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下弦の月

前兆


投稿者名:ライス
投稿日時:03/ 8/17

















「……………兄上!?」





 闇の淵。
 そこに立つのは血みどろの男性。
 いや男性、というのは確かであるが、
 彼は人狼であった。



「ハヤテ………!」



 血まみれの男は、段々、近付いてくる。
 そして、首を絞められた。
 その血を浴びた手は首にゆっくり、ゆっくりと、少しずつ力を入れていく。


 息が詰まる。
 呼吸が出来ない。
 意識も朦朧としている。



 苦しい。
 止めて、
 止めれくれ……!!








 兄上……!!








 瞬間。
 首を絞める力が弱まる。
 気付くと、膝を突く血まみれの男。
 彼の身体には、いつの間にか数本の矢が。
 そして、そのまま倒れこみ、
 ………動かなくなった。




「兄上ぇぇぇぇぇぇ!?「「「「「「「「「「「「「「「「「「…………ぇぇぇぇ、ハァッ!?」





 目を見開く。
 そこはいつもの床の間。
 障子からは、柔らかな朝日の光が差し込んでいる。
  

「夢か………。」


 気が付くと寝汗をかいていた。
 吐息も夢のせいか、途切れ途切れだ。
 寝たはずであるのに、疲れが増したような感じに今、陥っている。


 障子を開く。
 すると、山から朝日が昇っている景色が広がった。
 いつもの景色、いつもの朝。
 何一つ変わることない一日が始まろうとしていた。



 だが。
 なにか、静かで不穏な空気が漂っている。
 それは経験した者しか分からぬ、独特の空気感。
 人狼の長老はそれを嗅ぎ取っていた。




「何かが変じゃ……。
 そういえば、あの夢も久しく見ておらんのに何故、今頃になって……?
 …………まさか………?」



 
 昇りきる朝日。
 だが、その燦々と輝く太陽とは裏腹に、
 なにか、冷ややかなものが漂いつつあった……。







       ◆








 東京都庁。
 そのはるか地下。
 そこには人知れず、ある秘密施設。
 名称は「東京都心霊災害管理施設」。
 美神達が先のアシュタロスとの闘いの折に根城にしていた場所である。








 今、そこの医療室のベッドでは、包帯に身を包まれたタマモが
 静かに寝息を鳴らして、眠っている。
 脇には、おキヌ、美神。
 そして横島もいた。




「……………!」





 その、包帯だらけで痛々しい姿の彼女を見て、愕然とする。
 地上ではまだ夜も明けていない。


 三者の様相は様々だ。
 困惑気味のおキヌ。
 深刻な表情で考え込む美神。


 そして、ただ呆然と立ち尽くす横島。


 三人は無言で、
 誰も動かず、
 その重い空気だけが重くのしかかる病室。


 そこにドアが開く音。
 入ってきたのは美智恵、
 そして西条。



「タマモの容態はどう?」

「……何とか、一命は取り留めたわ。」



 美神の口調は重々しい。
 しかし、それでも美智恵は少しでも雰囲気を和らげようと、
 明るく振舞う。



「もう。一体、何事かと思ったわ?
 いきなりやって来て、都庁の地下に行かせろなんて。
 おかげで、せっかく寝かけたのに、眼が覚めちゃったわよ?」

「………ゴメンなさい。でも、ココに来れなかったら、タマモは死んでいたわ……。」 



 そう。
 タマモは肉体的にも、霊体的にも、かなりの重傷であった。
 その傷が肉体だけの『傷』であったなら、なにも都庁の地下のココまで来ることもなかった。
 問題は霊体の『傷』である。こればっかりは普通の病院ではどうにもならない。
 さらに悪いことに、そう言った、霊体における治療に卓越した医師、人物がほとんどいないことだ。
 ましてや、人外の者の治療の出来る人間は皆無である。だが、人間に限らなければいないわけではない。
 だが、そういった治療を専門とする天狗は山の奥深くに住んでおり、
 早急に治療が必要なタマモがそこに辿り着くまで、生きていられるかどうかが既に問題であったため、
 こうして、強力な霊気ポイントであるココに運びこんだのであった……。
 それほどに彼女は深い傷を身体に負っている。



「これを見てくれ。」



 西条が薄っぺらい紙の様なものを二枚、脇に持っていた封筒の中から取り出す。
 彼はそれを、タマモの眠るベッドの横の机と共にある、蛍光板に張り出した。
 


「これは、タマモの身体をレントゲンで撮影したもので、
 その隣のは、同じ様に実験用に開発された霊視カメラで撮ったものだ。」


 光る壁の映し出される二つの影。
 どちらも右肩からバッサリと彼女の身体が裂けているのがはっきりと分かった。


「酷い状態だね……、肉体が受けた切り傷がそのまま、霊体にまで達している。
 これじゃ、生きているのが不思議なくらいだ。
 治療には時間がかかりそうだな……。」

「それにして、凄まじい程の威力ね、さすがじん……、」

「ママ……!!」

「あっ………。」



 美智恵は娘に諭されて口を噤む。
 すると、眼の前にいた横島の背中は、どこか弱々しく、虚しく、静かに佇む。
 彼は眠るタマモをじっと見ている。
 彼女は先刻まで元気だった。そう、今日の夜までは。
 でも、それも握り潰されたのだ。ほんの1,2時間前に。
 やったのは誰なのか、それは彼にとっては火を見るより明らか、自明の理である。
 


「なんでだよ……。なんで、お前が……。」



 そう小声で呟く。
 彼は拳を震わせながら、強く握り締めてゆく。
 そして、先程の出来事を、彼女の科白を反芻する。



『先生ぇ……。来ちゃダメでござる……。』

『拙者が遠くに行っても見守っていて欲しいでござる……』



「シロ………。」
 

 横島は歯を食い縛り、苦々しい顔を見せたかと思うと、
 後ろにいた三人を掻き分けて、黙ったまま部屋の外へと出て行った。


「ちょっ、横島クン!?」

「令子……。」


 すぐに追おうとした美神を美智恵は引き止める。
 美神は何するのよ?とばかりに振り向いて、母の顔を見た。すると、首を振る美智恵。


「で、でも……、ママ……!」

「そっとして置きなさい、令子……。
 横島クンだって、今回のことは辛いでしょうし、責任を感じているはずだわ…。」

「そうだとも、令子ちゃん。こちらだって、横島クンばかりに構ってはいられないからね。」

「? どういうこと、西条さん?」

「シロがあぁなってしまった以上、こっちも安心は禁物というわけさ……。」

「………指名手配はしないまでも、厳戒態勢を取る事になるかもしれないわ。
 なにしろ、相手は曲がりなりにも、人狼ですからね…。」

「そんな!?相手はシロなのよ?」

「そのシロが人狼だからこそ、こちらは厳戒態勢を取るのです!
 私達、オカルトGメンは身内の人外よりも一般大衆の安全を取るのが第一目的です。
 分かりましたね?」

「…………。」

  



 エレベータが地上を目指し、動き出す。
 その中には男性が一人、無言のまま壁に寄りかかっている。
 地上の到着を示すエレベーターの音。
 外はまだ夜。依然として雨が降り続けていた。
 男は傘も差さず、雨に濡れて街中に消えていく。
 それは秋の寒空に降る、ただただ冷たく、哀しい雨……。





 
       ◆






 とある森の中。雨降る闇夜の森に駆け抜ける影がある。
 影は生い茂る草叢をがさごそと音を立てて、素早く掻き分けてゆく。
 雨雲が月を覆い、光もない、この森をまるで道標があるかのようにある方向へと突き進んでゆく。
 そう、『彼女』は自分の行くべき方向を知っていたのだ。
 『彼女』の影が漆黒の森の中へと消えてゆく。
 そして暫く後、雨が止み、夜は静かに太陽が現れるの待ったのだった……。







       ◆











 村の朝は早い。
 井戸では人狼の女性達が朝食や洗濯の為の井戸水を汲み上げているし、
 男性達は男性達で、稽古場や村から少し離れた所にある広い野原で、朝稽古をしている。
 ……といっても、やはり女性の数は少ない。
 十人に一人、いや五十人に一人いるかどうか、そのくらいだ。
 だから、井戸の所には炊事係の男達も混ざっている。
 しかしまぁ、そんな事はどうでもいい。


「………嫌味な位にいい天気じゃの……。」


 長老は朝の日課である森の散策をしながら、空を見上げた。
 木々の合間から透き通る青空が広がる。空気が少し肌寒く、日の光も多少だが弱く感じた。
 遠くに聞こえるのは竹刀のぶつかり合う音。それが残響音のように響いている。
 そして彼は、森を抜け、見晴らしの良い足場に立っていた。


「ふぅ………。」


 ここだと、村全体が見渡せる。
 村の家々の煙突からは、煙がゆらゆらと空に浮かんでいた。
 野原では稽古の励む男達が豆粒とはいかないまでも、その姿は小さく見える。
 いつもの風景である。
 自分の気にしすぎであろうか?長老は思った。
 しかし、心の奥底には拭え切れないある種の不安が残っている。
 何故か?その答えは近くにあるようで、遠のく一方だ。
 思い出せない。いや、思い出したくないのかもしれない。
 空は晴天、雲一つもない。風がなくとも少し涼しげではあるが、やはり嫌な感じがする。
 まもなく、若い衆がわしの朝食を運んでくることだろう。
 ……戻るとしよう。
 長老はその妙な不安に答えを見出せないまま、その場から立ち去っていった。








       ◆






 
 
 
 何事もなく、時間は過ぎていった。
 朝食の後、茶で一服をする長老。
 縁側から外を眺めていると、子供達が小走りに駆けてゆく姿をいくつも見る。


「おぉ、もうそんな時間か……。」


 子供達が何故駆けているかというと、寺子屋の時間がもうすぐだからだ。
 寺子屋は長老の広い屋敷の一室を使っている。
 その他、長老の家は若い男性達の宿舎にも連結していて、
 稽古場なども全て、長老の屋敷と繋がっている。
 そして今日も、朝から勉学の時間である。
 子供達は寺子屋に来ている。
 といっても、数は多からず少なからず。
 しかし、賑やかしさは人間の子供等と遜色はない。
 そうこうする内に、先生役の人狼が入ってきた。


「さぁさぁ、授業の時間だ。席につけ〜!」

「ハァ〜イ!!」


 元気よく受け答えする子供達は即座に席についた。
 先生は咳払いを一つすると、子供達に向かい、ある話を始める。


「みんな、昨日は良く眠れたか?」

「うん、昨日は父上も母上も拙者たちと一緒に寝てしまったでござる。
 いつもは拙者が寝る前は起きているのに……。」

「ウチの家もそうでござる!」

「拙者のウチも、「それがしのウチも!」


 また先程のように騒ぎ出す子供達。
 先生はそれを大声で制した。


「騒ぎ立てるな!!
 昨日は村中でそうであったのだから、どの家も早く就寝しているのだ。
 月が下弦であったからな……。」

「でも、先生!なぜ月が下弦だと、村中が早く寝るのですか?」

「うっ………、そ、それはだな……。」

「あっ、知らないんでござるな?先生とあろうものが……。」

「な、何を言っている!?それは昔から決まっている習慣だからだ!!」

「その習慣は、いつ出来たの?」

「拙者が生まれる前のことだから、よく知らんが、生まれる前から決まっていたのだ!!」

「じゃあ、知らないのと同じではないでござるか?やっぱり。」

「ち、違う!!だから、拙者は……!」

「まったく、子供相手に何をやってるのじゃ、お主は……。」


 囃し立てられ、赤面する先生役の人狼を見て、
 溜息をつきながら、長老は入ってきた。 


「長老………。」

「先生たる者、落ち着きがないとダメじゃ。分かっておろうな?」

「は、はい。面目ありません……。」

「あ、先生が怒られているござる!」

「う、うるさい!!」

「ほら、言うた先からこんな調子でどうする。」

「あ……。」


 笑い声が駆け巡る。
 先生は照れ隠しに頭を掻く。
 すると子供達は再び、今度は長老に向かって、同じ質問をした。


「長老さま!どうして下弦の月の時は早く眠らなくてはいけないのですか?」

「なんじゃ?お主達、知らんのか?」

「はい、先生も知りませんでした。」

「……そういえば、お主。子供の頃は寝てばかりいたな、特に論語の授業の時などは……。」

「ギクッ!!」

「まぁ、エェわい。それじゃ、ココは一つ、昔話もしてやるかの……。」

「どんなのでござるか?」

「それは聞いてからのお楽しみじゃ。それでは皆の衆、よく聞くが良い。昔々……、」




 そして、長老は朗々と昔話を語りだした。
 自分の過去を思い浮かべながら。





 続く。


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