椎名作品二次創作小説投稿広場


燈の眼

其ノ十一 『炎廻』


投稿者名:ロックンロール
投稿日時:03/11/16



















 ――ホムラ、マワリテ――


























 雑居ビルの一室。そこは混迷を極めていた。ただでさえ狭隘な室内に、今は四人の人間が存在する。……二人は大人。今二人は、それよりはやや小柄に思える。雑然とした雰囲気は既にそのままそこに沈殿し、凝り固まっている。まどの外には香港の街の夕暮れの雑踏。自転車のベルの音が聞こえる。
 空気は、程々に重い。――そう、“ほどほどに”、だ。
 ――ひのめは、軽い嘆息と共にそれを心中反芻した。この中途半端な空気もまた、狭苦しい部屋に付随して発生した必然的なモノであるのかも知れない。――嘆息をもうひとつ。

「……確かに、草地の一部まで炎上させてしまったのは行き過ぎだったかも知れません。――でも、あの場で悪霊ごと建造物を倒壊させるには、必要な威力であったと思います」

 殊更に、丁寧な態度を崩す事なく。
 ひのめは、固い声音で言葉を発した。“述べる”とか“言う”などというモノではない。純粋に――必要であるからこそ発されただけの確認事項。……ただ、それだけ。

 ――そして、それに対して眼前の男――椅子に座ってこちらに対して視線も寄越さない男がどういった答えを返すのか。……その事すらも既に、一字一句違わず予測する事が出来た。
 その男は小柄だった。自分は女にしては長身である方だとは思っているが、それにしてもその男は低い。ひのめと並べば、ひのめの視線はその男の髪の毛を映すだろう。
 若くはない。――壮年の、男。だが、その体躯は未だに年齢不相応の筋肉に鎧われ、かつて一度だけ眼にした事のあるその実力も、誰に比べても高すぎる程に高かった。――そしてその瞬間の眼は鷹。鷹の眼を持つ、男。

「……言い訳か? ひのめ」

 その男は仕事用デスクに座ったまま――目の前の新聞から眼を離す事すらなく言った。乾いた唇から漏れ出でたその言葉は、寸分の容赦もなくひのめの精神を抉り、感情は反射的に反論を要求する。ひのめは唇を開きかけ、

「ぱぴりおぉ――っ!? これなぁにぃ――!?」

「コラ明弘! それ破魔札! 高いの! ダメッ!!」

 どたどたどたどたどたどたどたどたどた………………



 …………………………………………



 ……ひのめは唇を舐めた。耳の端に入って来た嬌声を、やや強引に意識から締め出す。何となく、自分の唇の端が引き攣っている事だけは理解できた。

「……頼むんで、除霊道具だけは壊させないで下さいね?」

 それは、先ほどから念じていたものとは違う言葉ではあった。が、――ただ、訳もなく痛快ではあった。相も変わらず新聞に眼を落とし続ける男――その頬に、一筋の汗。

「あああ――っ!? それ契約書!? アンタ、契約書にお絵描きをぉ――!? てゆーか、駄目! それ駄目!! って、何で油性マジックでぇ――っ!?」

「なんだよぉ!?『やりたいと思ったらつらぬけ』って、パパが言ってたぞ!? 意味わかんないけどさぁ!」

 ビシリ!……といった効果音がしそうな程の明快さで、逃げ回る少年はひのめの眼前の男を指差す。その間に、それを追う少女――パピリオ――が、素早く契約書(のなれの果て)を奪い取る。

「……ほほぅ」

 取り敢えず。ひのめは、ジトリと男を見つめてやる事にした。デスクの男はダラダラと脂汗を流しつつも、頑ななまでに新聞を凝視し続ける。よく見てみると、その両端は固く握り締められて殆ど破れんばかりになっている。その手は細かく震えていた。

「……そういえば、今奥さんと別居中らしいですね。明弘君、こっちに連れて来ちゃって良かったんですか?――奥さん、確か名家なんでしょう?」

 ――ビリ。

 これは新聞が破れた音。
 破れた新聞に、未だに頑なに眼を落としながら身を震わせる男を見、ひのめはその笑みを深めた。――世話になっている。この尖沙咀(チムサーチョイ)市に非合法ながらも事務所のようなものを構える事が出来たのも、彼の力によるところが大きい…………その事は言われるまでもなく解っているのだが、それでもやはりこの男だけは好きになれない。あのピート達の友人であると師――小竜姫は紹介してくれたが、“あの”ピートにこういった類の友人がいようとはどうにも信じられなかった。
 ――伊達雪之丞。年齢は確か四十一歳。婿養子に入ったにも関わらず姓を変えようとしないので、妻の実家とは折り合いが悪いらしい。故に、実は正式な名は弓雪之丞。その腕は一級。経営手腕は三級半。やや、それは直情径行がありそれは先程からパピリオを翻弄している彼の息子、明弘にも受け継がれている。

「…………いや、一応……飛鳥の方はかおりんトコに残してあるし…………」

「……取り敢えず……このコを何とかしてよ!」

 パピリオの場違いな――そしてある意味限りなく場の雰囲気に合った絶叫は、その何ともいえない空気を容易に切り裂いた。
 見れば、パピリオは漸く明弘を取り押さえたらしい。羽交い締めにしている。……確か十歳であったはずの明弘は、父母の所為か――いや、間違いはないのだが――妙に負けず嫌いではある。しかも喧嘩っ早い。既にパピリオの幼さが残る顔面には、引っかき傷と思しき傷が至る所に残っていた。

「……もういい……馬鹿野郎が……」

 不貞腐れて呟いた伊達の言葉からは、むしろ限りない諦めの感情を読み取る事が出来た。






















   ★   ☆   ★   ☆   ★






















 その風景は、客観的には素晴らしいモノであったに違いない。それなりに高いビルの窓から見える香港島の大都会は、見る人を唸らせる事を納得させるだけのモノは持っていた。――だが、見慣れてしまえばそれは日常になる。百万ドルの夜景も既にも見慣れて久しい。ビルの十二階のレストランから見える風景は、雪之丞に何の感慨も与えはしなかった。

(……捻くれてるな)

 心中、思う。これでは、妻に愛想をつかされるのも無理はないのかも知れない。
 眼前には、美神ひのめ。美神令子の妹で、現在は国際指名手配――但し、公式には死亡した事になっているので非公式に――されている。固い表情でこちらを睨むその姿からは、自分に対する親しみやら尊敬やらの念は感じられない。その事がやや引っ掛かりもするが――仕方もない。

「……先刻、俺が言った事の意味は解っているな?」

「………………はい」

 眼前のひのめは、やや心もとなげに雪之丞から眼を逸らしつつ、呟いた。長かった髪をバッサリと切ったその姿は、半年前に久しぶりで会ったときから変わらない。ある種の憂いを内包している。
 かつていろいろと世話になったり、こちらから手助けしたりした竜神、小竜姫。その使いが雪之丞の前に現れたのは半年前の事であった。――話は単純。『一人の非合法GSを世話して欲しい』。

「さっきは茶化されたがな。……必要であったという事は言い訳にはなんねぇよ。必要なら、必要なだけを切り取って、後は切り捨てる。お前には、そうしなけりゃならないだけの力がある。まさか忘れた訳じゃねぇだろうな?――特に、不定形な……な」

 その後の事は、わざわざ妙神山まで足を運んで、小竜姫から直接訊いた。――その人物は、“あの”美神令子の妹である美神ひのめ。お目付役兼、人界との折衝役として、元アシュタロス軍の少女、パピリオ。
 事情はその時に全て聞いた。――その上で、請けた。恐らく、小竜姫にコネがあるGSの中で『裏』へのルートを有しているのは雪之丞のみであったろうし……貸しを作るという打算。或いは、かつて共に闘った仲間達への懐古の念もあったのかも知れない。

「繰り返したくはないんだろう?――だったら、素直になるんだな。小竜姫やサルはお前の命を守ろうとして“力”の扱い方をある程度は教えたんだろうが――俺はそうは思わない。他人の為を思うならお前を殺しちまうのが一番手っ取り早いし、お前の為を思うなら、能力は札で押さえとくのが一番無難だろ」

 今はナルニアに滞在している美神公彦がひのめを妙神山に送った事には、友人の横島夫妻の意見が強く反映していたらしい。――確かに、“業”を払えないのならば自らの力でそれを克服するしかない――その事自体には頷ける物もある。
 ――だが、それにはそれに値するだけの“覚悟”が必要となる。

「ハッキリ言って、お前にはそれが――覚悟が足りないんだよ。『持って生まれた』? 『望んではいない』?――ふざけるんじゃねぇ。その“力”を持ったまま、自分も周りも生きてようと思ったら覚悟するしかねぇんだよ。――お前、一体何を怖がってんだ?」

「……覚悟なら、持ってない訳ないじゃないですか……! アタシは――!」

「違うな」

「え――?」

 下げかけた視線を再び上げ、ひのめは雪之丞を控えめに睨む。――その姿……容姿は、憎たらしくなる程にかくてに彼女の姉。美神令子に酷似している。
 ――だが、その姿から彼女が姉を彷彿とさせる事はない。

「お前は、押し付けられた“力”を嫌悪しているな?――他者によって、その力を御しようとするまでに」

「――当たり前です……! こんな……こんなモノがあるから……アタシは……!」

「『アタシは』…………何だ?」

「――え――?」

 再びの言葉。ひのめの言葉が詰まる。眼が見開かれる。

「比較してやろうか。――最近、明弘は俺に魔装術を教えてくれとせがむようになったよ。大方……ダチに見せて自慢したいか、喧嘩に勝ちたいか――それくらいの理由だろうけどな。――それで、俺はアイツにどうしたと思う?」

「……どうって……」

 眼前のひのめが表情を曇らせるのは、ハッキリと読み取れた。彼女が不快な事は疑いもない。短い髪を指で弄りながら、やや細めた眼が雪之丞を睨みつける。
 雪之丞は再び唇を開いた。ため息と共に、言葉そのものを軋り出す。

「――教え始めたよ。初歩の初歩からな」

「――――!?」

 その驚愕もまた、予想のうちではあった。少なくとも――雪之丞にとっては。彼女の表情の変化をしばし見つめ、静かに……再び唇を開いた。

「……『信じられない』って顔だな? その辺が、『覚悟が足りねぇ』っつってんだよ」

「――でも……! あんまり……ムチャクチャです! 明弘君はまだ十歳――子供なんですよ!?」

「……それがお前の覚悟のなさの第一だ。俺の答えはひとつ。“それがどうした?” 力を欲しがった時点で、アイツはもう既にガキじゃあねぇ。玩具じゃなくて……『力』をな」

 眼前のひのめは納得出来ないようではあった。その瞳に、不理解の色がまざまざと浮かんでいる。――仕方もない。これは、彼女にとっては純粋に、仕方もない事なのだ――
 数度目の言葉を、歯の間から軋り出す。頭が重い。

「聞け。いいかひのめ、覚悟なんてモノはな――何て事はない。“力”それに対して、既に備わってくる。それだけのものなんだよ。――身に付ける過程で、その自覚と覚悟は自然に“解る”んだ。――何故か? 解らなきゃ、自分がどんな形にせよ他人から“外される”事が解っちまうからだ。――それで学べなきゃ、それはそいつの責任だ。第二が、教えた者の責任。お前には――お前の“力”には『学んだ』という過程が抜け落ちてるんだよ……!」

 その言葉そのものは、ひのめには何も与えてはいないようであった。――少なくとも、雪之丞に解る範囲での見た目上は。雪之丞自身、何かを与えようと思っていた訳ではない。――ただ、言っただけ。

「……それは……無責任です。そんなの――――」

 その言葉は、話に対してか。或いは、雪之丞自身に対してか……

「あの娘……パピリオがお前と一緒にいるのは好都合だな。小竜姫がそれを見越して一緒にさせたんなら、あのお気楽な神様にも少しは見る眼があったっつー事だ。――あいつも……パピリオもガキだが……少なくとも、お前よりは大人だ。年齢的な意味じゃねぇぞ? 奴もまた――『与えられた』力を持っているしな……」

 だが違うのは、パピリオの“力”はその主にとって必要な“力”であったという事。彼女の造物主であるアシュタロスは、その目的の為の尖兵たらしめるだけの力を持たせ、三人の『兵』を創り出した――
 ……そこに、パピリオの――彼女達J死因の疑問が介在する余地はない。意味がある以上、彼女達はその為にその力を行使していればよかった。
 今はどうか。長姉のルシオラは、その力を含めた全てを想い人に捧げ、次姉のベスパは力を行使する理由を求めて魔族軍に身を投じた。末妹のパピリオ――彼女には。今の彼女には“力”を持つ意味がない。

(それが……今はお前になるのかも知れないがな……)

 半眼でひのめを見据えるが、無論ひのめは気づいてはいない。

「…………どう……しろって言うんですか……?」

 俯くひのめ。雪之丞は答えない。
 雪之丞は黙した。ひのめもまた、黙している。

 そこには――確かに一筋の闇があった。
















 〜続〜


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