椎名作品二次創作小説投稿広場


燈の眼

其ノ六 『壊崩』


投稿者名:ロックンロール
投稿日時:03/ 7/12







 山崎雄也はその夜、いつになく不機嫌であった。

 ――理由はいろいろある。まずは――三女の智との約束…… 週末にはデジャヴーランドに連れて行ってやるという、先週の日曜日にゴルフに行ったときからの約束であったのだが――仕事の為に果たせそうにない。

 おお……忌まわしき仕事よ!

 妻もまた、似たようなものであった。彼女は、毎日毎日夜遅くに――会社の規定で定められている終業時間よりは遥かに遅く――帰ってくる彼が、外で別の女を作っていると信じて疑っていない。全く――馬鹿げている。
 この家もそうだ。――築十年の二階建て。物価低迷時代に買った為少しはマシなのであろうが、それでもローンは未だ十五年あまり残っている。倦怠の中にいて、今の生活を変える事は出来ない――

 ――そして今。雄也はネクタイをまさに締めようとしていた。
 時間はA.M5:30。ごく普通のサラリーマンならば、未だに夢の中の時間ではあるだろう。――職場そのものが遠い上、前日はやり残して来てしまった事がある。

 嘆息。

(――ん?)

 ふと、自らが汗ばんでいる事を自覚した。

 ――それは、唐突だった。

 瞬時に――窓の外が紅くそまる。同時に、室内に凄まじい熱風が吹き荒れた。
 しばし、呆然とした。ネクタイを結ぶ手を止めて。眠る妻子を起こす事すら、考えられず。

 ――火事だ……畜生!

 我に返った瞬間、浮かんで来た考えに歯噛みする。――何処だかは知らないが、近くの家が燃えている。……消防車を呼ばなければ――

「クソッ!――クソッ……!」

 受話器を上げ『119』のボタンを殴り押しながら、彼はひたすらに唾棄しつづけた。――何かに。
 恐らく、今燃えているのは、あの“ろくでもない”GS事務所に違いない。あそこの持ち主は確か、いろいろな筋から恨みをかっていたはずだ。――クソッ! よりにもよって俺の家の前に建っている事もないだろうに……!
 思うのは、ローンのことであった。――風向きの関係で火が燃え移って来たりしたら、自分の長年の辛苦の結晶が、まさしく一瞬で灰燼に帰す可能性すらある。
 そしてその可能性は――決して低くはない……

「――! もしもし、火事だ! 向かいの家が火事なんだよ! さっさと来い!!」


 ――ガチャン!


 受話器を本体に叩きつけた。
 ――ふと、番地を言い忘れた事に気付いたが、今となっては別段重要な事でもないと思い直した。天を圧するこの火炎に気付かないようでは、消防署の職員は余程間抜けであろうと思わざるを得ない。

「クソォーッ!」

 逃げないと、危ないかも知れない――
 脳裏を掠めた不吉な予感に、彼は舌打ちの数を更に増やした。

「クソ! クソ! クソッ……!」

 熱気が篭る―― 彼は窓を開けた。
 ――それは、本能的な恐怖の為でもあったのだろう――
 炎の中に、人影が見えた。――二人。一人は倒れ、一人は立っている……
 立っていて――炎上している――?

 ――いや、アレは…………!











「うわああああぁぁぁぁぁぁぁっ!?」














『見た』。















『見てしまった』。



















 その人影は刹那、チラリと彼を睥睨した。一瞬のみ合ったその眼は、炎に明々と照らされた真紅の燈の眼――

「は……はははははは…………」




 燃える。









 ――燃える。

























 ――――燃える…………


























 ――そういえば、ネクタイ、ちゃんと締めてなかったな――









 そんな事を考えながら山崎雄也は、ローンが残る家と共に燃え上がる自らの身体を、他人事のように見下ろしていた――






















   ★   ☆   ★   ☆   ★




















 銃口の先にあるモノは紛れもなく人間の身体である。――黒い銃身を赤々と照らし、世界に破滅を齎す『炎』。その火炎の渦中に在るのは、十九歳の、一人の女性。
 両手でホールドしたオートマチックは、あたかも輝彦自身の意思を体現したかのようにピクリとも動かなかった。――その深奥に強力な――非情な『死』を宿し、上昇してゆく気温に、その銃身を熱しながら。


 ――やり辛い……な。

 正直、輝彦にそう思わない気持ちがない訳ではなかった。――自分の使用出来る飛び道具と云えば、このオートマチックのみなのだが、この熱気の中では、いつ暴発するかも解からない。

(近づく事は――無理だな)

 単純な確認に過ぎない。
 焔はまさに全てを飲み込まんとしている。――試しに数発の弾丸を渦中に撃ち込んで見たが、それらは全て猛炎の中で蒸発したらしい。

「――――!」

 感覚は鋭敏だった。――手の中のオートマチックが、瞬時に赤く光る――



 熱……!



「チィッ!!」

 即座に、輝彦は灼熱して燈く輝くオートマチックを投げ捨てた。――同時に、破裂。……パン……! という、ややくぐもって聞こえる銃声を残して、三十年来付き合ってきた相棒は鉄クズと化した。

「……予想以上だな……」




 紅い。――全てが、紅い。



 燃えている。――全てが、燃えている……



 チラリと、後方を確認した。――ピートが倒れている以外は何も変化のない、普段は自動車で溢れる平坦な道路。この道路を全力疾走で逃げてみても、炎に追いつかれて焼き尽くされるのがオチだろう。

(……やり辛い……な……)

 再びの呟きは、やはり心中のものとなった。

 輝彦は、GSとしては完成されている。恐らく、世界を探しても彼以上の腕を持つGSなど数える程であろうし、その自負もあった。自信もあった。

 ――が、この状況は自分には『合わない』。
 GS“過ぎる”。あまりにも、自分はGSであり過ぎるのだ。――基本的な除霊法や除霊具は達人級に扱えるし、咄嗟の判断も間違いなくこなせる――――――だが、自分には『それ以外』がない……!

(クソ……こういう相手は、どちらかと言えばアイツ向きなんだ……!)

 今はここにいない男に毒づき、輝彦は腰から『ジャスティス』を抜いた。鞘を捨て、両手で正眼に構える。
 ――眼前には、炎……

(炎の中に剣を以って挑む――――か。……まるでドン・キホーテだな。――無謀な事をするものだ……)

 何処か、心中の高い位置から身体の動きを見下ろす事が出来た。
 炎の中には、最早美神ひのめの姿は見えなかった。――既にそこまで輝彦がひのめから引き離されたともいえるが……それ以上に、炎の密度が増している。
 今やその焔は、色を紅から蒼へと変じさせつつあった――

(あそこまで――――霊弾が届く……か?)

 ――そもそも、倒すべきひのめの位置自体がわからない。――もしかしたらすぐ傍にいるのかも知れないが、もしかしたら既に此処を去って、別の場所に炎を撒き散らしているのかも知れない。――トレーニングウェアの科学繊維がチリチリと焼ける。……異臭が鼻につく。

「どちらにしろ……やるしかないか……」

















「ん……あはぁっ…………♪」





















「――――――!?」



































 その瞬間。




















 美神ひのめは目の前にいた。



















   ★   ☆   ★   ☆   ★


















「はんっ……!!」



 その炎は踊っていた。



「ふぅん…………っ!」



 意志を持って、踊っていた。



「ひ……ぃんッ…………♪」



 彼女の内で、踊っていた。













 炎。


















 炎。


















 炎。
























 照らし出すのは燈(トモシビ)。焼き尽くすのは燈(ホムラ)。奪い去るのは燈(タマシイ)。――全ての命を、空へと返してゆく上昇気流。


 ――それは、今ひとつの物体を捉えた。
 それは彼女に快楽を齎した。――ある種自慰行為にも似た、自己逆的な快楽。長い髪を振り乱し、着ているパジャマの前をはだけて。彼女はその虚ろな眼をソレに向けた。

「ア……」

 ソレは迅速だった。持っていた『何か』を瞬時に持ち替え、振り下ろした。

「ハ…………ァン…………」

『炎』は、それを脅威と捉えたようだった。






 快楽。






「あひぃぃぃぃぃぃぃぃいぃぃぃぃぃぃいいぃぃぃぃっ!?」



 と同時に、腹部に――


 ゾブ…………


 痛み。


 炎は放たれた。


 ソレは、その焔に灼かれつつ、抗う術もなく吹き飛ばされた。





















 ――そして――――




















「――え―――――?」



















 腹部に広がる、熱い感触。――灼かれない焔に灼かれたが如き、鋭い感触。


















「――痛い……! 痛い…………っ!?」

















 腹部に突き刺さった剣を見下ろし――










 美神ひのめは存在を開始した。






















   ★   ☆   ★   ☆   ★




















「う……くぅ……」

 ピエトロが目覚めてまず初めに考えたのは、場違いにも、小笠原エミの事であった。
 既に十年も前に結婚しているエミ。―― 一時は自分に熱を上げていたが、年月を重ねてゆく内に、彼女にも相応しい相手が見つかったのだった……

 あのときに感じた祝福の気持ち。――そして、喪失感。

 永遠を知る者と、知らない者の格差。

 それは……十年を経た今でも変わらない……


「う……むぅ……」


 そこで、熱気が身体を襲った。

(――!)

 その熱風は、ピエトロの意識を完全に開放するには充分な刺激であった。――眼を開け、未だに脱水症状にフラフラする身体を何とか起き上がらせながら、目標を見やる。――既に、完全に状況を思い出していた。自分は殺されかけていたところだったはずであったが……?

「変わって……いないか……?」

 蒼い焔は、ただただそこに存在した。その渦中にいるであろう人物は、最早影になっていて見えない。炎によって濃い陰影を刻み付ける自らの手をみやり、ピエトロは覚悟を決めた。――どちらにしろここで止めねばいずれは燃やされる。……それならば、ここで何とかひのめを止めねばならない……

(……どうする…………!)



「――起きたか…………? ピート……」





 ――――!





 その声は、足元からのものであった。
 ――そして、聞き覚えもあった。……毎日聞いている……強く、威厳に溢れた、轟然たる声……


「西条……さん――なんですか?」

「ふ…………頭が禿げ始めたときも思ったが……自分がカッコ悪い存在になってみると、自分以外の者がやけに眩しく思えてくるよ…………」

 語る言葉は、確かに西条の言葉であった。――彼が尊敬し、敬愛している貴族然たる紳士の……

「あ……西条…………さん……」

 最早確信していた。――自分を猛火から救ったのは西条だ。自分を救う為に……そして、彼女を救う為に西条は炎に挑み……そして――――


 何故か、涙は流れなかった……


「ピート……僕は大丈夫だ。ひのめちゃんを止めろ……手傷は負わせた筈だ……」









 ――その西条には、両の脚がなかった。











 ――右腕がなかった。

















 そして――――顔がなかった。




















 重度の火傷の為に――――顔面の殆どが焼け潰れてしまっている…… これを整形するのは、どんなに腕の良い医者でも不可能であろう―― 最も、それまで西条の息があれば……だが……

「いいか――ピート。彼女は正気を失っている……」

 ピエトロは息を呑んだ。――先程は流れなかった涙が、今になって溢れてきつつあった。……この言葉は、恐らく西条輝彦の遺言になるであろう。――全身の半分を吹き飛ばされてなお、人間は生きる事は出来ない――

「は……ハイ……! 西条さん…………」





「もう、無理だ――――」




 そこで、西条は沈黙した。

「西条……さん…………」

 顔の前に手を翳した。――かすかに、まだ息はある。
 西条の最期の言葉――――『無理だ』。――意味は理解できた。そもそも西条輝彦が、この場に何の目的でやってきたのか――それもまた……

(――でも……!)

 ピエトロは炎を睨んだ。およそ百メートルほど向こうで停止状態を続けている蒼き焔は、以前と変わらず辺りに破壊を撒き散らし、周囲の建造物を炎上させ続けている。――早朝である所為か――それとも、非常戒厳令でも発令されたのか――辺りには人影は見当たらない。不幸中の幸いという奴だ。

(それでも――彼女は紛れもなく『破滅』を撒き散らす……!)

 ――だがしかし。……それでも、それでも……!

(僕は……彼女を殺せない……!!)

 止めてみせる。――方法はあるはずだ……
 決意を胸に、ピエトロは再び焔へと走り出した…………





















   ★   ☆   ★   ☆   ★




















「待っていてくれ……」


 早朝の街。

 朝焼けの街路。

 焔の…………前哨。





















「ソレは……私の仕事だ……」























 〜続〜


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