「ルシオラさん―――、これ、着替え……、キャッ!?」
おキヌが更衣室兼洗面所の扉を開くと、
そこにはちょうど服を脱ぎ終えて、これから浴室に入ろうとする裸体のルシオラがいた。
細っこい身体。
きゅっと引き締まったウェスト。
胸は程よく、形は良い。
総じて言えば、丸みを帯びて、スタイルは良い。モデル体型と言うべきだろうか。
紛れも無く女性の体つきである。
「どうしたの?おキヌちゃん……。」
「い、いえ、なんでも無いですよ?
いや、入ったらいきなり裸でいるから……、つい、戸惑っちゃって。」
「あ、ゴメンね?」
「気にしなくていいですよ?私が勝手に戸惑っただけですから。
じゃ、コレ、着替えです。あとバスタオル。」
「ありがと。じゃあ、使わせてもらうわね?」
「ハイ。それじゃ、出ますね?」
「エェ。」
部屋から出てゆくおキヌを見送ると、
ルシオラは渡された服を近くにあった籠において浴室のドアを開いた。
おもむろにシャワーの蛇口を捻った。
すると放物線を描くように湯の雨が彼女の身体に降り注ぐ。
温かい。外で冷たい雨に打たれたときとはまるで違い、彼女の全身を温めてくれる。
「…………」
彼女は手で腕を洗い流している。
その間も降り注がれる湯は彼女の全身を伝って流れ落ちて、排水溝へと入っていく。
次に彼女はシャワーを取り外すと、胸、肩、腕、足……と順々に浴びせる。
冷え切った身体には程よい熱さの湯でさえも、とても熱く感じた。
だがそれも暫くすると、身体は元の体温を取り戻す。
充分に身体が温まった所で、蛇口を逆に捻ってシャワーを止める。
浴室は湯気に包まれ、外気の温度と比べても随分と暖かくなっていた。
彼女から落ちる雫もまた先程の冷たいものではない。
しかし、彼女の心は風穴が開いたままの状態であった。
「ねぇ、ヨコシマ、何処に居るの……?」
彼女はそう言葉に漏らし浴室から出て行くと、
バスタオルを手に取って、身体を拭いたのだった。
「さてと……。」
再び、対峙するルシオラと令子。
令子は何から切り出すべきか言葉を考えつつ、彼女の顔を伺う。
湯上がりのせいか、彼女の顔はほんのり火照っている。
が、表情は先程と大して変わっていない。
そんな折におキヌが台所から飲み物を持って部屋に入って来た。
お盆の上にはコーヒーの入ったティーカップ二つと水の入ったコップにガムシロップが三つほど。
「はい、どうぞ。美神さん。」
「ん、ありがと、おキヌちゃん。」
「ルシオラさんも……、これで良かったですか?」
「エェ、構わないわ、ありがとう、おキヌちゃん。」
おキヌは両方に手渡すと自分の飲み物を持って、令子の横に座る。
「……どうして、あなたが今、生きているかが不思議でならないわね。」
「自分でもそう思うわね。あの時、私は死んだんだって自覚はあったわ。
でも、どういう訳かまだ生きてる。」
「こうなっている原因は自分で分かっているかしら?」
「それが分かれば苦労はしないわよ?不思議よね、本人が死んだって思ってるのに、
今こうして生きている。分からないことばかりだわ。悪夢みたい。」
「?……悪夢ってどういう事?」
「……記憶が途切れ途切れでよく覚えていないけど、
いつの間にか生き返っていたって言うの?目が覚めると、まだ自分が生きている。
それが何度も続いたわ……。それに起きるといつも違う場所に居るの。
なんでだか良くは分からないけど。」
「それで……、今は何度目の『悪夢』なのかしら?」
「さぁ。数えたこともないわ?」
と、此処で会話が途切れ、沈黙が蔓延する。
場の空気はやや重めに、時計の秒針の音が喧しく聞こえる。
外ではようやく雨が止み、辺りは夜の準備に入っていた。
「……ヨコシマに、逢いたい。」
ルシオラは呟く。それに聞き耳を立てた令子は言った。
「無理な注文ね。何処にいるかも分からないのに。」
「それでも逢いたいの……!」
「我侭も程ほどにしなさいよ……?そんなに会いたいなら、自分で探しに行けば?
私だって、いちいち丁稚の居場所を把握してるわけじゃないし、責任持てないわよ!」
「……随分と言ってくれるじゃない!あ、もしかして、妬いてるのかしら?」
「な、何をいきなり言い出すのかと思えば……、馬鹿らしい。
私はあんな丁稚なんかに興味は……!」
「無いって言いたいの?じゃあ、なんで私の言う事を頭ごなしに否定するわけ?
ヨコシマと私の仲を容認してるんだったら、協力してくれたっていいものを……。
私はただ純粋にヨコシマと逢いたいだけ。ただそれだけよ?
なのに、美神さんあなたは私とヨコシマの関係を引き裂こうとしてる。
あなたは自分の所有物を手放したくないと嫉妬して、それを妨害してるだけじゃないのよ!?
いい加減にしてよね?あなたの方こそ……、」
部屋中に大きく音が響いた。彼女の頬が強く引っ叩かれたのだ。
勿論、叩いたのは令子。その額には青筋が見えている。
おキヌは激昂する彼女を抑えようと必死だ。
ルシオラはと言うと、引っ叩かれた後、
その勢いで床に雪崩れ込む様に倒れて尻餅をついていた。
「美神さん……!!止めて下さい……!」
「手を放して、おキヌちゃん!!私はこの娘を叩かないと、気が済まないわ……!!」
「……言い返す事より暴力の方が先なわけ?これだから、人間は下等なのよ!!」
「思い上がってるんじゃないわよ……!?いいかしら?確かに横島クンと私は何の因果か、
前世からの繋がりがあるわ。だけどたったそれだけの事が何?前世が恋人同士だっただからって、
現世も一緒だなんていう発想の方が馬鹿げてるわ。
だから、あんたと横島クンがどうなろうと知ったこっちゃ無いし、私には関係無い事だわ。
好きにしてれば?勝手に毎日毎朝毎晩、イチャイチャしてればいいのよ!!」
「なんですって……!?」
「まぁまぁ、二人とも落ち着いて……!美神さんも、ルシオラさんも……。
ね、落ち着きましょう?」
おキヌに諭される二人。しかし、どちらも鼻息荒く一歩も譲ろうとはしなかった。
「いい加減にしてください!!」
突如、声を高上げるおキヌ。その予想外の出来事に二人はたじろいだ。
「おキヌちゃん……。」
「二人とも大人気ないですよ?
さっきから見てましたけど、これじゃ罵り合いと一緒じゃないですか……!
見ていて、気分の良い物じゃないですし、
第一、これはルシオラさんと横島さんの問題ですよ?
美神さん、自分が口を出す問題じゃないって、この前も言ってたじゃないですか!?」
「でも……、」
「でも、じゃないですよ……、美神さん。
ルシオラさんは横島さんに会いたいだけ。それだけじゃないですか……。
それに何の不満があるって言うんですか?」
おキヌは珍しく感情を吐露する。彼女の目からは涙が落ち始めていた。
すると、令子は困惑した顔で彼女の方を見ている。
おキヌにこうなられると、どうにも弱る彼女であった。
「…………ゴメンなさい、おキヌちゃん。少し感情的になりすぎちゃってたわね……。」
「……ルシオラさんも、そうですね……?」
「エ、エェ、そうね……、少し言い過ぎたわ。」
これがおキヌと言う女性の特質なのであろう。
先程までのギスギスした場の雰囲気、張り詰めていた緊張の糸は一気に緩んでしまった。
対峙していた二人も何か毒気を抜かれた感じに陥っている。
「あ〜ぁ、なんか拍子抜けしちゃったわ?」
「…………そうね。」
うっすらと笑みを浮かべて、ルシオラはそう答えた。
「ほら、おキヌちゃんも泣かないで……。私達が悪かったんだから。」
「…………」
美神がおキヌをなだめる脇で、ルシオラの様子がおかしかった。
いや、おかしくなりつつあったと言う方が正しいだろうか。
先程までの張り詰めた展開から一転してのクールダウン。
それで肩の力が抜けた、かどうかは分からないが、
彼女は身体に虚脱感を覚えていた。
だから先程の美神の拍子抜け発言にもぎこちなく、笑みを見せるので精一杯だったし、
おキヌの問いに対する答えがぞんざいだったのもそのせいであったが。
「? どうしたの、ルシオラ……。」
「大丈夫、何でもないわ……」
身体がだるい。足元がふらつく。
原因は分からない。
身体がよろめくのを見られていたのか、令子は彼女を気に掛ける。
「ウゥ……。」
今度は眩暈がし始める。周りの視界がグルグル回るようだ。
立っているのが辛い。なので彼女は椅子の柄に手を置き、苦しそうに頭を垂らす。
「ちょっと、本当に大丈夫?」
「大丈夫よ……!……いいからほっと………い…………て…………。」
崩れ落ちるように倒れこんでしまった。
まるで蝋燭の火がフッと消されてしまうように、
彼女も言葉を言い切れずに床に突っ伏してしまったのだ。
「ルシオラ!?」
返事は無い。どうやら意識は無い様である。
残された二人は急いで彼女の元へ駆け寄り、彼女の様子を見つめる。
ルシオラはまぶたを閉じ、静かに仰向けになって倒れていた。
令子がその彼女の胸元に耳を当てる。
心臓の鼓動が聞こえた―――どうやら生きてはいるようではある。
ホッと息を付く二人。
「で、どうしましょうか……?」
「そうね……。とりあえず命に別状はなさそうだから、私のベッドに運びましょうか。」
「これでヨシ、っと。」
令子の寝室。そのベッドに眠らされているのはルシオラ。
令子達は彼女を担いで、先程の部屋から一番近い寝室に彼女を眠らせたのだった。
彼女の寝顔は穏やかそのものである。
「……これだと当分起きそうにも無いわね。」
「えぇ―――、で、これからどうするんですか?」
「別に?何もしないわよ。この娘が起きてくるまで待つしかないわ。
後の事はそれからね。その間に夕飯食べちゃいましょう?」
「でも―――、」
おキヌは視線をベッドの彼女に向ける。
「あぁ、大丈夫よ!まぁ、後でお粥かなんか持って来てあげればいいんじゃない?」
そう、令子はおキヌの肩を叩いて軽快に、穏やかに言った。
「ふぅ、食べた食べた……!」
一時間ほど経ったぐらいであろうか。おキヌと令子の二人は夕食を食べ終えていた。
令子は手をお腹に当てて、満腹の合図にポンポンとお腹を叩いている。
おキヌはと言うと、食卓の上にある食器の片付けをしていた。
「もう、太っても知りませんよ?美神さんったら……。」
「私は太らないから大丈夫よ♪……そろそろ起きてるんじゃない?あの娘。」
「そうですね……、ちょっと見てきますね?」
おキヌは片付けた食器を台所の流し場に置くと、
そのまま彼女が眠っていた部屋へと向かった。
スリッパの足音が床に静かに響く。
徐々に部屋に近付いてゆく。
そしてドアの前。
彼女はおもむろにドアのノブを捻る。
それは早くも無く遅くも無く、それは普通の速度で何気無く。
ドアを開けば、目の前には彼女が起きている……はずであった。
そして、それは起こったのだった。
「キャアァァァァァァァァッ!?」
その瞬間、おキヌの悲鳴が聞こえる。
食卓の椅子でくつろいでいた令子はそれを聞くや否や、
すぐに、彼女とルシオラが居る寝室へと駆けて行った。
ドアが開きっぱなしになっている。目の前には廊下にへたり込んでいるおキヌ。
「どうしたの、おキヌちゃん……?」
「あ、あれ…………、よ……、よこ……!」
部屋の中を指差すおキヌ。
その顔は驚きと恐怖の入り混じった気狂いしそうな引きつった表情である。
「一体どうしたって………!!!!?」
そのドアの開かれた部屋の正面に立ち、覗き込む美神。
―――愕然とした。そして訪れる戦慄。
手の震えが止まらない。
眼を疑った。でも無駄だった。眼前の事実は変わりはしなかった。
何故なら―――、ベッドの上に居るのは『彼女』ではなかった。
―――『彼』、だった。
「なんで―――、なんで此処に居るの?……横島クン!!」
そして夜は訪れた……!
いやはや横島どうするんだろ〜〜。 (RT)