椎名作品二次創作小説投稿広場


私だけを――

悪いのは雪之丞


投稿者名:ダテ・ザ・キラー
投稿日時:03/ 7/15

 その日も横島は、飢えていた。
 もう来る日も来る日も飢えていたので、むしろ一日中飢えないと不安なくらい。
「そうさ。俺は自ら選んで飢えてるだけさ」
 焦点の定まらない目で天井を睨みながら、そんなことを口に出した。
 ここは彼の自室である。それはともかく、もう一声搾り出す。
「腹減ったなあ。なんか喰いたいなあ。なんでひもじいのかなあ」
 給料日前だから。などという簡単な自答は呑み込んだ。
 とにかく気分をまぎらわせないと、空腹のあまり胃が苦しい。
「おキヌちゃんが来るよな。俺がこれだけ困ってれば」
 実に情けない発想といえたが、彼は考えつく汚名をすべて受ける覚悟もあった。
 それほどまで貧窮に喘いでいたというのだから、憐憫の情も誘った。
「メシ喰えるぞ……少し待てば……少し待てば……」
 しかし初志貫徹という言葉は、彼の頭にはない。
 本当はあったかもしれないが、そんなものは生命の危機の前に無用の長物だ。
 ドンドン
 ノックの音である。しかし、玄関へ行くカロリーも残されていない横島である。
 というか、金目の物などあれば飢えない。施錠など煩わしいだけ無駄だった。
「開いてるよぉ」
 力なく、横島は呟いた。本人は力の限り叫んだほど疲れたが。
 ジャコッ
 ドアを開けて入った人物は、知人だったが待ち人ではない。小柄な男性だった。
「邪魔するぜ」
「――か……」
 蚊の鳴くような小声で、横島が口を開いた。
「帰れ……!」
 かなり必死に、蚊の絶叫をしてみせる。友人、伊達雪之丞に向けて。
「そんな瀕死でつれなくすんなよ。嬉しくなっちまうぜ」
「冗談抜きで死にそうなんだ。この上お前と争う元気は、ねぇ……」
 この雪之丞という男、ガラは悪いが意外と、と見せかけて実に甲斐性はない。
 彼には金も食料も要求するのは不可能である。
 無から有を生み出すのでもない限りは、だ。
 そんな彼に居座られて、現状の横島には不利益ばかりで利益は一切なかった。
 特に、「有り得ない事ではあるけれど、おキヌちゃんがおさんどんしに
やってきて、美味しいご飯が食べられる」プロジェクトには大きな障害だった。
 飢餓の限界で、ようやくライオンの巣穴にウサギが飛び込んでくるのである。
 それを姑息なハイエナに奪われれば、明日の朝日は拝めそうもない。
 いや、寛大なライオンも、その時は本気で相手を殺傷する。
「とにかく帰れ。いーから帰れ。むしろ地の果てまで失せろ」
「おい、口の聞き方には気をつけてもらおうか。横島、お前だって食い物がほしいだろ」
 雪之丞は不敵に笑った。横島も笑い返す。
「けっ。お前は満腹の時ぐらいは友達と思ってやってもいいぐらい信用してるし
実際いろいろと頼りになるけどな。ことメシに限っては、ぜぇーったいアテにできねぇ。
だってお前俺より貧乏だもん」
 横島も横島で散々な台詞を吐くものである。
「いやあ、信用もクソも」
 雪之丞は余裕の表情で言った。
「現物があるがなあ」
 言葉とともにコートの裏側からぼとぼとと塊が落ちた。
「な、なんだあ!?」
「キノコだよ」
 面白そうな雪之丞の声。そこにあったのは確かに大ぶりなキノコ。
「火にかけりゃ、たぶん、喰えるとは思うんだ」
「たぶんて、お前、あのなぁ……」
「分けてやる代わりに、お前んちのコンロを借りるぜ」
 雪之丞は宿無しなので、こうでもしないとガスは使えないのである。
 実に解り易いギブアンドテイク。
 最初は不満たらたらだった横島も、直接火にかけたキノコが以外に香ばしい匂いを
漂わせると、抗議する気も失せていった。元々腹は空かしているのだから。
「こんにちわぁー」
 ちょうどその時になって待望のキヌが来た。
 よもやそれが事件の幕開けだったなどと、冷静な思考力があれば容易に
想像できたはずだが、それをこの三人に求めるだけ、無駄であった。
「不思議ないい匂い……ちょっと味見ていいですか?」
「ああ」
 元々、横島に毒見させる腹積もりだった雪之丞には異論がなかった。
 横島とキヌには、雪之丞が得意満面で持ってくるキノコに警戒心などなかった。
 はむ
「う〜〜〜〜〜〜〜んっ」
 熱いキノコを口に咥えて、彼女が硬直したので、雪之丞も少し焦る。
「……ど、どうだ?」
「心なしか、雪之丞、お前緊張してねェか?」
「おいしいですよ♪ジューシーで、味に深みがあって。なにキノコなのかなぁ……?」
 くどいようであるが、これが事件の幕開けなのであった。
「さぁな。黒眼鏡のマメジジイに訊けば解るんだろうけど」
「……厄珍のおっさん? 念のため訊くけど、なんで?」
「そりゃお前、このキノコあいつが捨てたんだもんよ」
 ぴし
 その一言の一撃でキヌが卒倒し、雪之丞は小さく肩を竦める。
「やっぱダメか」
「なにやってんだてめぇ! おキヌちゃんにもしものことがあったらぶっ殺すぞ!!」
 横島は本気激怒の形相で雪之丞に掴みかかった。
「わ、悪ぃ悪ぃ。落ち着けよ。こいつがお前にとって大切なのはよく知って――」
「いいや、わかってねぇ!!」
 目を血走らせ、それでも横島はその眼光を逸らそうとはしない。
「彼女は……彼女は俺の命そのものなんだぞッ!!」
「お前……そこまで……」
「おキヌちゃんが料理作れなくなったりしたら、てめぇ、飢え死にした俺が
七代先まで祟ると思えよ!!!」
 実に男らしく、横島は言い切ったのであった。
「ああ、命って、なるほど」
 なぜかそれを聞かされた雪之丞は一気に脱力していたが。
「本ッ当にタダじゃ済まさねェからな!!」
 その時、キヌが出し抜けにむくりと起き上がったのであった。

つづく


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