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Sweeper's Insignia

The third chapter 『Reason』


投稿者名:矢塚
投稿日時:03/12/ 3

 戦術会議が終了した一同が立つ場所は、東京湾に面した広大な埋立地であった。
 普段は大規模な野外コンサート等のイベント会場として利用されているが、災害時における都民の避難場所としての役割をも持ち、霊的にも極めて安定するように整備されている。
 ベリアルとの接触までに、残すところ3時間弱。
 埋立地にはなにやら巨大なアンテナが設置され、Drカオスの指示のもとに10数人程度の技術者らがせわしなく働いていた。
 アンテナからは何本もの太いケーブルが伸び、マリアの頭部と精髄部分に接続されていく。
 得体の知れない機械の塊になりつつあるマリアから少し離れた場所では、エミが大地にこれまた何やら得体の知れない文様と魔方陣の複合結界を敷き詰めていた。
 そんな忙しく立ち回る人々を眺めながら、流汐、シロ、タマモ、唐巣、ピートは仮設テントで作られた対策本部の中で、パイプ椅子に何をするでもなく座っていたのだった。
「先生、俺らも何か手伝わなくていいんですかね」
 何もしていないことに良心がとがめるように、流汐が隣のシロに話しかけた。
「戦闘の主力である拙者らの今やるべきことは、少しでも『こんでぃしょん』を『べすと』な状態にすることでござるよ」
 落ち着き払ったシロの言葉に、流汐はうーむと唸り奥に座るタマモとピートをちらりと見た。
 先ほどから二人は向かい合い、コンビニで購入してきた将棋を真剣に指している。
 微妙な感情が含まれた流汐の視線に対し、何故か唐巣が弁解した。
「人それぞれに緊張を解きほぐす方法はあるものだよ。まあ、ピート君は本来西条君のもとで陣頭指揮を執るべきなんだろうが、ほら、西条君があの通りだし」
 苦笑する唐巣の視線の先には、この場に居る誰よりも元気いっぱい、はつらつと指揮を揮う西条の姿が見える。
「ここ最近はデスクワークが多くて、こういう最前線の危険極まりない現場から遠ざかっていたんだろうね。久しぶりに血がたぎるんじゃないのかな?」
 流汐からすれば、そう言う唐巣もどこと無くそわそわした空気を纏っていた。
 いや、正確に言えば、流汐とタマモ以外の全員が歓喜の感情を押さえ込み、冷静さを装っているようである。
 無論、今回の一件を心から憂いているには違いないが、それでも、これから始まる危険極まりない除霊現場の空気というのは、GSという名の血と肉をざわつかせるようであった。
 どうやら、これから始まる戦いこそが皆の待ち望んでいたものであるらしい。
 <アシュタロスの乱>は、この場に居るそれを経験した者にとって、覚醒剤の一種であったのかもしれない。
 一度の服用が獣性と凶暴性を呼び起こし、生への果てし無い渇望が死と隣りあわせでしか実感できなくなる強力な中毒性を持ったカクテルドラッグ。
 そして、それに類似するように強力な悪魔の絡んだ事件は引き金となり、あの時の血のたぎりを思い出させるのだろうか?
 当時の乱に参戦していない、シロの心の高まりは良く分る。
 彼女の根幹を成すのは人狼の血であり、無用な争いは好みはしないが、火のついた時の闘争本能と集中力はまぎれも無く野獣のそれだ。
 では、タマモはどうなのか?
 正直言えば、何故彼女がこの戦いに参加したのかが、流汐には不思議だった。
 嫌だと思った事は絶対にしない彼女なのだ。
 彼の両親であるオーナーの命であれば、仕方無しにはしぶしぶと従うだろうが、今の彼女からはそのような雰囲気は感じられなかった。
 もしかしたら、彼女なりに今の状況を楽しんでいるのだろうか。
 そして、自分は何故この場にいるのだろう。
 先ほどエミにひっ叩かれた時に参加を願ったのも、自分を未熟と認めたくない気持と負けん気が大半を占めたからだ。
 極論を言えば、GSとしてその力を求められたから、母親に従って参加したに過ぎない。
 求められたから応えた。
 もしかしたら、それだけなのかもしれない。
 心のどこを探しても、これから始まる戦いへの高揚感や期待感は出てこなかった。
 勿論、流汐自身も除霊時には心高ぶり、力を揮うことに快感と陶酔を多少は覚えるのだが、今、西条らが感じているであろう高揚感は彼が普段感じているそれとは明らかに異質なものだろう。
 流汐は、自分と周囲の心の温度差に一人戸惑った。
「うわ! 詰まれちゃいましたね」
「ほほほ、甘いわね!」
「あんたらなぁ……」
 流汐の感慨をぶち壊すピートとタマモの嬌声に、彼はがくりと肩を落とした。
 それでも流汐は気を取り直し、手の空いたピートに問う。
「なあ、ピート。じーさんらは俺のマリアに何してんだ?」
『俺の?』
 全員の突っ込みを無視して流汐は続けた。
「あんなアンテナなんぞを何に使うんだ? 麗しいマリアが、不細工なコードやら何やらにほとんど埋もれちゃってるじゃないか」
 どうしてもピートが年長者に思えずに、流汐が彼に語りかける口調は同年の友達に対するそれである。
 ピートのほうは、親子代々の付き合いになる青年の砕けた態度を嫌がるでもなく、むしろその気安さを喜んでもいた。
 どうやらバンパイアハーフの精神年齢は、外見と比例するらしい。
「ああ、あれは野戦用の強力な通信アンテナを使って、ベリアルをここまで誘導する為に使うんだ」
 よく飲み込めない表情の流汐とシロ、さらにはタマモにじっくりと説明を始める。西条が年甲斐も無く張り切っている為、仕事の無いピートは少々退屈していたようだ。
「つまり、マリアが保持しているベリアルのパーソナルデータとあのアンテナを使用して、ベリアルの精神に直接コンタクトをとり、ここまで引っ張り込もうというわけなんだ。何しろ日本といえども広いからね。迷われた挙句に、そこらじゅうの人間に手を出されては対応もしきれない。しかし、その為には強力な精神感応力を持つ者が必要なんだけど――」
 そこまで言ったピートの目がある一点で止まり、笑顔がこぼれる。
 流汐がその笑顔の先を追うと、こちらのテントに向い、のしのしと歩いてくる大男の姿があった。
「タイガー!」
 ピートは言いざま椅子をけり倒し、身長が2メートルを越えるであろう大男のもとに向かった。
「おお、ピート! 久しぶりじゃ。相変わらずじゃのう」
「また面倒ごとに巻き込んでしまって、すまない」
 気のゆるせる仲間だからこそのニュアンスを含んだ謝罪に、タイガーは豪快に笑った。
「まあ、いつものことじゃけん」
 見た目は親子ほども離れている二人の、親友同士の会話を眺める流汐は不思議な感覚に包まれる。
 タイガーが歳を重ねて変わっていくにもかかわらず、ピートの外見はうつろいゆく時間から切り離されているようにほとんど変わらない。
 しかし、それに戸惑うことなくこの人たちの絆が途切れることは無い。
 本当に、心からのつながりがあるのだろう。
「おお! 美神さんとこの流汐じゃないか。相変わらず親父さんに似ず、綺麗な男じゃわい。親父さんは元気にしとるかいの?」
「どうも。元気ですよ、アホかというくらいに」
「いつ見ても、本当に忠夫さんの息子とは思えんの。そういやワッシの娘もそろそろ年頃じゃけん、よかったらまた遊びに来んしゃい」
 その冗談交じりのタイガーの一言に、流汐は苦笑した。タイガーの娘も母親に似てかなりの美人なのだが、何しろ身長だけは父親の血が強かったらしく、190センチは越すプロポーションの持ち主だったからだ。
「それじゃあ、今度会うときには俺が見上げなくてもいいように、出来るだけヒールの低い靴を履いてきてねと、伝えておいてくださいよ?」
 デートのチャンスを潰した事の無い流汐がさりげなく、親の公認を取り付けるべく働きかけた。
「そういったところは父親とそっくりじゃの。まあ、無事これが終わったら伝えておくけん」
 タイガーは再度豪快に笑うと、ピートと共にアンテナのもとに向かっていった。
 二人を見送った流汐は再びテントに収まった。
 残すところ1時間弱。
 時計を見た流汐の体は無意識に緊張をはじめるが、やはり気持ちは高ぶってこなかった。
 エミにひっぱたかれた頬の痛みはとっくに無くなってはいたが、無意識のうちに手が頬に触れてしまう。
 その仕草を見た唐巣が、誰に言うとも無く話し始めた。
「エミ君もなかなか素直じゃないところがあるからね、少々手荒な方法でしか気持ちを伝えられない場合もあるんだよ。許してくれたまえ」
「いえ、俺が悪いんですから……」
 先ほどの無様な自分の姿が脳裏をよぎり、なんとも居心地が悪い。
 早くこの会話を打ち切りたかったが、それでも本心からの言葉がつい漏れた。
「駆け出しの俺なんかに、みんなが気を使ってくれてるんです。感謝こそすれ、恨むような俺じゃあないですよ」
 唐巣は彼のその素直さに苦笑した。
「みんな、君の事は本当に我が子同然に思っているんだよ。こう言ったらきっと君は気を悪くするだろうが、みんなが君に若くして死ぬような事が無いのを願っているんだ」
 流汐は唐巣の言葉を飲み込み、その顔を見る。
 彼の沈黙を受け取り、唐巣は続けた。
「会議場のエミ君とのやりとりで、君は言っていたね? 『自分の生まれに拘っていたのは俺だけか』と。……しかし、そんなことは無いんだよ。本当はあの戦いを経験した者全てが、多かれ少なかれ確実にこだわっているんだ。――いや、もう少しだけ私の話を聞いて欲しい――。アシュタロスとの戦いで、我々は忠夫君に世界の未来と愛する女性を天秤にかけさせ、その悪夢のような代償を彼一人に背負わせた。その等価を我々が代わりに支払うことは出来なかったよ。当たり前だね、死者を完全に蘇らす事など出来はしないのだから。でも希望は残っていた。君という希望がね。君を無事一人前に育てることが、我々に出来る贖罪だと思う。でもこれは君の人格を無視した、我々のエゴにすぎない。それでも、君を心から心配し、死んで欲しくないという想いそのものは純粋なものだということだけは、わかってほしいと思う。――いや、これもまた私の傲慢だね――すまない、戦いの前だというのにこんな話をしてしまって。でも、だからこそ私は君にもう一度問いたいのだよ。もし、君がこの戦いに自ら望むではなく参加をし、恐怖を感じていないか、と」
 唐巣の言葉に、静かに問い返す。
「恐怖を感じていないといえば嘘になりますが、それはどういう意味です?」
 唐巣はゆっくりと続けた。
「つまり、まだ引き返せるということだよ。このまま戦いに参加せずに、もっと実力をつけてから次の機会を待てばいい。なに、この業界にいる限り、今回のように強力な悪魔と戦う機会には事欠かないだろう。本当を言えば、私はこの件に君を巻き込みたくは無かったんだ。西条君も、ピートも、エミ君も最初は君の参加を反対していたんだよ。――もちろん、実力の面での問題は無かったけれど。――でもね、君のご両親からどうしても参加させて欲しいと頼まれたんだ」
「母さん達が?」
「ああ、そうなんだ。これから先、君がGSとして大成する為にはとても良い経験だからってね。結局、君の生まれを本当に拘っていないのは、両親であるあの二人だけなんだろう。もちろん忠夫君は心配していたけれど、それは純粋に子供を想う気持ちからくるものだからね。結婚当初は皆が心配していたんだが、令子君も忠夫君も私達の想像以上にしっかりと親をやっているよ。しかし、ご両親の意向と君の意志と我々の希望は別だ。正直に言って、今の君からは覇気が感じられないし、とても不安定で危うい印象を受ける。そういう人間がいとも簡単に死んでいくのを、私は幾度となく見てきている。だから私は君を引き止めたい。だから、しつこいようだけどもう一度だけ聞くよ? 君はこの戦いから、本当に降りる気はないのかい?」
 唐巣の言葉は、怒り、軽蔑、感謝や悲哀といった感情を何一つ流汐に与えなかった。
 ただ静かに、自分に対する唐巣の気持ちを、素直に受け入れる。
 そして、ゆっくりと目を閉じ大きく静かに深呼吸を繰り返した。
 それはまるで何かに対する答えを見いだし、何度も確かめているような仕草とも取れた。
 やがてゆっくり目を開けて唐巣を見据え、ゆるぎない表情とともに力強く言った。
「神父。お心遣い本当にありがとうございます。それでも、俺は戦います。母さんや親父のように強く、いやそれ以上のGSになりたいですから」
 ありふれた言葉だが、その言葉が流汐の出した参戦理由そのものだったのかもしれない。
 一人のGSとして、母と父を超える。
 誰の代用品でなく、親の威光をかさに着ることも無く、美神流汐というGSの名を世に知らしめること。
 他人がどのように思い悩もうが、自分は美神流汐という人間であり続けたい。
 それを証明するために、戦う。
 今の流汐にとって、GSであることが全てだった。
 そんな彼を見た唐巣は胸を撫で下ろした。この青年はやはり美神の血筋だけあり、精神力、自我の強さは並大抵でない。
 しかし、だからといって唐巣の顔から全ての懸案が消え去ったわけではなかった。
 まだ何か、魂の機密とでも言うべき重大な秘密を抱えているようにも見える。
 妙に晴れ晴れとした気分の流汐がそれに気がつくはずも無く、もう一度唐巣に丁寧に謝辞を述べると、気持ちを再度引き締めて、流汐がシロに問いかけた。
「先生、やっぱりそれを使用するんですか?」
 少しだけ嫌そうに言う流汐に、シロがさも当然とばかりに答えた。
「ああ、これだけ広いうえに少々無茶をしても壊れるものなど何も無いでござるからな」
「そうですけど、間違っても俺を巻き込まないでくださいよ」
「せいぜい注意はするでござるが、しかし、万が一の場合は『すまん』でござる」
 何故か楽しそうに言うシロの右手には、一口の太刀が握られていた。
 流汐がそれを恐々と眺めるなか、彼女はすらりと太刀を抜き放つ。
 濡れたような輝きを放つ地肌の美しい刀身は、鋭い霊波を漲らせていた。
「何度見ても、外見だけは美しい太刀ですね」
 美と凶暴が同居したような刀身を流汐が眺める。
「現在、人狼では最高の刀鍛冶である犬林長平が、シロ君の為だけに鍛えた霊太刀『一葉長平(ひとつはながひら)』」
 いつの間にかテントに戻ってきていた西条が惚れ惚れと呟いた。
 西条が所有する西洋刀のジャスティスと同じく使用者の技量と霊力次第で業物にも鈍にもなる霊具だが、シロが使いこなすその切れ味はジャスティスの比ではない。
 刀以上の反りと肉厚な刀身を持ち、一撃の破壊力だけならば、かの八房さえ凌ぐ最上大業物。
 重量はかなりのものだが、人狼の筋力と霊力、さらには刀身が帯びた魔力をもって打ち込まれる一撃は物質、非物質の霊体を問わずにありとあらゆるものを完全に叩き割り、粉砕した。
 何しろ、悪霊を叩き割った衝撃波でその後ろにあるビルをなますにしてしまい、美神から通常の除霊では使用禁止の令が出たくらいだ。
 流汐があまり良い顔をしないのも頷ける。混戦の中、シロの正面に割り込みでもしたらただではすまないのだから。
「まさしく剣聖が使うに値する一口だね。一度僕も使わせてもらったが、その太刀は重すぎて3、4回の打ち込みだけで腕が上がらなくなったのがなんとも悔しいが……歳はとりたくないもんだ」
 気楽そうな口調とは裏腹に西条の内心は張り詰めていたのだが、それを周囲に悟らせなかったのは良くも悪くも彼が美神美智恵の一番弟子だからだろう。
 指揮官は決して、心揺らいではいけない。
 誰よりも長く美智恵の傍で戦ってきた西条が、彼女から学んだ一つだ。
 そんな西条に、シロが照れくさそうに答えた。
「剣聖だなんて照れるでござるな。それに、通常の霊能者では握っただけで霊力を消耗してしまい、振ることさえ出来ないでござる。あれだけ振るうことの出来た西条どのは、やはり流石でござるよ」
「そうね、こんな物騒なものを使いこなすシロのほうがどうかしてるわ」
 タマモの余計な一言でシロのおでこに「いげたのマーク」が浮かび上がり、それを見た流汐がいつもの喧嘩が始まるとため息をつく。
 世話の焼ける姉二人の仲裁にでも入るように流汐が口を開きかけたとき、三人の表情が一変した。
「……シロ」
「ああ、わかってるでござるよタマモ。……流汐?」
 師匠の静かな問いかけに、彼は何度も確かめるように慎重に答えた。
「ええ、わかります。これが、ベリアルの霊圧ですか。まだかなりの距離があるんでしょうが、とんでもない化けモンですね」
 その直後、マリアからのエマージェンシーが流れ、一同がベリアルの接近を確認した。
 唐巣は、三人の鋭敏さに舌を巻きつつも、人狼と妖狐に引けをとらない流汐の基本能力の高さに頼もしさを覚える。
 先ほどまでの唐巣が彼に対して雛鳥を気遣うような気持ちであってみれば、シロ、タマモ以外の者達は流汐の潜在能力を過少評価していたのかもしれない。
「みんな、戦闘準備に入ってくれ。ベリアルが今、日本領空に侵入した。接触までおよそ15分だ」
 西条が叫ぶのに対し、あるものはゆっくりと立ち上がり、ある者は勢いよくテント外に飛び出し、またあるのものは未だ腰掛けたままだった。それぞれがその気性にそって最後の準備を行うのを満足そうに見た西条が、トランシーバーに向けて静かに話す。
「よし。タイガー、マリア始めてくれ」
「イエス・ミスター西条」
「了解じゃ!」
 力の漲るタイガーの返答と気負いのかけらも感じられないマリア。それと同時に、彼女に接続されたアンテナが起動する。
 耳鳴りのような振動が大地を伝わり、全員の体をびりびりと震えさせた。
 それは、これから始まる戦いに大地が怯えている様な感覚だった。


                〜To be continued〜


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