a 文献覆刻・同時代から見た杉山茂丸
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生前においても「覆面の国士」などと呼ばれ、その活動の実態が謎に包まれていた杉山茂丸という人物をどのように捉えるべきであるかということは、その死後七十年という永い歳月を経てしまった今日、在世当時よりなお茫漠としている。手がかりは茂丸自身の著作にあるはずだが、主著「百魔」や「俗戦国策」が極めて入手困難な状況では、それすらおぼつかない。
たとえば伊藤博文が安重根に殺害された事件の背景に、杉山茂丸が黒幕として存在していたように仕立てた出版物などは、杉山茂丸という人物について真剣に研究したとは思えない代物であるが、このような著作がまかり通るのも、こうした杉山茂丸に関する文献の稀覯性に由来するものと見なさなければならない。
ここに覆刻した文献は、いずれも杉山茂丸の同時代人が著したものである。同時代のジャーナリストたちが、杉山茂丸という人物をどう見ていたのかを知るための絶好の資料といえよう。

小松緑(1865〜1942)は、会津出身の外交評論家である。慶應義塾卒業後渡米し、エール大学、プリンストン大学に遊学した。帰国後外務省に入り、明治三十九年伊藤博文の韓国統監就任に従い統監府外交部長となり、韓国併合を現地で体験した。のち朝鮮総督府外務部長、中枢院書記官長を歴任。大正五年に退官してのちは、著述に従事した。著書に「明治外交秘話」「朝鮮併合之裏面」などがある。
本篇は「近世秘譚 偉人奇人」(學而書院・1934)に収録されたものである。

鵜崎鷺城(1873〜1934)は、本名熊吉、姫路藩士の四男として出生し、東京専門学校(のち早稲田大学)に学んだ。卒業後は新聞界に進み、東京日日新聞、九州日日新聞、大阪毎日新聞などに記者として勤務する傍ら、「日本及日本人」「中央公論」などに寄稿して、鋭い舌鋒で当代の人物を批評した。著作は多数にわたるが、代表的な著書としては「朝野の五大閥」「犬養毅伝」などが挙げられる。
本篇は「當世策士傳」(東亞堂・1914)から覆刻した。

久津見蕨村(1860〜1925)は本名息忠、幕府旗本の家に生まれ、ジャーナリストとなった。東京曙新聞や萬朝報などの記者として活躍し、特に教育、社会問題などに造詣が深かった。日本にアナーキズムを紹介した人物として知られる。著書には「自由思想」「無政府主義」などがある。
本篇は「眞人僞人」(丙午出版社・1912)に拠った。

【註記】
仮名遣いは原典のままとした。漢字の使用については、JIS第2水準までの範囲において、底本に忠実に入力することとし、正字体を使用した。JIS第2水準に加えられていない正字体については、簡易体を使用した。
ルビについては、《》内に記しているが、採否については以下の通りの調整を行った。
・「近世秘譚 偉人奇人」のルビは原典のままとした。
・「當世策士傳」は総ルビであるが、難読と思われるものを除き、適宜省略した。
・「真人偽人」には、随所に傍点や白丸傍点が付されているが、これらはすべて省略した。