椎名作品二次創作小説投稿広場


天使と戯れ悪魔と踊れ

第一話「開演はささやかに」


投稿者名:矢塚
投稿日時:03/ 2/21

 イタリア南部の街ナポリから、さほど離れてはいない場所にこの町は位置している。この町を訪れた旅行者は、まさにイタリアの田舎町といった風情を満喫でき、心休まる一時を得ることが出来るだろう。
 だが、その日は朝からじっとりと纏わり付く様な空気が、町中に充満していた。
 深夜の2時をまわったこの時間帯、場所が場所なら例外無く幽霊や妖怪といった類のものに出会えるであろう雰囲気がますます濃くなる。人々もそれを本能で感じているのか、普段なら泥酔しつつもふらふらと町中を徘徊する酔っ払いの類や、もっと小暗い理由で町角に立つ者の姿すらない。
 その静まり返った町の中心から、かなり離れた小高い丘の上に建つこの屋敷の周りは、ことさらに薄ら寒い気配に満ちていた。かつてはかなり裕福な一家が居住していたらしいが、一家8人全員が押し込み強盗に惨殺されて以来、夜な夜な幽霊が出る屋敷として今日に至る。
 長い年月にわたり手入れというものを全くされていない為か、屋敷というよりも廃屋と呼ぶにふさわしかった。
 しかし、その幽霊屋敷からは今、明かりという明かりが全て灯され、何年ぶりかの盛大な夜会でも開いているかのごとくに燦々と光が漏れていた。

「――汝に命じる! 速やかにこの場より立ち去れ!!」
 その幽霊屋敷の一室に、若い男性の叫び声が轟く。
 年の頃は20代半ばで、すらりとした体格に程よく筋肉がついている。少々冷たい印象を受ける切れ長の目に、たっぷりとした黒髪。
 全身をシンプルな黒の意匠で統一し、左手には聖書とおぼしきものをひらき携え、首からはロザリオをさげている。
 まさに教会付きのGSそのものであり、そうとしか見えない男性が先程からこの屋敷に巣くった悪霊相手に奮戦していた。
 かれこれたった一人で、2時間以上は戦っているだろうか。流石に疲労の色が濃い。
 彼の周りを取り巻き、隙あらばとり殺そうと狙っている悪霊は残り2体。除霊開始時には優に20体近くいたのを考えれば、この男性GSの実力がどれ程のものか容易に察することが出来る。
 残った2体が同時に仕掛ける。
 しかし、体に蓄積した疲労が動きを鈍らせ、それに反応しきれない。彼に纏わりつき、その体を締め上げる。
「うっ! ぐうっ!」
 男性の口から、うめき声が漏れる。左手の聖書が床に落ち、その場に片膝をつく。
 悪霊に羽交い絞めにされながらも、彼は最後の力を振り絞る為に集中する。
 命を落とすかどうかの瀬戸際で、研ぎ澄まされた精神集中を発揮する。
「――このっ! 立ち去れと言ったら……素直に立ち去れってんだよっ!!」
 集中して溜めた霊力と、残り少ない体力を振り絞り、絶叫と共に彼が悪霊を撥ね退ける。
 間を置く事無く腰の除霊用の札を納めたポーチから、破魔札二枚を鮮やかな手つきで抜き出し、残る2体に同時に使用する。
 破魔札がまるで引き寄せられるように、醜悪な形を成した悪霊に張り付き起爆する。
 一瞬の爆発とその爆風だけを残し、悪霊は跡形もなく消滅した。
 それを見届けた男性は、油断する事無く周囲の気配を探る。除霊中から何度も悪霊の数を確かめつつ戦っていたので、今の2体で間違いなく打ち止めのはずだが、それでも最後の最後まで気を抜かない。油断ほど恐ろしいものが無いのを、彼は良く知っていた。
「――よし、大丈夫だな」 
 しばらく周囲を探っていた彼から、安堵のため息が漏れた。
 最後の仕上げに、新たな悪霊が進入しないようにあらかじめ張っておいた結界を作動させる。
 当分の間、この屋敷そのものに染み付いた邪気を清め、霊的に安定すれば結界を除去して自然な状態に戻せばいい。
 今回の除霊の全作業を終了させた彼は、その場に仰向けに倒れこむ。
「つ、疲れた……それにしても紹介所の奴等、何が簡単な仕事だ! 資料に載ってた悪霊の数よりも、倍以上居たじゃないか……」
 心地よい疲労感の波の中で、ぶつぶつと愚痴をこぼす。あまりにも集中して除霊にあたった為なのか、ジンジンと耳鳴りがする。
 愚痴が終わるとうつ伏せになり、腰のポーチから一枚の書類とボールペンを取り出す。
 床に寝転がったままで、取り出した除霊報告書の記入項目を口に出しながらチェックしていき、最後に担当者欄に自分のサインをつける。
「――作業担当者。唐巣和宏、と」
 用紙をしまいこみ、また仰向けの姿勢になると、目を瞑り、今日の除霊における反省を兼ねた黙想をする。
 未だに耳鳴りがする。耳鳴りというよりは、何かの警報のようにも聞こえる。余程俺は疲れているのだろうかと、一人苦笑する。
 しばらく瞑想していた唐巣の目が不意に見開かれ、仰向けのままで腰の札入れを慌ててまさぐる。取り出した各種の札を数え、その種類を確認する。何度か確認作業を繰り返した彼から、悲痛な言葉が漏れた。
「ああっ! 一番高い札を二枚も! どおりで効きがいいと思ったよっ! くそっ! また赤字だ……いつになったら十分な資金が貯まるんだか……」
 心地よい疲労感から一転、沈鬱な気分に蝕まれる。もう、立ち上がる気力さえ萎えてしまっていた。
 体を横にねじり、膝を抱えて疲れに身をまかせてしまう。
 意識があいまいになっていく中、唐巣の心に何かが引っ掛かったが、睡魔の誘惑には勝てなかった。
 程なくして、心地よい眠りに彼は落ちていった。

 美神美智恵という女性と出会ったのが、およそ半年前になる。彼女との出会いは、それまで唐巣の揺れていた信仰を取り戻すに十分な事件の中である。
 その事件の中で彼女自身は、自らに宿った悪魔を駆逐し、事件の中心人物であり唐巣の友人でもある吾妻と結ばれた。
 彼女は、彼が今まで出合ったどの女性よりもタフで愛らしく、そのうえに羨ましい位の才能に恵まれていた。
 彼女に負けない実力を身につける為。
 やがて建てる自分の教会の建設資金を稼ぐ為。
 そして、彼女のことを少しでも忘れる為。
 彼は一人思う、私はきっと彼女の事が好きだったんだと。
 さまざまな思いが、彼を今この異国の地に立たせ、修行に駆り立てていた。
「私はその正義のヒーローになりたくて、GSになったんだから!」
 美神美智恵の啖呵が、唐巣の胸中を事あるごとにかき乱す。
 限りなく純粋で子供っぽいが、絶対の意志と決意の込められた台詞。
 彼女のGSであろうとする信念に対し、自分がGSであろうとする理由はどうか? かつての自分も彼女と同じく、力無く弱き者の為にその力を高めようとしていたではないか。
 しかし、結局はどうだ? 自分の信念と信仰の矛盾に悩み、心迷い、挙句には一方的に主と喧嘩をして教会を飛び出した。
 わがままな餓鬼以下ではないか。今思い出しても、情けない。
 だが、今は主と和解をし、信仰を取り戻している。あとはそう、自分自身と融和をするだけだ。
 自らの心を問い直す。
 唐巣にとっては実力や経験などよりはるかに大切で、ほとんどのスイーパーにとってはあまり価値の無いもの。
 彼がこの修行で真に求めるものは、言葉にも形にも出来ない曖昧なものであり、それゆえに彼の修行は終わりが見えず、ここ最近は苦悩する毎日でもあった。

 廃屋然とした屋敷の窓から日の光が差し込み、床で眠り続けていた唐巣の顔を優しく照らす。
 仄かなあたたかさに目を覚ますが、はっとした様子でがばりと飛び起き、あたりをきょろきょろ見回す。
「……そうだ、あのまま寝ちまったんだ……」
 固い床で寝た為に痛む節々をさすりつつ、ため息をつく。昨日張っておいた結界が良好に作動しているのを確認すると、よっこらせと立ち上がり、引き上げる準備に取り掛かる。
 引き上げの準備をする唐巣が、ふと、今いる部屋を見回す。
 何か、何かが気にかかる。そうだ、昨日も何か心に引っ掛かっていたのだと思い出す。
 ただの勘といってしまえばそれまでだが、GSという職業はこの勘をこそ大切にしなければいけない。
 勘などは鍛えるのが困難な上、天与に大きく左右されるので常に意識していなければ、すぐに錆び付いてしまう。 
 全てにおいて一流の素質を十分に持ち合わせている彼は、時間を惜しむ事無く、その違和感の正体を探る。
 意識を集中し、今いる部屋全体を眺めるように全感覚を研ぎ澄ます。
 耳の奥で、昨日の耳鳴りがまた聞こえてくる。
 感覚器官が拾い上げてはいるが、意識の中に投影されずに流れていく情報。目に映ってはいるが、見えていないもの。耳に入ってはくるが、聞こえていないもの。触れてはいるが、意識できない空気を感じるように、その違和感のもとを探り出す。
 かなり長い時間、部屋の中に意識を漂わせていた唐巣が、それに気づいた。
 部屋の隅のほうに霊体片が落ちている。昨日あれだけの数の悪霊たちを滅したのだ、霊体片の一つや二つ珍しいものではない。
 おもむろにそのかけらに近づき、しゃがみこんで手にとって見る。
 親指大のおおきさで、ひんやりとした手触りと薄汚れた昆虫の羽根のような見た目。
 やはりありふれた霊体の残骸にしか見えないのだが、しかし、何かがおかしい気がする。
 どこか、作り物めいた不自然な印象を受けるとでも言えばいいだろうか。
 しばらく悩んでいた唐巣は、ため息をまた一つつくと、それを腰のポーチから取り出した小さなフィルムケース状のものにしまい込む。
 ここで悩んでいても、これ以上答えが出そうも無かった。
 最後にもう一度、この屋敷の全部の部屋をチェックしなおして、唐巣はようやくここを後にした。
 屋敷から外に出ると、日はすでに高く昇りつつあり、町に続く小さな一本道を下りながら周りの景色を眺める。
 その風景は、ここがやはり異国の地であることを思い知らせ、彼に望郷の念を抱かせる。
 この国に滞在して、すでに半年近くが経つが、いまだに馴染む事が出来ない。
 少々ナーバスになりつつも、まず町に着いたら昼飯にしようと思い、自分はいつになったらこの国の食事に慣れる事が出来るのだろうと、日本食を懐かしみながら町まで歩いていった。


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