椎名作品二次創作小説投稿広場


燈の眼

其ノ九 『奪出』


投稿者名:ロックンロール
投稿日時:03/ 8/14

























 それは一時の夢。そして、一時の現実――――




























   ★   ☆   ★   ☆   ★


























 それでも次の日になれば、そこにはある程度の賑わいが生じていた。
 ――融けた瓦礫。再び歪に固まったアスファルト。それらが指し示す、傷痕。――更には、無数の空へと伸びる柱。

(……破壊と創造……まさに『洪水』……だな――)

 ピエトロ・ド・ブラドーはその中を独り、歩いていた。……既に復旧が進められ、作業員――若しくは、救助隊の姿が認められる道を―― 一昨日までの普通の大通りを。
『洪水』。創世記に記された、腐りきった世界に対する神の鉄槌。一般には、『ノアの箱舟』としても有名な話ではある……

 ……だが。


「……主よ」


 呟き。それは風には乗らない。


 風は、ピエトロの柔かい金髪を巻き込んで、彼方へと通り過ぎる。――弄ばれ、甚振られ、投げ出される。……そんな形容とは似ても似つかない、風のもう一つの姿。
 別段、この場に立ち寄った事に意味はなかった。
 ――ただ、ここが目的地に到達する上での近道であり、それならば見ておくのもいいと立ち寄った――それだけの事に過ぎない。風が吹く――

(……強いな)

 先程より、ほんの少し強い風。路上に丸まった新聞紙を転がす程度の――そんな一握りの烈風。

 嘆息。それも風の一部。

 カサリ…… 手に持った紙袋が、乾いた音を立てる。

(おっと……)

 その音に、目的を思い出した。――足を進める。瓦礫とは反対側へ……
 風は強くなりつつあった。瓦礫の一部を転がし、遠くで作業員が派手に転倒する。――そして、通り過ぎた後には誰しもがその風の事を忘れ、ただ黙々と作業に戻る。

「……忘れる、べきじゃあないよ……」

 呟いた。


 嘆息。


 彼は歩みを進めた。























   ★   ☆   ★   ☆   ★





















 そこは、かつて公園だった。
 都市計画に沿って作り上げられた町の風景の一部としての公園であり、付近の住民の憩いの場ともなっていた。――今はその役目は終えられ、その敷地内には公民館が屹立している……

 ――その、地下。

 コツ、コツ、コツ、コツ、コツ…………

 そこに、革靴の靴音が響く。――いや、反響する。

 再びの、嘆息。

 ピエトロはそこで、何度目かのため息をついた。
 ――そして、息を整える。……ノック。

「……ひのめちゃん――起きたかい?」

 ――返事はなかった。

 音に出して、更に嘆息。――ピエトロはドアを開けた。

 ――実際に、この場所を思い出したのは本当に偶然と言って良い。……『ザンス王女誘拐事件』の後で横島に“ここ”の存在を聞き、それが心の片隅にずっと引っ掛かっていた――それだけの事に過ぎない。
 それでも――ここは残っていた。破壊されたトイレの瓦礫に埋もれていたドアは作り変えられ、その隙間からはピエトロの能力を使えば苦もなく進入する事が出来た。――下水道に抜ける道も発見し、取り敢えず当面の隠れ家と定めたのだった――

 足を止める。


 ――――――!?


 気配が――――異常だ!!

「う……ウェ…………ッ」

 そして――異音。

「――ひのめちゃんッ!?」

 足は走り出す。リノリウム張りの床に革靴の足音が響き、焦燥した唇からは意味のないうめき声が漏れる。

(くそ……! 予想出来たはずだ――何故出来なかった!?)

 焦燥は更に不安を加速させ、手足を意味もなく痺れさせる。
 来て見て解った事だが、この隠れ家は予想以上に広かった。――流石に、かの美神令子が建造させただけの事はある。備蓄食料も、まだ使えるものが充分にあった。

 ガンッ!!

 ドアを――ひのめの部屋として割り当てた一室のドアを蹴り開ける。

「ひのめちゃん!?」

 ピエトロは悲鳴をあげた。

「う……ウゲェ……エ……ォ……」

 最後に見たとき、ひのめはまだ目を醒ましてはいなかった。
 そして今――ひのめはベッドの上に蹲り、自らの咽喉を押さえてうめいている―― 涙と涎を垂らしながら――異音を発して――

「……咽喉に、乾パンのビニール袋を詰めたか!!」

(糞……! 何で、何で袋ごと置いといたんだ僕は!!)

 後悔は今はするべきではない。
 ――少なくとも――この状況を打破するまでは……

「クソッ!!」

 うずくまって痙攣するひのめに圧し掛かり、問答無用で口蓋に手を突っ込んだ。――当然ひのめは抵抗するが、弱っているひのめにそれほどの力が出せるわけでもない――
 ひのめが――もがく。
 歯にあたり、顎が外れる寸前まで開かれたひのめの口蓋の内で、それでもそんな事は歯牙にもかけず、ピエトロは焦燥していた。――ビニールの感触は――何処だ!?
 中指の先に、食道壁とは違った感触。

「これか!!」

 一気に――引き抜いた。

「ウゲェッ……!?」

 ずるり…… そう形容するのが最も相応しいと思える。巨大なビニール袋をひのめの口から引きずり出したとき、ピエトロが考えていたのはそんな場違いな思いだった。
 いきなりの空気に涙を流しながら咽ているひのめを見、ピエトロはひたすらに脱力していた。――甘かった。自殺を図るかも知れないとは思っていたが、まさかここまでしようとするとは思っていなかった――

「……ひのめちゃん……」

「……ウ……ウウッ、うえええぇぇ……」

 そして、泣き出す。何も言えなくなる。
 見れば、パッケージを破いただけで、置いていった乾パンには殆ど手が付けられていなかった。予想はしていた事ではあったが――気が滅入るのが解る。

(先生…………ッ)

 師は死んだ。あの豪火に灼かれ、屍も残さずに消え去った。――ピエトロにあまりにも重い十字架を背負わせ、尊敬していた師は消えた。

「う、うっ、ううう…………」

 嗚咽するひのめが。真四角の地下室が。唾液と胃液塗れのビニール袋が。……歪む。

「うわあああああああああああっ!!」

 気が付けば、ピエトロもまた泣いていた。ひのめが寝ていたベッドに顔を押し付け、理不尽な悲しみに泣きじゃくっていた。
 ひのめにとって、そしてピエトロ自身にとっても。――これは、本当に死ぬよりも辛い事になる。師の――唐巣の遺言は真実だった。自分はどうすれば良いのだ? ひのめの為に、何をすれば良いというのだ……!!


 地下室。そこには泣き声だけが木霊する――




















   ★   ☆   ★   ☆   ★



















 泣き疲れ――目が覚めたのはいつだったのだろうか。

(……アタシ、何してんだろ……)

 腹部に巻かれた包帯。顔の横に落ちているビニール袋。灰色のパイプベッド。同色のパイプ椅子。白い壁。灰色の床。パジャマ姿――

 抜け落ちた。何かが――何処かから抜け落ちていた……

 立ち上がろうとした。そして、立ち上がることをやめた。――今更ここで立ち上がってどうするのか?……それに、もうアタシには立ち上がる気力なんてない――
 このままここで朽ちていってしまえばいい。――そう、思った。

(何だったのかな……? アタシって、何だったんだろ……)

 美神ひのめ。――その名前という記号で表される存在として、十九年余りの年月を生きてきた。――今はもう思い出せる……十歳のときの初めての『殺人』から後も、ずっと――
 閉じた眼の奥は乾いている。涙は、流し尽くした。
 あのまま、自分で自分を燃やして死にたかった。――昨日、咽喉を詰まらせてそのまま死にたかった。――もう、贖う事など絶対に出来ないのだから―― ならば、逃げる道くらいは残されていてもいいんじゃないか?

 昨日――

「――何でアタシ、生きてるの?」

 覚えがなかった。――その事に漠然とした恐怖を覚える。昨日、自分は咽喉にビニール袋を詰め込んだはずだ。それから――それからどうした?
 あの後、何かが部屋に入って来た。
 そして、自分の口に手を突っ込んで――

 朦朧とする。

 思い出せない……

「……アタシは……?」

 部屋を見渡し、彼女は呟いた。
 今のひのめの精神状態そのまま、初めて見る部屋は殺風景なものであった。窓はなく、出入り口は灰色のドア一つ。少し蝶番がぐらついているが、さしあたってはキッチリと閉まってはいる。
 ベッドと、パイプ椅子。先程目覚めた瞬間に認識した、最低限の家具。前に目覚めたときは、見ている暇はなかった。――そして、二度と見るつもりもなかった。

「……死のっかな」

 その言葉は、言葉の意味に比して割合軽く唇から漏れ出でた。――実際、既にその事自体は軽い事ではあった。贖罪にはならないとしても、少なくとも死は逃避にはなる――

「母さん……」

 既にいない、母。馬鹿げたテロにより、身体をバラバラにされて殺された、母。

「神父……」

 そして――――

「…………」

 他にも数多。彼女が“殺し”た、数多くの人の命。彼女には解らない。自分が、どれだけ多くの人を殺しているのかは。――ただ彼女に解る、彼女が殺した人間は二人だけ……寺田信之と――そして、神父。


 唐巣和宏。


「神父……アタシ、ダメだよ……もう、ダメだよ…………」

 呟く眼に、再びの涙が現れる。――多少の驚きと共に、ひのめはその涙を拭った。自分に、これ以上何処に行けるところがあるというのか。人殺しの自分に――

「そうだな――ある意味では、『もうダメ』、それは真実だよ……」

 音。声。

「――!?」

 振り返った。

「起きたかい――? ひのめちゃん……」

 その姿を見たのは、もうずっと前のような気がしていた。……いつもビシッと着こなしていたスーツは既にヨレヨレになり、その蒼い瞳にも疲れが見え始めてはいるが――間違いはなかった。
 自分が殺してしまった人の、弟子。姉さんや、忠兄ィの親友――


「ピート……さん?」


 その金髪のヴァンパイア・ハーフは、幾分か疲れた瞳で、こちらにゆっくりと微笑みかけた。























   ★   ☆   ★   ☆   ★























「起きているときに話すのは久しぶりだね……ひのめちゃん」

 その自らの言葉は、ピエトロ自身の内にもまた反響していた。――あれだけの事があった。……だが、実際に会ってひのめと話すのは余りにも久しぶりであった。ふと驚いている自分を発見し、幾分か胸が緩む。

「ピートさん……」

 そのひのめの表情は驚愕には違いなかった。――いきなり現れたピエトロ自身にか――それとも、そのピエトロがここに現れた事自体についてか。――どちらにせよ、彼女にとっては同じ事だろう。

 唇を噛む。これから、自分がしなければいけない行為を思って。――その内容はあらゆる意味、残酷な事ではあった。……そして何よりも、それ自体はひのめ自身の自制力。精神力に掛かっている。

「ピートさん……アタシ…………」

 そして、ひのめは顔を叛けた。驚愕の表情の中から、新たな涙が溢れてくるのが見える。――パサパサになった栗色の長髪が、力なく顔の動きに追随する……

「アタシ……神父を…………」

 神父――その単語がピエトロに齎したものは、恐らくひのめが想像していたよりもずっと複雑な感情であったはずだ…… あらゆる意味で、師は『そのままに』死んだ。――後の事を全てピエトロと――そしてひのめ自身に任せ、無責任な死を迎えた――

(……主よ……)


 無意味だ。無意味なんだ……!


「ひのめちゃん……」

 パイプ椅子に腰を下ろし、泣きじゃくるひのめの頭に手を置く。

『赦されたい』。――ひのめの思いは、その一言であるはずだ。今、ここで自分が『もういい』と言ってやる事も出来る。欺瞞的に。限りなく、欺瞞的に。
 ――が、それは結局、ひのめにとっては何にもならない。むしろそれは害悪ですらある……
 ピエトロは唇を開いた。――師から託された思い。自らの思い。――そして、ひのめに対するあからさまな感情…… その全てを、言葉に込めて。

「ひのめちゃん……先生は死んだ。君の言う通り、君に殺された……」


 ビクン……!


 泣きじゃくるひのめの肩が震え、身体に漣の如く痙攣が走る。
 ……言葉を止めるつもりは、毛頭なかった……

「だから僕が代わりに言う。西条さんも死んだ。恐らく、多くの他の人々も、君は殺した筈だ…… 結果的に、ね」

 拳を握り締めた。何も変わりはしない―― ただ、言葉を紡いでゆくだけ。……残酷な儀式を、そのままにこなしてゆくだけ……

「先生は言った。君は死ぬな、と」

 ひのめを見る。――肩を震わせる。

「君は――先生を殺した。――先生は――その言葉を僕に残して、無責任に死んだ。――正直なところを言おう。僕は……君も、先生も、今、憎んでいる」

 言葉の楔。それは今、ひのめの心臓に深々と突き立てられているだろう。――残酷な――しかし本心。既に本心で向き合う以外に――それ以外に方法はない。

「だから……君が今、昨日のように自らの命を断つ……そんな甘っちょろい事が、出来ると思ったら大間違いだ。そんな事をする資格は――逃げる資格は君にはない」

 ひのめは動かない。顔を叛けたまま、肩を震わせている――

「もし、先生を、西条さんを、多くの人々を殺しておきながら、君が安易な道を選ぶとするならば…………」

 ひのめの頭を掴んだ。――そして、その泣き腫らした顔を無理矢理に正面へと――自らの真ん前へと向ける。そして、湿った瞳を見つめ、ピエトロは静かに唇に最後の言葉を乗せた。


「…………ひのめちゃん。僕は君を許さない」

 言った。その言葉を。
 ――ある意味、一番ひのめにとって残酷なものとなるであろう言葉を。
 そして、他には何もない、言葉を……

「……考えてくれ。君にコレを渡しておく……」

 紙袋をその場に置き、ピエトロは部屋を出た。


 ――ひのめを見ることは、しなかった……




















   ★   ☆   ★   ☆   ★



















 翌日。新東京国際空港から、一機の旅客機が飛び立った。
 行く先は、ナルニア共和国。――美神公彦の在所……

(……ひのめちゃん。今はそれでいい。だがいずれ、君は戻ってこなくちゃならないんだ……)

 送迎ロビー。展望台。
 ピエトロは呟いた。――ひとり。
 一昨日、知り合いに掛け合って手に入れた偽造パスポート。その効果と、実際の意味を照らし合わせる。――彼女を国外に脱出させる事は、予め予定していた。

(法の裁きを受けるのもいい。そのまま、ナルニアにいるのもいいだろう…… だけど、君は必ず戻ってくる―― 少なくとも、僕の所には……)

 そしてその時には――――

「……僕は……どうなってるんだろうな……?」

 苦笑。
 これ以上は、何も出来ない。これからの自分を決めてゆくのは、彼女自身にしか出来ない。――そして、それが出来るかどうかも、彼女自身にしか決められない――



「……主よ……」





 ――僕は、あなたを信じて良いのですか?





















 〜第一部・完〜


今までの評価: コメント:

この作品へのコメントに対するレスがあればどうぞ:

トップに戻る | サブタイトル一覧へ
Copyright(c) by 溶解ほたりぃHG
saturnus@kcn.ne.jp