椎名作品二次創作小説投稿広場


燈の眼

其ノ十四 『炎奔』


投稿者名:ロックンロール
投稿日時:03/12/27






















 ――ホムラ……ハシリテ――























「……もう一度…………言って下さい……」

 明るい日差しが、窓から燦々と降りそそぐ。昇り始めた太陽はその恩恵を万人に否応なく投げかけ、それを決して顧みる事はない。人はその無情に嘆きながら、汲々として今を生きる。
 事務所。――雪之丞は太陽を見ていた。

「二度と言わん。良く聞け。――もう、二度とそのような馬鹿な真似はするな」

「ッ――何がッ!?」

 ――ドン……!

 背後で、執務机の上に拳が叩きつけられる。――昼間である故、窓ガラスの反射率は然程でもない。……が、後ろに立っている筈の人物――ひのめの感じている感情は、ありありと背中から叩きつけられていた。

「――聞こえなかったか?」

「……ッ!――――聞こえました。……アタシが訊いているのは、何でアタシのやった事が『馬鹿な真似』なのかという事です」


 感情を押し殺した、声。――ただ、押し殺しきれてはいない。
 迸る激情は、既に沸点を迎えて荒れ狂っている。体内で――
 唇を、開いた。


「ひのめ。昨夜の事はパピリオから聞いた。お前は昨夜、二つの大きな間違いをした。順に言おう。――まず一つ目」

 指を一本立て――同時に振り返る。
 ひのめは、執務机に拳を叩きつけた体勢のまま、こちらを睨みつけていた。――唇を噛み……カサブタが貼ったばかりの唇から、新たな血の筋が流れ落ちている――

「自分勝手な行動を、相棒であるパピリオに相談せずに実行した事。――その所為で、パピリオは事実上何をする事も出来ず、行動を封じられた。GSとして、最もやってはならない事だ」

「…………ッ!」

 唇から流れる、血の筋が増える。

「結論から言えば、お前はGSとして最低の行動を取った。――現場では臨機応変なんていう言い訳は通じねぇぞ? 臨機応変つー言葉は、予めの打ち合わせ通りに動く意志があってその上で使われる言葉なんだからな」



 …………



 沈黙。



 ただ、凄絶な眼光だけが雪之丞を睨み据える。

「……二つ目だ」

 言葉を続ける。

「……お前は、何がしたいんだ?」

「――?」

 眼前の眼光が、疑問の色に曇る。――その瞳の奥に映る困惑に、雪之丞は問い掛けた。

「お前は念発火能力者だ。――何故、お前は炎を使わなかったんだ……?」

「それは――――炎がなくても、アタシはGSとしていられるという事を示す為に……」

「違うな」

「え――?」


 眼を見開くひのめから眼を逸らし、雪之丞は再び窓の外を見上げた。――蒼い。ただ無慈悲なまでに、蒼いだけの大空。そこには何の思惟もなく、ただただその下で蠢くモノどもを嘲笑する……
 再び、唇を開いた。

「お前は、逃げただけだ。お前を苛む、炎の恐怖からな…… 正直に言えよ。怖かったんだろう? いつ、何を起こすか解らない炎を、これ以上制御しきる自身がないんだろう?」

「―――――――ッ!!」


 その気配は、圧倒的だった。

 ――視線が、物理的な圧力すら伴って背中に突き刺さる。噛み破った唇から流れる血臭が、生臭さすら伴って鼻腔へと流れ込んでくる……
 無視することは出来ない。甘んじて、受け入れた。
 恐らく――この言葉は今のひのめを徹底的に痛めつけるだけだろう。――今は。……だが、既に彼女は決断を下した。その決断を誤りと断ずるには、今はこれしか方法がない……

「もう一度言う。逃げるな。炎の恐怖を受け入れて、自らに取り込め。お前と炎は切り離せない。お前は炎で、炎はお前だ。どちらかを否定すれば、それは必ず破滅を生み出す……」

 その言葉もまた――――




























「……いつも…………そうだ…………」





















「――?」


 振り返る。下を向き、足元を見つめたひのめの、血が滴る唇が開いていた。























「いつも…………そうやって……アタシに高いところから…………」






















「……ひのめ……?――――――!?」

 ……暑い!?

 室温が――あがっている!!

「――ひのめ!! 感情を静めろ!!――火が……火が出るぞ!?」

 目の前のひのめは、今だに下を向いたまま、ぶつぶつと呟きを続けている――


 ――動けない……!


(これが…………ひのめのプレッシャーかよ!?)





















「そんなら…………何で、アタシは生きてなきゃいけないんだよ…………何で…………自分を燃やしちゃいけないんだよ……」




















「ひのめ!!」

 動けない。動けない。動けない……っ!!





















「アンタなんか…………アンタなんか…………」





















 室温が、あがる。――汗が、干上がる。舌が渇く。――燃える。燃える。燃える…………

「まずい……やめろ! ひのめッ!?」

 赫い…………





























「アンタなんか嫌いだあぁぁぁっ!!」
























 赤。紅。赫。

 炎が膨れ上がる。

 そして――――空が燃えた。
























   ★   ☆   ★   ☆   ★






















 空。

 雨。

 夜半から振り出した雨は、昼近くなった今も、まだ降り続いていた。雨は景色を灰色に塗り替え、見慣れた風景をセピア色に塗装する。写真に収められた風景。――それは、動いている。
 無音。雨音という無音が、無人の礼拝堂を静寂に塗りつぶす。
 少なくとも……そう、“人”ではない。――自分は。

 ピエトロ・ド・ブラドー。ヴァンパイア・ハーフ。元オカルトGメン捜査官。神父。――自らを形づくる、数々のレリーフ。

 ただ、無言で酒瓶を呷る。





















   ★   ☆   ★   ☆   ★























 ――見られている……

 その人物は、緑の中にいた。――中南米、ナルニア。そのジャングルの奥地に庵を結び、人との関わりを絶って研究に没頭する老人。
 精神感応者。……美神、公彦。

 ――見られている……

 今、誠の目の前にいる男。

「……西条、誠君か……」

「……はい」

 唾を飲み込み、何とか言葉を搾り出した。

(……圧倒されるな……!)

 眼前の老人は、鉄仮面の奥で沈黙を保っている。
 そう――眼。その眼だ。鉄仮面の奥に光る、黒茶色の瞳。その人生を示すが如き深き皺の奥に光る、深い深い――哀しみを湛えた瞳……

「そうか……ひのめの事を訊きたいか……」

 そして――実際に全て、この老人には読み取られている……
 躊躇いはあった。――が、それがどのような事にも繋がらない事もまた知っていた。そして、少なくともこの老人の前では、自分を偽る事は出来ない。
 口を開いた。

「美神さん――俺は……あなたの娘さんを探しに、ここに来ました。――知っている筈だ。あなたは……彼女の現在の居場所を……」

「……知っている」

 公彦が、誠から視線を逸らす。――こちらの思考を読んだのか…………恐らく、そうなのだろう。すると、今現在この老人が感じている感情は後ろめたさか? それとも、申し訳なさでも感じているというのだろうか?
 ――どちらにしろ……今はこの老人に全てを訊く以外にはない。それ以外に――自分が、美神ひのめの『今』を知る為の手掛かりはないのだから。

「教えてください。美神さん。俺は、どうしてもあなたの娘さんに――美神ひのめに会わなくちゃならない……!」

 その言葉は、本心であった。――本心であると思っていた。
 公彦が、再びこちらに視線を向ける。
 ――その眼は、先ほどとは違って鋭かった。……いや、鋭くはない。ただ――全てを見透かして、全てを読み取る透明な眼差し。自分は、その賢者の眼の只中にいる……!

「誠君。……訊かせてくれ」

「……はい」

 ゴクリ……

 唾を飲み込む音が、やけに遠くまで響くように思える。
 熱帯の密林地帯は湿度が高い。それほど汗が出ない割には、この老人が住居としているコテージの室温は高かった。それと共に、自らの体温がかなり上がっていることも自覚する。――読まれている。

(俺は……心を曝け出しているのか)

「君は……ひのめに会ってどうするつもりなんだい……?」

「…………」

 その問いを投げかけられるのは予想していた。ある意味、それは恐らく公彦にとっては聞かねばならぬ問いであったろうし、またそれは恐らく誠自身にとっても答えねばならぬ問いであった。
 沈黙。
 公彦は、誠から視線を外さない。――その深い哀しみを秘めた瞳で、誠の眼をじっと見つめつづける。
 誠もまた、公彦から視線を外さない。――少なくとも、この問いに対しての明確な答えを返せるまでは、外してはならないと思っていた。

(…………)

「……………………そうですね……」

 銀色の鉄仮面。賢者。

「……そうですね。もしかしたら、殺すのかも知れない……もしかしたら、問い詰めるのかも知れない……もしかしたら、泣くのかも知れない…… 俺は、まだ彼女の事を全く知らない――それでいて、今こうやって答えをだそうなんて白々しい事は出来ませんよ……」

「……そうか」

 美神公彦はそう言うと、かけていた椅子から立ち上がった。――そのまま、窓の側へと歩んでゆく。

 空は、晴れていた。

 誠は無言で、その側らに歩み寄った。老人は――紛れもなく老人である彼はただ立っていた。――窓の外を……その向こうに広がる密林をただ見つめている……

「……誠君」

 老人は、長い時間を経て、その渇いた唇を開いた。

「令子は――私を嫌った。……私が、令子に何もしてやれなかったからだ。――ひのめにとっても、私は悪い父親だった。結局全ては美智恵に任せて、私はここにいたんだからね……」

 ただ、言う。誠に対してというよりは、自らの内に対して、語りかけるかのように。

「それでも……ひのめは私に懐いてくれた。私を、『父親』であると思ってくれた…………嬉しかったよ。年甲斐もなく。私はそれでも、『親』になれているのだ……とね」

 振り返った。

「……ひのめは、香港にいる。――が、恐らく今はもう、香港にはいないだろう……」

「……どういう、事ですか?」

「先程――連絡があったんだよ。――十四時間前に、ひのめの事務所は炎上した。恐らく――ひのめは香港を離れるだろうね……」

 老人はそれだけ言うと、再び窓の外に視線を向けた。昼前の空は蒼く、密林は何処までも碧い。その中には、個を決定付ける如何なるモノも、存在が許されない……
 誠は唾を飲んだ。――香港…… だが、今は既にいない……?

「四年前。――ひのめが、ナルニアに入国した偽造パスポートがある。確か名前は、『樋野瑠璃恵』となっていた筈だ。――探したいのならば、ひのめは…………」

 老人は、そこで一瞬躊躇を見せた。
 親として――そして…………

「…………もう、行きなさい。ひのめの行方が知れた以上、恐らく遠からず、私の身柄はICPOに拘束される事になるだろう。――面倒な事に巻き込まれたくはないだろう……?」

 結局…………老人の口から出たのは、その言葉だった。――矛盾と、躊躇と、苦悩。目じりに刻まれた深い皺。――それは、この老人の『生』そのものが、それらの言葉の連続で成り立っていたとい事実――そのものを、赤裸々に示していた。――唇を、噛む。

「……ありがとう……ございます」

 最早、ここにいる事は出来なかった。
 公彦老人に背を向け、コテージの出口へと歩き出す。――途中、先程まで自らが座っていた椅子をチラリと見、それを定位置に戻して、振り返る。
 老人は、未だ窓の外の森を眺めていた。――広大な森に、閉塞する心を溶かしてしまおうとでもしているかのように……

(…………ッ!)

 早く行かなければならないのだ!
 扉を、開く。

「それでは……」

 閉める。

「――――!!」

 ――バタン。

 扉が閉まる、寸前。…………聞こえたその声は、確かに公彦のモノだった。あの、悲しいこころに取り付かれた老人の、父親としての意思が――


 日本。


『ひのめは……恐らく日本へ戻っているだろう……』


 確かに……その声はそう語っていた――――






















 〜続〜


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