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続・卒業

日溜り


投稿者名:居辺
投稿日時:03/ 7/25

プロローグ.
 日溜りのなか私は座って、ただ死を待っていた。
 生きる理由を亡くしてしまったから。

 あらゆる手段を試したが、とうとう死ねなかった。
 諦めた私は、日溜りに腰をおろし、時の流れるのをただ待っている。
 むせ返るような熱気のなか、魂ごと腐って溶けるようにして消えていきたい。
 そこにいた痕跡も残さず、誰からも忘れ去られたい。

 それなのに、私のからだは冷えきったまま。
 胸の奥のジリジリするような、痛みに似た感覚。
 遠くから訴えかけるような、心の奥の冷たさ。
 空っぽの心に残ったあなたの面影。

彼女の物語.
「ねえ、君……!?」
 どうやら、その人は何度も話しかけていたようだ。
 言葉の端にイライラしたものを感じる。
 近ごろ珍しい長髪の男だ。
 私の顔を見て、その人はほんの少し驚いたみたいだ。
 無理もない。
 私の顔には絶望がしっかりと張り付いているのだから。
 だから私はすぐに興味をなくしてしまって、また目を閉じた。

「君!?」
 今度はすぐ近くで聞こえた。
 目の前のその人が日差しをさえぎってる。不愉快だ。
「出てけッ!」
 その人が一歩後ずさりする。
 自分でも驚くほどのしわがれ声だった。
 そう言えば、この前しゃべったのは、いつだったのだろう。

 その人がまだ話しかけてくるけど、無視することにした。
 わざわざ受け答えするのも面倒だから。
「いつまでそうしてるつもりなんだい?」
 この質問は以前にも聞かれたことがある。
 その時もこの人だったかしら?
 どうでもいい。ばかばかしい質問。
 だから無視。
 そのうちに諦めて立ち去るはず。
 そう、私は誰の目に求まることのない、つまらない存在。
 だからここで死を待っている。

 その人はまだ立ち去ってはいなかったらしい。
 影が落ちて、私のつま先にできた冷たい部分。
 イライラする。
 私が目を開けると、その人は正面に座り込んでいた。
 肩越しの夕日。
 恨みを込めて睨むと、その人は屈託なく笑った。
「少し話しをしよう」
 その人は言った。

 陽の光を求めて、冷えたつま先を引き寄せる。
 両ひざを抱えて、また目を閉じる。
 さっきの提案はもちろん無視だ。
 すると、その人は一方的に話し始めた。

 ある会社の会長のお嬢さんなんだが、お父さんの会社が乗っ取られてね。
 財産を全て奪われた揚げ句に、失意の中ご両親は交通事故死。
 さらに婚約は解消。
 乗っ取った奴と言うのが、お嬢さんの婚約者だったそうで。
 近づくために利用されたのかも知れないね。

 ご両親のことは、事故とも自殺とも言われてるようだけど。
 一人残されたお嬢さんは、深夜の会長室に忍び込むと、壁に血で恨みの言葉を残して自殺してしまったんだ。
 君の後にあるのがその文字だけど、判読が困難でね。
 書いてるうちに垂れたり、また何度も擦りつけたりしているようで、苦労したよ。
 大部分が他愛の無い恨み言だったんだが、その中にどこかを見ろと書いてあってね。

 私は顔を上げなかった。
 この人の言うことを、聞いているようなそぶりは見せたくなかったから。
 でも、この人は何を言っているんだろう?
 私の胸の内でモヤモヤとしたものが渦巻く。
 その人はなおも話し続ける。

 そのどこかが問題でね。
 いったいどこを指しているのか判らない。
 貸金庫、パソコン等々。
 思い当たる場所を手当たり次第に探してみたんだが、何も見つからないんだ。

「で、思いだして欲しいんだが、君はいったいどこに何を隠したんだい?」
 その人はいったん言葉を切って、そう続けた。
 いったい何を言ってるの?
 私が自殺したとでも?
 じゃ、この私は何?
 ユウレイだとでも?
 だったらこの痛みは何?
 カミソリで切り裂いた手首の痛みは?
 呼吸をするたびに、血の泡が吹きだす首の痛みは?
 いい加減にしてッ!?

 私が精一杯の恨みを込めて睨んでも、その人は余裕たっぷりに笑みを浮かべただけだった。
「分からないかい?」
 その人は言う。
 私は話に聞き入ってしまったことが口惜しくて、顔を伏せて抱えた膝を見つめた。
「もしかしたら、君は知ってるんじゃないか?
 ご両親は事故死じゃない。彼に殺されたんだって」

 呆然と見上げる私。見つめるその人の表情に自信が溢れた。
「君に思いだしてもらわないと困るんだよ。
 状況証拠は充分なんだが、決め手に乏しくてね。
 何でもいい。思いだしてくれないか」

 父は死んだ。母も死んだ。
 なぜ?
 なぜ死ななければならなかったの?
 父や母のことを思いだそうとすると嫌な気分がする。
 厳格な父、優しい母。
 いつもしかめ面の父と、その父に猫なで声で話しかける母。
 私は二人が大嫌いだった。

 暴力で私に言うことを聞かせようとする父。
 父から私を守ってくれなかった母。
 ふたりとも、もうこの世にはいない。
 もう私をいじめる人はいない。

 この人の言葉に、私の心はほんの少し軽くなった。
 知らないうちに、私の唇には笑みが浮かんでいた。
 それを認めたのだろう。
 その人が勢いづいて言った。
「思いだしたかい?」

 私は立ち上がるとその人に近づいた。
 その人の目に、緊張の色が浮かぶ。
「父と母を殺したのは私よ」
 そう言ってニヤリと笑ってやった。
 その人の目が丸くなるのを見て思った。
 気持ちいい。
 本当に馬鹿な奴。
 親切面して騙すつもりだったんだ。

 私は死んでなんかいない。
 だってここにいるもの。

 その人はがっかりしたように溜め息をついた。
「……まさか。その線は検討しなかったわけじゃないが。
 となると、被疑者死亡として送検して終わりじゃないか。
 だけど……」
 その人は腕を組んで、ブツブツと独り言を言い始めた。
 いい加減にして欲しい。

「逮捕すればいいじゃない?
 何ならこの場で射殺してくれたっていいわよ」
 その人が思わず左のわきの下を押さえる。
 ほら、やっぱりそこにあった。
 私を殺してくれるすてきな凶器が。
 私はその人に向かって手を伸ばした。

 顔色を変えたその人が背後に手を回す。
 あらわれたのは一振りのサーベル。
 どちらでも構わない。
 踏み出す私に、その人はサーベルを抜き放ち、目の高さに掲げた。

 サーベルからほとばしる光。
「ジャスティス・スタン!」
 何なの……これ……は? ……からだが、動かない。

「ちょっとそのままで待っていてくれたまえ。
 相談してくるから」
 その人はそそくさと出ていってしまった。

 私は石像のように立ち尽くしていた。
 今の私を銃で撃ったら、粉々に砕けるのだろうか?
 いっそ、床に倒れるのはどうだろう。
 床に落ちたところから、ガシャンと音を立てて砕けていく私。
 床に積もった私のかけらを見たら、あなたはどんな気持ちになるんだろう。
 かけらの中に、私の面影を探してくれるだろうか?
 私のかけらが、あなたに永久に消えない傷を残してくれればいい。
 あなたが私の心につけた傷のように。

「完全にイっとるやんけ! どないせえッちゅうんや!」
 ドア越しの怒鳴り声。
 さっきの男とは別の声だ。
「自分がやったゆうとるんやから、それでええやろ!」
「誰がやったにしろ、証拠が必要なんだ!
 文句言わずに、ボクの言う通りやってもらおう!」

 いつの間にか、日はビルの陰に隠れてしまっていた。
 ホントいい加減にしてもらえないかしら。
 ほっといて欲しいだけなのに。
 カチャリと音がして我に帰ると、あの人が戻ってきた。
 邪魔しないでよ。
 そう言いたいのに、私のからだは指一本動かせないままだった。

「入って来たまえ」
 その人の手招きにつづいて入ってきたのは……。

「……!!」
 私の叫びは声にならなかった。
 不自由な体がもどかしい。
「やめたまえ! 霊体が破壊されるぞ!」
 その人が意味のわからないことを叫ぶ。
 私は無視してジリジリと近づいていった。
 からだ中に電流のように激痛が走るが、そんなことはかまわない。
 戻ってきてくれたのね、あなた!

「しかたない、術を解くぞ! 絶対に攻撃するなよ」
 その人が叫ぶと、とたんに体が軽くなった。
 私は飛びつくように彼にしがみついた。
 細かく震えてるのがおかしくて、私は笑った。
 あなたは私が抱きつくと、いつも緊張して震えていたね。

 おどおどした目つきも。
 その控えめな優しさも。

「だいすきよ」
 耳元でささやく。
 あなたの体がビクリと大きく震えた。
「すべて、あなたのためにしたのよ。
 私のものは全部あなたにあげたわ。
 でも……」

「どうして、私をおいて行ってしまったの?」
 驚いたように見つめるあなたの首に両手をそえて、そっと力を込める。
 悲しい顔のあなたは振りほどこうとさえしなかった。
 赤黒くなってゆくあなたの顔をうっとりと見つめる。
 ひとりで逝かせたりしないわ。
 私もすぐにあとから逝くから、さびしくないでしょう?

「どうして、きみは自殺したんだい?」
 背後からあの男が話しかけてきた。
 頭の悪いやつね。
「私は死んでない。そう言ったでしょう?」
 両手の力がゆるんだらしく、あなたが息をついて身じろぎした。
「? ああ、自殺しようとした。だったね?」
 やれやれとばかりに男が肩をすくめる。

「すべてと引き換えにしても守りたい人を、失ってしまったから」
 言いながらあなたの胸に顔をうずめる。
 いまだに、抱きしめてもらえないのがつまらないけど、それでも構わない。
 帰ってきてくれたんだもの。

「すべてと引き換えって、両親を殺したことかい?
 じゃあ、守りたい人というのは、この人のことだね?」
 男に返事することも忘れて、あなたの頬に指をそっと這わせる。
 あなたはこわばった視線を空中に浮かべたまま、動こうとはしなかった。
「なぜ君は、両親を殺したんだい?」

「……殺したかったから」
 二人のことは話したくない。
 思いだしてしまうから。
 母は父の奴隷だった。
 私は父の新しい奴隷として生を受けたのだ。
 歳とった母の代わりに。

 ビルの影からふたたび現れた夕日が、赤みを帯びた黄色で部屋の中を染め上げる。
 男の厳しい顔にこの色は似合わなかった。
「……つまり、彼を守るために両親を殺したんだね?」
 私はうなずきだけで答えた。
「それを彼は知ってるのかい?」
 無表情な彼を見上げながら答える。
「えぇ。逃げられてしまったけど」
 臆病な人だもの。しかたないわ。

「その後、彼がどうなったか分かるかい?」
 どうなったか? なんのこと?
「君のご両親殺害の嫌疑をかけられて拘留中だよ」
 驚いてふり向く私に、男はなおも言い放った。
「実のところ、君自身の殺害容疑もかかってるんだがね。
 そのことはひとまずおいておこう。
 状況はかなり不利だ。
 彼にはアリバイが無い。
 決定的ではないものの状況証拠もそろってる。
 それなのに、彼はいっさいの証言を拒否している。
 残されたのは……」
 男が血で汚れた壁を指さした。
「君の残したあの言葉だけなんだ」

「君はどうしてあんな思わせぶりなことを書いたんだ?
 彼を、疑われるはずの彼を守るためなんじゃないか?」
 男の話に、私は混乱するばかりだった。
 私は死んでいる? それとも生きている?
 かりに私が死んでいるとして、それなら私はだれ?
 死が訪れるのをひたすら待ちつづけた私は?

 可笑しい。
 自分が死んだことにも気がつかなかったんだ。
 せっかく死んだのに、そのことに気付いてないなんて、馬鹿みたい。
 笑い声をこらえ切れない。
 声を上げて笑いだした私を、男はぎょっとした顔で見守っていた。

 ふと、自分が暖かなものに包まれたような気がして、私は笑うのをやめた。
 あれだけ陽の光を浴びても、暖かさを感じなかったのに。
 私のからだから光がでてる?
 両方の手のひらを見てみると、淡い光を放っている。
 いや、上から照らされてるんだ。
 見上げると、ひとすじの光の道が彼方まで続いている。

 手首の傷はいつの間にか消えていた。
 それにからだが軽い。
 今ならあそこへ行けそう。
 そう思っただけで、私のからだはゆっくりと浮かんで、昇りはじめた。

「いかん! 成仏しかかってる!?」
 男が慌てたように叫んだ。
「頼む! 答えてくれ!」
 そうだったわね。やり残したことがあったわ。
 あなたのもとに舞い降りると、ほほにキス。
 そしてあなただけに聞こえるようにささやく。

 あせる男に向かって微笑みをなげて、私は遥かな道をたどる旅に出た。

エピローグ.
「チャムって言う猫の首輪だってさ」
 横島は文珠『化』が、手のひらの上で消えて行くのを見つめたまま言った。
「猫? あの家は確か飼ってなかったが」
 西条が首をかしげる。

「近所の猫じゃないか?」
 見上げると、そこにあった光の道は痕跡だけになっている。
 いつか自分もたどるに違いないその道。
 携帯電話を取り出して、どこかへ(捜査本部だろう)話しはじめた西条をおいて、横島は部屋を出た。
 なんだか人恋しい気分。
 美神さんの事務所にでも行こうかな。
 のんびりとエレベータのボタンを押す。

「どこへ行くつもりだ? 仕事はまだ終わってないぞ!」
 西条が携帯をしまいながら、走ってくる。
「これ以上霊能は必要ないだろうが!?」
 気分を台無しにされた横島が怒鳴り返す。
「猫を捕まえなきゃならんのだ」
 西条が横島の抗議を無視して言った。

「! 知るかッ! そんなもん、自分トコだけでやれるやろ!?」
「依頼人に逆らうつもりかね? 何なら違約金払ってみるかい?」
 西条はあくまで冷ややかだった。
 頼むぜ神父。
 西条から顔をそむけてそっとつぶやく。
 西条は聞こえない振りで、じっとエレベータの階数表示を見つめていた。

 やっと来たエレベータに、仏頂面で乗り込む二人。
 一階と閉じるのボタンを乱暴に叩く。
 目を合わせようとはしない二人を乗せて、エレベータは階下に降りていった。

おしまい


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