――燃え上がった。
――火。――緋。――燈。
その全てが、『それそのままに』踊った。――その全てが、『それ自ら』踊った。
緋色の暗闇の渦中に立ち、
彼女は――ただただ笑っていた――
★ ☆ ★ ☆ ★
「――!」
輝彦が『それ』を感じたのは早暁だった。
ベッドから跳ね起き、急激に噴き出して来た冷や汗に、肩を震わせる。――明らかに異常な『モノ』が……何処かに。『この近くの』何処かに現れようとしている―― それは、長年GSとして第一線で培ってきた『勘』であった。信頼感には絶大なものがある。
隣で既に身を起こしている妻に用意を頼み、彼は可能な限りの速さでトレーニングウェアに着替えた。……今から起こる事は『戦い』になる。いつもの紺スーツは、戦闘ともなれば無用の長物。今は何よりも、機能性を優先すべきだ――
自らの内の冷静な部分が、それそのままに冷静な憶測を輝彦に囁きかける。――確かに、この場合それは正しいといえた。
頭の禿げ掛けた四十男のトレーニングウェア姿というのも情けないが、今回ばかりは仕方がない。今は出来る限り考えない事にした。
拳銃を確認。愛用の霊剣『ジャスティス』を確認。
――異常なし。用意は整った――
「……行って来る」
「頑張って下さいね? 輝彦さん――」
不安げな妻に、彼は軽くキスをした。――どちらの為でもなく、両方のために。
「……ああ、――君は子供達を頼む」
ドアが、閉まった。
――西条輝彦……出陣。
★ ☆ ★ ☆ ★
「そうか……もう、始まってしまったのか……」
カラン――
眠れずにあおっていたスコッチのグラスが澄んだ音色を立てる。――既に外には光が満ちている。……夜明け――だった――
そして――朝、だった。
これ異常ない――清涼な――朝だった……
「これも……業なのかな――?」
老眼鏡を外し、現役時代に使用していた近視鏡を掛ける。
頭を振る。――酔いは全く感じられない。もともと、酔えないままに杯を重ねていた寝酒であるのだ。頭の働きに、これといった支障は見られなかった。
――老いた。自分は老いた。
「……我が父、我が友、我が永遠の主よ――この素晴らしき世界に、素晴らしき友を得、素晴らしき生を生きることを――そして、全ての生きとし生けるものにその恩恵を与えてくれた事を――感謝致します……」
言い、唐巣和宏はスコッチのグラスを飲み干した。
脳と舌を灼く熱い液体の熱を感じながら、唐巣はその永遠の住居たる神の家を出た――
(――私が……やらねばならない……)
――唐巣和宏……出陣。
★ ☆ ★ ☆ ★
――バキン!
今現在まで、忠実にその意図するところを機能しつづけていたキーボードに、突如として拳が叩きつけられる。
規則正しくカタカタと音を立てていたキーボードが二つに折れ、バラバラになったキーが周囲に飛び散る。――ディスプレイに映る画面――制作途中の報告書――に微細なノイズが走り、次の瞬間、ビープ音を上げて停止する。
――そんな事務的な事に――最早意味はない……!
彼は立ち上がった。立ち上がり――窓を開け、『隣』を見やった。
(――霊気……凄まじいっ!)
思考と同時に、身体もまた行動を開始していた。――そのまま窓から身を投げ出し――五階下の地面へ飛び降りる。
――着地。多大な衝撃を逃がす為、受身を取って地面を転がる。――また、転がりながらも、少しでも建物から遠ざかる…… 霊感に、凄まじいまでの圧力を感じる――!
そして、次瞬。
――轟音。
――炎上。
「……糞っ!!」
普段は決して使わない言葉遣いで唾棄し、ピエトロ・ド・ブラドーは身を起こした。――遅かった。――全てが、遅きに失した。明日渡すつもりであった封火護符は、最早ものの役には立たないであろう……
オカルトGメン日本支部――その建物は既に果てしない猛火に包まれている――それを、チラリと睥睨する。確か、残っていたのは自分だけであったとは思うが……
そして――嘆息。思ったとおりだった。霧化能力を使わなかったのは正解だったようだ。この猛火の中で気体などとなったら、一瞬もかからず蒸発してしまうであろう。
「……炎か――」
『隣』を見た。――僅かに、顔をしかめながら。
――その建物は、燃えてはいなかった。恐らく――建物に憑いた守護霊、人工幽霊一号が必死に建物を守護しようとしているのであろう……
周囲の建物が、次々と炎上してゆく。
酸素が急速に二酸化炭素と置き換えられ、急激な息苦しさを感じる。
(時間の問題――だな……)
思っている間に――かつての美神除霊事務所は炎上を開始した。
耐熱構造を持ったその外壁が一部崩れ、内部から現出した炎の舌が、外壁を舐める。――煉瓦が溶解し、樹木が炭化し、窓ガラスが破裂する―― それは何処か、創世記に記されているソドムとゴモラの話――『聖書級大崩壊(ハルマゲドン)』の序幕に似ていた……
眼を、擦った。
それは特に意味のある行動ではなかった。単に――煙が眼に染みた……ただそれだけの事実に起因する、半ば反射的な行動に過ぎない。
――が、前と後では、見える世界は明らかに異なっていた。
美神除霊事務所は、爆発した。
――ど……ん…………! ――という鈍い音は、その爆発が起こったと思われる時間よりは、大分遅れて聞こえたような気がした。空気そのものを震わす、音の奔流。熱の濁流。
そして、崩壊――
――どが……! ぐわしゃっ――!!
表現するとしたら、このような陳腐な表現になるのかもしれない……。擬音として表せない轟音が、そこにはあった。――内部圧だろうか……? 破片は隣で未だ炎上を続けるオカルトGメン本部ビルをも直撃し、崩壊へと導いた……
「……ひのめ……ちゃん……?」
ピエトロは叫んだ。――少なくとも、叫んだつもりではあった……
気温が、上がっている。
膝をついた。――暑い。
いや……『熱い』。
事務所内部から現れた人影――良く見えなかった。――ただ、その人影が長い髪を持つ女性であり、あたかも夢遊病者の如き足取りで、ゆっくりとこちらに近づいてきている事――それだけは、ぼやけた視界に何とかとどめる事が出来た……
――『死ぬ』――?
「ひのめ……ちゃん! 眼を醒ませっ――ピートだ! ピート兄ちゃんだよ……!」
渾身の力を込めて、叫んだ。
既に、立ち上がることは出来ない。凄まじい周囲の熱気に体力と気力を奪われ、熱が篭る地面の上でフライパンの上のロブスターの如くその身体を焼かれながら――じっと、祈るしかない……
その影は――立ち止まった……
「…………アハァ……ッ!!」
そして……艶然と――美神ひのめは微笑んだのだった――
★ ☆ ★ ☆ ★
「…………アハア……♪」
――気持ちイイ。
その行為は、ひのめにとっては充分な快楽を与えてくれた。
豪炎に包まれていてなお、ひのめ自身の身体はその焔に灼かれる事はない―― その炎は無意識下で完全にコントロールされており、周囲のモノを『燃やす』事は、それだけで彼女に耐えがたい悦楽を齎してくれた。
『放出』する――行為。……それは、封じられていた自らに内在する『モノ』を、外界へと導く行為――
気持ちイイ……
解けている――ガラスと、壁紙と、煉瓦と同じように――心もまた。
アタシ――どうしちゃったの――? 怖いよ。――『コワイ』!!
その思い。
その恐怖。
その傷み。
――その全ては、享楽の中に溶かされた。
気持ち……イイ……!!
後は、欲求。
快楽を求める、生物的な本能。
その本能に従って、
美神ひのめは『火』を放った――
★ ☆ ★ ☆ ★
「錯乱してる……いや、狂ってる――のか……?」
それは考えたくない事ではあった。
ピエトロは、倒れていた。――より正確に表現するならば、『倒れさせられて』いた。――爆圧で吹き飛ばされ、路地を転がされて倒れている。幸い命を失わずには済んだらしいが――
(……ひのめちゃん……!)
その表情は虚ろであった。
焔に包まれ、徘徊するひのめの顔には濃い影が落ちている。それ故窺い難いが――その表情には、明らかに生気が感じられなかった。
そして、弛緩。
弛緩した表情。
半開きのままの口腔からは涎を垂れ流し、時折狂わしげにあげる嬌声をも隠そうとはしない。――既にその表情からは、時折見せる微笑も、幼い頃に遊園地に連れて行ったときに見せた――確か、年齢制限で乗れなかったアトラクションがあったのだった――、あの奔放な泣き声も……全てが消え去っていた。
「ッ――ハアンッ……!!」
嬌声。――同時に、炎上する眼前の住宅。
――ああ、この家には人が住んでるだろうな…… ピエトロが考えていたのは、その事であった。――少なくともこれで、彼女は『殺人者』になってしまった――!
「畜……生ッ!!」
熱気は続いていた。――むしろ、以前よりもなおその濃度を増して。――焔はその濃度を増し、アスファルトを溶かしつつ侵食してゆく。危険を察知して逃げようとした野良犬が力尽きて倒れ、炎の侵食と共に、みるみる内に消し炭と化して行く――
陶然としたひのめの表情を眺めつつ、彼は唇を噛んだ。――何とか立ち上がろうと足掻いてみるものの、完全に熱に浮かされた手足には、カップを持ち上げるほどの力も伝導することが出来ない……
そして、その大元たる頭脳もまた同じ事であった……
(――!?)
眼前に、白い霧が見えた。
眼を擦る――その単純な動作にも最早、全力で霊波砲を放つ以上の精神力を必要とした…… 霧は消えない。更に、脳裏にもまた霞みがかかり始める――
それは、絶望。
ここまで……か――
「……A-men……」
白い霧が、無限に広がってゆく――――
★ ☆ ★ ☆ ★
『放出』した。――放ちつづけた……
「――ヒゥン…………ッ♪」
全てを炎上させ、全てを薙ぎ払う……
「――ハァァ…………ン!」
彼女はフラフラと彷徨した。――破滅の焔を撒き散らしながら…… 遠くの方で聞こえる警鐘は、それでも決して近づいては来ない。今の彼女を止められ得るものは、恐らく何処にもいない――
その彼女に、彼は近づいた。――霊気によるバリアの中にいてもなお伝わってくる熱気に、顔をしかめながら……
倒れているピートを背負い、後ろに放り投げる。――正直、今のピートは足手まといになるであろう…… それは、たとえピートが『目を醒ました』としても……だ。
薄くなった髪を撫で……意識を集中する。
「……ひのめ……ちゃん…………」
西条輝彦は、その悲しげな眼を伏せ、ホルスターからオートマチックを抜いた。
「僕が……君を殺す事になるなんて……ね――」
〜続〜
楽しんで読んでくだされば、幸いです
(ロックンロール)
年老いた大人たちが後悔を前提に、出陣を決意するシーンにしびれてしまいました。
恐怖を超えた悦楽に溺れてしまったひのめを、大人たちがとどめる事は出来るのでしょうか。
|д゚).oO……やっぱりここでも、西条さんは(以下略w) (矢塚)
其ノ五は基本的には『出陣編』なのですよ。其ノ六から本格的な『暴走編』が始まります。ひのめもようやく『登場』するので、期待しててください。いや、もう投下してあるんですけどねw
次は其ノ六! (ロックンロール)
作中の雰囲気がカッコ良過ぎです!
僕の中で神父はブルース・ウィルス (けっと)