プロローグ.
日溜りのなか私は座って、ただ死を待っていた。
生きる理由を亡くしてしまったから。
あらゆる手段を試したが、とうとう死ねなかった。
諦めた私は、日溜りに腰をおろし、時の流れるのをただ待っている。
むせ返るような熱気のなか、魂ごと腐って溶けるようにして消えていきたい。
そこにいた痕跡も残さず、誰からも忘れ去られたい。
それなのに、私のからだは冷えきったまま。
胸の奥のジリジリするような、痛みに似た感覚。
遠くから訴えかけるような、心の奥の冷たさ。
空っぽの心に残ったあなたの面影。
彼女の物語.
「ねえ、君……!?」
どうやら、その人は何度も話しかけていたようだ。
言葉の端にイライラしたものを感じる。
近ごろ珍しい長髪の男だ。
私の顔を見て、その人はほんの少し驚いたみたいだ。
無理もない。
私の顔には絶望がしっかりと張り付いているのだから。
だから私はすぐに興味をなくしてしまって、また目を閉じた。
「君!?」
今度はすぐ近くで聞こえた。
目の前のその人が日差しをさえぎってる。不愉快だ。
「出てけッ!」
その人が一歩後ずさりする。
自分でも驚くほどのしわがれ声だった。
そう言えば、この前しゃべったのは、いつだったのだろう。
その人がまだ話しかけてくるけど、無視することにした。
わざわざ受け答えするのも面倒だから。
「いつまでそうしてるつもりなんだい?」
この質問は以前にも聞かれたことがある。
その時もこの人だったかしら?
どうでもいい。ばかばかしい質問。
だから無視。
そのうちに諦めて立ち去るはず。
そう、私は誰の目に求まることのない、つまらない存在。
だからここで死を待っている。
その人はまだ立ち去ってはいなかったらしい。
影が落ちて、私のつま先にできた冷たい部分。
イライラする。
私が目を開けると、その人は正面に座り込んでいた。
肩越しの夕日。
恨みを込めて睨むと、その人は屈託なく笑った。
「少し話しをしよう」
その人は言った。
陽の光を求めて、冷えたつま先を引き寄せる。
両ひざを抱えて、また目を閉じる。
さっきの提案はもちろん無視だ。
すると、その人は一方的に話し始めた。
ある会社の会長のお嬢さんなんだが、お父さんの会社が乗っ取られてね。
財産を全て奪われた揚げ句に、失意の中ご両親は交通事故死。
さらに婚約は解消。
乗っ取った奴と言うのが、お嬢さんの婚約者だったそうで。
近づくために利用されたのかも知れないね。
ご両親のことは、事故とも自殺とも言われてるようだけど。
一人残されたお嬢さんは、深夜の会長室に忍び込むと、壁に血で恨みの言葉を残して自殺してしまったんだ。
君の後にあるのがその文字だけど、判読が困難でね。
書いてるうちに垂れたり、また何度も擦りつけたりしているようで、苦労したよ。
大部分が他愛の無い恨み言だったんだが、その中にどこかを見ろと書いてあってね。
私は顔を上げなかった。
この人の言うことを、聞いているようなそぶりは見せたくなかったから。
でも、この人は何を言っているんだろう?
私の胸の内でモヤモヤとしたものが渦巻く。
その人はなおも話し続ける。
そのどこかが問題でね。
いったいどこを指しているのか判らない。
貸金庫、パソコン等々。
思い当たる場所を手当たり次第に探してみたんだが、何も見つからないんだ。
「で、思いだして欲しいんだが、君はいったいどこに何を隠したんだい?」
その人はいったん言葉を切って、そう続けた。
いったい何を言ってるの?
私が自殺したとでも?
じゃ、この私は何?
ユウレイだとでも?
だったらこの痛みは何?
カミソリで切り裂いた手首の痛みは?
呼吸をするたびに、血の泡が吹きだす首の痛みは?
いい加減にしてッ!?
私が精一杯の恨みを込めて睨んでも、その人は余裕たっぷりに笑みを浮かべただけだった。
「分からないかい?」
その人は言う。
私は話に聞き入ってしまったことが口惜しくて、顔を伏せて抱えた膝を見つめた。
「もしかしたら、君は知ってるんじゃないか?
ご両親は事故死じゃない。彼に殺されたんだって」
呆然と見上げる私。見つめるその人の表情に自信が溢れた。
「君に思いだしてもらわないと困るんだよ。
状況証拠は充分なんだが、決め手に乏しくてね。
何でもいい。思いだしてくれないか」
父は死んだ。母も死んだ。
なぜ?
なぜ死ななければならなかったの?
父や母のことを思いだそうとすると嫌な気分がする。
厳格な父、優しい母。
いつもしかめ面の父と、その父に猫なで声で話しかける母。
私は二人が大嫌いだった。
暴力で私に言うことを聞かせようとする父。
父から私を守ってくれなかった母。
ふたりとも、もうこの世にはいない。
もう私をいじめる人はいない。
この人の言葉に、私の心はほんの少し軽くなった。
知らないうちに、私の唇には笑みが浮かんでいた。
それを認めたのだろう。
その人が勢いづいて言った。
「思いだしたかい?」
私は立ち上がるとその人に近づいた。
その人の目に、緊張の色が浮かぶ。
「父と母を殺したのは私よ」
そう言ってニヤリと笑ってやった。
その人の目が丸くなるのを見て思った。
気持ちいい。
本当に馬鹿な奴。
親切面して騙すつもりだったんだ。
私は死んでなんかいない。
だってここにいるもの。
その人はがっかりしたように溜め息をついた。
「……まさか。その線は検討しなかったわけじゃないが。
となると、被疑者死亡として送検して終わりじゃないか。
だけど……」
その人は腕を組んで、ブツブツと独り言を言い始めた。
いい加減にして欲しい。
「逮捕すればいいじゃない?
何ならこの場で射殺してくれたっていいわよ」
その人が思わず左のわきの下を押さえる。
ほら、やっぱりそこにあった。
私を殺してくれるすてきな凶器が。
私はその人に向かって手を伸ばした。
顔色を変えたその人が背後に手を回す。
あらわれたのは一振りのサーベル。
どちらでも構わない。
踏み出す私に、その人はサーベルを抜き放ち、目の高さに掲げた。
サーベルからほとばしる光。
「ジャスティス・スタン!」
何なの……これ……は? ……からだが、動かない。
「ちょっとそのままで待っていてくれたまえ。
相談してくるから」
その人はそそくさと出ていってしまった。
私は石像のように立ち尽くしていた。
今の私を銃で撃ったら、粉々に砕けるのだろうか?
いっそ、床に倒れるのはどうだろう。
床に落ちたところから、ガシャンと音を立てて砕けていく私。
床に積もった私のかけらを見たら、あなたはどんな気持ちになるんだろう。
かけらの中に、私の面影を探してくれるだろうか?
私のかけらが、あなたに永久に消えない傷を残してくれればいい。
あなたが私の心につけた傷のように。
「完全にイっとるやんけ! どないせえッちゅうんや!」
ドア越しの怒鳴り声。
さっきの男とは別の声だ。
「自分がやったゆうとるんやから、それでええやろ!」
「誰がやったにしろ、証拠が必要なんだ!
文句言わずに、ボクの言う通りやってもらおう!」
いつの間にか、日はビルの陰に隠れてしまっていた。
ホントいい加減にしてもらえないかしら。
ほっといて欲しいだけなのに。
カチャリと音がして我に帰ると、あの人が戻ってきた。
邪魔しないでよ。
そう言いたいのに、私のからだは指一本動かせないままだった。
「入って来たまえ」
その人の手招きにつづいて入ってきたのは……。
「……!!」
私の叫びは声にならなかった。
不自由な体がもどかしい。
「やめたまえ! 霊体が破壊されるぞ!」
その人が意味のわからないことを叫ぶ。
私は無視してジリジリと近づいていった。
からだ中に電流のように激痛が走るが、そんなことはかまわない。
戻ってきてくれたのね、あなた!
「しかたない、術を解くぞ! 絶対に攻撃するなよ」
その人が叫ぶと、とたんに体が軽くなった。
私は飛びつくように彼にしがみついた。
細かく震えてるのがおかしくて、私は笑った。
あなたは私が抱きつくと、いつも緊張して震えていたね。
おどおどした目つきも。
その控えめな優しさも。
「だいすきよ」
耳元でささやく。
あなたの体がビクリと大きく震えた。
「すべて、あなたのためにしたのよ。
私のものは全部あなたにあげたわ。
でも……」
「どうして、私をおいて行ってしまったの?」
驚いたように見つめるあなたの首に両手をそえて、そっと力を込める。
悲しい顔のあなたは振りほどこうとさえしなかった。
赤黒くなってゆくあなたの顔をうっとりと見つめる。
ひとりで逝かせたりしないわ。
私もすぐにあとから逝くから、さびしくないでしょう?
「どうして、きみは自殺したんだい?」
背後からあの男が話しかけてきた。
頭の悪いやつね。
「私は死んでない。そう言ったでしょう?」
両手の力がゆるんだらしく、あなたが息をついて身じろぎした。
「? ああ、自殺しようとした。だったね?」
やれやれとばかりに男が肩をすくめる。
「すべてと引き換えにしても守りたい人を、失ってしまったから」
言いながらあなたの胸に顔をうずめる。
いまだに、抱きしめてもらえないのがつまらないけど、それでも構わない。
帰ってきてくれたんだもの。
「すべてと引き換えって、両親を殺したことかい?
じゃあ、守りたい人というのは、この人のことだね?」
男に返事することも忘れて、あなたの頬に指をそっと這わせる。
あなたはこわばった視線を空中に浮かべたまま、動こうとはしなかった。
「なぜ君は、両親を殺したんだい?」
「……殺したかったから」
二人のことは話したくない。
思いだしてしまうから。
母は父の奴隷だった。
私は父の新しい奴隷として生を受けたのだ。
歳とった母の代わりに。
ビルの影からふたたび現れた夕日が、赤みを帯びた黄色で部屋の中を染め上げる。
男の厳しい顔にこの色は似合わなかった。
「……つまり、彼を守るために両親を殺したんだね?」
私はうなずきだけで答えた。
「それを彼は知ってるのかい?」
無表情な彼を見上げながら答える。
「えぇ。逃げられてしまったけど」
臆病な人だもの。しかたないわ。
「その後、彼がどうなったか分かるかい?」
どうなったか? なんのこと?
「君のご両親殺害の嫌疑をかけられて拘留中だよ」
驚いてふり向く私に、男はなおも言い放った。
「実のところ、君自身の殺害容疑もかかってるんだがね。
そのことはひとまずおいておこう。
状況はかなり不利だ。
彼にはアリバイが無い。
決定的ではないものの状況証拠もそろってる。
それなのに、彼はいっさいの証言を拒否している。
残されたのは……」
男が血で汚れた壁を指さした。
「君の残したあの言葉だけなんだ」
「君はどうしてあんな思わせぶりなことを書いたんだ?
彼を、疑われるはずの彼を守るためなんじゃないか?」
男の話に、私は混乱するばかりだった。
私は死んでいる? それとも生きている?
かりに私が死んでいるとして、それなら私はだれ?
死が訪れるのをひたすら待ちつづけた私は?
可笑しい。
自分が死んだことにも気がつかなかったんだ。
せっかく死んだのに、そのことに気付いてないなんて、馬鹿みたい。
笑い声をこらえ切れない。
声を上げて笑いだした私を、男はぎょっとした顔で見守っていた。
ふと、自分が暖かなものに包まれたような気がして、私は笑うのをやめた。
あれだけ陽の光を浴びても、暖かさを感じなかったのに。
私のからだから光がでてる?
両方の手のひらを見てみると、淡い光を放っている。
いや、上から照らされてるんだ。
見上げると、ひとすじの光の道が彼方まで続いている。
手首の傷はいつの間にか消えていた。
それにからだが軽い。
今ならあそこへ行けそう。
そう思っただけで、私のからだはゆっくりと浮かんで、昇りはじめた。
「いかん! 成仏しかかってる!?」
男が慌てたように叫んだ。
「頼む! 答えてくれ!」
そうだったわね。やり残したことがあったわ。
あなたのもとに舞い降りると、ほほにキス。
そしてあなただけに聞こえるようにささやく。
あせる男に向かって微笑みをなげて、私は遥かな道をたどる旅に出た。
エピローグ.
「チャムって言う猫の首輪だってさ」
横島は文珠『化』が、手のひらの上で消えて行くのを見つめたまま言った。
「猫? あの家は確か飼ってなかったが」
西条が首をかしげる。
「近所の猫じゃないか?」
見上げると、そこにあった光の道は痕跡だけになっている。
いつか自分もたどるに違いないその道。
携帯電話を取り出して、どこかへ(捜査本部だろう)話しはじめた西条をおいて、横島は部屋を出た。
なんだか人恋しい気分。
美神さんの事務所にでも行こうかな。
のんびりとエレベータのボタンを押す。
「どこへ行くつもりだ? 仕事はまだ終わってないぞ!」
西条が携帯をしまいながら、走ってくる。
「これ以上霊能は必要ないだろうが!?」
気分を台無しにされた横島が怒鳴り返す。
「猫を捕まえなきゃならんのだ」
西条が横島の抗議を無視して言った。
「! 知るかッ! そんなもん、自分トコだけでやれるやろ!?」
「依頼人に逆らうつもりかね? 何なら違約金払ってみるかい?」
西条はあくまで冷ややかだった。
頼むぜ神父。
西条から顔をそむけてそっとつぶやく。
西条は聞こえない振りで、じっとエレベータの階数表示を見つめていた。
やっと来たエレベータに、仏頂面で乗り込む二人。
一階と閉じるのボタンを乱暴に叩く。
目を合わせようとはしない二人を乗せて、エレベータは階下に降りていった。
おしまい
この作品は以前GTYで書いた「卒業」の後日の話ということになっております。
関連らしいことはほとんど出てこないのですが、? と思われる方もいるかも知れません。
横島の「頼むぜ神父」というセリフがその部分でして、西条が賃金の安い横島を神父から借りだしたということになってます。 (居辺)
こんな話ですいませんでした。 (居辺)