椎名作品二次創作小説投稿広場


Sweeper's Insignia

The second chapter 『Stand』


投稿者名:矢塚
投稿日時:03/11/15

「あんたには、緊張感てもんがないのかっ!?」
 息子との電話を終えた直後、美神令子が怒声をあげた。
「……んなこと言ったって、流汐と話す機会なんてそうそうないし……」
 その剣幕にビビりながらも、小さな声で美神忠夫が言い返した。
 そして彼は、久しぶりに愛息子の声を聞くことが出来たことに対し、半ば恍惚とした表情を浮かべたのだった。
「……あんたねぇ」
 呆れた令子が気を取り直して続けた。
「さて、馬鹿もこれくらいにして、さっさと片付けちゃうわよ」
 その言葉に忠夫が嫌々ながらも同意した。
「めんどくさいけど、しょうがないか。結界もそろそろ限界みたいだし。……それにしても、バチカンに収監されてる悪魔はおっかないなぁ。文珠を5個も使って強化した結界が30分も持たないなんて」
「まったく、事務所にストックしておいた文珠を全部持ってきて正解だったわ。それにしても、あの腐れ悪魔! 逃亡の際に、自分よりも強い悪魔の檻を何棟もぶっ壊してくれるなんて、なかなかやってくれるじゃない? 結果的に『合体』の隙を与える間もなく、私たちをここにくぎ付けに出来たんだから」
 その言葉に忠夫が黙り込んだ。
 そして、苦い顔で呟いた。
「……なあ、ラプラスの言ったこと、本当だと思うか?」
 その言葉に、令子が静かに答えた。
「地下牢でアイツを取り逃がしたときに、前知魔が言った台詞?」
「ああ。『脱走したアイツは、美神流汐の全てを知っている』ってさ」
 その言葉に令子は拳を握り、唇を強くかんだ。
 そして、ゆっくりと力強く言葉を吐き出した。
「退屈しのぎの戯言よ。それに過去の因縁からすれば、逃げたアイツが日本に向かったのは間違いないけれど、それが流汐の過去を暴露する為じゃないのは明白だし。万が一にも流汐が『全て』を知ったとしても、それがあの子にとって重大な事となるかどうかは、本人の受け止め方次第よ。私の息子がそんなヤワなわけないでしょ?」
 絶対の確信をもって、令子が言った。
「一応、俺の息子でもあるんだけど……」
 一瞬の静寂の後、令子は夫を無視して言った。
「心配ばっかしててもしょうがないでしょ! 第一、流汐だってもう二十歳を過ぎた一人前の男なんだから! それよりも、こっちはこっちで結構、切羽詰まってんのよ!? 分ってる!?」
「そんなにカリカリと怒鳴らんでも……まさか、更年期って……」
 そこまで言った忠夫が無言のまま、血反吐を吐いてうずくまった。
 苦悶する夫の襟首を引っつかみ無理やり立たせると、血反吐を吐く原因となった拳を見せ付けながら冷たい笑顔で令子が言った。
「あんた、この次は血反吐じゃ済まないわよ?」
「……すみませんでした……」
 ささやかな漫才をやり終えて、二人は振り返った。
 そこには、半壊した地下の収容施設と牢屋を覗くことが出来る、深い大穴が開いている。
 その穴を塞ぐように文珠で強化した五芒星の結界を施してあるのだが、数匹の醜悪な悪魔がそれを打ち破ろうと先ほどから執拗に攻撃を加えていた。
「さて、古来より人間には駆除不能と判断されて収監された悪魔ども。本当に不可能かどうか、GS美神が全力をもって試してあげるわっ!」
 傲慢に言い放った令子に呼応して、忠夫が握り締める2個の文珠に『合』『体』の文字が浮かび上がり、彼の拳が燦然と輝いたのだった。


 母である美神令子の電話から一時間後、流汐等三人は車上の人となっていた。
 売り払われること無くガレージに置きっぱなしになっていたコブラを数年前に埃と共に引っ張り出し、自分の物にしていた流汐がそのステアリングを握っている。
 そして、助手席には何故か獣が二匹。
 毛並みのきれいな狼と狐。
 オープンカーである為に、環状線を走る周囲の自動車からの視線が痛い。
「……何故に、獣モードなんですか?」
 よくわからんといった口調の流汐に、狼モードのシロが答えた。
「いやー、この風を切る感触と言うかスピード感が、なんかこう、野生の血をたぎらせるでござるよ」
 答えになっていないのだが「そうですか」とだけ師匠に頷く。
「だって、この車二人乗りじゃない。人間形態じゃ、誰か一人はトランク行きよ? 忠夫じゃあるまいし、そんなの嫌だわ」
 もっともではあるが、どちらかが人間モードで獣モードの一人を抱っこすれば済むんじゃないかと思いつつ、こちらも「そうですか」とだけ傾国の美女であった狐に頷いた。
 シロの血がたぎるのは、きっとこの車のせいだけではないだろう思い、流汐はこれから待ち受ける仕事の内容に一抹の不安を覚えた。
 それにしても、親父はトランクに乗ってたのかと流汐は苦笑いしつつ、こういう話題だと不思議と親父に対して嫌悪感はわかないんだよなと、一人ため息混じりに呟いた。
 そして、目的地であるGS協会本部に向けてアクセルを踏み込んだのだった。  

 協会本部の大会議室にはすでに何人かのスイーパーが召集されており、皆それぞれに雑談を交わしていた。
「やあ、シロ君にタマモ君、それに流汐君。久しぶりだね」
 今や、ICPO日本支部長を任されている西条と、その直属の部下であるピートが会議室に入ってきた三人に声をかけた。
「どうも。お久しぶりです」
 男性に対してはあまり好意的でない流汐が、面倒くさそうに答える。
「相変わらずその性格だけは、父親譲りだね」
 さして気を悪くしたようでもなく西条が笑った。50に手が届く歳の割には、心身ともに若いのを自慢にしている。
「ところで西条さん。何故、協会本部に召集なんですか? 本来なら今回みたいな国際的な事件に関しては、ICPOに主導権があるはずですよね?」
 流汐のふとした疑問に、容姿だけならこちらも負けていないピートが少しだけ困惑して答えた。
「うん。それについては会議の場でね……」
 歯切れの悪い彼の言葉にやや不審を感じるが、別の人物が流汐に声をかけてきた為、その疑問は棚上げとなった。
 声のするほうを見れば黒衣の老人がにんまりと笑っており、その傍らには同じく黒いドレスの少女がいた。
「おう、流汐ではないか。久しいのう。うむ、よい青年になった。これならわしの次の体に十分じゃ!」
 年々ボケが進行しているのか、Drカオスは内心の企みを思い切り口に出している。
 しかし、半分は冗談であることも知っている流汐は軽く受け流すと、そそくさとマリアの手を握った。
「久しぶりだねマリア。調子はどうだい? 君は相変わらずきれいだ」
「サンキュー・流汐」
 わずかな微笑をマリアが返した。
 真剣に賛辞を呈する流汐にシロとタマモが呆れるが、そんな二人にかまう事無く彼は続けた。
「なあマリア。じーさんは老人ホームにでも放り込んどいて、俺の家に来ないか? 極上のメンテナンスが受けられるからさ!」
 マリアは、小さいが心からの微笑を浮かべ、はっきりと言った。
「ソーリー・流汐。Drカオスと・共にいる事が・マリアの・幸せです」
 彼女の幸せという言葉を聞いて、流汐は何故か神妙な面持ちとなり、そしてやや大げさに方をすくめた。
「……そうか、そうだよな。誰かの傍らにいる事に心から幸せを感じるなら、それにこしたことは無いよな……」
 流汐の言葉に、シロが少しだけ顔を曇らせた。恐らく、彼が父親に抱く感情について思いをめぐらしたのだろう。
 シロの僅かな表情の変化に気が付いたのはタマモだけだったが、彼女は何を言うとも無く静観を決め込んでいた。
 そんな若者達を鷹揚に眺めつつ、Drカオスが西条に囁いた。
「西条よ、今回の一件は剣聖と九尾の弧を引っ張り出すほどの大事か?」
 楽しそうなDrカオスのもの言いに、西条はシロとタマモをみて囁き返す。
「備えあれば、ですよ。今回は特に負けられないのでね。それに、あなたにも多少は因縁のある戦いになることは、保障しますよ」
「ほう」
 これは本当に面白くなりそうだと頷くDrカオス。人生を退屈している彼にとっては久しぶりの娯楽に違いない。
 後は世間話だと言わんばかりに、西条は煙草を取り出した。会議開始まではまだ幾分時間がある。
「それにしても、あの子が剣聖と呼ばれるとはね。いやはや、20数年前には思いもしませんでしたよ」
「彼女の努力が成した業績と称号じゃよ。力、反応速度、集中力、霊力全てにおいて人間を凌駕しておる。さらにはフェンリルの血まで引いておるしの。だからこそ、巌流島でかつての剣聖であった宮本武蔵の残留思念を破り、得た称号よ」
「もう美神夫妻以外には、ピート君を含めてわずかな人間しか彼女には勝てないでしょうね。まあ、流汐君がその僅かな人間に入れるかどうかは、彼の努力次第ですが」
「うむ」
 余談だが、この時代の最強のスイーパーは誰かと問えば、多少なりともGSという職種に知識のある一般人は皆、口をそろえて犬塚シロと答えるだろう。
 シロが宮本武蔵の残留思念を打ち破った戦いは当時テレビ中継され、人々に強烈なインパクトを与え、剣聖と呼ぶことをためらわせなかった。ちなみに、その時の放映権や彼女の所属する事務所の宣伝等もあり、最終的に誰が大儲けしたかは、推して知るべし。
 剣聖などとはこの時代には古臭い字ではあったが、それでも最強の剣士である称号には間違い無かった。
 もちろんシロのほうでも、剣聖スイーパーなどと呼ばれることに関しては多少照れくさくもあったのだが、自分の力量を認めてもらっているという感触を嬉しく感じていた。
 歳を重ねた人々が、若者の成長を感慨深げに感じていたのも煙草一本分の時間であり、程なくして会議の開始が宣言された。

 会議場に揃ったのは、流汐達三人とDrカオスにマリア、西条とピート。そして、現GS協会会長である唐巣和宏と、小笠原エミの9人。
 静かに座している一同に、西条が口火をきった。
「今回の突然の召集に、心よく応えて頂いた皆さんに感謝します。さて、今回の仕事はいたって簡単。バチカンの地下収容結界施設から逃げ出した、一匹の悪魔の駆逐です」
 西条の言葉が気楽を装っていることに気がつかず、流汐は一人拍子抜けした。
 たかが悪魔一匹程度なら、先生やタマモを召集するほどでもないだろう。
 そして、隣に座るシロの横顔をのぞくのだが、彼女の顔には恐ろしいほどの緊張感が走っていた。
 よく観れば、自分以外の全員が厳しい表情を浮かべている。
 皆の反応に流汐が当惑したことを見透かして、ピートがさりげなく補足を入れた。
「バチカンに収監されている悪魔の類は、人間にはほぼ駆逐不能と判断され、膨大な犠牲者を出した挙句、なんとか牢に押し込まれた輩ばかりです。例えここに集まった皆さんにどれほどの自信があろうとも、油断だけはされないようにお願いします。――出来れば雪之丞にも手伝ってもらいたかったんですが、生憎、仕事で海外に出張していて日本にいないようですし、六道家は一家揃ってバカンス中らしく、連絡がとれません――」
「うん、そうだな。確かに、今現在における日本最強の戦力が全て集結したとは言いがたいからね。僕も少々、気が抜けていたかもしれないな」
 西条も大人の男性特有のフォローをみせる。
 ピート達の言葉に先ほど聞いたばかりの母の言葉を思い出し、流汐は自分のプロとしての認識の甘さに一人歯噛みしたのだが、若い彼がこの場に居られるという真の意味を、流汐自身は見落としていた。
 今この会議に参加しているということは、最強の戦力として認められているということなのだ。
 結局、それらの流汐に対する訓示とも取れる言葉は、皆が彼に対しては良い先達であるからこそのものだった。
「で、そいつの名前と向かった先はどこじゃ?」
 Drカオスが話を引き戻した。
「ええ、これから資料を配りますから――」
「――いえ、それについては私から直接お話したほうが、良いでしょう」
 資料を配ろうと腰を浮かせたピートを片手で制し、それまで沈黙していた唐巣が切り出した。
 その口調と表情に、流汐が気をとられる。
 普段の唐巣は60も半ばの男性とは思えないほど精気に溢れ背筋がぴんと張っており、慈悲深い温和な表情を浮かべているのだが、今の彼は苦悩の塊だった。
 もう少しだけ流汐に注意力があれば、エミもまた同じ表情を浮かべていたことに気がついたかもしれない。
「逃げた悪魔の名は『ベリアル』……かつて、エミ君にとり憑いていたのを私と彼女、そしてDrカオスとマリアが苦戦の末、バチカンの地下牢に押し込めた悪魔です」
 苦々しく言う唐巣に、Drカオスが声を上げた。
「ほう。これはまた面白い事になったの。なるほど、なるほど。――ところで、なぜきゃつが牢から逃げ出せたんじゃ? いかな力をもってしても脱出不可能とまで言わしめた、バチカンが誇る絶対拘束結界じゃぞ? その建造には神族も絡んでいると密かに噂されてもおるし」
 その疑問に、西条が答えた。
「いや、力づくの脱走ではないのですよ。3日ほど前からバチカン地下牢の老朽化と、それによる結界能力低下がないかを定期検査していたんですが、そのときに業者が誤って結界の一部と牢を破損したようでしてね。その破損した牢にいたのが、ベリアルだったというわけです。幸い現場には美神夫妻が監視役で居ましてね、彼女等の奮戦でベリアルによる人的被害は少なかったのですが、残念ながら捕縛には至らず逃走されたということです」
 流汐はここで初めて、ベリアルという悪魔の実力を本当に理解した。
 別に親を褒めるわけではないが、両親である美神令子と忠夫の実力は、自分が知る限りでは最強だ。
 本当に死ぬか生きるかの戦いになれば、自分の師であるシロですら両親には勝てないだろう。
 生き残るということに長けているうえに、勝つ為ならば躊躇なく正道、邪道の全てを繰り出してくる容赦の無さがあの二人にはあった。
 その圧倒的な強さは、生に対する異常なまでの執着からくるものと取れなくもなかったが、死者の怨念と戦い、生ある者が現世を守り抜こうとするGSにとっては必要不可欠な要素であるのかもしれない。
 その両親が逃亡を許した悪魔の強さを、彼の体が理解する。
 小さく武者震いする流汐を唐巣が認め、申し訳なさそうに続けた。
「本来ならば、私が何とかすべきではあるのですが、実戦から遠のいた今の私では全く歯が立たないでしょう。皆さんには本当に申し訳ないが、ベリアルの駆除とそれによる平和の維持に協力していただきたいのです。……あの時の私に、奴の止めを刺す力さえあれば、このような危険なことに皆さんを引き込まなくて済んだというのに……」
 全ての責任が自分にあると言わんばかりの口調に、流汐が初めて口を開いた。 
「今回の件は神父の責任じゃありませんし、そんなに思い悩まないで下さいよ。神父とソイツの間に何があったかは知りませんが、過去の因縁は生きているうちにつけるのが美神流です。だから、今こそが最高のチャンスでしょう。とどめは神父が刺してくださいよ?」
 優しく、そしてわざと明るく言う流汐に、これが本当に美神の直系なのかと皆が我が目を疑った。
 今回の件を美神流に言うならば、
『そんなお金にならないことは、パス!』
 であっただろうから。
「で、そのベリアルの居場所はわかっているのでござるか?」
 美神らしくない美神の男に多少は慣れているシロがいち早く立ち直り、西条に問う。
「ああ、ベリアルが向かっているのはここ、日本だ。NASAの霊体監視衛星からの情報では、どこの国に立ち寄るでもなく一直線に向かってきているそうだ。日本への到達時間は、およそ5時間40分後」
 恐らく、祖母の力とコネで手に入れたNASAからの情報であろうが、よく一国の政治状況に多大な影響を及ぼすであろう今回の一件にアメリカが協力したものだと、今は途上国でGS協会の組織編制の為、ひのめ――流汐より少しだけ年上だが、彼の叔母にあたる――と共に奔走している美智恵の力を改めて思い知った流汐だった。
「ふん! なるほど。解放された祝いに自分を封じ込めた唐巣とエミの血を祝杯代わりにし、わしとマリアをツマミ代わりに引き裂こうというわけじゃな。実に悪魔らしい、悪魔のような趣味じゃな」
「でしょうね」
 Drカオスの皮肉に、西条は気楽に答えた。彼にはベリアルに対して負ける気などさらさらないようだ。
「ですから、神父とエミさんの二人には申し訳ないが、奴を引き寄せる囮になっていただきます。悪魔の気まぐれでいつ何時、一般人の肉と血を欲するか分ったものじゃありませんから。残りの方々にはDrカオスとマリアにベリアルのレクチャーを受けて頂いてから、戦闘準備に入ってもらいます。いいですね?」
 西条の言葉に一同は静かに頷いたのだった。

 会議は一区切りつき、10分ほどの小休止を挟んで、戦術会議に切り替ることとなる。
 その小休止中、流汐はパイプ椅子に座り、一人緊張していた。
 同年代のスイーパーに比べれば比較にならないほど数多くの除霊に望んだ彼にすれば、何故これほど緊張するのか不思議であり、自分でもどうやって解きほぐして良いのか分らない。
 ふと気が付けば流汐の目の前に、一人の女性が腰に手をあて仁王立ちしていた。
「エミさん?」
 会議の間中、まるで他人事のように一言もしゃべらず、それでいて苦虫を噛み潰したような表情をしていた小笠原エミだった。
 流汐の問いかけに答えるように、右のげんこつで彼の頭をごちんと一発。
「!? いってぇ! 何なんですか、いきなり!?」
 突然のげんこつに、流汐が抗議の声を上げた。
 周りにいる面々は、彼女に全てを任せるように何事もなく会話を続けている。
 流汐の抗議に、エミがいきなりにっと笑った。
 母親と同年代であり、顔に少しだけ皴も浮きつつあったが、それでも若々しく魅力的な笑顔だった。
「まったく! イイ男が眉間にしわ寄せて、何をびくついてるワケ? やると決めたら徹底的に戦うのが男でしょうが。今までは他人の命を天秤にかけた戦いなんてしたことがないだろうけど、これからはこういうケースもたくさん出てくるワケ。いえ、これ以上にひどい場合だってざらにあるわ。アンタも一流のスイーパーになりたかったら、慣れるしかないワケ。いい? わかった?」
 言葉は荒っぽいが、底には優しいものが流れる口調に、流汐が力強く頷き返した。
「よし! がんばりなさいよ。アンタの父親は、今のアンタより若い時にはもう、ちゃんと一人前の決断が出来た男だったワケ。顔以外でも、あんな煩悩魔人に負けるんじゃないわよ?」
 からかうようにエミは言い、流汐の頭をくしゃくしゃと撫でてやる。
 その温かい手に撫でられていると不思議と気分が落ち着き、何故自分がこれほど緊張しているのか、その理由がようやく分った。
 自分が負ければそれで終わり、という戦いではないのだ。
 自分等が負ければ間違いなく神父とエミ、さらには多くの一般人が殺害される戦い。
 戦いの勝利に、そして敗北に、他人の命がかかっているという重圧。
 こんな経験は今までになかった。
 だから、体が無意識に震え、心が重かったのだ。
 しかし、それを乗り越えてこそ一人前と認められるのだ。
 それらを皆が教えてくれている。
 心から皆に感謝し、自分は幸せ者だと思う。
「そうですね。何をプレッシャーに感じていたんだか。他人の命ほど軽いものはないってのが、母さんの口癖でしたよ」
 その言葉に、シロとなにやら話していた唐巣が凍りつき、シロに本当なのかと問い詰めた。
 しどろもどろに言葉を濁した彼女の代わりにタマモが本当だと答え、美神流の家庭教育に唐巣は一人頭を抱える。
 そんな唐巣の苦悶を知らずに、流汐は続けた。
「それに、ルシオラって人の生まれ変わりである俺が死んじまったら、きっと、過去に命がけで戦った親父が悲しむでしょうし――」
 突如、流汐のしんみりとした言葉を鋭い炸裂音が遮り、彼の首が90度右を向いた。
 一瞬の静寂の後には、右手を振りぬいているエミの姿と、流汐の左頬に激しい痛みが残された。
「こ、このッ、大馬鹿野郎ッ!!」
 烈火の怒りを湛え、エミが怒鳴った。
 流汐は何故ひっぱたかれたのか理解出来ず、彼女の形相に背筋が凍る。
「アンタが死ぬのは勝手だけど、それで忠夫が悲しむのはアンタがルシオラの転生だからなんていう理由からじゃ、決してないッ! アンタはアンタという人格を持った一人の人間だろうがッ! 令子も忠夫もルシオラの因縁とは関係なくアンタを愛しているッ! 親の愛情のなんたるかも分らないほどに頭が悪い奴なんかの手助けなんかいらない! とっとと帰れッ!!」
 エミは真剣だった。
 真剣に怒り、諭している。
 流汐の左頬に残る痛みは、あの時と同じ。
 かつて父と母に、今のエミと同じ理由でひっぱたかれた時と同じ痛み。
「――はは、俺はまた同じことで怒られてやんの……。いつまでも拘ってたのは、やっぱり、俺だけか……」
 深く考えもせずに口をついて出た言葉であったが、自分のあまりの愚かさに呆然と呟く流汐を、一同は声もなく見守った。
 しばらくの間、流汐は自分の手を何度も何度も強く握り締める。
 そして、不意に勢い良く彼は立ち上がった。
「すんませんでした! こんな醜態は二度とさらしませんから、俺にも戦わせてください!!」
 体が折れ曲がるのではないかとピートが心配するほどに、流汐が頭を下げる。
 その姿を見たエミは、心の底でまだ少しだけ燃えている怒りの残り火を、大きなため息と共に全て吐き出した。
 そして、いつも通りの彼女に戻る。
「……わかれば良いワケ。今度またおんなじことを繰り返したら、こんなもんじゃすまないワケ。わかった?」
 その言葉に大きく頷くと、エミは優しく微笑み踵を返した。
「さあ、時間がないから、とっとと会議を始めるワケ」
 エミの号令に皆が頷き、テーブルに集まってくる。
 彼女は後ろにいる流汐に少しだけ振り返り、小さく声をかけた。
「この一件は、私にも責任があるワケ。だから誰にも死んでほしくない。いい? 絶対死ぬんじゃないわよ」
 母親と同じ言葉を、再度心に刻み込み頷く。
 そして、エミは彼にだけ聞こえるように続けた。
「アンタにも迷惑をかけるワケ。――でも、ありがとう」
 少しだけ照れた彼女の顔はすでに正面を向いており、流汐にはその表情を知ることが出来なかった。


                       〜To be continued〜


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