椎名作品二次創作小説投稿広場


燈の眼

其ノ五 『撥導』


投稿者名:ロックンロール
投稿日時:03/ 6/30


















 ――燃え上がった。





















 ――火。――緋。――燈。







 その全てが、『それそのままに』踊った。――その全てが、『それ自ら』踊った。









 緋色の暗闇の渦中に立ち、


























 彼女は――ただただ笑っていた――



























   ★   ☆   ★   ☆   ★























「――!」


 輝彦が『それ』を感じたのは早暁だった。

 ベッドから跳ね起き、急激に噴き出して来た冷や汗に、肩を震わせる。――明らかに異常な『モノ』が……何処かに。『この近くの』何処かに現れようとしている―― それは、長年GSとして第一線で培ってきた『勘』であった。信頼感には絶大なものがある。
 隣で既に身を起こしている妻に用意を頼み、彼は可能な限りの速さでトレーニングウェアに着替えた。……今から起こる事は『戦い』になる。いつもの紺スーツは、戦闘ともなれば無用の長物。今は何よりも、機能性を優先すべきだ――

 自らの内の冷静な部分が、それそのままに冷静な憶測を輝彦に囁きかける。――確かに、この場合それは正しいといえた。
 頭の禿げ掛けた四十男のトレーニングウェア姿というのも情けないが、今回ばかりは仕方がない。今は出来る限り考えない事にした。

 拳銃を確認。愛用の霊剣『ジャスティス』を確認。


 ――異常なし。用意は整った――


「……行って来る」

「頑張って下さいね? 輝彦さん――」

 不安げな妻に、彼は軽くキスをした。――どちらの為でもなく、両方のために。

「……ああ、――君は子供達を頼む」


 ドアが、閉まった。









 ――西条輝彦……出陣。





















   ★   ☆   ★   ☆   ★


























「そうか……もう、始まってしまったのか……」

 カラン――

 眠れずにあおっていたスコッチのグラスが澄んだ音色を立てる。――既に外には光が満ちている。……夜明け――だった――
 そして――朝、だった。
 これ異常ない――清涼な――朝だった……

「これも……業なのかな――?」

 老眼鏡を外し、現役時代に使用していた近視鏡を掛ける。
 頭を振る。――酔いは全く感じられない。もともと、酔えないままに杯を重ねていた寝酒であるのだ。頭の働きに、これといった支障は見られなかった。
 ――老いた。自分は老いた。

「……我が父、我が友、我が永遠の主よ――この素晴らしき世界に、素晴らしき友を得、素晴らしき生を生きることを――そして、全ての生きとし生けるものにその恩恵を与えてくれた事を――感謝致します……」

 言い、唐巣和宏はスコッチのグラスを飲み干した。
 脳と舌を灼く熱い液体の熱を感じながら、唐巣はその永遠の住居たる神の家を出た――


(――私が……やらねばならない……)












 ――唐巣和宏……出陣。























   ★   ☆   ★   ☆   ★





















 ――バキン!

 今現在まで、忠実にその意図するところを機能しつづけていたキーボードに、突如として拳が叩きつけられる。
 規則正しくカタカタと音を立てていたキーボードが二つに折れ、バラバラになったキーが周囲に飛び散る。――ディスプレイに映る画面――制作途中の報告書――に微細なノイズが走り、次の瞬間、ビープ音を上げて停止する。

 ――そんな事務的な事に――最早意味はない……!
 彼は立ち上がった。立ち上がり――窓を開け、『隣』を見やった。

(――霊気……凄まじいっ!)

 思考と同時に、身体もまた行動を開始していた。――そのまま窓から身を投げ出し――五階下の地面へ飛び降りる。
 ――着地。多大な衝撃を逃がす為、受身を取って地面を転がる。――また、転がりながらも、少しでも建物から遠ざかる…… 霊感に、凄まじいまでの圧力を感じる――!



 そして、次瞬。







 ――轟音。








 ――炎上。






「……糞っ!!」


 普段は決して使わない言葉遣いで唾棄し、ピエトロ・ド・ブラドーは身を起こした。――遅かった。――全てが、遅きに失した。明日渡すつもりであった封火護符は、最早ものの役には立たないであろう……
 オカルトGメン日本支部――その建物は既に果てしない猛火に包まれている――それを、チラリと睥睨する。確か、残っていたのは自分だけであったとは思うが……
 そして――嘆息。思ったとおりだった。霧化能力を使わなかったのは正解だったようだ。この猛火の中で気体などとなったら、一瞬もかからず蒸発してしまうであろう。

「……炎か――」

『隣』を見た。――僅かに、顔をしかめながら。

 ――その建物は、燃えてはいなかった。恐らく――建物に憑いた守護霊、人工幽霊一号が必死に建物を守護しようとしているのであろう……
 周囲の建物が、次々と炎上してゆく。
 酸素が急速に二酸化炭素と置き換えられ、急激な息苦しさを感じる。

(時間の問題――だな……)

 思っている間に――かつての美神除霊事務所は炎上を開始した。
 耐熱構造を持ったその外壁が一部崩れ、内部から現出した炎の舌が、外壁を舐める。――煉瓦が溶解し、樹木が炭化し、窓ガラスが破裂する―― それは何処か、創世記に記されているソドムとゴモラの話――『聖書級大崩壊(ハルマゲドン)』の序幕に似ていた……
 眼を、擦った。
 それは特に意味のある行動ではなかった。単に――煙が眼に染みた……ただそれだけの事実に起因する、半ば反射的な行動に過ぎない。
 ――が、前と後では、見える世界は明らかに異なっていた。




 美神除霊事務所は、爆発した。




 ――ど……ん…………! ――という鈍い音は、その爆発が起こったと思われる時間よりは、大分遅れて聞こえたような気がした。空気そのものを震わす、音の奔流。熱の濁流。

 そして、崩壊――


 ――どが……! ぐわしゃっ――!!


 表現するとしたら、このような陳腐な表現になるのかもしれない……。擬音として表せない轟音が、そこにはあった。――内部圧だろうか……? 破片は隣で未だ炎上を続けるオカルトGメン本部ビルをも直撃し、崩壊へと導いた……

「……ひのめ……ちゃん……?」

 ピエトロは叫んだ。――少なくとも、叫んだつもりではあった……
 気温が、上がっている。
 膝をついた。――暑い。
 いや……『熱い』。
 事務所内部から現れた人影――良く見えなかった。――ただ、その人影が長い髪を持つ女性であり、あたかも夢遊病者の如き足取りで、ゆっくりとこちらに近づいてきている事――それだけは、ぼやけた視界に何とかとどめる事が出来た……


 ――『死ぬ』――?


「ひのめ……ちゃん! 眼を醒ませっ――ピートだ! ピート兄ちゃんだよ……!」

 渾身の力を込めて、叫んだ。
 既に、立ち上がることは出来ない。凄まじい周囲の熱気に体力と気力を奪われ、熱が篭る地面の上でフライパンの上のロブスターの如くその身体を焼かれながら――じっと、祈るしかない……
 その影は――立ち止まった……


「…………アハァ……ッ!!」


 そして……艶然と――美神ひのめは微笑んだのだった――





















   ★   ☆   ★   ☆   ★






















「…………アハア……♪」


 ――気持ちイイ。


 その行為は、ひのめにとっては充分な快楽を与えてくれた。
 豪炎に包まれていてなお、ひのめ自身の身体はその焔に灼かれる事はない―― その炎は無意識下で完全にコントロールされており、周囲のモノを『燃やす』事は、それだけで彼女に耐えがたい悦楽を齎してくれた。
『放出』する――行為。……それは、封じられていた自らに内在する『モノ』を、外界へと導く行為――


 気持ちイイ……


 解けている――ガラスと、壁紙と、煉瓦と同じように――心もまた。

 アタシ――どうしちゃったの――? 怖いよ。――『コワイ』!!


 その思い。


 その恐怖。


 その傷み。


 ――その全ては、享楽の中に溶かされた。



















 気持ち……イイ……!!




















 後は、欲求。
 快楽を求める、生物的な本能。
 その本能に従って、
 美神ひのめは『火』を放った――





















   ★   ☆   ★   ☆   ★





















「錯乱してる……いや、狂ってる――のか……?」

 それは考えたくない事ではあった。
 ピエトロは、倒れていた。――より正確に表現するならば、『倒れさせられて』いた。――爆圧で吹き飛ばされ、路地を転がされて倒れている。幸い命を失わずには済んだらしいが――

(……ひのめちゃん……!)

 その表情は虚ろであった。
 焔に包まれ、徘徊するひのめの顔には濃い影が落ちている。それ故窺い難いが――その表情には、明らかに生気が感じられなかった。
 そして、弛緩。
 弛緩した表情。
 半開きのままの口腔からは涎を垂れ流し、時折狂わしげにあげる嬌声をも隠そうとはしない。――既にその表情からは、時折見せる微笑も、幼い頃に遊園地に連れて行ったときに見せた――確か、年齢制限で乗れなかったアトラクションがあったのだった――、あの奔放な泣き声も……全てが消え去っていた。

「ッ――ハアンッ……!!」

 嬌声。――同時に、炎上する眼前の住宅。
 ――ああ、この家には人が住んでるだろうな…… ピエトロが考えていたのは、その事であった。――少なくともこれで、彼女は『殺人者』になってしまった――!

「畜……生ッ!!」

 熱気は続いていた。――むしろ、以前よりもなおその濃度を増して。――焔はその濃度を増し、アスファルトを溶かしつつ侵食してゆく。危険を察知して逃げようとした野良犬が力尽きて倒れ、炎の侵食と共に、みるみる内に消し炭と化して行く――
 陶然としたひのめの表情を眺めつつ、彼は唇を噛んだ。――何とか立ち上がろうと足掻いてみるものの、完全に熱に浮かされた手足には、カップを持ち上げるほどの力も伝導することが出来ない……
 そして、その大元たる頭脳もまた同じ事であった……

(――!?)

 眼前に、白い霧が見えた。
 眼を擦る――その単純な動作にも最早、全力で霊波砲を放つ以上の精神力を必要とした…… 霧は消えない。更に、脳裏にもまた霞みがかかり始める――
 それは、絶望。
 ここまで……か――



「……A-men……」



 白い霧が、無限に広がってゆく――――




















   ★   ☆   ★   ☆   ★




















『放出』した。――放ちつづけた……


「――ヒゥン…………ッ♪」


 全てを炎上させ、全てを薙ぎ払う……


「――ハァァ…………ン!」


 彼女はフラフラと彷徨した。――破滅の焔を撒き散らしながら…… 遠くの方で聞こえる警鐘は、それでも決して近づいては来ない。今の彼女を止められ得るものは、恐らく何処にもいない――
 その彼女に、彼は近づいた。――霊気によるバリアの中にいてもなお伝わってくる熱気に、顔をしかめながら……
 倒れているピートを背負い、後ろに放り投げる。――正直、今のピートは足手まといになるであろう…… それは、たとえピートが『目を醒ました』としても……だ。
 薄くなった髪を撫で……意識を集中する。

「……ひのめ……ちゃん…………」

 西条輝彦は、その悲しげな眼を伏せ、ホルスターからオートマチックを抜いた。

















「僕が……君を殺す事になるなんて……ね――」































 〜続〜


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