椎名作品二次創作小説投稿広場


天使と戯れ悪魔と踊れ

第三話「あなたが望めば夜会は続く」


投稿者名:矢塚
投稿日時:03/ 3/17

 
 ジゼルという名の呪術師と話し始めていまだ一時間と経っていない上に、話の核心はこれからというにもかかわらず、すでに唐巣は精神的に疲れ果てていた。
 とはいえ、まだまだ聞かなければいけないことは山のようにあり、力を振り絞って話を続けた。
「……で、その危ない尋ね人の事も、聞かせてもらえるんだろうね?」
「ええ、その人の名はハーディ・クラッセ。実兄であり、私にベリアルを押し付けて3年前から行方不明。私の目的はただ一つ、そのろくでなしにこの腐れ悪魔をつき返す事、しかもおまけ付きでね」
 言うとジゼルは自分の拳をぐっと握り、唐巣の前に突き出した。
 どうやらかなり複雑な事情を抱えた兄妹らしく、このような妹を持った兄に対して、唐巣は少しだけ同情してしまった。
「つまり、この悪魔は君のお兄さんが、かつて所有していたということかい?」
「所有じゃない、血の冥約キィ」
 気を悪くしたようにベリアルが叫ぶのを、二人は無視して話を続ける。
「そう、あと18年の間にこいつを突っ返すか封じないと、契約期間終了後に私の魂はこいつに喰われ、未来永劫地獄の業火に焼き続けられる」
「そうか……」
 静かに唐巣は答えた。
 つまり、兄とその手がかりを探しつつも、万が一に備えてベリアルを封じることの出来る人間の候補に今回、彼が選ばれたのだ。
 しかし、そこで唐巣の思考がとまる。
「ところで、どういった理由で今回その悪魔を封じる候補に私がエントリーされたんだい? 世界には私よりも優秀なスイーパーが、多く居るのに」
「キキキッ! 確かにあんたみたいなボンクラじゃ間違いなく、俺を封じることはできねえよ! おとなしく指でもしゃぶってる方がいいキ!」
 ベリアルが嘲り、それに唐巣が反応する。
「ほう。試してみるかい?」
 普段の彼には見られないほどに、凄惨で自信に満ちた表情が浮かぶ。
「やってみるか? おっさん!」
 さらに挑発するベリアルの霊力が高まる。
「おやめっ!!」
 躾こそ無かったものの、ジゼルの裂帛の怒声と悪魔よりも悪魔らしい形相に、一匹と一人が戦闘意欲を根こそぎ奪われ、冷汗をかきながらおとなしくなる。
 それを見た彼女の表情が、とたんに微笑に変わる。
「そうね、あなたより優秀なスイーパーはたくさんいるわ。でも、彼らには無理だった。こいつと私は契約という呪に縛られている為に、無理に切り離せないの。魂の提供とでも言えばいいかしら? 契約中にこいつを殺すと私も死ぬわ、でもその逆に、先に私が死ぬとこいつは呪縛を解かれ自由が得られる。その上に、どうやら私は一流のGSから、何故かあまり好かれていない」
 全く他人事のように、彼女は言った。
「……何とも、理不尽な契約だな」
 苦虫を噛み潰したように、唐巣が言う。
「悪魔との契約がいまだかつて、一度でも、甘く公平であったためしなど、きっと無いわね」
「……恐らくは、私にも無理かも知れないな。……まあ、よく調べてみない事には、はっきりとした事は言えないが……」
 ジゼルを気遣うように、唐巣は言う。
「そうね、可能性は低いわ。でも、あなたは日本で、悪魔チューブラーベルを駆逐している。それまでは、誰一人として排除したことのない霊体癌を、全く想像もしなかった方法でね」
「よく知ってるね。――でも、あれは私一人の力で成し得たのではないよ」
「この業界じゃあ有名よ? ――確かにあなた一人の力ではないでしょう、過大評価はしないわ。でも、あなたの力が有ったからこそ成功したともいえる。だから、その可能性に賭けてみるのは無駄ではないわ」
 このジゼルという女性は、本当に細い希望にすがっているにもかかわらず、なぜここまで揺ぎ無い自分を維持できるのだろうと、唐巣は思う。
 もし、自分が同じ立場になった場合に、ここまで心強くいられるだろうか?
 唐巣が深い、自己の考察の海に沈んでいきそうになるのを、ジゼルが引き上げる。
「ということで、人工霊体片入手時のお話を、気持ちよくしていただけるかしら?」
「ああ、いいだろう。」 
 そして、彼はありのままに、あの時感じたことを脚色する事無く、客観的に淡々と伝えた。

 人工霊体片入手時の感想をジゼルに伝え終えてから、おおよそ一時間程後。
 唐巣は車上の人となっていた。今自分が乗っているこの真っ赤なスポーツカーは、確かアルファロメオ社製のスパイダーという名だったような……などと益体も無いことを考えつつ、隣で鼻歌交じりにステアリングを転がす女性を見やる。
 霊体片を入手した現場の視察をジゼルが希望し、丁度唐巣が次の仕事を探していて時間があるのと、前回その現場に施した浄化の結界の保守点検の時期でもあり、その上にベリアルの件もなし崩し的に引き受けた格好という、何から何まで彼女の同行を断る理由が無かった為である。
 それにしても、バイタリティ溢れる女性だと唐巣は思う。
 この前進あるのみの行動力は、美神美智恵をどことなく思い出させ、何故か少しだけ彼の胸をちくりとさせた。
 日はすでに西に傾きつつあり、この分では現場への到着は真夜中になりそうだった。
 唐巣がみたところ、イタリアのドライバーは交通マナーがあまりよろしくないようで、先程から急ハンドル急ブレーキが唐突にかつ意表を突いて繰り返される。
 しかし、マナーの悪さにかけてはこちらも負けてはいないようで、先程からひっきりなしに自分等に向けてクラクションが鳴らされる。
「なかなかいい車だね、これ」
 このままではひどい車酔いを起こしそうな予感に襲われた唐巣が、運転の邪魔にならない程度に話しかける。特に返答を求めての会話ではなく、あくまでも彼自身が車酔いを回避するための一手段だ。 
「あら、ありがとう。うれしいわ」
 ジゼルは素直に喜んで答えた。どうやらこの運転にもかかわらず、余裕があるようなので、質問を投げかける。
「どうして君は、この悪魔を従えているにもかかわらず、イタリア国内で自由に行動できるんだい? 普通なら、行動にかなりの制限を受けてもおかしくは無いんだが」
「いえ、制限はかなり受けてるわよ? 普段はあまり意識しないけど、私には監視者が必ず二人はついてるようだし」
 あっさりと肯定し、ルームミラーで唐巣の顔色を窺うと、何やら言いたげな表情を浮かべている。
「規制を受けて、それをちゃんと守る人間に、ジゼルが見えるか? キキキキキキッ!」
 狭い車内で宙に浮いているベリアルが、さもおかしそうに彼女の言葉を代弁する。
 ベリアルの言葉を否定せず、逆に肯定とも取れる微笑が彼女の顔に浮かぶ。
 流石にもう、この黒い悪魔を無視しながら会話をする術を手に入れた唐巣が、彼女の態度にあまり感心しないニュアンスを込めて言う。
「……ふむ、良くそれで君は拘束されないな」
「昔ヨーロッパで暴れまわってたこいつを、当時のGSたちは誰一人として滅殺出来ずにいたみたい。そこで仕方なく一人のGSが冥界条約という契約をこいつと交わし、99年間の拘束と従順を引き換えに、自分の魂を奉げたようね。そのおかげで、各国は平和を取り戻すことが出来たそうよ。だから、こいつのマスターになった人間はヨーロッパ諸国に対して、それなりの恩が着せられるみたいね。監視はするけれど、ある程度は黙認してくれてるようよ。……まあ、むちゃくちゃやれば、流石に捕まるでしょうけど」
 ごく簡単に、ベリアルの略歴をジゼルが披露する。
「ふむ、こいつがそれほど凄いとは、とても見えないがね」
 やたらと騒がしい、黒い低級悪魔を見やる。
「そのうちに、嫌と言うほど俺の実力をおっさんに見せ付けてやるから、楽しみにしてるキ」
 ベリアルが、まさに悪魔の形相でいやらしく笑う。
「ああ、わかったよ。是非ともそのときには、私に君の止めを刺させてくれよ?」
 唐巣はおっさんのフレーズにまた、むっとしながらも受け流す。
 そして、何やら考え込むように一人口を噤み、今の会話をじっくりと咀嚼する。
 今から80年ほど前にヨーロッパを荒らしまわった悪魔の話は、おぼろげながらも唐巣は知っていた。
 であれば、彼女、ないしは以前までこの悪魔のマスターであった者達に対して、今の各国の扱いはかなり粗末なものになる。
 本来ならばヨーロッパ諸国を挙げて、この悪魔を封じるべく取り組んでいてもおかしくは無いのだが、たとえヨーロッパを救ったという逸話に関係があろうとも、所詮は昔の話であり、今の人間にはその恩を感じることなどできようはずも無く、逆に今の時代では疎ましがられるだけの存在なのかも知れないと彼は思う。
 何しろ、この自分自身でさえ未だに、この悪魔の正体については半信半疑でいるのだから、と。
 突然むっつりと黙り込んだ唐巣に、ジゼルが横目で話しかける。
「どうしたの? いきなり黙り込んで。あんまり難しく考えてると、若ハゲになるわよ?」
「なっ!? 私はハゲではないぞっ! ちゃんと朝晩シャンプーと頭皮のマッサージは欠かさんっ!! ハゲるわけが無い!!」
 何故か、異常に興奮して唐巣が反論する。
 その態度を見た彼女が、何故かニヤリといやらしく笑い、ごめんなさいと含み笑いを添えた謝罪をする。その顔には、恰好のからかいのネタが出来たという表情が浮かぶ。
 その表情に唐巣は気づいたが、時すでに遅しである。
 思わずむきになってしまった自分に対する情けなさと、親戚の結婚式で親族一同が会して撮った写真に写る、男性血縁者全員の頭部が唐巣の心を占領する。
 今までのシリアスな感情が全て押し流され、脱力したように一言ぽつりとこぼす。
「……理不尽だ……」
 それを受けて、ジゼルが言った。
「よかったら、一緒に祈りましょうか? ――おおカミよ! 世の中は理不尽な運命に満ち満ちていますぞ――」

 時計の針が深夜をかなり回った頃に、二人と一匹は目的の屋敷についた。
 唐巣は、廃屋然とした屋敷の前に立ち、霊視ゴーグルで結界の状態を確認する。
「あら、なかなかに美しい結界を張るのね。霊的状態もかなり安定している、すばらしいわ」
 同じく隣でゴーグルを覗いていたジゼルが、素直に感嘆する。
「ありがとう」
 その一言に気分を良くしつつ、唐巣は屋敷の中へと入っていった。
「ギギ……この場所は……苦しいギィ……」
 屋敷の外観とは逆に、清浄な霊気に満ちた屋内はベリアルにとってはかなり苦痛であるらしく、先程から口も体も重そうだ。
 唐巣は、その悪魔の体調にさほど気をかけるでもなく、屋敷内の霊的状態を確認していく。
「確かにすばらしい結界を張ってあるけど、南南西の呪符をはがして南南東の呪符をもう3.2メーターこちらに寄せれば、効率がよかったわね」
 屋敷の見取り図を広げながら、そこかしこを物色していたジゼルが呟く。
「――ああ、なるほど! その手もあったか。しかし、あまり見た目の良くない、変形した結界になるね」
 彼女の言葉に感心する唐巣。
「確かに美しい結界ではないけど、南南西に使用した呪符が一枚浮くじゃない。お金、要るんでしょ?」 
「そうだね。次から、そうするよ」
 軽く受け流しつつ、さらに点検作業を続ける唐巣。
 しばらく作業に集中し、気がつけば、いつの間にかジゼルとベリアルがいなくなっている。
 しかし、特に気にする事も無く、次の点検場所である立派な書庫の前に立ち、ドアノブに手をかけて重い扉を開いていく。
 ここの住人は本の虫であったらしく、前回のチェックでは他の部屋とは比べ物にならないくらいにしっかりした造りの部屋に、ちょっとした図書館ぐらいの蔵書がきちんと並べられていたのを、彼は記憶していた。
「ん? あれ?」
 扉を開いた唐巣の口から、不審の呟きが漏れる。
 すでに電気が灯されているのだ。確か、この部屋は内部にスイッチがついていて他からは点灯出来ないはずで、前回のときに消し忘れたのだろうかと思うが、そうではなさそうだ。きちんと整頓されていた本が床に散乱している上に、何やらごそごそと、奥の方から人の気配がする。
 唐巣は突如大きくため息をつくと、散らばっている本を踏まないように、気配のする方へ踏み込んでいく。
 心当たりの顔が、一人と一匹分胸に浮かぶ。
「おおいっ! いくら所有者がいないとはいえ、もうちょっと、本は大切に扱わないか!」
 奥にいるであろうジゼルとベリアルに声をかけるが、しかし、返事は無い。
「返事ぐらいしろよな。まったく、こんなに散らかして……」
 余程面白い本でも見つけたのかと思いながら、奥へ進む。
 しかし、古書独特の匂いが充満した部屋の奥にいたのは、唐巣の全く知らない人物であり、その遭遇に思わず彼の心臓が跳ね上がり声が出る。
「だ、誰だ? 君は!? なっ、何をしている!?」
 彼の脈拍が一気に上がり、ジワリと汗が流れるが、表面上は平静を保ちつつ戦闘態勢をすぐにとる。
 目の前にいるのは、十代後半ぐらいの少女だった。跳ね返った赤毛のショートヘアに、無表情な整った顔。黒いハイネックのロングコートの腕をまくり、細長く色白の腕が露になっている。この時間、この場所に居るには、本当に似つかわしくない少女だ。
 しかも、全く落ち着き払った態度で、唐巣を凝視している。
「何じゃ、お前は?」
 さらに不意打で男性の、しかも老人の声が唐巣にかかり、彼の心臓がさらに2メーターほど飛び上がった。
 良くみれば、少女の後ろにもう一人居る。全身を黒のマントで覆っているのと、部屋が薄暗いので気づかなかった。
 白髪を後ろに撫で付けた、若かりし頃は女性にもてたであろう体格のいい老人。その目は精気に満ちていたが、何年生きているのか見当もつかないくらいに、奥深い色が浮かんでいる。
 唐巣は破裂しそうな勢いで血液を送り出す心臓をなだめつつ、この、いかにも場違いな二人にゆっくりと話しかけた。
「私は、GS唐巣だ。この屋敷の除霊と、その後の結界浄化を受け持っている。今日は、その保守点検に来ている。いかに無人とはいえ、屋敷に勝手に入り込んで、君たちは一体何をしているのだ? 返答次第では、容赦出来ないぞ!」
「ふむ。やはり屋内では、対人レーダーの精度がかなり落ちるようじゃな」 
「イエス。更に情報整理の為・一時的に・レーダー出力が・低下していました」
 唐巣の台詞どころか、存在すら無視した会話を二人が交わす。
 その二人の態度に、唐巣は二の句が次げなくなり会話が途切れてしまう。
 それにしても、変わった組み合わせの二人であった。祖父と孫娘に見えなくも無いが、二人共にあまり似ておらず、血のつながりを感じることが出来ない。にも拘らず、この二人には何か特別な絆のようなものも感じ取れる。
 どのように対処すべきか唐巣が迷っていると、背後から声がかかる。
「――なにを怒鳴ってるの? 幽霊でも出たのかしら」
 具合の悪そうなベリアルを引き連れたジゼルが、泰然たる態度でそこに立っていた。
 彼女に何か言おうと唐巣が口を開こうとするが、彼女の顔に浮かんだ表情に言葉がとまる。
 それは、彼女が初めて見せた表情であった。
「――Drカオス?」
 目の前の老人に対して、彼女の今の表情にふさわしい、困惑というニュアンスを多分に含んだ言葉を彼女が呟く。
「へ? この老人が、アノ錬金術師? なんでこんなところに?」
 彼女の呟きをうけた唐巣からは、なんとも間の抜けた言葉しか出てこない。
「なんでって言われても、私の方が聞きたいわよ」
 唐巣とジゼルが、いかがわしそうにひそひそと囁き合う。
 突然、無表情な少女が口を開く。
「そちらの女性は・ジゼル・クラッセ。本ミッションにおける・重要参考人です。Drカオス」 
 ぎこちなく固いしゃべりの少女の台詞を受けて、Drカオスが少しだけ驚いたように、目を細めて呟く。
「これはこれは、なかなかに興味深いめぐり合わせになってきおったわい……」
 そして、ここで初めてDrカオスが、唐巣とジゼルにまともに対応する。
「そこの嬢ちゃんの言うように。いかにもわしはDrカオスじゃ。――ところで嬢ちゃんは、ハーディー・クラッセの妹。ジゼル・クラッセに間違いないな?」
 やんわりとした口調だが、現状に混乱しているジゼルは答えられない。無論、唐巣と、具合の悪いベリアルは完全に置いてきぼりをくらっている。
 彼女の、その沈黙を受けて、Drカオスが面白そうに続ける。
「どうした? 天才錬金術師を前にしたからといって、そう萎縮することもあるまいて。ただ、わしはちと嬢ちゃんに聞きたいことがあるんじゃよ。――おぬしの兄、ハーディー・クラッセの行方をな」
 予期しない名を、これまた予想だにしなかった人物から聞き、ジゼルが思わず叫ぶ。
「何故、あなたが兄の名を知っているのっ!? それよりも、あなたこそ兄の行方について何か知っているなら、教えてちょうだい!」
「ふむ。どうやら調査のとおりに、嬢ちゃんもまだ、奴の所在がつかめていないか」
 彼女の反応に、一人納得するDrカオス。
 全く今の状況についていけない唐巣が、ジゼルとDrカオスどちらにともなく言う。
「一体どうなっているのか、私にわかるように、説明してくれないか? ふたり共に、そのハーディー氏に用件があるのまでは、何とかわかるんだがね」
 さて、どうしたものかという表情を浮かべたDrカオスと、私こそこの状況を整理したいわよ、という目つきのジゼル。
 完全に蚊帳の外で混乱している唐巣と、浄化結界内でグロッキー状態のベリアル。
 三人と一匹に、妙な沈黙が降りる。
 沈黙を破ったのは、無機質なしゃべり方の少女だった。
「Drカオス。屋敷外に・多数の車両を確認・エンジン音から・軍警察の装甲車と断定」
「いかん、わしの予想よりずいぶん早いな。マリア、完全に包囲されるまでどのくらいじゃ?」
「最速で・251秒です」
 またしても、唐巣の想像を超えた状況が開始されたらしく、今の彼に唯一理解できたのは、目の前の少女こそが人造人間のマリアであるという事だった。
 それにしても、何と筆舌し難い存在であろうかと、唐巣は今の状況も忘れて一人心の中で感嘆する。確かに良く見れば、頭部にアンテナらしきものや、ハイネックのコートからのぞく首の接合線などには気づくであろうが、しかし、どこからどう見ても彼女は人間であるとしかいえなかった。
 隠れSFファンである唐巣は、このような存在を生み出した目の前の老人に対し、畏敬の念を抱かずにはいられなかった。
 その場違いな唐巣の思いをよそに、事態は進展していく。
「さて少々わしのほうの都合で、今日はここいらで退散させてもらうが、ここで知り合ったのも何かの縁。もし、嬢ちゃんが希望するならば、一緒に逃げるのにやぶさかではないが、どうじゃ?」
 Drカオスが、意味ありげに言う。 
「もちろん、お供させていただくわ!」
 ジゼルが即答する。 
「で、そこの若造はどうする?」
 Drカオスが心底、ついでにといった感じで聞いてくる。
「私は……」
 返答に窮してしまう唐巣。
 どうやら、Drカオスもハーディーを探しており、ジゼルの事情も全て知ったうえで、手を組むことを提案してきたようだ。
 唐巣にとっては、これ以上関係の無いごたごたに巻き込まれるのは、かなりつらい。
 ここで降りてしまえば、軍警察がどうとかマリアが言っていたが、多分今までどおりの日常に戻るのは比較的簡単であろう。
 しかし、私はこの先を知りたいのだと、唐巣は思う。このまま何事も無かったように、いつもどおりの日常に戻ることが出来るほど、彼は器用な人間ではなかった。
 唐巣の一瞬の葛藤の間にもDrカオスが、マリアにつかまるようにジゼルに指示を出し、それに素直に従っている。
 ジゼルは何も言わずに、唐巣をじっと見つめていた。
 そして、唐巣は決断する。
「もう少しだけ、この混乱極まる夜会に付き合おう」
「ありがとう。――それでは、さあ、手をお取りになって」
 満面の笑みを浮かべ、おどけたようにジゼルが答えた。 
「それじゃあ、撤退するかの。やれ、マリア」
 唐巣がマリアにしっかりつかまるのを確認し、Drカオスが命じる。
「イエス・Drカオス」
 彼に言われるままに、いくぶん力強くマリアが答える。左腕にDrカオスを抱え、首からジゼルがおぶさるようにしがみつき、唐巣がその細腰に両腕をまわすというなんとも情けない恰好のまま、マリアの空いている右腕が書庫の天井に向け持ち上がる。
「レディ・エルボーバズーカ。ファイヤ」
 マリアが感情無く言うと同時に、右腕が関節部分からきれいに裂けて折れ曲がり、バズーカ砲が発射される。一瞬の閃光とその後の爆音と共に天井が吹き飛び、瓦礫が舞い散いちり夜空がのぞく。
 そして、マリアは足の裏からジェット噴射を盛大にはき出し、一同は、星の煌めく夜空へと飛び出していった。
 屋敷の周りはすでに、武装した軍警察の人間が大勢取り囲んでおり、突然屋敷の天井をぶち抜いて飛び出してきた三人と一体と一匹に驚き、蜂の巣をつついたような騒ぎになっている。
 流石に三人は重いのか、地上から50〜60メーター程しか高度が出ておらず、手を伸ばせばすぐ下にいる人間に触れそうな気がする。
 マリアにしがみつき、地上のその騒ぎを見ていると、唐巣は何故か爽快な気分に包まれた。
 地上から自分達に向けて発砲が開始され、すぐそばを弾丸がかすめていく。
「うわっ! 撃ってきた!」
 先程の爽快さが消し飛び、冷や汗をかく唐巣。
「まあ、余程運が悪ければ、あたるかもしれんがな」
 余裕で答えるDrカオス。
 何度目かの弾丸がそばをかすめていった後、唐巣がぼそりと呟いた。 
「……ああ、確かに。最近の私は運が悪かったのを、今改めて思い知ったよ……」
 唐巣は左わき腹に、殴られたような衝撃を受けつつ、その部分がじわりと熱くなるのを感じていた。
 自分等の高度が上がるほどに、わき腹の痛みが増してゆき、意識が遠くなる。
 ベリアルが血の匂いに気づき、隣にいるジゼルが唐巣に向かって何か叫んでいる。
 彼女の声はすでに唐巣には聞こえておらず、彼は何か一言つぶやくとそのまま気を失った。


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