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Sweeper's Insignia

The fourth chapter 『The front of a violent emotion』


投稿者名:矢塚
投稿日時:03/12/26

 日が沈むにはまだ十分に時間があるにもかかわらず、湾岸の湿り気をおびた風が少し肌寒い。
 しかし、その風に吹かれる一同の体は冷める事を知らず、これから始まる戦いに向けての闘志が熱気のように溢れ出していた。
 それぞれが戦闘に備えた配置についている為、本来ならば精神感応を使えば効率が良いのだが、西条はあえて言葉に出して訓示をたれる。
 一同は微動だにせず、耳だけをかたむけた。
「さて、残すところ10分足らず。今回のように死力を尽くさねば勝てないだろう悪魔との戦いはめったにないから、各自気を引き締め戦闘に臨んで欲しい。何度も言うが、我々が敗北した場合に引き起こされるであろう凄惨な結末をもう一度思い浮かべ、胸に刻んでくれ。もしかすれば、世界中で今も起こっている不慮の事故や理不尽な事件の数々に比べれば、たかが一匹の悪魔が引き起こす小規模的なものであるという考え方もあるかもしれない。しかし、当事者にとって悲劇の重さに数など関係ない。GSとして戦う事。その意味を噛み締めて欲しい」
 広大な埋立地に西条の声が朗々と響き渡った。そして、ふと思い出したように彼は付け加える。
「ああ、それと先ほど入った情報なんだが、美神夫妻はバチカンから逃げ出した別の悪魔や妖怪を5時間以上にわたる戦闘において全て駆逐したそうだ。夫妻は無事なんだが、当初半壊していた宮殿を全壊し、それを見た教皇が引きつった笑い顔とともに感謝の言葉をのべたらしい。もしかしたら教皇はこの事を日記につけるかもしれないな……まあ、どんな感じの内容になるのかは想像するしかないんだが」
 あまりにも堅苦しい訓示だったろうかと思い至ったのか西条が最後に付け加えた台詞に、一同が苦笑するのだが、彼の口調は真剣であったし緊張感そのものが緩む事は全くなかった。

 指揮官を西条として前衛にピートとシロを配置、後方からの戦闘支援をタマモに任せ、唐巣とエミは結界による防御を担当。その二人の護衛には流汐が就く。
 タイガーはベリアル誘導後、西条の思考を皆に伝達し、マリアはタマモとともに後方支援に入る予定だ。
 シロの対霊攻撃力は、個人単位で行使できる攻撃では世界最強と言えるだろうし、ピートのロングレンジからミドルレンジにかけての霊波砲とバンパイアの能力は、白兵戦主体である彼女との連携には欠かせない。
 何よりもピートの実戦経験の豊富さは、どのような兵器にも勝るものだ。
 間違いなく、西条が駆使するこの二人は『ベスパ』クラスの敵にも引けを取りはしないだろう。
 また、西条にも二人の全てを引き出し完全に使いこなす自信があった。
 万が一にも前衛の二人に何かあれば流汐とタマモを投入出来、大概の戦局には対応できる。
 構成人員がかつての南極戦とは若干異なるが、現状ではこれが西条に出来る最高の布陣だった。
 しかし、それでも西条の内心は多少落ち着かなかった。
 何か決定的な見落としをしているのではないかという、漠然とした心もとない不安感。
 さらには、恐らくこの戦いが自分の現役生活の中で最後に味わう最大級の事件だろうという、一抹の寂しさである。
 不安感についてはこのメンバーに問題があるのではなく、彼自身の中に思い描いてしまった最強の布陣とどうしても見比べてしまった結果だ。
 ここに雪之丞と美神夫妻が居ればという、現実的ではない子供じみた願い。
 そして、自分が認める世界最強の対霊戦力を縦横無尽に繰り出し、指揮官としての手腕を存分に発揮する事。
 それは西条のような人間に最高の陶酔感と満足感を与えてくれるのだが、その願いがこれから先叶う事はないだろう。
 自分に現役として戦える時間がほとんど無いのは、誰よりも良く知っているつもりだ。
 いや、肉体を使った戦闘に関しては限界をとうに超えている。
 本当に歳をとったのだと、西条は今更ながらに痛感した。
「西洋合理主義者の僕が、言っても始まらない事をぐだぐだと考えるもんだ。歳のせいだろうか? まったく、内心ではこの戦いが長引いて面白くなれば良いと考えているなんて……案外、僕はまともじゃないな……」
 西条は先ほどの訓示を全て否定するような思いを抱いた事を自嘲する為、わざと小さく呟いた。
 その呟きを聞きつけたカオスが西条に甘く囁く。
「無理をせんでも良いぞ。お前の気持ちが間違っとるわけじゃないわい。GSの使命は己を捨てても市民を守る事なんぞと吹聴しとるが、所詮は化け物相手に命を張って金を儲ける商売じゃ。命のやり取りに快楽を見出せなんで何が一人前のGSじゃ?」
 からかうようなカオスの言葉に、西条が降参した。
「……確かに我々は、まともと呼ばれる社会からは逸脱した人間なんでしょう。昔の私ならいざ知らず、正義という一言だけが、今の僕をこの場に立たせている訳ではありませんから……」
「それに思い至ることが出来た時点で、お前も一人前のGSじゃよ。少々、歳は食ったがな」
 言うとカオスは豪快に笑ったのだった。
 西条はその笑い顔に対し、そういえばこの老人はGSではなく錬金術師であったと今更ながらに思い出し、戦闘における役割を与えるのを忘れていたと一人苦笑した。
「ミスター西条。ベリアルとのセカンド・コンタクトに・成功しました」
 マリアからの報告を受け、先ほどまでの不謹慎な感慨など誰の事かというように、西条の表情が有能な指揮官のそれになった。
「よし。そのままここまで誘導してくれ……タイガー?」
「了解じゃが……コイツはなんとも凄まじいノー。憎悪と殺意の塊じゃ」
 ベリアルの精神とダイレクトにつながれたタイガーの表情が歪む。
 タイガーを気遣いつつ、西条が静かに問う。
「マリア。ベリアルの到達予定時間は?」
「4分27秒」 
 マリアの淡々とした答えが耳に入ったのは、西条とカオスのみであった。
 他の面々は先ほどから感じているベリアルの霊圧に対し、身じろぎもせずに真っ向から体で受け止めて、すでに前哨戦とも言うべきものを開始していた。
《――!? あの悪魔ッ!!》
 不意に西条の頭の中だけに強烈な罵倒が駆け巡った。
 彼はそれに驚くことなく、罵倒の発信源であるタイガーを横目で制し、同じく精神感応で呼びかけた。
《タイガー、僕だけに状況の報告をしてくれ》
 その言葉に、タイガーが怒りに満ちた感情と共に情報を流し込んでくる。
《……やってくれるな……皆には伏せておいてくれ。余計な感情は戦闘に支障をきたすから……》
 冷酷ともいえる台詞であったが、西条の浮かべた表情はタイガーに若干の冷静さを取り戻させた。
 そして、西条の瞳が烈火の怒りを燈して鈍く光り、ぼそりと呟いた。
「……Drカオス。先ほどの僕の発言を取り消しますよ。……やはり、僕がGSとして戦う理由には『正義』の一文字だけが似つかわしい……」
 タイガーとのやり取りなど知りもしないカオスは、訳も分らず肩をすくめたのだった。
「ミスター・西条。ベリアルとの接触まで・60秒。海抜340メートルを・こちらに向かって・進行中」
「分った。そのままカウントダウンを」
 マリアのカウントダウンが埋立地に流れ、それに伴いベリアルの霊圧が大きくなっていく。
 一同が禍々しい霊気を発する方向を睨みつけていたその時、空の一点が煌めいた。
《対霊防御!》
 西条の思考が瞬時に行き届き、それに疑問を差し挟むことなく一同がその場で防御姿勢をとった。
 直後、圧倒的な霊波の奔流が埋立地を直撃したのだった。
 大地は立っているのもおぼつかないほど激震し、巻き上げられた土砂が雨のごとくに降り注ぐ。
 ひどい土煙の為視界が無いに等しい状況の中、西条が精神感応を使い全員の無事を確認した。
《流石、エミさんと神父の複合結界ですね》
《一回こっきりの使い捨てだけどね》
 全ては予測の範囲内だという余裕をもって、西条とエミが思考を交わす。
《それよりも、居ますよ》
 唐巣が緊張を滲ませて、二人の思考に割り込んだ。
《……そうですね。――それじゃあ皆、頼むよ――》
 西条の思考に同調し、一同が土煙の舞う中心部に神経を集中した。
 まだベリアルを視認するまでに土煙は収まっていないが、それでも、目の前には禍々しい霊気を発する存在を確かに感じる事が出来た。
 いつどこから襲い掛かられても良いように、前衛のピートとシロが抜かりなく全感覚を開放している。
 そして、徐々に徐々に土煙は晴れていき、ついにベリアルがその全貌を現したのだった。
 2メートルを超す巨大な体躯を闇よりも黒い甲殻が覆い、剥き出しの牙と鋭い爪が凶悪さを強調した悪魔の姿。
 頭からは二本の角が伸びているのだが、その内一本は半ばから綺麗に切り取られていた。恐らく美神夫妻の一撃を受けてのことだろうが、本体にはダメージらしきものは無いようだ。
 ゆっくりと周囲を見回し、これから殺す予定のGSどもを面白そうに眺めたベリアルの視線が一点で止まり、イヤらしく笑った。
「キキキ! 久しぶりだなぁ、エミ。それに唐巣、カオス、マリア。人間の方はずいぶんと歳をくったようだが、お前達のことは一日だって忘れてないキィ。悪魔の俺にとってはたかが30年程度だったが、それでも、それでも長かったぜぇ。アノ時は俺の油断で一杯食わされてバチカンに押し込まれちまったが、今度はそう上手くはいかないぜぇ。今こうして開放された喜びを、お前等をズタズタに引き裂いて喰らってやる事で祝うキィ!」
 ベリアルから憎悪と殺意の霊気が溢れ出した。
「本当に久しぶりだな、ベリアル。しかし、私としては二度と会いたくはなかったよ。それに、あのままおとなしく地下牢にいれば、今日この場で滅ぼされずに済んだものを」
 唐巣がゆっくりと口火をきった。
「よく言うキィ! よぼよぼのジジイになっちまってるくせになぁ!」
 楽しそうにベリアルが応えたのだが、その場違いな会話が耳に入っている者など誰一人としていなかった。
 一同はただ呆然として――言葉を交わす唐巣さえもが――ベリアルの口もとを凝視していた。
 ベリアルの口の周りは乾ききっていない鮮血がぬらりとした光を放ち、喋るたびにその牙に引っかかった子供用の小さなスニーカーが、大きく揺れていたのだった。
《まずいな》
 そして、カオスとマリア以外の感情に烈火の怒りが迸り、それを感じ取った西条が舌打ちする。
 この事を隠し通せるのならば、そのほうが良いと判断した西条の見積りが甘かった。
 怒りに我を忘れた思考はノイズでしかなく、戦闘の連携に致命的な欠陥を引き起こす。
 とはいえ、そう考える西条自身も実際に血まみれのスニーカーを見てしまえば、怒りで我を忘れる寸前だった。
 それでも西条が愛剣ジャスティスの柄を強く握り締め、全員の気持ちを鎮めようとした矢先、ピートが静かに口を開いた。
「……きさま、子供を喰ったな。……言え……何人喰った?」
 シロや流汐がその言葉に冷たいものを感じる。
 頭の中では事実として認めているものの、耳から入ってくるその言葉は圧倒的な残酷さを持っていた。
「ピート!」
 慌てる西条を、ピートは手をあげて制した。
 ピートの感情を一瞬だけ感じ取った西条はそれ以上何も言わず、信頼する部下に全てを任せた。
「キキキ!もちろん、喰ったさ。130年以上おあずけをくらっていたからなぁ、最高に美味い前菜だったぜぇ! 何人喰ったかは忘れたが、メインディッシュのお前等が喰えなくなるほどじゃあないキィ!」
 怒りが人間の眠れる力を解放し、実力以上の事を成せるなどというのはくだらない妄想だ。
 ベリアルは、激情に心とらわれたばかりに、簡単に破滅していったGSどもをよく知っていた。
 その悪魔が100年近くも人間の傍にいたのは、伊達ではなかった。
 もちろん、ベリアルがそのように挑発し激情を誘ったのも目の前のGSの実力が侮りがたいものであり、下手をすれば自分が負ける可能性を感じ取った為でもあるのだが、ベリアル自身はその事を認めないだろう。
「そうか……子供達にはかわいそうなことをした。でも、これ以上の犠牲者が出ないことだけは確かだし、それだけがせめてもの救いだろう。……犠牲者の子供には、この戦いの後で祈りをささげる事にしよう」
「ピート! てめえっ!!」
 他人事のような冷たい言葉に反応し、流汐が詰め寄ろうとした刹那、ピートが彼を睨みつける。
 ピートの瞳は底知れぬ深さを湛え、その表情は夜叉よりも冷酷に見えた。
 睨みつけられた流汐は理由もわからずその場で硬直する。
 恐らくは、温厚なバンパイアハーフの青年というピートが心の奥に隠し持つ、ベリアルに向けられた純然たる殺意に触れてしまった為だろう。
「怒るな、憎むな、殺意を抱くなとは言わない。しかし、激情に身を委ねてはいけない。荒れ狂う殺意を心の奥底に冷静をもって押し込め抑制し、激怒を原動力に酷薄なまでの冷徹さを発揮するんだ。それが出来て初めて、悪魔と対等に戦えるのだから。――分るね?」
 見た目は優男だが、カオスやマリアを除いた誰よりも人生経験を積んでいるピートの言葉は、流汐の心に重く響いた。
 それはGSとして後輩である流汐に向けて語られた言葉だが、歯を食いしばったピートの表情を見れば自身にも言い聞かせているのは疑いようもなかった。
 そのピートの姿をみたタイガーの顔に複雑なものが浮かぶ。
《この先、ワッシ等がいなくなっても、ピートは大丈夫そうじゃノー……》
 タイガーの思考は西条だけに届き、先に老いて死にゆく親友が抱く感情に悲哀を感じる。
 ベリアルの方はピートの言葉に、さも納得したようにわざとらしく肩をすくめた。 
「お前、吸血鬼との混血だろう? 匂いと霊波の波長で分るぜぇ。それにそこの女共も人間じゃねぇな? この匂いにも覚えがある……キキ! そうだ、人狼に妖狐だキィ! なるほど、道理で意外と冷酷な野郎どもだと思ったぜぇ! お前等はどちらかといえば俺の側に近しい存在だ。そうだよなぁ、まともな人間でもないお前等にとっちゃガキの一人や二人、死のうが生きようが興味なんぞないだろうからなぁ。キキキキキ!!」
 いつ果てるとも知れないベリアルの嘲笑を突如として遮ったのは、鈍い炸裂音だった。
 流汐が音の方向に目をやれば、右手に太刀をぶら下げたシロが静かに佇んでいる。
 太刀の切っ先が向けられた大地には数メートルの亀裂が走っていた。
「戯言はもう良いでござろう?」
 優しいとさえいえる口調とは裏腹に、シロの握る太刀には凄まじい霊力が漲っていた。
「先生――」
 シロの怒りが尋常ではないことを知り、流汐がピートに習って彼女を諌めようと口を開きかける。
「わかっているでござるよ、流汐。ピートどのの言った事は正しいし、たとえ今、お前が実践出来なくとも絶えず心の中に刻み込んでおくでござるよ。そう、今のせっしゃを諌めようとしたように。……でも、せっしゃはソイツが言ったように人狼でござる。そして、誇り高き人狼の武士は己が守るべきと定めたもの、己が誇るべきと定めたものの為ならば、怒りにこの身を焼こうとも、決して負けたりはしないでござる……」
 言いながら、シロの集中力は極限まで達していく。
 それをみとめた西条が、ジャスティスを高くかざした。
 そして、渾身の気合とともに叫び、振り下ろす。
「攻撃!」
「キキ! かかってきやがれ! GSども!!」
 自信たっぷりにベリアルが吼えた。
 シロとピートが左右から迫りくるのを確認し、迎撃の態勢をとったベリアルの視界がいきなり紅蓮の炎に包まれる。
「!?」
 ベリアルは一瞬の驚愕を瞬時に殺し、迫りくる殺意を伴った強大な霊力の持ち主ただ一人だけに集中する。
 絡み付くような炎を振り払ったすぐ目の前には、太刀を大上段に振りかぶった人狼の女が居た。
「うおおおおおおお!!」
 裂帛の気合とともにシロが真っ向から太刀を叩き込む。
 異常ともいえる速度の打ち込みに対応しきれず、ベリアルは右腕で太刀筋を逸らすのが精一杯だった。
 鋼よりも硬度のありそうな甲殻の一部が美しい断面を見せて削ぎ落とされていく。
 甲殻を削ぎ落とした程度でシロの打ち込みが威力を無くすはずもなく、振りきった太刀の切っ先で大地が盛大に炸裂した。
 シロは渾身の一撃が致命傷を与えられなかったことに慌てることもなく、そのまま太刀を返してベリアルの横腹を薙ぐのだが、これにはベリアルも反応が追いつきバックステップで難なくかわされたのだった。
「キキキ! そういや妖狐も居たっけな? なかなか小賢しい手を使うじゃねえか! 人狼の女が炎に巻き込まれるのを怖がって威力さえ抑えてなけりゃあ、それなりにやばかったかもなぁ」
 一瞬の連携攻撃を防いだベリアルが挑発するように笑った。
 事実、シロが打ち込む隙を作る為、目くらましに使った狐火によるダメージは皆無。
 目標に対して炸裂する霊波砲や、狐火のような周囲にも余波が出る攻撃は、威力が大きければ大きいほど味方が巻き込まれる可能性が高い。
《なかなかやるじゃないか》
 誰に流す事もなく、西条が唇を舐めた。
「まさか今のがお前等の最強の攻撃か? もしそうなら、今のパターンはもう覚えたキィ! 次からはもっと上手くかわせる。そして、その次には反撃も出来るぜぇ」
「今の一撃はただの挨拶代わりだ。今すぐにその汚い口を沈黙させてやる」
 挑発するベリアルの背後に殷々とした声が流れ、ピートが霧状から実体となって現れる。
 その声に応えることなくベリアルが背中に防御のために霊力を集中したのと、強力な霊波砲の雨が降り注いだのは同時だった。
 ピートの容赦ない霊波砲を背中で全て受けながらも、ベリアルはシロに対する警戒を一切怠らない。
 自分の全霊力と甲殻を持ってすればこれしきの攻撃では致命傷にはなりえないし、人狼の攻撃もあの太刀の刃筋さえ逸らせば問題ないのだ。
 シロもこの状況下ですら完全に身構えた相手に対しやすやすと攻撃を仕掛けるほど向うみずではなく、ただじっと太刀を構えたまま一瞬の隙を窺いつづける。 
 そして、ついにベリアルは背中から焦げ臭い煙を立ち上らせながらも、ピートの攻撃をその場で凌ぎきったのだった。
 手の込んだ攻撃が通用しない事に狼狽したであろうGSどもをベリアルが嘲笑おうとした刹那、シロとピートが間合いを大きく取った。
 その直後にはベリアルの足元から薄暗い光が煙のようにゆらめき、魔方陣が浮かび上がる。
「束縛結界!? やってくれるぜ、エミッ!!」
 ベリアルの叫びと結界の発動は同時であり、誰しもがその成功を確信する。
 後は動けなくなったベリアルに、止めを刺すだけで済むはずだ。
「馬鹿なッ!!」
 西条が我も忘れて声を荒げた。
 それは、その場に居る一同の驚愕を代弁した叫びだった。
 次の行動を起こす事も忘れてしまった彼等の目の前には、ベリアルが何の干渉を受けた様子もなく立っていた。
 もちろん、ベリアルに束縛結界が効果を成さなかった事にのみ驚愕しているのではない。
 ベリアルは、エミの束縛結界の発動と同時に『人間の黒魔術を使用して結界を解除した』のだった。
 これまでで最大の驚愕と動揺をGSどもに与えた事にベリアルは満足した。
 今までは防戦一方で反撃の機会を持ち得なかったが、これからはこちらからも仕掛けていけるだろう。
 GSどもは完全に動揺した。
 ほんの些細な原因が与えたものであるが、一度受けた心の揺らぎは生半可な事では払拭できない。
 動揺は集中力を乱し攻撃を鈍らせ、鈍い攻撃は隙を生み、反撃と攻撃の機会を間違いなく自分に与える。
 ベリアルはゆっくりと首を回し、さらに追討ちをかけた。
「キキキ。俺を甘く見すぎたなぁ、GSども。そんなにびっくりしたのか? 人間の使う魔術を俺も使えることに。バチカンに閉じ込められている間は退屈だったからなぁ、暇つぶしで練習してたのさ。忘れたのか? 俺が100年近くも人間の傍にいて、その技を見つづけていた事を。それに、何も地道で勤勉なのは人間だけの専売特許じゃあないのさ。俺はどんな魔族や悪魔よりも、人間というものを知っているぜぇ」
 その言葉は、一同の心の中に一粒の種をまいた。
 それは戦いが長引く中で発芽し、決め手に欠く状況に陥ってゆく過程でじわじわと根を伸ばし、やがて最後には敗北の予感という名の花を精神に咲かせる可能性を秘めた、『強敵』という名の危険な種。
 目の前の悪魔には、これといった特殊能力や強力すぎる決め技はないかも知れないが、圧倒的な霊力を無駄なく使いこなすバランスの良さと対GS用の実戦知識と経験が異状なまでに豊富だった。
 加えて、恐ろしい程に人間の感情を熟知しており表面上は人間として振る舞うシロやピートを表面上は侮りながらも、その実まったく油断も慢心も無く戦闘に望んでいるのだ。
 まさしく悪魔の狡猾さを持って。
 これほど戦い難い相手というのも、西条には想像しかねただろう。
 かつて人間の傍にいたことがGSにとって、ベリアルを力だけが全てではない強敵にしていた。
 それでも西条は鍛え上げた強靭な精神力を駆使し、自分を立て直そうとする。
 まだまだこちらが有利に攻撃しているのだ。何を動揺することがある?
 ベリアルが魔術を使えたからといって、どうだというのだ?
 ベリアルが人間の精神を熟知しているからといって、何だというのだ?
 何も、何も問題など無いではないか。
 自分が信じ、胸に刻んだ『正義』の名のもとに、全力をもって目前の悪魔を駆逐すれば良い。
 たったそれだけのことだ。
 それこそが、今、自分がここに居る理由の全てなのだ。
 指揮官は決して動揺してはならない。
 師である美智恵の声をもう一度思い出した西条はもう、いつも通りの彼だった。
「さあ、ウォーミングアップはお終いだ。本気でいかせてもらう」
 あえて口にしたその言葉には、絶対の自信が満ちていた。


                           〜To be continued〜


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