椎名作品二次創作小説投稿広場


燈の眼


投稿者名:ロックンロール
投稿日時:03/ 5/20

 晴れていた。
 憎たらしいくらいに、その日の空はカラリと晴れていた。













 灼いたのは、十歳のときだった。














 今から思えば本気であったのかも分からない。クラスメートであり、常にアタシに対して嫌がらせをしていたひとりの男の子。名前は、寺田って言った。















 灼いたのは、十歳のときだった。















 いつもアタシにいじわるをしていた。下駄箱から上履きを隠したり、学校でみんなの前でスカートをめくられた事もあった。そしてその日も、アイツはアタシの大嫌いな毛虫を、よりによってランドセルの中に入れてくれた。
 アタシは、アイツが大嫌いだった。















 灼いたのは、十歳のときだった。











 そのアイツはもういない。














 灼いたのは、十歳のときだった。
















『彼を灼いたのは』、アタシが小学五年生になってすぐのときだった――

















   ★   ☆   ★   ☆   ★



 駄菓子屋のおばちゃんの住んでるアパートの前で、アタシは寺田につかまえられた。
 今思えば、『帰りの会』で今日の仕打ちを洗いざらい先生に言ってしまったのが、コイツの頭の中では『告げ口』になっているのかも知れない。

 何が告げ口よ。本当の事を口に出して何が悪いの?
 そう思っていた。

「美神ぃ、てめぇ、よくも先生にチクってくれたじゃんかよぉ……」

 彼が拳を振り上げる。思わず、アタシは顔を腕で庇ってしまっていた。

 コイツは、女の子でも容赦なく殴る。
 四年生のときに、同じクラスの女の子を殴って、泣かせてしまったという『前歴』も持っている。世間一般で言う、『いじめっこ』だった。
 だけど、怖かった。
 アタシは女の子だった。とてもじゃないけど、単純な腕力では男の子に敵うはずがない。
 それに、寺田は顔を殴るという話も聞いた事があった。――ママやお姉ちゃんには常々言われていた。――女の子は顔こそ、まず大事にしなさい――って。

 そのとき既に、アタシの顔は涙の予感に歪んでいた。目の前のコイツは、そのアタシの態度に嗜虐的な悦びを感じたのか、ことさらにゆっくりと近づいてくる。


 アタシは、普通の女の子だった。




『このときは』アタシは普通の女の子だった。




「何よ――何すんのよぅ!」

 挙げてしまってから悔しさに震えた。これは悲鳴だった。
 思ったとおりだった。コイツは、笑みを一層深くした。

「へ、だいたいテメェは前々からうざかったんだよ! 女のクセにいつもいつもでしゃばりやがって――」

 事実、コイツから見ればアタシはそうかもしれない。アタシは勉強の成績は並だったが、運動神経だけはクラス――いえ、学年の誰にも負けない自身はあった。ガキ大将であるコイツには、その辺が気に食わなかったのかも知れない。事ある毎にアタシに嫌がらせをしてきた。
 コイツとは四年生のときも同じクラスだった。
 そのときからそうだった。アタシに対するイジメは、他の誰に対するそれよりも陰惨だった。
 大抵のいじめっこというのはそうだと思うけど、コイツにも『イジメ仲間』がいた。それは主に授業での成績が良い子に向けられるもので、特に『誰に』というものはなかったと思う。
 それがアタシに向けられた。アタシはスポーツ万能だったし、ママとお姉ちゃんは有名だった。――『いじめられっ子』になる素質は充分に持っていたかもしれない。


 もう一回。アタシは、普通の女の子だった。
 そりゃあちょっと生意気なところはあったかもしれないけど、他のどの女の子とも対して違わない。ちょっと家庭が特殊なだけの、『普通の』女の子だった。
 男の子に凄まれれば、虚勢は張っても、最後は泣くだけの女の子だった。

「この野郎!」

 陰惨な言葉の槍。――それと同時に、頭の横側を思い切り殴られた。
『ぶたれた』と言ったほうがいいかもしれない。それは、拳を固めてただ振り回すだけの、今から思えば笑いも起こさせる、可愛いものだった。
 それでも、当時のアタシに与えた衝撃は強烈だった。
 アタシはよろけて、背中から地面に倒れた。――泣く事だけは嫌だと思っていた。それが、逆にコイツの癇に障ったらしかった。

「うぜぇんだよ!」

 お腹を蹴られた。『踏まれた』という方が近いかも知れない。

「うげぇっ!」

 そんな事をされたのは、十年の生涯の中で初めてだった。痛くはないのに苦しくて、悔しいのに涙が後から後から溢れ出てくる。喋る事も出来ず、アタシは悶絶した。ランドセルが邪魔になって、起き上がることも出来ない。

 怖かった。


 怖かった。


 怖かった。


「オメェ、もう俺に逆らうんじゃねぇぞ? 今度やったらこんなモンじゃすまねぇからな――」


 ただ、怖かった。
 そして、何かが弾けた――――















 次の瞬間。目の前にいた彼は炎上した。


































 一瞬だけ、ポカン――とした表情が見えた気がした――そのすぐ後、彼はフラフラと歩き、口をパクパクと動かした。何か言おうとしていた。

「え……あれ――?」

 アタシは――その瞬間のアタシは。彼が焔に包まれ、フラフラと辺りを彷徨うのを目の当たりにしたその瞬間のアタシは――あろう事か『安堵していた』! 更に加えられるべき虐待がなくなった事に喜んでいた!
 そして次は――『困惑』だった。
 彼は――こちらを向いた彼は、眼を閉じていなかった。炎に包まれ、彼の衣服が焼ける。髪の毛が焼ける。肌が見る見る内に膨れてゆき、弾けてまだら模様のオレンジの肉が見える。
 口はなおも、パクパクと動いている。懸命に何か言おうとしているらしかったが、その為には空気を吸わなければならなかった。それは、彼を焼く焔を、体内にまで招き入れる事に他ならない――


「――ひっ!」


 アタシは彼の顔を、間近で見てしまった。

 彼はなおも目を閉じてはいなかった。そして、彼の眼球はあろう事か、『膨張』していた。眼球が普段の1.5倍ほどにも大きく膨れ、瞼から半ば飛び出している。既に口はだらりと開いたままになっており、その中で舌が炎上を開始している事すら鮮やかに見えた。みるみる黒くなってゆき……

 そして――


















 パン!
















 眼球が破裂した。


「いやああああああああああああっ!?」

 初めて、アタシは悲鳴を挙げた。
 彼はつまずき、倒れた。前身を舐める炎が、未だに燃え残っていた靴をも焼いてゆく。彼は仰向けに倒れていた。眼球を失った、黒い空洞が良く見えた。
 全身が、もう黒かった。
 異変を知った――アタシの悲鳴で、だろう――近所の人が、周りに集まってくる。当たり前だけど、全員、その場で息を呑んだ。
 座り込んで悲鳴を挙げつづけるアタシを、行きつけの酒屋さんのおじさんが引きずっていった。彼から遠ざけていった。
 アタシはまだ、悲鳴を挙げつづけていた。泣いていた。泣いていた。

「いやっ! こんなのいやよおおおぉぉぉ!!」

 ついに羽交い絞めにされて、無理矢理その場から離された。アタシは暴れる事も出来なかった。ただ、脱力していた。
 後の事は、アタシは知らない。
 彼は、骨すら残らなかったらしかった。











 〜続〜


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