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燈の眼

其ノ八 『焦叱』


投稿者名:ロックンロール
投稿日時:03/ 8/ 1















 紅蓮の谷間。そこに、その声は確かに届いた。


 覚醒。困惑。暴走。――その渦中に、確かにその声は涼気を齎した……


 焔。炎。そのさなか。




 美神ひのめは、その涙を止めた――――























   ★   ☆   ★   ☆   ★






















 見える。波が見える……

(……これは……炎じゃない――?)

 波。――感情の奔流にして、激情の発露。……それは、街を押し流し、堰を打ち壊す。ただ、それは水なる波ではなく、焔なる波――

 そしてピエトロは立ち尽くしていた。――ひとり。
 その場には、もう一人――いや、焔の中に在る者を含めれば、もう二人の人間がいる。骸は多々あれど、それは既に、神の――そして、物理法則の定義する人間ではない。


 ……ただ、ひとり。ピエトロはひとり。


「……先生……っ! 教えてください……先生は何をしようとしているんですか!? ひのめちゃんには何があるんですか……!? それを先生がやる理由が何処にあるんですか……ッ!?」


 そして、ひとり。


 唇を開き、消耗した体力で、あらん限りの大音声を搾り出しても、結局はひとり。ひとりである以上、声はただ声のままであって、決してその中に意味を持つことは出来ない。
 ただ、師の後ろ姿が見える。――それだけが、見える。

 波は、押し流す。

 全てを、押し流す。

 焼き払い、灼き尽くし、消し飛ばす……その単純な物理現象の連鎖。――その連鎖は意味を持ち、現象は意味を持ち……そして結果を操る。――意味を持たせている存在――その意思のままに。

(その意思そのものが……既に暴走している……!?)

 師の言葉。――起きてるんだろう?
 ――思い当たる事はあった。考えたくはない事ではあったが――

「先生!! まさか先生は、ひのめちゃんが『自分の』意志でこの行動を取っていると考えているのですか!?――まさか、そんな事がひのめちゃんに出来るとでも思っているのですか!?」

 後ろ姿が意味を持つ。――ひとり。そして、ふたり。

「出来るかどうか――と訊かれたら、私は人に出来ない事はないと答えねばならないよ。――ピート君。……だがね、今現在ひのめちゃんがそうしているかというと話は別だ。――彼女は『力』に魅せられていた。……そして、西条君が与えたダメージによって意識を取り戻したんだろうね……」

「……そんな事が――」

「先程、西条君を看取ったよ――彼は自分が成し得た事に満足して逝った…… 結局、彼が成し得た事――それは、ひのめちゃんを止める為の手管となるんだね……」

「――――西条さん……」

 痛恨。――自分は、彼の妻や息子になんと詫びれば良いのだ………… そもそも、人の死に対する詫びに意味などあるのだろうか…………









 ――――主よ。









「――そして、ピート君。先程も言ったが、私を止めるのはやめてくれ。――君には、絶対にして貰わなければならない事があるんだ……」

「――――!?」

 師は振り返った。――その表情に、歳月を経た疲れが浮かぶ……
 微笑んでいた。師は――唐巣和宏は、ピエトロの前でついぞ見せた事のない、力ない微笑で微笑んでいた。――白くなった頭髪。深く刻まれた皺。――その優しげな双眸のみは昔のままに、敬愛する師はありのままの老いをピエトロに曝け出していた。

「――私は酷い男だよ……自ら最も楽な役目を買って出て――君に、否応なしに一番辛い役目を背負わせようとするんだからね…… 憎んでくれていい。呪ってくれていい。――ただ、私はやるしかないんだ――――」

 涙は出すまいと努力した。――既に、出しても師の決意は変えられないと悟ってしまったから――――

 ……ただ、身体が震える――その事だけは隠しようがなかった。――ブルブルと震える身体を見下ろし、気が付けばピエトロの碧い双眸からは涙が溢れ出ていた。

(――――先生…………ッ)

 歩いてゆく師の背中を見、動かない自らの足を見る。――震える足は、あたかも師の暗示にかかったかのように前に踏み出せない。――踏み出す事が、出来ない……!

 後ろ姿。その着古したスーツ。

「――ピート君」


 そして、涙。声。言葉――――



 ――遺言……



「……ひのめちゃんを……死なせないでくれよ」

 駆け出した。
 駆け出せなかった。

 焔の中に飛び込む師を追って。



 ピエトロはその場で号泣した。























   ★   ☆   ★   ☆   ★























 焔は厳然と、目の前に広がっていた。

 頬を焼き、髪を焦がし、衣服を炙る。――果て無き熱気の濁流。……その只中にいてなお、唐巣和宏の心は不思議と晴れ渡っていた。


 ――覚悟か……それとも、諦め……かな?


 苦笑。疲れた顔に笑いを張り付かせた――ただそれだけの意味としての苦笑。
 ――と、同時に意識は尖る。……突端は眼前の焔へと――その渦中にいる一人の女性へと向けられ、意識の奔流はそこへと収束してゆく。

(……解らせなければならない……!)

「ひのめちゃん!!」

 彼は叫んだ。絶叫した。
 その声が届いている事――それについては確信があった。一時期、彼の弟子であった女性の弟子にして、屈指のGSであった男……西条輝彦の成した事であるのだから……

(……思い出させなければならない……!)

 それは、ひのめにとってはあるいは、『死』以上に辛い事になるであろう。――力を持って生まれた事自体には、彼女はなんの関与もしていないのだ…… ただ、そこに“力”が存在しただけ――

 ――そして――

「……それを正しく使う――若しくは、“使わない”選択をするのは……ひのめちゃん、君なんだよ……」

 持っている――その事自体が禍となる物はある。
 ――それを生まれながらの物にまで拡大するのは不公平というものであろう。――が、今自らが成すべき事は、その不公平な事をひのめに押し付けようと言う事なのだ!

「忘れるな! ひのめちゃん!!」

 再び、息を吸い込む。――高熱の空気は、吸い込むだけで肺に深刻なダメージを与えてくる。――それを圧殺し、黙殺し……灼熱の空気を声と共に吐き出す……

「君は人を燃やした。――それだけじゃない! 人を“殺した”んだ!!――かつて、君が燃やしてしまった男の子……そう、あの寺田信之君のように!!」


 熱気が圧して来る。

 唐巣は沈黙し、ひのめの回答を待った……
 待ち、そして理解させる事――それが、自らがひのめに対してする事が出来る、最初の行いなのだから……




















   ★   ☆   ★   ☆   ★





















「……寺田……信之……?」

 呆然と座り込み、融けたアスファルトにパジャマの足を浸し――長い髪の毛の先端を浸し。美神ひのめはその言葉を口中で反芻した。――腹部の刺し傷から流れ出でる血液は、未だ停まってはいない。――圧倒的な蒼の快感もなお、未だ収まってはいない。……ただ、流れなくなっただけ。苦痛にも、快感にも……感情を動かすことなく――

 その眼は、呆然と前方を見る。蒼い炎の壁に圧されて、その眼が映す物は何もない。

「……寺田……信之――」


 フラッシュバック。


 晴天。


 アパートが見える道。


 ぶたれた。


 蹴られた。



























 そして――――
























「――思い出せ! 君は彼を“殺した”後、どうやってその炎を収めた!? どうやって、彼“だけ”を殺したんだ!?」






 声。






 ――――――――――!!


“殺した”!!














「あ、ああ……………………」













 目の前によぎる、晴天の道。――にやけた顔。――嗜虐的な、喜びに満ちた表情……



















「ああああああああああああああああああああああああああああっ!?」




















 そして、目の前の光景が瞬転した――――























   ★   ☆   ★   ☆   ★






















 その瞬間――眼前の寺田の躰は炎に包まれていた。

「え……あれ――?」

 口をパクパクと動かす。炎に包まれた自らの手を驚きと共に眺め、それからフラフラと歩き出す。
 ――見えるのは、紅と蒼のコントラスト。手を前に出して――あたかも怪談に登場する幽霊の如くフラフラとその場を彷徨いつづける寺田を目の当たりにし、ひのめはただ単純に驚き、そして少しの安堵を覚えていた。――これで、もうぶたれなくて済む――!


 言い様もない、恍惚。
 身体の奥底から湧き上がって来る、炎の興奮。――そして、倒れようとする寺田……


「……え――?」

 そこで初めて、恐怖。





 ――――パン……!!





 炎の色を映す、燈の眼。――それが、弾ける。……そこからは眼液が噴き出し、それもまた瞬く間に蒸発して消える。――後に残ったものは暗い闇を宿した空洞。――虚ろな――燈の眼の入れ物のみ……


 寺田が――倒れる……
 白いスニーカーが燃える。――先ず初めに蒼い焔がまとわり付き、そこから紅い炎を噴き出して盛大に燃え盛る。――ひのめは泣いた。泣き叫び、ただそこに尻餅をつき、ただひたすらに泣いた。

 怖かった。何かは解らない……ただ、今は解る――




 これは――――アタシがやったんだ…………




 寺田は――――アタシが“殺した”んだ…………




 燃やしたのではなく、“殺した”。――寺田信之という一人の少年の――彼女が大嫌いだった少年の、今後在るべきであった未来を……美神ひのめが一方的に奪った。

 ――そして――――

 酒屋のおじさんが、ひのめを羽交い絞めにする。――煙草臭い。そういえば、おじさんはヘビースモーカーだった……

 最期。……寺田信之の最期――――

「解ら……ない?」

 力が解放されて、そのまま目的を果たし、停まった。


 ……………………





“燃やし尽くした”……?





















   ★   ☆   ★   ☆   ★




















(炎が……収束してゆく……?)

 灼熱の地面に座り込み、ピエトロが感じたのあはこの一点のみであった。――蒼い焔が、周りから消失してゆく。――残った紅い焔も、酸化し尽くした物をこれ以上燃やす事が出来ず、やがて自然に消えてゆく――

「どうするつもりなんですか……先生……」


 ピエトロから見える唐巣は――動かない。





















   ★   ☆   ★   ☆   ★





















(……答えは……出たみたいだな――)

 炎の収束は、唐巣にも感じられていた。
 唇を舐める。――乾ききって罅割れたそれを湿し、最後の言葉を紡ぐ。

「解っただろう――? ひのめちゃん……」

 ――この言葉は……そして、この言葉が齎す結果は、ひのめを苦しめる事になるだろう。――だが、美智恵がいない今、これが出来るのは自分をおいていない。

 神よ、願わくば――

「燃やし尽くすのは、一人でいいんだ……」


 常に首から下げたロザリオ。――それを握る。恐怖がないと言えば嘘になる。……だが、義務感、憐憫、それらは、単純な生存本能をどうやら圧してくれているようだった。




「ひのめちゃん、感情を乗せるんだ。――――私を燃やせ」























   ★   ☆   ★   ☆   ★




















 圧縮された焔――それは、今尚ひのめの体内に渦巻いていた。
 パジャマを染め上げる自らの血液。――そして、歯の根の合わない――自分。――寒い。炎の只中にいてなお。

(――なんで……)

 不条理。そのようなものが、世の中には確かに存在する。

「なんでアタシが神父を燃やさなきゃなんないの……!?」

 既に、収束された炎の中には、唐巣神父の姿がはっきりと見えていた。――いつも通り……いや、いつもよりはやや厳しい顔をした老人。――その手には、しっかりとロザリオが握られている。
 その向こうにはピートも見えた。ボロボロのスーツ姿で、力なく膝をつく金髪の青年。――その瞳は真っ直ぐに唐巣の後ろ姿を――いや、自分を見つめている?

「――なん…………」

「聞くんだ。ひのめちゃん」

 身体の深奥から、何かが暴れだそうとしている。――それは矛先を求め、絶頂寸前の危機感をひのめに与える。――爆発寸前の――――

「……え?」

 老人の言葉は、常になく優しく、常になく厳しかった。

「今から、私は君を殺そうと思う。――全力で、君に対し攻撃を加える」

「――――!?」

 同時。

 ――それは凄まじいものだった。

 霊力、その奔流。老いた唐巣和宏――その、紛れもなく最大の力。

「――アーメンッ!!」




 ――光。




「――あ…………」





















 ひのめの……燈の眼の中で、瞬間、何かが弾けた――――


























   ★   ☆   ★   ☆   ★






















(これで……いいんだ……)

 迫り来る炎。――そのプレッシャーは、肌身に感じていた。――全力を振り絞った唐巣自身の霊弾を苦もなく飲み込み、蒼き光を尾に引いて……

“焼く”ではない。“殺す”。

 ひのめはそれを知った。

 炎は、唐巣を包み込んだ。

(ピート君……ひのめちゃんを“死なせる”なよ……! 死を教えた代償として――それは、余りにも無意味すぎる!!)

 声に出そうとはした。――だが、声は出なかった。――衣服が一瞬で炎上し、肌が沸騰し、内臓が爆発する。……その実感。死の確認。
 燃え上がる――


 ――――神よ……私は、赦されるのでしょうか……?






















 唐巣和宏――その名を持った聖人。
























 その男は――――焔の中に消えた。





















   ★   ☆   ★   ☆   ★






















 早朝の空に、太陽が瞬く。

 ――実感として感じられた時間は長かった。……だが、実際の時間は三十分もない。その三十分の間に、街は多くの命を飲み込んでこれまでの形を変え、自らが知っているだけでも、二人の命が失われた……
 ピエトロは立ち上がった。
 立ち上がり、空を見上げた。

 上昇気流による突風が吹き荒れているのであろう空には、今は鳥がいない。――蒼空には雲もなく、ただ、太陽が変わって光を投げかけつづける……
 既に、涙はない。ボロボロのスーツを見下ろし、埃を払う。



 ――そして、見た。その女性を。


「うっうっうぅぅ…………えっく……」

 泣いていた。泣きじゃくっていた。

 声は、かけなかった。――今声をかけるべきではなかったし、ピエトロ自身、声をかける気分にはなれなかった。――ただ、ひたすらに空虚だった。
 命を飲み込んだ空は、今日もまた輝く――
 多くの命、多くの魂。その奔流。
 それは焔であり波であり、流れであった。――ひとりの女性を媒介として、この世に現れ出でたあるべきではない力――その発露。

 泣けない。震える拳は、何処に叩きつける事も出来ない。

 ――泣き声が、停まった。
 振り返ると、女性は倒れていた。――腹部の刺し傷、そこからの出血により、気を失ったらしい。

「…………僕は、あなたを死なせる訳にはいかない……どうしても……そう、どうしてもなんだ……」

 それは、多くの意味を持つ言葉であったのだろう……
 ピエトロはそして、歩みを始めた……

















 〜続〜


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