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奈良県生駒市立生駒南第二小学校/尾西啓充
邪馬台国が大和にあったのか北九州にあったのか討論する授業。唐古の楼閣と吉野ヶ里の楼閣の画像あり。TOSS奈良ML推薦
教科書、ノート、地図帳を用意黒板には、北九州の地名のわかる架け図を用意
教科書の(邪馬台国のページ)を音読します。全員起立。音読し終わったら 黒板を写します。
板書 『日付、教科書のページ、邪馬台国はどこに』
改行して 板書『その1 朝鮮半島から邪馬台国までの道のり』
中国の昔の歴史の本「魏志」倭人伝に邪馬台国のことが書かれていました。その ころ、中国は日本人のことを倭人とよんでいましたその魏志倭人伝に邪馬台国までの道のりが書かれています
魏志倭人伝の倭国までの道のりを配布
音読します。わからない漢字はほにゃららでよろしい。全員起立。
では先生が音読しますので、黙読しなさい。
さて、この道のりにそって地図上で旅をし、邪馬台国のあった場所をさがしましょう
最初対馬国や一大国まで掲示した掛け図で教師が旅をするとわかりやすい。結果として伊都郡以降は見つからない。児童がざわめき出したら、作業を止め。以下の説明をする。
(結果として、東シナ海にたどりつく)どうもおかしいですね。そこである学者は、南 へ、水行10日を東へのまちがいではないかと考えました。すると、邪馬台国は近畿地方となります。またある学者は不彌国からなぜか距離が日数になっているのがおかしい。この日数は朝鮮半島から邪馬台国までかかった日数だと主張しました。すると、旅にかかった日数としては北九州となります。江戸時代から、邪馬台国近畿説、おもに大和ですね。と北九州説にわかれて激論がくりかえされてきたのです。あなたはどち説をとりますか。
ノートに「道のり」と書いてその後に、北九州、または大和どちらかを書きます。、その理由も書けた人は席を中央に向けなさい。
全員席を向けたことを確認して
はいでは、自分はどちらの説かまず最初に言い、その理由も言います。意見ある人は立ちましょう。
おや、1人ですか、2人になりましたね。2人しか意見を言えないのですかなどとハッパをかけたり、すばらしい3人も立ったとかほめたりする。
では、順番に言ってもらいます。
さて、邪馬台国の場所を知る手がかりはほかにもあるのですよ。これを見てみましょう。吉野ヶ里の画像を配布
では、読みますので黙読しましょう。
邪馬台国には「宮室、楼観、城柵」が あったとされています。1989年北九州の吉野ヶ里遺跡からこれらの建物の後が発見されました。教科書のイラストは吉野ヶ里遺跡から考えた想像図です。これで、世間では北九州説が強くなりました。
そこで、邪馬台国は北九州にあったと板書する。
邪馬台国は北九州にあったと思われます。しかしそうとは言えないと思う人。
意見を聞く。
すると、1991年秋、奈良県田原本町の小学校のプール工事の現場から、高い 建物の絵のかかれた、土器のかけらが発見されました。奈良には邪馬台国以前にこのような建物がすでにあったことが考えられます。これは、その絵をもとに復元されたものです。
唐古の画像を配布
再び邪馬台国の場所について考えます。ノートに「楼閣」と書いて、北九州、または大和どちらかを書きます。その理由も書きなさ。
同じように意見を聞く。
では、家や図書室などで邪馬台国のことについて調べてきなさい。次の社会の時間は「邪馬台国は北九州にあったという題で討論をします。
別に討論をしなければならないということもない。これで終了してもよい。なお九州の方は「邪馬台国は大和にあった」で討論した方がいいでしょう。