以降は過去の<今月の法話>です
仏典に見る喩え話(6)

「金のライオン」(暮らしの中で生きてこそ値打ちも分かる)(『華厳経金師子章』)

 『華厳経金師子章(けごんきょうこんじししょう)』という書物には、「金獅子の譬喩(こんじしのひゆ)」が登場します。
この書は、賢首大師法蔵(げんじゅだいしほうぞう)という人が、則天武后(そくてんぶこう)のために『華厳経』を説いたとき、その奥義が理解されなかったので、傍らにあった黄金の獅子を喩えとしてその道理を説いたところ、たちまち理解されたので、それを『華厳経金師子章』としてまとめた、といわれている書物です。この「金獅子の譬喩」は、衆生(しゅじょう=生きとし生くるもの)に対する如来の救済のはたらきを、直接示している点でとても重要な譬喩です。

 金は真如法性(しんにょほっしょう=ものごとのありのままのすがた;仏のさとりの内容)の体(たい=ものがら)を表し、金の獅子はその用(ゆう=はたらき)を示します。金鉱石をそのまま手にしてもその価値はほとんど分かりませんが、巧みな技術によって金の獅子となればその価値が知られるようになります。

 それと同じく、真如法性のものがらは、直接には衆生にとってほとんど意味をなしませんが、仏はそんな私たちのために、自ら私たちの目にかかるように、私たちの耳にかかるように、立ち現れて下さっているのです。
 これを浄土真宗では「垂名示形」(すいみょうじぎょう=名を示し形を表すこと)と呼び慣わしています。
親鸞聖人は『一念多念文意(いちねんたねんもんい)』に、「この如来を方便法身とは申すなり。
方便と申すは、かたちをあらはし、御名をしめして、衆生にしらしめたまふを申すなり」といわれています。
「南無阿弥陀仏」のお名号は、私の口で称えるお名号であっても、実は仏さま自らが、私を救うはたらきとして、私の口に出て下さっている、そんな考え方が、浄土真宗にはあるのです。


仏典に見る喩え話(5)

火宅(かたく)(この世はあたかも燃えさかる家のようなものである)

(『妙法蓮華経』「譬喩品」)



 『法華経』には、法華七喩といって、七つの有名な譬喩が登場します。ここではその第一「火宅の譬喩」について説明しましょう。「火宅」とは、親鸞聖人の『正像末和讃』にも『歎異抄』にも登場する用語で、この迷いの世界を燃えている家屋に喩えるのです。



 燃えさかる家の中で、三人の子供たちが何も知らずに遊んでいる。親(仏)は家の外から、早く外へ出るように叫び続けるが、子供たちは遊びに夢中で一向に出てこようとしない。思いあまって、親は「外にはもっと楽しいおもちゃがあるぞ」と叫び、それぞれ羊の車(三乗の声聞乗)、鹿の車(三乗の縁覚乗)、牛の車(三乗の菩薩乗)を与えることを約束する。子供たちが外に出ると、親はどの子にも大白牛車(だいびゃくごっしゃ)(一乗の菩薩乗)を与える。これに乗りさえすれば、いかなる人も、同じ一乗のさとりを得られるのである。



 この譬喩の場合も方便(ほうべん)を説いています。何も気づかない人に気づかせるには、その人の最も好むものを用いるのが最も有効な方法です。今の場合は、実際には法華一乗の教えを説くのですが、とりあえずはそうはいわないで、それぞれの好みにあった三乗の教えを仮に示しておくことをいいます。

 ところで、デンマークのキルケゴールという人の書物に、これとよく似ているが結末は全く逆の悲しい例え話が出てきます。ある劇場で火災が発生しました。建物の裏手で火がついたとき、最初にそれを発見したのは、サーカスの道化師でした。道化師は、ステージに上がり、満員の客に向かって、「火事だ、みんな逃げろ」と叫びました。何度も叫びましたが、観客は、それを道化師のいつもの演技だと思いこみ、誰もすぐに逃げだそうとはせず、やがて建物全体が火に包まれ、みんな焼け死んでしまいました。

仏典に見る喩え話(4)                        宇野惠教

天人の五衰(てんにんのごすい)(天国の人々にも五つの衰えがある)
(『倶舎論』巻十、大正蔵、巻二九、五六頁下)
(『往生要集』巻上(浄土真宗聖典、註釈版、七祖篇、八三七頁〜八三九頁)
 天人の五衰(ごすい)のお話は、すでに古いインドの経典にも出ています。

 天人とは天上に棲む神々のことです。特に六欲天という六種の欲界の神々が有名で、いずれも美しく、動きがスピーディで、しかも長生きなのですが、あくまで迷いの世界の衆生ですから、仏のように輪廻を越えた存在ではありません。五衰とは、これらの天人が、長く生きた後、いよいよ命の終わるとき、それまでには現れることのなかった五つの衰相を現すことをいいます。それは、@長く萎むことのなかった頭上の華が萎み始める、A汗など出ることはなかったのに腋の下から汗が出る、B美しかった衣装(天人の羽衣)も汚れ始める、C身に臭気を生じる、D自分の座る場所がきちんと有ったのに本来の座を失い適当な座に座ることになる、の五つです。そして死の瞬間は、地獄の苦よりもはるかに苦しい苦を味わねばならないとされます。

 これらは現代の老成し退廃した文化に喩えることができます。『六道絵』というものを見られたことがあるでしょう。地獄の情景を画いたものは『地獄草子』、餓鬼道は『餓鬼草子』に表されています。人間界を画いたものは『病(やまい)の草子』です。そこには暑気あたりから歯周病までさまざまな病のようすが画かれています。つまり人間界というのは、病のある世界、すなわち生・老・病・死の世界です。一方、天人の世界には病はありません。私たちは、現代の医学によって、病と闘い、病を根絶しようとして、天人の世界(天国)を目指しているのです。しかし、仮にそれが達成されたとしても、そこに待ち受けているのは、実は天人の苦しみの世界、生・老・死の苦しみの世界です。

今月の法話

 

仏典に見る喩えばなし(3)              宇野惠教

 黒白二鼠(こくびゃくにそ)

(黒と白のネズミ)(『仏説譬喩経』大正蔵、巻四、八〇一中)


曠野を旅する人、悪象に逐われ、逃げ場を失う。ふと見ると空井戸があり、傍に樹の根が生えている。根に掴まって井戸の中に身を潜めると、そこには黒と白の二匹の鼠がいて、根を齧っている。井戸の四辺には四匹の毒蛇がいてその人を狙い、井戸の底には毒龍がいて、もし根が断たれるようなことがあれば毒龍に呑まれることは明らかである。ところが根の傍に蜂蜜があり、五滴の甘い汁が繰り返し口の中に落ちてくる。しかし樹が揺れると蜂は飛び回りその人を襲うであろう。野火が来たればその樹を焼いてしまうかもしれない。王よ、曠野は無明長夜に、旅人は我ら衆生に、象は無常に、井戸は生死に、樹根は寿命に、黒白二鼠は昼夜に、根を齧ることは寿命が念々に滅することに、四毒蛇は地水火風の四大に、五滴の蜜は色声香味触の五欲に、蜂は邪思に、火は老病に、毒龍は死に、それぞれ喩えられよう。

  小さいころ、はじめてこの話を聞いたとき、夜は黒いネズミとなり、昼は白いネズミとなって、本当に自分の生命をかじっているような恐ろしい気がしたものです。さらに大人になって、トルストイの『わが懺悔』という本を読んだとき、この話が引かれていました。そこには、「ひとたび毒龍に気がついたなら、いま口にしている蜜がもはや甘いなどと思えなくなった。自らの死から目を離すことはできなくなった」とありました。しかし仏典では、死に気がつきながらも、いま口にしている密の甘さに目を奪われていると示されています。

 したがって、この喩えの急所は、たまたまそこにあった蜜の汁を甘い甘いといって舐めている、その浅ましさにあるのだ、ということに気づきました。

 次回は「天人の五衰(ごすい)」というお話を紹介する予定です。ご期待下さい。

今月の法話」

仏典に見る喩えばなし(2)                 宇野惠教



(2)第二の矢を受けず(『相応部経典』三六・六「箭」)



 前回は、キサーゴータミーという、子どもを亡くされた女性のお話をいたしました。今回は、自ら行った行為に対しては、突発的なことであっても、常に自らの正しい対応が求められるという話です。矢をもちいた喩えといえば、「毒矢の喩え」(毒矢に撃たれたなら、毒や矢の分析をする前に、まずその矢を抜きなさいという教え)が有名ですが、ここでは同じ矢の喩えでも別の喩えを紹介しましょう

 比丘らよ、未だ教えを聞いていない人と、すでに教えを聞いた人との違いは何であろうか。比丘らよ、未だ教えを聞いていない人は、苦の体験を受けると、嘆き、悲しみ、疲れ果てて、ますます混迷するに至る。それはちょうど第一の矢を受けた人が、さらに第二の矢を受けるのに似ている。それに対して比丘らよ、すでに教えを聞いた人は、苦の体験を受けても、嘆かず、悲しまず、疲れず、混迷するに至らない。それは第一の矢を受けても、第二の矢を受けない人に似ている。

 宗教は、最初に起こる災難を逃れるためにあるのではありません。そんな宗教はまやかしであるといってもよいでしょう。智慧の宗教である仏教は、第二の矢から逃れさせるために存在します。

わたしの友人で、夜おそく歩いていて車にはねられ、危うく命を落としかけた人がいます。彼は道路わきの水路に転落して気を失い、かなり出血していました。彼を助けたのは、実は彼をはねた車の運転者でした。この運転者は、彼をはねた後、ひき逃げしようとしたのですが、思い直して大急ぎで戻り、彼を病院に運んだのです。彼を見舞ったわたしに、彼は苦笑いしながら、こう言ってくれました。「最後は自分をはねた人に感謝することになった」と。

この事故で第二の矢を受けなかったのは彼ではありません。彼をはねたあと、ひき逃げ犯にならずに踏みとどまった運転者その人なのです。



 次回は「黒白二鼠(こくびゃくにそ)(黒と白のネズミ)」の話を紹介する予定です。

仏典に見る喩えばなし(1)

宇野惠教

  仏典は喩えばなしの宝庫です。誰もが知っておきたい有名なお話がたくさんあります。また宗教上の疑問が解けないとき、喩えで示されてはじめてピンときたこ となど、私たちの聴聞は、喩えばなしによって肉付けされ味付けされる、といっても過言ではないでしょう。そこで、当瀧上寺ホームページ「今月の法話」欄で は、これから数回にわたって、それらの喩えを取りあげ、少し解説してみることにします。

 また喩えばなしは、方便(ほうべん)ということに、関係があります。方便とは、仏さまが巧みな手だてによって人々を導くことをいいます。仏さまは、巧みな喩えを用いて、迷いのわたしたちをさとりの真実へと導いていかれるのです。

 

(1)キサー・ゴータミー(『長老尼偈』二一三〜二二三偈の註)

 

そこで今回は、キサー・ゴータミーの話をしましょう。

彼 女は舎衛国の貧しい家に生まれ、痩せていた(キサー)のでキサー・ゴータミーと呼ばれていた。あるお金持ちの家に嫁いだが、長く子が生まれず、家の者から は白い眼で見られていた。やっと男の子が生まれたが、間もなくその子が死んでしまったのである。彼女は半狂乱になり、死んだ赤ん坊を抱いて「この子に薬を ください」といって街中を歩き回った。憐れに思った人が釈尊のところへ行くことを勧めると、彼女は喜んで釈尊のもとを訪ね「この子を生き返らせて下さい」 と頼んだ。釈尊は「よろしい。わたしが生き返らせてあげよう。村へ行って芥子の実をもらっておいで。ただし今まで一度もお葬式を出したことのない家の芥子 の実でないと効果はないよ」といわれた。インドでは香料をよく使うから芥子の実はどこにでもあるが、未だ一度もお葬式を出したことのない家の芥子の実はついに得ることができなかった。

実際に芥子の実によって赤ん坊が生き返るわけではありませんが、釈尊はむしろ母親のキサー・ゴータミーの命を救うために、最善の手だてを用いられたので す。悲しみを乗り越えるのは、理屈ではありません。彼女は街の中を歩き、家を一軒一軒訪ねて回ることによって、「悲しいのは自分だけではない」ということ に気づき、それによって自分と他者を平等に見る心が芽生え、わが子とわが子の死に対する見方を、少しずつ変えていくことができたのです。

次回は、「第二の矢を受けず」という喩えばなしを、お届けする予定です。


靖国神社問題について

 つい先日、小泉首相が、マスコミの質問に答えて、「中国・韓国に配慮せよ、という人たちが、私の靖国参拝に反対しているのだろ。」といわれたことがある。
わたしは、ラジオでこのことばを聞き、「そんなことはない」と思わずツッコミを入れてしまった。

浄土真宗に属するわたしたちが、靖国神社国家護持法案や首相の公式参拝に反対しているのは、何も「中国・韓国に配慮」しているからではなく、「A級戦犯を合祀しているから」でもなく、戦没者の方々は、別段、靖国神社にお祀りしなくとも、家々のお仏壇、村々のお寺でお祀りすればよいと考えるからである。

実際、私たちの町では、仏教団の主催によって、五十年忌を大きく過ぎた今でも、各宗派合同で、各寺持ち回りで、戦没者の追悼法要を営んでいる。それには町長も議長も参列される。

 ではなぜ靖国神社なら反対で、地方の一寺院ならかまわないのか、といえば、それはやはり、靖国神社が、一宗教法人であるにもかかわらず、各宗教の枠を超えて、戦没者追悼のための、もしくはそのためだけの、国家規模の公的機関たらんとしているからである。だから首相が「公人・私人関係無しに靖国に参拝する」といわれるのには、少々無理があり、たとえば、ご自分の出身地の村の社に、「私人として参拝する」といわれるのであれば、何も問題はないはずである。

宗教は常に「私」的なものであって、決して「公」の一員であってはならないというのが、戦後一貫して日本国民が遵守してきた憲法第二十条の精神である。靖国神社もその例外ではない。
    それでも「清め塩」なんていらない

 去る4月29日の産経新聞全国版に、京都府の宮津市が、宮津市教委の発案で、葬儀の際に用いるいわゆる「清め塩」は、できるだけやめましょう、というチラシを、火葬許可などの申請に来られた人に配布している、という記事が掲載されていた。
宮津市の説明は、生きておられるときは、愛情と敬意をもって接してきた家族や身内を、亡くなったとたんに、何か穢れたもののように扱うのは、人権尊重の上からも問題があり、亡き人をかえって冒涜することにつながるから、というのである。
私は、この記事を、門徒の方に教えてもらって読んで、我が意を得たりと思い、宮津市に拍手を送りたい気持ちになった。
しかし同時に、一市民の意見として、これは、宮津市当局の、個々人の死者儀礼の営みに対する「介入」であり、伝統的に受け継がれ守られてきた神道を中心とする風習を損なうものである、というコメントも載せられていた。
しかも、そのような「啓発」を市が行うことは、やはり政教分離を定めた憲法の精神にも反する、という憲法学者のコメントまで、付け加えられていた。
 そして、同じく5月3日の産経新聞に、この宮津市の広報活動が、マスコミに取りあげられた結果、全国から抗議の電話や手紙が相次ぎ、宮津市も、今後はそのようなチラシを配布することを断念した、という記事が載せられた。
 このような経過には、なにか釈然としないものを感じる。
そもそも、はじめの記事が掲載されなければ、全国からの抗議もなかったはずであり、その場合、宮津市は、旧来の迷信や因習に囚われない健全な葬儀のあり方を、つつましく市民に伝えていく良識ある活動を、やめる必要もなかったのである。
清め塩をしてきた人は少数派で、伝統や文化を守ってきた人たちであり、市当局は「権力」をもってそれに「介入」した、と見るのは、全く逆であり、実際は、マスコミの記事によって、全国の清め塩擁護派が、宮津市の小さな取り組みを「抹殺」してしまったのではないだろうか。
 私たち浄土真宗の門徒は、あくまで、「清め塩」や、出棺のときに茶碗を割る風習(あなたの食べる茶碗はもうないよと死者に知らしめる行為であるといわれている)等を撤廃する運動を進めていく。
それが真に良識ある運動であるなら、人々の理解も自然に得られるはずであり、マスコミの「援助」も、行政の「介入」も、本当は必要でないはずである。

義経橋(よしつねばし)と千本川(せんぼんがわ)
 奈良県吉野郡吉野町から宇陀郡大宇陀町に入るとすぐ、牧(まき)・栗野(くりの)という集落があり、そこに義経にまつわる伝説が多く残されている。牧は、義経の母、常磐御前の生地であったという説がある。たとえば義経が兄頼朝に対して、自らの潔白と兄弟の情を切々と訴えた有名な「腰越状」にも、「父義朝、御他界のあいだ、実なき子となり、母に抱かれ、大和宇多郡竜門の牧に赴きしより、一日も安堵の思いに住せず」などと記され、「牧」という地名が出てくる。

兄頼朝の軍に追われる身となった義経は、弁慶らわずかな数の郎党とともに吉野に入り、さらにその吉野からも逃れる途中、再び母の実家のあった牧に立ち寄り、村人から食事の接待を受けた。その時、近くの小川に箸千本を流した、と伝えられている。箸千本(つまり五百膳の箸)というのは、大勢がそこで兵糧を使ったように見せかけ、追っ手に兵の数を多く見せるためであったというのである。

現在でも、国道370号線を通って牧へ行くと、千本川(せんぼんがわ)という川が流れていて、近くに千本前というバス停もあり、短い橋の傍らに太く「義経橋」と掘られた石の道標が立っている。(写真)

吉野地方は、昔から吉野杉を利用した割箸の生産が盛んで、この伝説も、箸と吉野地方との深い関係を思わせ、興味深い。

吉野郡下市町では、11月3日(文化の日)午後2時ごろより、下市町観光文化センターにおいて、平成17年度下市町文化連盟芸能発表大会参加作品として、「義経」という構成吟が吟じられる。その最初の一節を紹介させていただくと、

源氏の大将、源義朝は平治の乱で平清盛に敗れて討ち死にしました。義朝の妻常磐は、平家の手を逃れんと今若七歳、乙若五歳、牛若一歳の三人を連れて、大和の国は吉野、竜門の里へと、吹雪の中をさまようのでした。道中、乳を求めて泣く、牛若・・・・

常磐、孤を抱くの図に題す    梁川星巌作

雪灑笠檐風巻袂  呱々索乳若為情  他年鐡拐峰頭険  叱咤三軍是比声
仏さまが教えてくれること

 寂天(シャーンティデーバ)というインドのお坊さんは、皮肉たっぷりに、「もしあらゆることを知っている予言者を尊敬しようと思うなら、まず空を飛んでいるトンビに礼拝しなさい」と言っています。

空を飛んでいるトンビは、その時道を歩いている人間よりも、多くのことを知っている(今どこにミミズがいてどこにカエルがいるかまで知っている)。

だから全知全能の予言者を尊敬しようと思うなら、トンビに礼拝しなさい、というのです。
私たちは、いつも知りたがっています。
地震がいつ起こるのか、どの会社の株が一番もうかるのか、どうすれば病気が治るのか、・・・。しかし、仏さまは一向にそんなことを教えてくれません。
未来のことは仏さんでもわからないのでしょうか。

仏さまは、あらゆることをご存知なのですが、お教えにならないのです。
仏さまが、教えて下さるのは、地震がいつ起こるか、どの株がもうかるのか、というようなことではなく、どうすれば人と人とが仲良くなごやかに暮らせるのか、生きがいをもち思いやりをもって生活するにはどうすればいいのか、病気でも幸せな人がいるというけどそれにはどうすればいいのか、などを懇切丁寧に教えてくださるのです。

宗教の力で、病気が治ったり、お金が儲かったりするわけではない、というのは、どういうことかというと、人生において、本来自分が持っているものを、宗教の力でどうにかしようというよりも、それをどう扱うか、どう使うかなどについて、人と相談し、答えを出すために、宗教があるということなのです。

そんなとき、仏さまや親鸞さまにお尋ねして、自分を正しい方向に修正していかなければなりません。
「冥福を祈る?」

 世間で何気なく使われていることばでも、仏法の上からは間違っていて、しかも物事をよく考えさせずにインスタントな解決で終わらせるいい回しがあります。
「土に帰る」「どの宗教も行き着く先は同じ」「地獄・極楽この世にある」「魚は人に食べられて成仏する」「死んだらしまい」などです。
今回はその中で「冥福を祈る」を取りあげます。

 以前にお配りしたカレンダーの標語に、「浄土往生人に冥福を祈る必要はない」というのがあって、それについていろいろな反響がありました。
その中で一番多かった意見は、「何故そんなことをいうのか、意味がよくわからない」というものでした。
「亡き人の冥福を祈るのは当たり前じゃないか」「遺族の自然な感情じゃないか」といわれるのです。
現在、靖国神社への首相の参拝についても同じようにいわれています。
しかし「冥福を祈る」という言い方に対しては、浄土真宗から見た場合、三つほど違和感があります。それは
@「冥」(暗いところ、あの世という意味)、
A「冥福」(あの世での亡き人の幸福という意味)、
B「冥福を祈る」(あの世での亡き人の幸福を私が祈るという意味)の三つです。

私たち浄土真宗の門徒は、暗いところへ行くのではありません。
行き着く先は浄土であり無量光明土です。
それもただ単に死んでからの幸福のために行くのではありません。
お浄土にお参りして仏となり、あらゆる人を済度(救うこと)させていただくのです。
そしてそのこと全部が、阿弥陀仏の本願によって願われてのことであり、祈りによってそうなるのではありません。
「祈り」は、止むに止まれぬ切ないものではあっても、残念ながら仏の願いに立ち帰ることがなければ、結局は空しい徒労感に行く手を塞がれてしまいます。
よって「冥福を祈る」を、浄土真宗のみ教えによっていい換えれば、「亡き人も私もともどもに浄土に生まれてこいよといわれる阿弥陀仏のご本願を信じて日々を送らせていただく」ということになります。
あるいは、お葬式の場合には、「謹んで哀悼の意を表します」「謹んでお悔やみ申し上げます」というのが正しいのです。
見えないもののありがたさ

 先月29日、当山の総会のとき、大勢の方々のお世話で、Nova Jazz Orchestraによる、ジャズ・コンサートが、本堂を会場に開催された。金色のトランペット、トロンボーン、サックスなどが、内陣の金色のお荘厳に映えて、何ともいえない明るい雰囲気を醸し出し、スターダストに始まるジャズの名曲の数々が、聴衆を魅了した。

 そのときの模様は、下市テレビで二時間にわたって放映されたが、その後ビデオにとって何度見ても飽きることがなかった。
私は、今まで、どちらかというと音楽よりも絵画の方が好きだと思っていたが、その時始めて、耳で聞いたものには、後に形のあるものが何も残らないという、途方もないメリットがあるということに気が付いた。
第一、後かたづけが何もいらない。耳の奥に心地よいサウンドが、残るだけである。

 私たちの浄土真宗は、「聞即信」(もんそくしん)、つまり聞くことと信じることとは同じだ、という。
この場合、聞くというのは、布教使の先生のことばの一々の意味を聞くということではなくて、南無阿弥陀仏のお名号を、阿弥陀さまの呼びかけとして、そのまま頂くということである。
それを、そのまま聞きさえすれば、後には何も残らない。
私がマスターしなければならないものは何一つない。いわばすべてのことがらが私のものとなっていて、山々の緑も、先に考えたことの中味も、すべて五感によって、「聞かせて」いただいて、私の体内に流れ込んでくる。


3月の法話

昨日3月13日、長尾雅人(がじん)先生が亡くなられた。
5月に白寿(99歳)のお祝いをしようとされていた矢先だった。
東(東大)の中村元、西(京大)の長尾雅人と称されるほどの、世界的に有名な仏教学者だった。
先生が京大で定年を迎えられて後、龍谷大学の大学院に来られ、その間五年ほど、無着(むじゃく)菩薩造『大乗荘厳経論』の授業を受けた。
サンスクリット語の原文で読むので、1回に5行くらいしか進まないこともあったが、内容がとてもゆたかで楽しい授業だった。
それと語学を中心にヨーロッパ人的な教養によって仏教を理解するという一種のカルチャーショックを味わった。
先生の自宅に大勢で押しかけて、夜遅くまで、先に亡くなられた奥様の手になるカレー料理のパーティを何度も催していただいた。
瀧上寺の夏季研修会にもお出でいただいて、釈尊の伝記には、苦と楽との弁証法的な展開があるんだ、という大変ユニークな話をして下さった。
とにかくみんなが必死になって勉強したことの三歩くらい先を、さらりといわれるので、ああこれが本当の学者というものなんだと、みんなで何度もため息をついたものである。

今宵先生の、お通夜にあたり、今月の法話として、先生が常におっしゃっておられた『大乗荘厳経論』の「信解品」の偈を、先生ご自身の翻訳で紹介しておきたい。

人として生まれたほどのものは、すべて悟りを得るのであるから、また毎刹那にたえまなくそれ(悟り)を得るのであるから、かつ無数の人々が得るのであるから、それ故(おん身もまた)ひるむ心を起こしてはならない。

南無阿弥陀仏  宇野惠教


 昨年の5月、このホームページが始まって最初の法話で、作曲家の槙原敬之さんのことと、そのヒット曲「世界に一つだけの花」について書きました。今回は同じ槙原さんの作

曲・編曲で、ダウンタウンの松本人志さんが作詞し、浜田雅功さんと槙原さんが歌っている「チキンライス」という曲を取り上げます。年末に結構はやりましたので若い人なら知っている歌です。歌詞を一部紹介しますと、

 ♪子供の頃たまに家族で外食

  いつも頼んでいたのはチキンライス

  豪華なもの頼めば二度とつれてきては

もらえないような気がして

  親に気を使っていたあんな気持ち

  今の子供に理解できるかな?

  今日はクリスマス

  街はにぎやか お祭り騒ぎ

  七面鳥はやっぱり照れる

  俺はまだまだチキンライスでいいや

  まったく泣ける詞です。

CDには、松ちゃんのトークもあって、今の時代は親の子に対する愛情はよく目にするけれど、子の親に対する愛情や気遣いはほとんど見られなくなったとか、人の悲しみが分る人だけが、笑いも分るんだというような意味のことを言っています。

また、この歌は、クリスマス・ソングでありながら、どこかクリスマスに浮かれる世相を批判しているところもあります。もっとも仏教の僧侶だって、完全に世の中に見離されてしまう前に、松ちゃんや槙原さんのように謙虚に自分を省み、門徒さんといっしょに歩く道にもどっていかねばならないですけれど。
努力型と天才型

昔からよく言われるように、人間には努力型と天才型がある。
最近は、「たとえ少々の才能があっても、それが何になろう。自分はただ努力するだけの人間になりたい」という人が多くなっているように思う。

確かに天才肌の人に比べて、努力型の人間の方が人に好かれる、といえる。
なぜなら、努力型の人は、きちんとした現状認識とはっきりした努力目標を持って行動するから、他の人から見て分りやすいのである。

お寺にも、努力型と天才型があるように思う。私は前住から受け継いできたこのお寺を、もっともっと努力型のお寺にしたいと思っている。

もちろん、人でも寺でも、努力するとはいっても、まずその中で努力できるような環境の整備からしなければならない。
いっしょに努力してくれる仲間も大切である。
それらを整えるために、すでに大勢の人の努力があったのであるから、その中で自分が努力させてもらうということは、感謝しながら努力することに他ならない。

去年は、おかげさまで落慶法要も勤めさせていただきましたが、その他にもいろいろなことがありました。
こんな思いで、今年も精一杯精進努力させていただきます。
どうかよろしくお願いたします。称名

二千五年元旦             浄土真宗本願寺派 瀧上寺住職 宇野惠教



「楽は苦の種、苦は楽の種」

仏教大学の仏教学科の学生が、単位登録の時、「仏教学概論」が必修になって いるのを、選択にしてほしいとの申し出があったというて、嘆いて居られた教授があっ た。
それを聞かれた経済大学の教授が、うちの学生なんかは、どうすれば簡単に単 位がとれるかを教えて欲しいといってきたとか、全く何を考えているのかわからんとのことであった。
要するに勉強するために大学に来ているのではなく、どうすれば支障なく卒業できるかということのようである。
よく、何のために勉強するのか、と たずねると、良い学校に入るためだといい、何のために良い学校に入るのかと聞けば、良 い学校へ行けば、良い会社へ就職できる、良い会社へ行けば、一生楽して過ごせる、と いう論理である。
勉強や努力が目的なのではなく、頭や体を使わずに、楽に人生を 楽しもうということであろう。
こういうのを「ギャンブル人生」とでもいおうか、 遊び人的な発想である。
世の中が不景気になれば、若者の発想もこのようになるのであ ろう か。
仏教は「人生は苦なり」というところから始まる。
心を楽しませる教えでもなく、体を楽にさせる教えでもない。
何故に「生きていくことが苦しいのか」とい うことを知るために、学生は勉強するのである。
宝くじを当てるための経済学などな かろう。
何よりも金がすべてではない。逆に金のために人生を台無しにした人も多い。
も ういい加減に、金儲けの神さん、入学祈願のお札から足を洗おうではないか。  


瀧上寺   宇野順治

お礼は一度だけ

どこかのお寺の法座が勤まりお参りさせていただいた場合、その数日後に住職さんの名前でお礼のはがきが届くことが多くなった。
少々変だと思う。こちらがお参りさせていただいたこと自体、御恩報謝の意味でお参りさせていただいたのであり、それに対するお礼も当日口頭で充分に言っていただいたのであるから、さらにお礼状をいただく必要はないのではないだろうか。
もしも懇志をさせていただいたお礼を領収証がわりにいただくのなら、門徒総代さんの名前でいただくべきではないだろうか。

これと同じような気持ちになるのが、ガソリンスタンドから給油を終えて道路に出てくる車を、こちらが一端停止して待たされるとき、合図をしてくれる店員さんが、ことさらに丁寧にこちらにお辞儀をしてくださる場合である。
当の車のドライバーが会釈ぐらいするのはまだ分るが、あなたにそこまで丁寧にお辞儀をしてもらわなくていいよ、店長さんの教育もあるだろうけど、といいたくなるのは、私だけだろうか。
実際に道路のまん中まで出て合図をしていた店員さんが、反対車線から走ってきた車にはねられたという話を聞いたことがある。まして深々とお辞儀をするのは視界から車が消えて大変危険なのだ。

随分以前に、江藤淳という評論家が、「夜の紅茶」というエッセイに、こんな意味のことを書いていた。わたしは人に借りがあるという感覚がそれほど嫌いではない。それよりも、嫌いなのは、人から恩恵を受けた場合、そのつどそれを返済していこうというチマチマとした感覚である、と。

賛成である。
私が人から受けた恩恵などというものは、いちいちお返しをして、それで気を済ませることのできるような、小さいものではない。
もちろん、そうとは分っていても、私はそうしたい、お互い明日をも知れぬ身の上だから、もう二度とお礼をいうことができないかもしれないではないか、といわれるかも知れない。そう感じたときは、お仏壇の前に座って、静かにお念仏するのがよいと思う。一声の念仏の中には、その人の一生分の感謝の気持ちが込められているからである。

タカとハト



 このお話は、お釈迦さまの前生譚(ぜんしょうたん)といって、
あんなに偉いお釈迦さまが、急にこの世に出られるはずはない、
きっと前生でたくさんの功徳を積まれたに違いないという
考えに基づいて作られたお話です。

 シビ王という王さま(実はお釈迦さまの前生のすがた)がいました。
ある日お城の庭を歩いていると懐に1羽のハトが飛び込んできていいました。
「助けてください。」

つづいて1羽のタカが飛んできて近くの木の枝にとまっていいました。
「そのハトは俺のハトだ。返してもらおう。」

シビ王はいいました。
「このハトは私の懐に飛び込んできたのだから、無慈悲におまえに渡すわけにもいかない。なんとか助けてやってくれないか。」
するとタカが怒っていいました。
「俺はもう3日も飲まず食わずで、今ようやくそのハトを見つけたのだ。
そのハトを食べることができなければ、おそらく死んでしまうだろう。
あなたはハトを助けてやっていい気持ちかもしれないが、ハトを助けるなら、
俺の方も同じように助けてくれ。」

シビ王は困りました。
さんざん悩んだあげく、家来に天秤ばかりをもってこさせ、
自分のモモの肉を切らせて、ハトと同じ重さになったところで、その肉をタカに食わせようとしました。タカが「俺は生肉しか食わない」と言い張ったからです。
ところが、どうしたことか、右のモモの肉を秤に乗せても、左のモモの肉を乗せ足しても、両腕の肉を乗せ足しても、体中のあらゆる肉を削ぎ落として乗せ足しても、
ハトのからだの方がずっと重いままなのです。

 ついにシビ王は自らを秤に乗せました。そのとたん、タカは梵天神(ブラフマン)の姿に、ハトは帝釈天(インドラ)の姿にもどり、シビ王を礼拝して「あなたこそはいつの世にか生まれ変わってお釈迦さまとなり人々を救うお方となられるでしょう」
といいました。

この物語をあらわしたガンダーラの彫刻(下図)には、やせ衰えた梵天のタカ(表面欠落)が空中を飛んで天秤を監視しているのに対し、左下の帝釈のハトはマルマル太ってずんずん重くなり、存在感いっぱいにがんばっているようすが描かれています。

 今わたしたち仏教徒は、国際社会において、ハトの立場に立たされている者、タカの立場に立たされている者、さまざまでしょう。本来なら菩薩の立場、つまり他のために自らを捧げるシビ王の立場に立つべきなのですが、それも現実の生活にかまけて、残念ながらなかなか実行することができません。(宇野惠教)

 事件は処理されない



付属池田小学校事件の死刑囚の死刑が異例の早さで執行された。残念なことだ。
彼は彼が命を奪った8人もの子供達の遺族にいまだ一言の謝罪もしていなかった。
どうせ死刑になるんだから、子供達も生き返らないんだから謝罪などしてもしようがない?
 とんでもない。
いずれ死ぬ身であればこそ、生きているうちに命がけの謝罪をしなければならないのだ。
それが彼に人間らしさをほんの少しでも取り戻させる唯一の道だった。
その時間を当局は奪ってしまった。弁護士たちの彼に対する謝罪の説得も、これまで新聞で見るかぎり、宗教的要素の少ない説得力の弱いものだった。
こんなことで仏教の宣伝をするつもりは毛頭ないが、仏教こそは過去・未来・現在の三世の教えであり、「死んだらしまい」ということのない教えである。
死んで罪を償うというが、それは自分の意志で謝罪してこそいえることであって、司直は殺人を犯してしまったものがどのようにすれば謝罪できるかを、ことばで国民に知らせる機会を一つ消し去ってしまった。
次にはオウム死刑囚の刑の執行が待っている、という殺伐とした空気がやがて国民の中に生まれることだろう。
この国の国民が持つ人間性の豊かさをいつまでも保っていきたいなら、為政者・マスコミ・教育者などはもっと考えるべきだ。
このままでは、彼の刑の執行は事件そのものの意味まで「抹殺」してしまう単なる「あとしまつ」だ。
ゴッホの自画像と夏安居(げあんご)

 先日、NHK、BS放送の「迷宮美術館」という番組を見ていたら、下のような
ゴッホの自画像が出て、「この自画像は、ゴッホが、日本にあこがれ、日本を紹介した書物のある職業の人たちが活動している姿を映した写真を見て、
それを自分自身になぞらえて描いた自画像です。

ではその職業とは何でしょうか?」というクイズが出されていました。
みなさんも、お考え下さい。解答は絵の下にあります。





答えは、僧侶です。
ゴッホは、日本を紹介した書物の中の、日本のお葬式の情景を写した写真を見て、そこに働いている数人の僧侶の凛としたまなざしを見て取り、日本人のように、少し眼尻をつりあげて、上のような自分の顔を描いたそうです。

そして「知性と決意にあふれたブッダの弟子たちの写真を見て、自分もこれから新しい絵の分野を切り開いていく自信ができた」というような意味のことを語っています。今の日本に、西洋の画家にそんなことを感じてもらえる日本の僧侶が、果たして何人いるだろうか、と思う人も少なくないと思います。

ところで、下のリンクのところを、クリックしていただくと、1枚の写真が出てきま
すが、それは、本願寺派のお寺(広島県呉市 専徳寺)のホームページから、切り取らせていただいたもので、現在、龍谷大学を会場として行われている夏の安居のもようを写したものです。

安居とは、お釈迦さまの時代のインドから続いている僧侶の勉強会のことで、浄土真宗本願寺派では、本年は、7月17日より30日まで14日間開講され、当瀧上寺の前住職、宇野順治が本講師を勤めております。

今年の夏は、特に猛暑ですが、みなさんも京都にお出かけになれば、現代に生きる僧侶の、凛としたまなざしに触れることができるかもしれません。


よーく考えよう。何が大事かを。



佐世保で、女の子が同級生の女の子に切られて死亡するという事件がありました。次の日のあるスポーツ紙に、「いくら生命の大切さを説いてもダメ」という記事が出ていたという話を息子が通う中学校の先生から聞きました。

 確かに「生命の大切さ」を説く立場にある教師や僧侶の、社会的無力さが目立つ昨今です。また単にお題目のように「生命は大事だよ」とくり返しても意味がないことに違いありません。
 しかしそれでも「生命の大切さ」は説かねばなりません。
親がそれをしない限り、そしてそれを子供たちに感じてもらわない限り、いくらメールやホームページの使用を規制しても、カッターナイフの持ち込みを制限しても、子供の心に潜む「人間性の醜悪さ」を大人たちが問わない限り、この種の事件は、問題がそのまま放置されていくでしょう。

 私のキライなCMに、「よーく考えよう、お金は大事だよー」というのがあります。
あれは、年金生活のお年寄りをバカにしたCMだと私は思います。
「よーく考えた結果がそれかい」とツッコミたくなります。
私事ですが、私のお寺も、本堂の大修理があって大勢のご門徒に大きなご負担をかけてきましたので、長期にわたって、お金が一番大切だという生活を続けてきました。だから「お金が大切だ」ということぐらい私にもわかります。
別によーく考えなくても。
 よーく考えなければ、わからないのは、やはり仏さまのお慈悲です。

 テレビやマスコミの影響から一歩離れて、わたしたちが正常な感覚をとりもどすためにも、仏さまのお慈悲を聞くことは大切です。


『バカの壁』について                  宇野惠教



昨年1年間で一番よく売れた本は養老猛司という先生のかかれた『バカの壁』という本だそうです。
先生は解剖学の教授として長年東京大学で遺体の解剖をしておられたそうですが、そのうち死体に三種類あることに気付かれたそうです。
一つは「無い死体」、二つ目は「死んでいても死んでいない死体」、三つ目は「本当の死体」です。
「無い死体」とは「私の死体」つまり自分の死体で、自分で自分の死体を解剖することは決してありませんから「無い死体」ということになります。

「死んでいても死んでいない死体」とは自分の身内の死体で、お骨にしたり、お墓に入れて拝んだり、亡くなってはいても完全にはなくならないとても大切なものだから、「死んでいても死んでいない死体」というのだそうです。

「本当の死体」とは、どこかの誰かの死体で、東京へ行けばいまだに「本日の交通事故死亡者7人」などといいますが、その死体です。
この死体だけは、ほんとうの死体だそうですが、先生はもちろんこの死体も、きちんと仏様にお参りしてから解剖されるのだそうです。

ここからは、私の勝手な解釈が混じりますが、先生が、二番目の「身内の遺体」を大切にしよう、といわれるのは、単に「身内だから」ということではなくて、
自分の死は経験しようと思っても出来ないから、その擬似(ぎじ)体験として「身内の死」を大切にしようということだと思います。
先生は、他の先生方といっしょに、「現代の参勤交代制度」というのを提唱しておられるそうですが、これは、学校と塾とテレビやメールぐらいしか情報源のない現代の若者たちに、「身体」で何か経験させてやろう、「身内の死」(お葬式)が体験できなければ、病気の看護やお年よりの介護、あるいはそれもできなければ、農業・林業・漁業などの手伝いなどを定期的に「体験」させてやろう、ということだと思います。

これは、戦前の徴兵制のような厳しい労苦を経験せよ、ということではなくて、要は身体で体験することが、いまのわれわれには一番欠けているということなのです。そして宗教(仏教)ということも、その体験の一要素として取り入れてみよう、ということだと思います。
五月一日・二日当寺落慶と蓮如遠忌、おかげさまで無事お勤めすることができました。有難うございました。

当日の森田浄心先生のご法話の中で、スマップの「世界に一つだけの花」の歌詞がとりあげられました。「♪ナンバーワンにならなくてもいい。
もともと特別なオンリーワン」(http://www.utamap.com/indexa.html)というくだりなど、お経の中の「浄土の池には大きな蓮の花があって、青い色には青い光あ
り、白い色には白い光あり」の教えを思い起こさせます。

また、お釈迦さまが、そのお弟子たちに対し、智慧第一、神通第一、多聞第一、説法第一など、あらゆる分野で、その人こそ、オンリーワンであるとおほめになり、第二や第三は、お決めにならなかった、ということも思い出しました。
つまり人の数だけ人のねうちの基準もある
のであり、あらゆる人が、オンリーワンであると同時に、ナンバーワンでもあるのです。

そういえば、この歌の作詞・作曲者である槇原敬之さんは、浄土真宗のお坊さんの影響を受けて、この歌を作られたとも聞いています。去年一番はやった歌が、この「世界に一つだけの花」、
一番はやった本が、養老猛司先生の「バカの壁」だそうです。
どちらも大変仏教的で、なおかつ新しい示唆に富んでいます。

次回の法話では、この「バカの壁」についてコメントさせていただく予定です。

ではまた来月。