椎名作品二次創作小説投稿広場


燈の眼

其ノ七 『赫護』


投稿者名:ロックンロール
投稿日時:03/ 7/27
















 目覚めたとき、一瞬周囲の事が何もわからなくなる事がある。

「――何よ!?……痛いッ……! 何なのよぉーっ!?」

 蒼い壁。この世で最も薄く、この世で最も厚く、熱い、猛炎生る壁。
 ――そして、確信。『この壁は、アタシが造ってるんだ』!!



 ――炎。炎。炎……!



 意識を白ませる痛み。――意識を白ませる快楽。――意識を混濁させる、困惑。――彼女は泣いていた。泣き叫んでいた。――それ以外に、出来る事はなかった。

 ――カラン……

 腹部に埋没していた剣が、ひび割れて融け掛けたアスファルトに落ちる。涼やかな音とは逆に、その剣は一瞬を待たずに蒼い焔に飲み込まれた。

(何……なの……? これって……何なの――――!?)




 蒼。




 紅。




(――紅?)


 猛炎に飲み込まれる街。――何処か遠くでビルが崩壊し、何処か近くで家屋が炎上を開始する―― 絶望を撒き散らし、炎は空間を舐める――

 そして――――少年。
 小学校中学年くらいの、一人の少年。

(――え?)

 激痛と悦楽に霞む視界の中で、彼女は眼を瞬いた。――何かが見えた気がした。この場にはいない……記憶に残っていない『何か』が――

 燈の眼。

 唐突に浮かんできた。眼球。


 ――パン……!


 爆ぜる。蒸発しつつある眼液を撒き散らしながら…………

「何なの…………何なのよぉ…………!」

 止まらない。止まらない。止まらない。
 気付いたら、蒼。――気付くまでもなく、蒼。
 高い温度の炎は蒼くなって行くと聞いた事があった。――本来炎の色とは灼熱の赤であるべきであるのに、その本来の爆熱を捨て去った、炎そのものの色。――内部に破壊の力だけを秘めた、高圧の熱炎。

 ――蒼い……

 そして紅い。

 倒れる身体。――その瞬間、今まで燃えていなかった白いスニーカーが炎上を開始する。紅と蒼のコントラストを描き、キャラクターが印刷されたスニーカーは徐々に黒い塊と化して行く――

 ――黒い……

 紅の中の、黒。
 燈の眼が失われた、眼窩の空洞。――それは黒く。あまりにも黒く。――それは暗く。あまりにも暗く…………

「何なのッ……よ! 痛い! 痛いよォッ…………!!」

 炎に覆われていて、流れる涙は蒸発しない。着ているパジャマには、焦げ跡ひとつついていない。栗色の長い髪にも、縮れひとつない。


 ――――――そして――――――



「ダンピール…………フラッシュ!!」



 一条の光が、すぐ傍を通り過ぎた――





















   ★   ☆   ★   ☆   ★




















 ――神よ。永遠にして、無限なる主よ……





 貴方は、何故に無限でいらっしゃるのですか……?

 貴方は、何故に永遠でいらっしゃるのですか……?

「ダンピール…………フラッシュ!!」

 掌から放たれた光弾は、紛うことなく焔の一角を打ち崩した。――蒼い焔が一瞬弾け、そして再び勢威を取り戻す。崩れない。――が、崩せる。

 ――神よ…………!!

 嗚呼、我が父、我が主よ……! 貴方様の創り給うたこの世界は、未だに苦しみに満ち満ちています………… 何故、我々にはこの苦しみより逃れ出でる方法が示されていないのですか!?
 ――何故、私に仮初の無限をお与えになったのですか!? それならば何故……何故私に友と同じ時を――同じ時間を共にする事を赦されたのですか!?
 ――何故…………

「――――アーメンッ!!」

 ピエトロの掌から放たれた『聖』の奔流は、それでも蒼き焔を吹き飛ばした。――永遠であるが故に、形のない存在。――しかし、それですら、形を持ってしまった存在…………

(主よ! 貴方は既に『形』となってしまったというのですか!?)

 既に十九年前の暑い夏、師はそれを確認してしまっている。
 その場にいなかった自分もまた、師の言葉を疑う事は出来なかった……

(ひのめ……ちゃん……!)

 心の葛藤は、更なる動揺を齎す。スーツの下のロザリオが、汗ばむ身体に付着しているのも感じる。



 ――止める!!



「主よ! 聖霊よ!!――願わくば我に魔を滅する力を与えよ!!」

 ――そして…………

 ピエトロの掌に集う力は、微弱なものであった。
 ――主よ……何故あなたは……十九歳の女性に、あそこまでの業を背負わせるのですか…………?

「アーメン……!!」

 聖なる光輝。その奔流―― それは、ただ一条の焔を光と変えたに止まって消えた。――流れる汗が眼に落ちる。瞬きをして、それを振り払う……

(――弱いッ!!)

 力が弱まっている。――信ずるべきものを、微塵でも疑ったが故に……!
 ――だが……だがッ!!

「若さが……永遠だけが僕に与えられたただ一つのものだとするならば…… 主よ!! せめて僕に力を与えて下さい……!? 何者をも護れる力をッ!!」

 涙。蒸発する。

「貴方がこの世におわすなら…………貴方の創り給うた人を愛しているならば…………! 僕には既に貴方の意志が分からない…………主よ!!」

 神の名をみだりに唱えるべからず――――戒律が定める禁忌を、自分は犯している。……神を疑うべからず――――更なる禁忌をも、自分は犯している…………






 ――だから何だと言うのだ!?






 自分に、ピエトロ・ド・ブラドーに今現在必要なのは、主でも信仰でもない…… 焔を喰い止め、ひのめを助けられるだけの純粋な力……
 それだけ……それだけだ……!
 ピエトロはかぶりを振った。――余計な事を考えている暇はない。自らの力を以ってこの場を解決できる方法――今自分が求めているものはそれであり、状況が求めているものも同じである。ひのめを――

(……炎の壁は、厚い……)

 熱く、厚い。そもそもの、原点たるべきひのめの位置が判らない程に。――西条はひのめに手傷を負わせたと言っていた……それならば、この炎に何らかの齟齬が出来ても良さそうなものだが…………

 ――蒼い。眼を焼く程に。
 現在のピエトロに見える炎は、ただ純粋な蒼い炎。既にその中に紅すらも内包せず、ただただその温度を上昇させてゆくだけの爆炎。滅びの豪火……

(彼女を暴走させているもの……それは記憶の欠如……)

 記憶をなくした事によって、彼女の能力は十歳のときに戻った――

「……そして、その間に溜め込まれていた『種』の成長か…… つくづくどうすべきか困るな……」

 ジワリ…………

 炎に灼かれた全身が、鈍い痛みを伝えてくる。
 この位置にいても、ヴァンパイア・ハーフの自分にここまでのダメージを与える高温。……それがどの程度のものであるのかは既に解らない…… ただ解るのは、この場にもしも人間が紛れ込んできたらその人間は生きてはいられないだろう――その程度の事だ……
 胸のロザリオに手を伸ばそうとし、思い直して自制する。――信仰の道に戻れるかどうかは、既に解らない。そもそも、自分が信仰の道に入ったきっかけは何だったのか――――

(……唐巣先生……)

 恩師。――そして、自らが忌むヴァンパイアの血――それを否定したかっただけではなかったのか……?

(先生……僕は、この場で何が出来るんですか!? 僕は、既に神を信じる事すら出来なくなってしまった……!!)

 終わらない炎。終わらない迷い。



















「ウワァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!」























 叫び。






















 ピエトロは叫んだ。























 炎はすぐ近くまで迫っている。



















   ★   ☆   ★   ☆   ★




















 叫び。その瞬間。――西条輝彦はその四十六年の生を終えようとしていた。

 ――意識は不思議と、晴れ渡っていた。

 ――嗚呼、明朗なり。我去るにあたり、この心象。心憎し……

 最早痛みはない。――傷口が焼け潰れた――というよりは炭化している所為で、出血は全くない。……ただ、後は自らの生きた証を心に刻み込み去るのみ。
 開いたまま動かせない眼からは、朝方の灰色の空が見える。――炎に蒼々と照らされた、白昼の如き曇り空。――それは、あたかも今の状況を暗示しているように思えた――

 視界が、白く染まる。
 眼は閉じられない。
 そのまま。――全てはありのままに……

「……西条君、か…………アーメン……」

 目の前に落ちた、十字架を切った影を見る事もなく――――

























 西条輝彦は……その四十六年の生を全うした。






















   ★   ☆   ★   ☆   ★



















 炎の中――――

 美神ひのめは泣いていた。

 冷たく痺れた腹部の激痛を抱え。
 熱く熱した放出の快感を抱え。
 ただ融けたアスファルトに座り込み、泣く。

 母の死。解らない幻。痛み。快感。
 何一つとして、理由がわかるものはない。誰一人として、ひのめにその理由を教えてくれた人はいない。
 またひとり、十歳くらいの少年の眼球が破裂した。――何処か見覚えのある街角で、何か見覚えのある少年が燃える。激痛と共に数十度となく見た、訳のわからない幻……


 ……幻――――


 炎の中――――


 美神ひのめは泣いていた。






















   ★   ☆   ★   ☆   ★



















「……先生……何故ここに……!?」


 やはりと言おうか――この修羅場で唯一立っていたのは、弟子でもあるピートであった。――あちこちが焦げて既にその機能を果たしているとは言い難いスーツを身に纏い、圧して来る炎を懸命に霊力で押し返している。
 ――その姿をチラリと見、唐巣和宏は一息、荒い息を吐いた。

(そうか……ピート君がここまで押さえていてくれたのか……)

 弟子が無事であった事は素直に嬉しかった。――全力疾走による動悸が収まらない胸を押さえ、取り敢えずその事を心中の神に感謝する。――既に西条を見取った―― その事実に、安心した心が再び冷たく凍る。

「――先生! 下がって下さい……!」

「いや、そういう訳にはいかないよ。――苦労をかけたね、ピート君」

 暑い。――ピートが言う事の意味も分かる。恐らくそれは、この熱気の事であろう。
 再び、心中に冷たい滴が垂れる。――何人だ? これまでにもう何人を“焼いた”んだ……ひのめちゃん……

(是非に及ばず……か。ひのめちゃんに取っても、おそらく辛い事になるだろうな……)

「ピート君」

 口に出して言ったのは、心中の呟きとは別の言葉。――彼が全てを伝えた筈の弟子への呼びかけ――

「!――は、ハイッ!」

 そして、霊力を振り絞りながらも律儀にそれに応える弟子。――この生真面目さが、彼の最大の美点であり、欠点かもしれないな―――― 漂ってきた場違いな思考に、場違いな微笑を浮かべる。
 唐巣は笑った。ひとしきり笑い、十字を切った。
 漂ってくる気配が、老いた五感……そしてより研ぎ澄まされた六感に、圧倒的な炎のプレッシャーの中から『何か』を拾い出させる。――西条輝彦、その既にいない男が残した、最大の贈り物……

「下がり給え、ピート君。……この仕事は、私と美智恵君がやり残した仕事だ…… この場は私に最後までその仕事を完遂させて貰うよ……」

「――――――!!」

 弟子の表情の変化は明らかだった。――恐らく、悟ったのであろう。疲れきったその風貌から出そうとした怒声を、皺だらけの掌で受け止める……

「止めるのは止めてくれ…… 君には、もっと辛い仕事をやって貰わなきゃいけないんだ……」

「…………先生ッ!?」

 後は聞かなかった。もう、聞く事はないだろう。
 焔の中へ振り向く。髪の毛が焦げるのが感じられる――――





「ひのめちゃん! 気付いているんだろう!? 唐巣だ!! 良く聞きなさい!!」









 彼は大音声をあげた……























 ――――炎は、盛る。
























 〜続〜


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