ。あんた、私達がベリアルを取り逃がしたときにそう言ってたわよね」
 その時はラプラスの言葉を暇つぶしの戯言だと切り捨てた令子だったが、やはり気にはなっていた。
 この独房に居る限り百年先までの未来、触れたものの未来しか分らないはずのラプラスが、なぜ自分の息子である流汐のことを知っているのだろうか?
 令子の言葉と表情を受け、ラプラスは満足そうに言った。
「君の言うように、今の私にわかるのは教皇の日記に記された事柄のみだ。前回、君達が隣の牢に放り込まれたときには、それが事細かに記されていた。何しろ、生まれて初めてクソ坊主などと呼ばれれば、書かずには居られないだろうからね。くっくっく」
「……それで?」
 我慢の限界をとうに超えている令子が促した。
「前回の暴言に加え、ベリアルの逃走とそれに付随して起きたバチカンに収監され駆除不能とされてきた悪魔の駆逐と宮殿の全壊。しかも、逃げ出したベリアルと日本で闘った者たちの中にある、美神の性を持つ流汐という名の青年。そして、教皇は思い出したのさ。20年近く前にこの青年を巡って起きた、なんともおろかな出来事をな。教皇は当時の事を思い出し、忘却の果てに置いてきた記憶については機密資料を引っ張り出してきて、君達の息子についての所見を日記に走り書きし、色々と書き込んだのさ。それはもう、事細かにな。しかし、それもしょうがない事だろう。悪魔の私からしても君の息子にまつわる事件は中々に興味深く面白く、何度も何度も反芻しては楽しませてもらったよ。もちろん、慢性的に退屈している私は独房仲間にも聞かせてやったのさ。『美神流汐』という青年と、それに関った人間の下らなさをな。幸いにして、ベリアルはこの独房内においてはそこそこ話が通じるヤツでな、嫌々としながらも暇つぶしに私の話を何度も聞いてくれたのさ」
「……なるほど。そういうことか……」
 石造りの冷たい床に倒れ伏したまま、忠夫が呟いた。
「あんた、生きてたの?」
「生きてるよ!」
「そんじゃ、とっとと日本へ帰るわよ」
 呆れたように令子が言い、忠夫の首根っこを掴んで出口に向かって歩き出した。
 令子の突然の退場も、全ては了承済みだといわんばかりにラプラスは落ち着いていた。
 そして、これもまたあらかじめ相手の返答内容を知っているかのように聞いた。
「一応聞いておくが、君たちは息子の生死と戦いの結末には興味がないのかい? 何なら、見返りもなく教えてやっても構わないんだが?」
 その問いに、令子はさも当たり前というように答えた。
「結末なんて、あんたじゃなくても分るわよ。すなわち――ベリアルの死――それだけよ。第一、うちの流汐があんな低級クソ悪魔に負けるはずないでしょ」 
 バカらしい事を聞くものだという表情を浮かべた令子は踵を返し、その態度にラプラスは言った。
「やはり知っていた事とはいえ、実際に目の前で見る君達の反応は面白い。久しぶりに楽しめた。楽しませてもらった礼に良いことを教えてやろう。私が知り、ベリアルに語ったのは美神流汐にまつわる事のみだ。この逃走劇も、その結末もベリアルは知らない。――なぜかって? その肝心な部分を書いたページには、教皇がインクをこぼしたらしく読むことが出来なかったからさ。くっくっく」
 本気か嘘か分らないラプラスの言葉を令子は鼻で笑った。
 その態度にラプラスは、是非とも美神流汐という人間と直接会話し、暇つぶしの為の髪の毛が一本欲しいと思ったのだった。

「お前、悪魔や魔族は憎いか?」
 流汐を前に、ベリアルは意味ありげに聞いた。
「唐突に、何を言っている?」
 流汐はつい、その言葉に反応してしまう。
「ああ、みなまで言わなくても分るキィ。その表情だけで十分だ。妖怪を嫌悪し、悪魔を憎み、魔族を恐れる顔をしているからなぁ。まあ、GSってヤツはそういうもんだキィ。お前の後ろに居るやつらも皆、そんなもんだろうしなぁ」
 一呼吸置いて、ベリアルは続ける。
「人間ってヤツは魔の性質を持つものがあまり好みじゃないキィ。それは分るな?」
「……だから、何なんだ?」
 流汐の中に奇妙な不安感が募る。
「お前はその昔、アシュタロスって魔神が人間どもをぶっ殺す為に生み出した手下の魔族の転生体だ。そんな物騒な存在が、何の苦もなく普通に生きていられる事に興味がないかって聞いてるんだキィ」
「やめろっ!!」
「黙ってなっ! 唐巣っ!!」
 厭らしく誘うようなベリアルの言葉を遮った唐巣に向けて、ベリアルが全力で霊波砲を放った。
 近距離のうえに、ベリアルの話に少なからず気を取られてた為に反応が遅れ、結界ごと唐巣らが吹き飛ばされた。
「ち、死ななかったか? 邪魔が入ったが、まあいいキィ。……つまりは、まともなGSってヤツには少なからず『魔』という因子を排除したいという本能が働くわけだ。それでだ、まともすぎて己こそが世界の正義であると自惚れているGSどもが偶然にもお前のような存在を知った時、どういう行動に出るのかは想像に難くないキィ。かつて、人間はおろか神や同族である魔族すら滅ぼそうとした狂った野郎が生み出した部下が、事もあろうに人間の、しかもGSの子供として転生してくるという事実! ――俺は、人間の心理に詳しい方じゃないが、これほどGSの名を貶める行為はなかっただろうなぁ! キキキキキッ!!」
「……そんなことはキサマなんぞに言われなくても分っているし、理解できる」
 流汐は怒りを殺して吐き捨てた。
 両親の仕事の関係上ごく稀に、国家機密クラスの事件を任されるほどのGSと会話する機会があるのだが、その中には明らかに流汐に対して嫌悪感を示す者が少なからず居た。
 ベリアルの言ったことはほぼ正解に近く、流汐は十代半ばでその視線の意味には気がついていた。
 流汐の出生は日本GS協会および、世界各国のトップシークレットになっているが、しかし、手のひらからこぼれる水のように噂は漏れ、一部のGSの間では揺るがす事の出来ない事実となっていた。
「なるほど、立派だキィ! 周りから疎まれその理由を知りながら! そして、『かつて幼い自分を殺そうとした人間の為にGSをやってる』なんてなぁ!」
「今、何と言った!?」
 ベリアルのある一言に、流汐の表情が変わった。
 その表情を見て、ベリアルが心底楽しそうに笑った。
「何だ? 知らなかったのか!? キキキキキッ!!」
 わざとらしく嘲笑するベリアルを再度、唐巣が遮った。
「やめろベリアルっ!! その事は――!!」
「その事は、何だ? 何か不都合でもあるのか? 黙って聞いてろっ!!」
 再度、ベリアルは霊波砲を放ち牽制した。
 今度は殺すつもりは毛頭無い威嚇だ。
 どうやら唐巣以外は、流汐はもちろんのこと誰もこれから自分が言う事実を知らないらしい。
 ならば、観客は多いにこした事はない。
「お前はかつて、人間のGSに殺されかけたって事だキィ。魔族の因子を受け継いでいるという理由だけでなぁ。そう、お前の肩にある古傷。その痛々しくでっかい傷だ。それが何よりの証拠だキィ!」
「キサマ何を言ってるんだ? この傷は交通事故で負ったものだし、当時の記憶も残ってる。でたらめ言うんじゃねえ」
 流汐はその言葉をあまりにも下らないでっち上げだと思いながらも、唐巣の表情が気になった。
 唐巣の顔には、あまりにも苦いものしか浮かんでいなかったから。
「キキキ! なんだぁ? 記憶まで改竄されてんのか? まあ、しょうがないっちゃあしょうがないキィ。正確に言えばその傷は、お前を殺しに来たヤツがつけたものじゃなく、『お前の両親が刻んだもの』だからなぁ! キキキキキ!!」
 唐巣を振り返り、その表情を見てしまった流汐は何も考える事が出来ず、呆然と立ち尽くす。
 唐巣以外の全ての者も同様、全く思考が働かなかった。
 その反応に、ベリアルの爽快感はいよいよ高まり饒舌になっていく。
「なんだぁ? 唐巣以外は誰も知らなかったのキィ? やれやれ、それじゃあ俺が親切丁寧に順を追って説明してやるキィ」
 ラプラスからの受け売りを、さも目の当たりにした当事者のように滑らかに、時に脚色して語り続ける。
「――お前はかつて、その出生の秘密を知って正義を自称する一部のGSに命を狙われたキィ。『魔族の転生体がまともな人間として生きていけるなどありえない。いずれ眠れる魔族の因子が暴走し、人に仇を成す』ってな。そして、そのGSどもとお前の両親の殺し合いが始まったわけだ。何しろお互いに譲歩できる部分なんぞこれっぽっちもないからな。まだ自我のきちんとしていなかったお前はその攻防の中、両親と相手方が発する闘争本能と憎悪の霊気にあてられて、自分の中に眠る魔族の因子が目覚めて暴走しちまったんだキィ。それを見たGSどもは己の正しさに勇躍したんだが、何しろお前が転生で引き継いだ霊力は強力すぎたうえに本能のまま暴走した状態で手加減てもんを知らねぇ。半分以上魔族の体と成り果てたお前は両親の目の前で、GSどもを皆殺しにしちまったのさ! それで、困ったのは両親だ。何しろトチ狂ったGSどもの理論なんぞと、はなから相手にしてなかったにもかかわらず、その理論を事件の発端となった本人が証明しちまったんだからなぁ。そして、お前の暴走はとどまるところを知らず、このままじゃヤバイッてんで両親は決断を下したわけだ。――つまり、お前を始末するという決断だキィ――まあ結局は、お前の右肩を砕いた時点で運良く暴走が止まり、目撃者も少ないってんで、表向きは両親がテロ活動に走ったGSを始末した事になり、お前は記憶を改竄されて何もかも無かった事にしたんだがな。もちろん、事が事だから各国の最高機密には真実の全てが記されているキィ。キキキキキ!」
「――そんな、ばかな――」
 流汐はただ立ち尽くす。
「聞いてくれ流汐君。確かにその傷はご両親がつけたものだ。しかし、決して君を殺そうとしてつけたのもではない。君の体にダメージを与えれば、その傷を修復する為に霊力を集中し、暴れた魔族の因子を沈静化できると踏んだからだ。決して君を殺す為なんかじゃない! それに、かつて暴走した君が今もこうしてGSとしてやっていけるのも令子君、忠夫君、さらには美智恵君が各国のトップやGS協会に対して尽力したおかげなんだ! 君を愛しこそすれ、厭う気持ちなどどこにも無いんだ!」
 息も絶え絶えに唐巣が叫ぶが、その声が流汐に届いているかは窺い知れなかった。
「殺すつもりがあったかどうかなんてどうでも良いのさ。結局は殺すぐらいの攻撃を愛しい子供に仕掛けたって事が大切だキィ! きっと、死ななきゃラッキーぐらいにしか思ってなかったに違いないキィ! キキキキキ!!」
「違うっ!」
「違わねぇよっ!」
 唐巣を怒鳴りつけ、ベリアルは流汐に問うた。
「なあ、今、どんな気分だキィ? 白い目で見られていただけじゃなくて、世界の『正義』とやらはお前を必要としていなかったキィ。お前は人間の世界から殺されるほど疎まれていたんだキィ。それに、幼くて暴走したとはいえ、お前はGS殺しの前科持ちだ。お前が守ろうとしているやつらは、その正体を知れば簡単にお前を殺しに来るだろうぜぇ。そう、まるで、……まるで……俺ら悪魔をGSが殺しに来るようになぁ! それでもお前は俺と、いや、魔族や悪霊どもから人間を守る為に戦うのか? そこにどれほどの価値があるのか俺に教えて欲しいキィ」
 優しくなだめるように、甘くベリアルが囁いた。
 さあ、その俯いた顔をあげて絶望と苦痛に歪む表情を俺に見せろ!
 自分の存在を否定された人間の顔を!
 その苦悩する表情が、角をへし折られた俺のせめてもの慰みになる!
 興奮したベリアルは、俯く流汐の顔を覗き込もうと近寄った。
 刹那、ベリアルの眼前で巨大な炎が燃え上がる。
「キィ!? 妖狐が今更、何のつもりだ」
 水を差されたベリアルが、その炎を発現させたタマモを睨みつけた。
 しかし、タマモはベリアルなど眼中に無い表情で、小さいが良く通る声で話し始めた。
「流汐、あんたが生まれるはるか昔。前世の因縁が元で人間に追われ、殺されかけた妖狐が居たわ。現世の自分は何一つ悪い事などしていないのに、転生前の自分が危険だったという噂ひとつでよ? その妖狐は、身勝手で無知で高邁な人間どもを憎みまくった。それこそ、殺してやらんばかりにね。でも、めぐり合わせが良かったその妖狐は何とか人間と折り合いをつけて生きていく事に成功したわ。もちろん、今もその妖狐の中に人間に対する不信や嫌悪が全く無いとは言い切れないけどね。それでもその妖狐は知っている。人間の中にはまともで、話のわかる良いヤツも居るって言う事をね。考えてもごらんなさい。妖狐のみならず、人狼の犬ッころやバンパイアの半人前、人造人間の女にボケた不老不死のじいさん、それに魔族の転生体であるあんた。そんなメンツが揃っていながらも平和に暮らせる時代なんて他にある? 確かに人間には汚い部分がたくさんあるし、それを否定などしないわ。でも、あんたを励まし心から心配している人間も確実に、目の前に居るのを忘れないで欲しいわね」
 諭すでもなく、励ますでもない淡々とした口調のタマモは語りつづけた。
「この先、あんたが両親と人間に絶望してGSを辞めようと私は構わない。あんたを傷つけた両親を殺そうと、絶望の果てに自殺しようと好きにしなさい。でも、この戦いからは絶対に降ろさない。今、あんたは目の前のクソ悪魔からケンカを売られてるの。前世やそれにまつわる赤の他人の思惑に振り回された、今のあんた自身を嘲笑ってんのよ。あんたも男なら、売られたケンカは自分一人でケリをつけなさい。力が必要なら手を貸してあげるけど、ま、一人でやるっていうのが私の好みなんだけどね。――そんだけよ」
 流汐は耳を静かに傾けているが、その態度はタマモの言葉にではなく、己自身の内なる声を聞いているようでもあった。
「なるほど! 妖怪からも人間からもはぐれたモン同士仲良くやってるって事か。お互いに傷を舐めあってるって訳だ。キキキキキ!」
 そして、タマモの言葉を笑い飛ばしたベリアルを無視し、俯いた流汐がぽつりぽつりと話し出した。
「……ベリアルの言葉に絶望を感じてしまった俺。……その言葉を未だに受け入れない俺。……魔族の転生体という事実に悩む俺。……しかし、現世とは関係ないと割り切ろうとする俺。……母さんと親父が俺の怪我を負わせ、記憶まで改竄した事に激怒する俺。……その一方で、当時の二人の気持ちと事情を理解したいと願う俺。……人殺しの業を知らずにぬくぬくと生きてきた俺……。しかし、正当防衛だったんだと逃げ込みたい俺……GSとして戦うことが馬鹿らしくなった俺。……それでも、GSとしての誇りを失う事が出来ない俺……」
「キキキ。あまりにショックで頭のネジが飛んじまったか?」
「……転生体という一つの事実のみが俺の全てではない。さまざまな相反する想いが渦巻いて、今の俺を容創っている……」
 流汐の霊力に僅かな変調が現れるが、ベリアルはそれに気がつかない。
「……俺は、誰のためでもなく今を生きている。俺がGSとして戦うのは、俺が俺であることを、美神流汐という、誰にも縛られず干渉されない確固たる自分を世界に宣言する為だったんだ……」
 静かに、流汐の霊力が上がっていく。
「これは、僕が覚醒した時と似ている――」
 流汐の変調に気がつき、傷口を抑えながらピートが呟いた。
 それは、純粋な人間の霊力とも魔族の霊力とも違う、二つの力が入り混じった混沌とした力。
 しかし、そこから邪悪な印象を受けることは無かった。
 流汐の霊力はいよいよ高まり、シロやピートに引けを取らないほどまでに張り詰めた。
「キィ!? そんな馬鹿なことがあるわけ無いキィ!!」
 それは、ベリアルが初めて見せた狼狽だった。
 ベリアルのみならず、世界の全てに宣言するように流汐が叫ぶ。
「俺は誰かの為だけでなく、俺自身である為に生きているんだっ!」


 ――そして、流汐は気高く笑った――


「改竄されたとはいえ、深層心理に燻りつつけていた魔の力への嫌悪と恐怖という心の枷が外れ、無意識に抑え込んでいた力が解放された……自分の全てを受け入れた――いや、受け入れる覚悟を決めた流汐君の力か――」
 唐巣の呟きに呼応するように、流汐が霊波刀を生成した。
 それは、今までとは比較にならないほどの霊力が収束し、淡いグリーンの光をほのかに纏いて放ち、蛍火という言葉を見る者に連想させる、気高く美しい刀身を描く霊波刀。
「――声が聞こえたんだ。儚い女性の声が――もしかすれば幻聴かもしれないが、その声はこう言った『――私はあなたで、あなたは私。でも、私は私で、あなたはあなた。同じだけれど別のもの。全ての世界があなたを否定しても、私はあなたを否定しない。忘れないで、今を生きているのはあなたの魂だという事を』――とても小さくて消え入りそうな声だったけど、どこか懐かしくて優しかった――」
 懐かしむような表情を浮かべた流汐が、自らの霊波刀に目をやった。
「新しく生まれ変わった俺の霊波刀。これは俺が俺である事を、心の底から自覚出来た証明。そして、これからもGSとして戦うことが出来るだろう俺へ、もう一人の『私』から贈られた誇り高い勲章。そうだな……『Sweeper's Insignia』とでも呼ぼうかな……」
 言うと流汐は一歩踏み出す。
 流汐の霊力が変質したといっても、これでようやくシロやピートと肩を並べた程度だったのだが、ベリアルは気圧されたように動けなかった。
 流汐が放つ、底知れぬ威圧感。
「流汐君。使え!」
 言うと西条が愛剣のジャスティスを放り投げた。
「今の君の霊力は、それまで使ったことも無いようなものになっている。もともと内包していた君自身の霊力だろうが、使いこなすにはかなりの集中力が要るだろう。その『ジャスティス』は僕が今日の今日まで霊力を練り、鍛え上げた霊剣だ。それに皆の霊力を出来る限り込めておいた。それを霊力を練り上げる為のヨリシロとして使いたまえ。多分、今よりは安定して楽に戦えるはずだ。ただ携えているだけでも構わない。――僕の『正義』は君を決して裏切らない――」
 ICPO日本支部の最高責任者でありながら、今まで流汐の過去を知らずに生きてきた自責の念と謝罪が入り混じった西条に、流汐は優しく答えた。
「ありがとうございます、西条さん。この剣の名に恥じないよう、がんばります」
「流汐! 霊力と集中力を極限まで研ぎ澄ませ! お前と、ジャスティスに込められた全霊力を一点のみに細く鋭利に収束したならば、ベリアルさえも貫けるでござる!」
「はい。先生」
 そして、右手に霊波刀、左手にジャスティスを構え、流汐はベリアルに向かった。
 ジャスティスをヨリシロにして霊力が巡回し、そして、流汐の霊力をなだめて安定させる。
 流汐は全身を巡る霊力を研ぎ澄まし、集中力がピークに達した。
「キィッ!! 何から何まで気に食わないクソ野郎だキィ!! 惨めったらしく泣きわめいてりゃ、それなりに楽しめたのにようっ!!」
 向かい来る流汐に対し、忌々しげにベリアルが叫んだ。
 流汐は気合を発する事も無く、流れるような動作で下段からすくい上げる一刀を放つ。
 淡い光が軌跡となり、美しいラインを描いた。
「キキキッ! それでも遅いぜっ!!」
 シロの速度に慣れたベリアルが爪を振るったが、突如として腕の一部が爆発した。
「キィ!?」
 見れば、重機関砲から対戦車ライフルの化け物のようなものに装備を替えたマリアが仁王立ちし、その銃口から硝煙が立ち上っていた。
「流汐一人でやらせるような事を妖狐の嬢ちゃん等は言うとるが、わしゃそんな約束なんぞしとりゃせんわい。……それに、最後くらいは目立たんとの」
「イエス・Drカオス」
 にんまりと笑うカオスに対し、マリアが小さく頷いた。
 二人が作り出した一瞬の隙は、流汐にとって十分な時間だった。
 師匠の刻んだベリアルの左腕めがけ流汐の霊波刀が寸分違わず食い込み、極限までに練成された鋭い刃がその腕を空高く跳ね飛ばした。
「キィッ!!!」
 そして、左手に構え全霊力を集中させたジャスティスの切っ先が、苦痛に体がのけぞったベリアルの喉に音もなく静かに、呑込まれるように突き刺さった。
 声にならない悲鳴を上げるベリアルに構う事無く、流汐が左手に霊波刀を生成する。
 生み出された霊波刀は流汐の左手からジャスティスの刀身を覆うように伝い、ベリアルの喉から体内に侵入していく。
「外殻は固いが、内側はどうなんだ?」
 流汐が言い放つと体内に侵入した霊波刀が左手の形を取り戻し、彼とジャスティスに込められた皆の霊力全てを吸い上げる。
 そして『Sweeper's Insignia』は炸裂した。
 爆発音と共にベリアルの体が一瞬膨張し、体のあちこちから『Sweeper's Insignia』の余剰霊力が小さな光の粒子のようなものとなって体外に飛び出していく。
 その無数の小さな光はまるで、闇夜を飛ぶ蛍の光跡のように淡く美しく空を漂い、しばらくすると静かに消え入った。
 美しい蛍の乱舞が終わると、ベリアルがうめきながら大地に膝をついたのだった。
「……まだ息がある。しぶといな……」
 全神経と全霊力を集中させて消耗し、荒く息をする流汐が呟いた。
 不意に、肩に手をかけられて流汐の体がびくりと飛び上がる。
 流汐の横には、何ともいえない感情の色をその目に湛えた唐巣が立っていた。
「約束したでしょう? 最後の止めは私にやらせてくれると」
 唐巣の目の中に、過去の悔恨を少しだけ感じた流汐がその場を譲った。
「いや、私の体は現役としては使えませんから、君の体を借りますよ?」
「どうぞ、神父のやりたいようにして下さい」
 素直に流汐が応えた。
「ありがとう。では、復唱してください――父と子と聖霊の御名のもと、唐巣和宏ならびに美神流汐が汝に命ず――」
 唐巣の声に同調するように周囲から霊気が集まり、流汐の体に収束していく。
「――長かりし苦難に満ちた闘争に終焉を――忌まわしき狂気の悪魔よ――この場より立ち退け! アーメンッ!!」
 唐巣が収束し練り上げた霊力が流汐を通じ、巨大な霊波砲として解き放たれた。
 身動きの出来ないベリアルは迫り来る霊波砲の光を眺め、ラプラスの言っていた『ミカミルシオに気をつけろ』という言葉を再度思い出し、「これだから悪魔って奴はイヤになる! 嘘も本当も言いやがらねぇ!」と一人罵倒した。
 そして、断末魔の悲鳴も、怨嗟の雄叫びも、全く何一つ残す事無くベリアルは消滅した。
 大地には焼け焦げたような跡だけが残り、今までの戦い全てを清めるような冷たい潮風が吹きぬけた。
「――さらば、ベリアル」
 小さく呟いた唐巣の顔は、心の重荷の一つから解放された優しい老人のそれだった。
 その表情に流汐が何となく寂しいものを感じ、何も言えずに踵を返した。
 西条の宣言によって戦いは終結を迎えるが、誰も彼もが疲れ果て、力ない喜びの声をあげるだけだった。
 流汐はエミ、唐巣、西条、ピート、タイガー、カオスとマリアに対して頭を垂れ、あるいは握手を交わし、また助力に感謝の言葉を述べた。
 そして、最後にシロとタマモの傍に歩み寄って言った。
「さあ、後の処理は西条さん達に任せて、とりあえず帰りましょう」
「……せっしゃ、おまえの過去にそんな事情があったとは知らなかったとはいえ、その……何と言って良いか」
 直情なシロらしい言い草に流汐が苦笑した。
「そうですね。今でも俺の心の中には、燻った気持ちがありますよ。きっとこれから先も悩むでしょうし、母さんと親父が帰ってきたら間違いなくひと悶着あるでしょう。でもね、先生。そんなことを全てひっくるめて、俺が俺として生きていく自信が、今は確実にありますよ」
 そう言った流汐に対し、シロはゆっくりと偉そうに頷き、タマモは世話が焼ける弟にでも向けるような苦笑をこぼした。
 流汐はそんな二人の態度に今までとはどことなく違っていながらも、これまで通りの日常に帰ってきた感覚を覚えて満足した。
 そして、もう一度、流汐は気高い誇りに満ちた笑顔を浮かべたのだった。


                             〜The end〜


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