47. では、質問でも…。 9gai 1998年11月03日 23時59分
なんで「十試」計画なの?


49. sat 1998年11月04日 00時08分

帝国海軍に倣いました。
航空機の計画機には元号からとります。
あの「零戦(れいせん)」も最初は十二試艦上戦闘機(昭和12年の計画)です。


53. 9gai 1998年11月06日 13時57分

年間に2つ以上計画されたら、「十試第二」とかいうのかな?


54. sat 1998年11月07日 23時45分

それはちょっと…わかりません。そのような例がなかったような気がします。
いくつかの企業で競争試作させるときはすべてが同じ名前で、
その中から1つが採用されます。でも、九七艦攻のときは中嶋と三菱の試作機の性能が
非常に似通っていてどちらも性能がよかったので、制式化した時の名称が
「九七式1号艦上攻撃機」(中島製)、「九七式2号艦上攻撃機」(三菱製)というふうに
なっていました。普通はこんな使い方しないのですが。


55. きば 1998年11月08日 00時17分

97式3号艦上攻撃機(中島製)もありましたね。
搭載エンジンが、1号は 「光」3型
2号は 「金星」43型
3号は 「栄」11型
でした。

中島(1号,3号)の製造数は、1,250機以上。
三菱(2号)の製造数は、125機(150機?)です。


56. sat 1998年11月08日 23時14分

九七艦攻は採用当初、1号が引き込み脚、2号が固定脚でした。3号はきばさんの解説どおり
1号の改良版で、真珠湾攻撃時にはこの3号が活躍したのです。
三菱製の2号が非常に少数しか生産されていないのは、恐らく固定脚だから?

そういえば、九七艦攻に非常によく似た九七式艦上偵察機というものもありましたね。


57. きば 1998年11月08日 23時57分

九七式艦上偵察機って、試作2機で製造中止でしたね。


58. sat 1998年11月10日 00時37分

あれ?もうちょっと多くありませんでしたか?ちゃんと制式名称がついているので、
試作で終わったような気がしませんが。調べてみます。


59. きば 1998年11月10日 23時54分

十試艦攻と共に空母実験の後、実用審査のため華中方面に派遣され、
陸上偵察機として使われ、12年9月の制式採用で九七式艦上偵察機となったが、
海軍は本機よりも約2ヶ月遅れて採用になった九七式艦上攻撃機(B5N1)を
偵察に兼用する方針を採り、この方を重点的に生産するため、
九七式艦偵は制式機と決定しながら、試作2機で中止となった。

と私の資料ではなっています。


60. sat 1998年11月11日 00時29分

はい。その通りでした。九七艦攻にやられて、量産されなかったようです。
その後大陸に送られて活躍したとか。九八式陸偵より速度は遅いが、
九七式艦偵のほうが着陸性能がよく、評判は良かったようです。

# もっと、精進せねば。


61. 9gai 1998年11月11日 10時33分

 「九七式」とか「九八式」とかいうのは、単に通し番号なんですか?
でも攻撃機と偵察機で同じ番号って、ややこしそう…。


63. sat 1998年11月11日 10時37分

単に通し番号ではなくて、正式採用された年の皇紀年号の下2桁です。
で、同じ番号のやつはいっぱいありますが、それに関しては、
アメリカが相当困ったらしく、独自に愛称をつけています。


65. きば 1998年11月11日 23時47分

愛称は、「Kate」でした。


66. sat 1998年11月12日 01時29分

でも、なぜか女性なんですね。確か「Zeke」だけは女性ではないようですが。
あと桜花は「Baka」とか。結構でかい英英辞典にはZekeとBakaが載っているそうです。
調子に乗って「Spitfire」を英和辞典で引くと「がみがみ女」。
まあ、7.7mm機銃8挺はまさに「がみがみ」ですが…。


73. 9gai 1998年11月19日 12時55分

>に通し番号ではなくて、正式採用された年の皇紀年号の下2桁です。
>
では、零戦というのは皇紀2600年製?



sat/谷山 重亮 sat@kcn.ne.jp