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冬の墓

冬の墓


投稿者名:みみかき
投稿日時:03/ 1/27


 山間の小さな山村、しかも異空間で外界と遮断されたここはまだ雪深い。
 しかも昨夜からの雪は隠れたこの場所を一層自然に近く埋めている。

 降りがマシになった頃合に横島はシロと二人で小屋を出た。
 防水仕様とはいえ、少し歩けばブーツの上から雪は進入してくる。
 だけど東京に降る雪と違って簡単に足を濡らす事は無いし、動けば大半は外に出てゆく。
 砂糖の様な雪を蹴り分けながら、二人は村を囲む山の一つへと向かう。

 長に聞いた村人の墓地はその山の麓にあるという。
 長は言う。肉体を失った者が淋しくない様に、またこの村を見守ってくださる様に村の近くに埋葬するのだと。
 エンゲル係数以外は十分に現代人な横島は、生活圏の範囲に自分達の墓地がある事に少し窮屈さを感じた。
 決して死者をぞんざいに思っている訳ではないが、ふと目を凝らせば、冥界の入り口であれ故人の存在した証であれ、墓地が目に留まる  というのは生きている者としては何気なく気不味い。
 恥ずかしさとか鬱陶しさというか、恥と罪を重ねて日々生きる人は死者にそうそう顔を合わせたく思わない。
 死者に対する恐れと、生きていれば物理的に隠せる羞恥を彼等には透かして見られているのではないかという感覚だろうか。
 散々霊的事象を体験した横島でも、いやだからこそ横島はこの村人達に僅かな憐憫を感じた。

 村人が通って道はできているはずだろうが、積もった雪を足で蹴り分け初めてそれを実感できた。
 横島にはその道が解る筈も無いので、ひたすらシロの後について行く。
 そのシロは、今日はいつものもの無駄な饒舌さが消えている。
 ただ喉の奥から規則的に白い息を吐き出して、大きく肘を振りながら歩いていく。
 シロがその視線の向こうに何を見ているのか、横島は想像しているので声は掛けないでいる。

 シロがタマモと事務所に来て、もうどれくらいになるだろう。
 もはや美神除霊事務所には欠かす事の出来ない戦力で。
 戦力?
 胸の内で横島は頭を振る。
 戦力というのは日々の糧や自分達の敵に対しての役割で、この言い方にどうしても納得がいかない。
 例え恥ずかしく幼稚に聞こえても、仲間であり家族であり友人であり。
 そこに何かしらの信愛の情があると横島は思いたいし、シロもそう感じてくれていると信じ、周りもそう思っていて欲しい。
 だけど、人の心はそれほど大きな器でないかもしれない。
 記憶なんて、それほど信頼できるものでないかもしれない。

 昨夜、生まれて初めてぼたん鍋という物を喰った。
 久々に帰ったシロの家を簡単に煤を払って、長の娘に頂いた肉と食材で夕飯を作る。
 長は初め自分の家でもてなすそうとしたが、驚いたことにシロが断った。
 長はなにかしら思案すると、娘を呼び食材を持たせた。
 囲炉裏の火を起こして暖を取りながら鍋をかける。
 肉から出る灰汁を取りながら、シロは横島に語りだした。
 自分は父の事を忘れていたと。
 横島やタマモや事務所の皆と忙しく幸せな毎日で、父を置いてきぼりにしてしまってたと。
 あんなに好きだった父なのに。
 あれほど愛してくれた父なのに。
 そして時折思い出しては、目まぐるしい一日の内に埋めてしまって、次は行こう、来週は行こうと幸せの中に戻ってしまって。
 親不孝な娘だと珍しく沈んでいた。
 結局一人ではばつが悪くて先生について来てもらったのだと。また背を向けてしまいそうで。
 互いに大きく泡立つ鍋から具を取りながら箸を進める。
 人間なんてそうそう立派なもんでもないからしかたがないんじゃないか。
 横島は主に肉を頬張りながらそう答えることにした。
 馴染みの店でもしばらく行かなけりゃ敷居を跨ぎ辛いし、自分だって大切な人をいつも心においているなんて
 うそ臭い事言えない。
 今こうして会いに来ているんだから、親父さんも怒らないんだろうと。
 ありがとう、とシロは答えた。
 そして大きく息を吸うと、先程の横島以上に肉を鍋からさらい出した。

 幾度か足を滑らせながらも、ようやく村の墓地と云われる場所についたらしい。
 林に入った少し開けた場所があって、そこに幾つかの雪の塊があり、よく見るとそれは両手を広げた程の大きさの自然石らしい。
 これが墓石で、そこらには二十個前後雑然と置いてある。
 その中には幾日か前に人が訪れたのか、周りの石よりも雪が薄く被さっていて、そこの周りも雪をどけた跡がある。
 だが殆どは雪が被さって石の地が見えない。大きな雪のこぶだ。
 しばらくあたりを窺って、シロは父の墓石を見つけたのか、真っ直ぐその内の一つに向かって進んだ。
 手袋越に石に被った雪を大きく払って、墓碑銘を窺う。
 そこには町でみる深く文字を掘った墓石ではなく、硬い石で傷を付けた拙い文字があり、
 それは確かに犬塚家と読める。
 横島も墓石の周りに立ち一緒に雪を払ってやる。
 濡れた石の肌が段々と露になると今度はその周囲の雪を足でできるだけ払い出す。
 なかなかの運動だ。
 一段落して墓石の前で暫く立ち尽くしていると、シロは跪いて手を合わせ深く頭を垂れた。
 まだ雪が残っているのに冷たくはないのかと横島は思った。
 ただ、シロ一人そうしているのが心地悪く、横島も傍らに膝をつき手を合わせた。
 やはり膝が冷たい。
 そうして暫くはその小さな墓地には言葉も無く、時折枝から雪が落ちる音だけが微かに聞こえた。

 その骨に凍みる冷たさの下にシロの父親は眠っている。
 この人狼の村の埋葬は土葬だそうだ。
 人生が終わると全てを自然に還すのが本当の流れなのだと、シロは父から教わっていた。
 横島はそろそろ膝が痺れてきたので、眼を開けて立ち上がった。
 傍にいるシロはまだ跪き祈り続けている。
 歯の震えがこめかみに伝わるほどの寒さなので、座り続けるシロの身体が心配になってきた。
 身体をここに残したまま、親父さんの所で話し込んでいるのかと思った。
 肩と背中に薄く雪が積もると、横島は時折それを払ってやった。

 実際、亡くなった肉親に土をかけるというのは、どういう気持ちなのだろう。
 まだ親に甘えたい盛りだったシロが、自分の手で横たわる父に土をかけて別れを告げるのは。
 愛していた人に自分で扉を閉ざすことは。

 中学に上がった頃、横島は祖母の葬式に出た。
 生気の無い顔にやや不自然な化粧を施した祖母に棺の蓋が掛けられると、大人達が石で釘を軽くこつこつと打ち付けてゆく。
 珍しく神妙な父親から石を渡されると、皆に真似て軽く釘を叩く。
 何か醒めた一瞬だった。
 こういうのは何か真面目にする作業ではないかと思った。
 ばあちゃんともうお別れなのに。
 何か不真面目に感じてやるせない。
 一通り石が参列者に回ると葬儀社の人が段取り良く釘を打っているので、なおさらそう感じた。

 父の理不尽な死の後、シロは敵を求めて村を飛び出した。
 けれども本当は、まだ父が眠ったばかりのこの村にいる事に耐えられなかったのかもしれない。
 まだ小さな手で父の敵を討ち果たす無謀とどちらが本当の動機なのか、
 今は知るべくも無いし、横島は訊きたいとも思わなかった。

 やっとシロは腰を上げた。
 ばさばさの髪の上と、尻尾とお尻に雪が積もっていたので、横島が払ってやった。
 ながらに随分と親父と話し込んでいたんだなと話しかける。
 シロは横島に体中はたかれるままで答えた。

 父の声は聞えなかった。
 霊力が上がった今なら応えてくれるかもしれないと思っていたのだけど、
 昔と同じく父の声はしなかった。
 だけども、
 それよりも自分は父に言わなければならない事が、伝えたいことが、沢山あったから
 ずっと父に語っていたと。
 そして一杯謝っていたのだと。
 父を愛しているし忘れるつもりもないのだけれど、幸せな自分の中に沢山の大事な人たちがいて、
 父上だけを考えてはゆけないと。
 そして、不幸な死を父が迎えたのに、今とても幸せな自分を許して欲しいと。
 それと、あとは沢山父上の事を思い出していた、そう応えるとシロは恥ずかしそうに笑った。

 まだ昼過ぎと思っていたが、空は僅かに闇が降りてきている。
 そろそろ村に着くが、元々人気の少ない処なので、山に帰る鳥の声以外は聞えてこない。
 山間の墓地から帰る二人は、少なくとも往路よりは足取りは軽く感じた。
 再び降り出した雪が行きよりも道を深くしてはいたが。
 雪は、風に踊りながら前後左右に、時折空に向かって舞っている。
 いつ地上に降りてくるのかわからない程谷間の風に掻き回されてながら。
 シロが駆け出した。
 声を掛ける前にシロが走る先に目を凝らすと、一匹のウサギがいる。
 そういえば、ウサギも食べた事なかったっけ。
 本能さながらに狩りを始めたシロを目で追いながら、横島はブルゾンに手を突っ込むと、
 姿焼き以外の献立を思い浮かべつつ、村への一本道を歩いた。


 (終)


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