特集 インドネシア
     「ヌサ・トゥンガラとバリに竹楽器を訪ねて」

2005年6月、音楽文化総合研究所PCTA部門の事業の一環として
三木俊治/理恵をメインスタッフとするインドネシア ヌサ・トゥンガラ州/
バリ州の竹楽器文化の調査と音楽家との交流を行いました。
調査体制は、三木俊治が聞き取り調査とデジタル動画/文献等のアーカ
イヴ担当、三木理恵がデジタル静止画と奏法のアーカイヴ担当。それに現
地ガイドとドライバーを入れた小編成チームです。

1.幻の竹楽器「ササンドー」をもとめて東ヌサ・トゥンガラを行く


(伝統型ササンドー Sasando/東ヌサ・トゥンガラ州立博物館・クーパン)
 ・折りたたみができないタイプで、弦の数も現在のものに比べると少ない。

広大な島嶼国家・インドネシア共和国。大小あわせて一万数千に及ぶ
島のひとつに、私の探す幻の楽器「ササンドー」がある。
ササンドーとは、竹の筒の周りに平行に弦を張り、両手の指ではじいて
鳴らす弾弦楽器で、「竹筒琴」と呼ぶこともある。美しい音色を持つだけ
でなく、椰子の葉でできた非常に特徴的な「音響反射板」を持ち、竹楽
器として、他に類を見ないデザインが、注目に値するものである。
ところが、インドネシアでも東ヌサ・トゥンガラ州の、チモール島でしか目
にすることができないという特殊性により、ほとんど知られていない。
もともとは、チモールの楽器ではなく、隣の島「ロトゥ」のロトゥ族の楽器
で、「ササヌー」と呼ばれていた。その後ロトゥの人々の移住にともなっ
てチモールに文化ごと持ち込まれ、現在ではチモールのシンボルのひ
とつになっている。街中にはササンドーの彫刻がたっているし、「ササン
ドーホテル」という宿もある。

●アフリカと東南アジア
今回、私がチモールまで赴いたのには、2つのテーマがある。それは

1.アフリカとインドネシアの関連の中でのササンドーの位置はどう
なのか
2.ササンドーの製作工程と奏法を調査し、日本で情報公開する
である。

東南アジアとアフリカの文化の関連性については、古くから指摘がなさ
れ、西アフリカのバラフォンなどのシロフォンの類はアジアからもたらされ
た、という説もあるが、このササンドーもマダガスカル島によく似た楽器が
あるのである。
「ヴァリハ」といい、同じように竹の筒に弦を張って演奏する楽器で、マダ
ガスカル島の住民自体が、アフリカの先住民系ではなく、東南アジア系
の民族である事も従来より指摘されている。
ササンドーの原形は、フローレス島などの記録に残っている画像から判
断すると、竹の筒から直接皮を切り出して弦のかわりにした素朴な楽器
だったと思われるが、それが住民の移住とともにアフリカに渡った、と考
えれば、その後、竹皮の弦が近代化とともに金属弦に変わり、アフリカで
はヴァリハと呼ばれ筒状の形態のまま演奏され、インドネシアのものはロ
ンタール椰子の葉で精巧に作られた「反響板」の構造を取り込んで、写真
のような独自なデザインへと進化しつつ、ふたつの竹筒琴の流れを形成
した、という仮定も可能であろう。

参考/竹の皮を切り出した竹筒琴

(アロール島/東ヌサ・トゥンガラ州立博物館)

・同様のものは、東南アジアの他地域にも見られる。

問題はその時期で、それではササンドーはいつごろ成立したのか、とい
うことを知ってみたいという気になる。今回は、それを現在チモールの住
民で製作家である人に直接聞いてみようというわけである。文献の形で
残っていない分野の調査は、科学的に立証するのは極めて困難である
が、手がかりがあれば知りたいというのが正直なところである。

●島の概要と訪問先
さて、チモールは、インドネシアの東端の一部に位置するイカット(絣)で
有名な島。
住民は複数の民族から形成されるが、オランダの植民地下でキリスト教
化が進み、西チモールでは9割の住民がカトリック系キリスト教徒である。
島のそこここには教会があり、安息日である日曜に業務に携わらない人
も多い。
目指す場所は東ヌサ・トゥンガラ州の州都である西チモール・クーパン
の町外れにあるオエヴェロ(oebolo)村*。そこにササンドー製作家と
して有名なジェレマイアさんの家族が住んでいる。

注:*「oebolo」の発音について
このつづりは現地で採用されているものだが、調査の結果、実際
の発音と異なるので併記しておく。
字面通りに発音するとオエボロだが、現地人の正確な発音は「オエ
ヴェロ」に近く、boの母音がeに聞こえ、またbの発音が西洋のbとv
の間のような微妙なこもった音である。
(西洋ではbは破裂音になるので「ベロ」とも全く違う)

●チモール島・クーパン空港

空港に降り立った我々がまず感じたことは、中米やアフリカ、といった感
じの雰囲気である。形容詞で表現すると、「広くて開放的」というのがぴ
ったりくるだろうか。
インドネシアといってもチモールは気候・植相などがオーストラリアと同じ
で、乾燥していてからっとしており、蒸し暑いバリ・デンパサールから来る
と、かなり楽に感じる。似合いそうな音楽ならカリブのスチールドラムであ
ろう。 同じインドネシアでも、かたや町中の至るところに祠があって、ま
るで日本の原風景のようなバリとは好対照で、面白い。ガイドのマルテ
ィネス氏によると、「今は乾季なので茶色っぽいですが、雨季には全島
が緑で覆われて綺麗ですよ」との事であった。

●ササンドーの村・オエヴェロへの道

クーパン空港から島の北へ走り、ササンドー作りの名人と言われるジェ
レマイア氏のお宅へと向かう。片側一車線の道路は舗装状態もよく、な
かなか快適な道中。車は日本車である。
ちなみに、インドネシアでは日本車が多い。トヨタ、ホンダの新車とおぼ
しき車が普通に走っているのは、中国などの僻地より資金力の潤沢を
感じさせる。
トヨタでよく見かけたのは「Kijang(ノロ鹿)」というエンブレムをつけた現
地仕様車で、バリでは日産ブルーバードを使用した「ブルーバードタクシ
ー」が走っている。

●オエヴェロ村 ジェレマイア氏宅

街道脇に「ササンドー製作所」みたいな意味の看板が出ている。


チモールの家屋は日本と違って、柵とか塀とかいったものがない。
広大な敷地に、工房兼店舗、材料の乾燥場、東屋のような小屋など
が建っていて、間にさえぎるのものがないので開放的な雰囲気。
通された工房は、土間ではなくて基礎にコンクリートが打ってある上に
簡単な木組みをしてそこをロンタール椰子の葉などで装飾した、なか
なか趣のある半吹き抜けのような場所である。
非常にシンプルなつくりなのでおそらくジェレマイア氏自身が大工仕事
で製作したのだろう。インドネシア政府が発行している解説書によると、
氏は家具職人でありササンドーの名工でもある、とあるから、家を建て
るぐらいのことはお手のものと思われた。

●ジェレマイア氏

奥さんと御子息10人の大家族の長であり、ササンドー製作家・演奏
家。カトリックである。ジェレマイア、は勿論旧約聖書の預言者エレミア
から由来する名前であろう。
氏が身にまとっているのは、ロトゥ人の伝統的な衣装で、肩からイカッ
ト(絣)のショールをさげ、ロンタールの葉で作られた特徴的な帽子(西
洋の帽子を模したものと言われている)をかぶるのが正式である。

●ササンドーとの邂逅

工房は店舗を兼ねており、ガラス製のシンプルなショーケースが置か
れているが、ササンドーは大きいため、ショーケースの中に入らず、上
に無造作に置かれている。
(ショーケースの中には、もっぱらイカットが展示されていた)
さっそく試奏してみる。繊細な音色に心をひかれる。
ここで、訪問のひとつの目的であるササンドーの成立についてジェレ
マイア氏にインタビューを行う。
三木「ササンドーという楽器は古い楽器と聞いていますが、ロトゥ
    島ではいつごろからこの楽器を弾いているのですか」
ジェ「16世紀にはすでに使われていたようですが、それ以前に
   ついてはよくわかりません。というのは、私が祖父・父ととも
   にチモールにやってきたのは1963年で、私自身、それまで
ロトゥでササンドーを専門に作っていたわけではないから
なのです。」
三木「そうですか。チモールに渡って、ササンドーを作っていこうと
された動機のようなものは何だったのでしょう」
ジェ「生まれた島の文化を残して生きたい、という気持ちがありま
   す。幸い、子供たちは全員、私の楽器製作の現場に親しん
でいて、演奏もします。」

インタビューの結果、わかったことは、ササンドーは400年前には地域
文化として成立していた、という事で、それ以前の話という事になると
ジェレマイア氏の家系の制作歴そのものが若い事から、難しいと判断
された。ササンドーの成立史を一製作家からあぶりだす、というテーマ
は、やはり簡単にはいかないようである。
ササンドーの先祖がアフリカにわたったのは、いつ頃なのか。
大航海時代よりも後、ということになるのだろうか。

●「ジェレマイア・アンサンブル」によるロトゥの伝統音楽の演奏

ロトゥの伝統的な楽器、太鼓「ゴン」と鉄製のゴングによる歓迎の音楽
演奏が始まった。伝統音楽である。コブつきのゴング類の名称を問うと、
「ガメラン」と返ってきた。
ジェレマイア氏が太鼓で二拍子系の軽快なリズムをバチを用いてでた
たき始めると、10個のゴングを息子達が手分けして叩きコロトミー(メ
ロディーを複数で分担して演奏する)を形成する。
鉄製のガムランといえば、現在残っているのはバリのスロンディンが
有名だが、ここで見られるとは思わなかったので、嬉しい発見をさせ
てもらった。
ただし、鉄製のガムランがどの程度のタイムスケールでロトゥの伝統な
のか、この楽器自体がロトゥ由来なのか、は検証できなかった。

●ササンドー製作工程〜その1
ササンドーの大きな特徴のひとつとなっているのが、本体である
竹の筒の後ろを覆う、ロンタール椰子の葉でできた美しい覆い、
反響板である。
この覆いは、長い年月の間に音を増幅する目的で工夫されたも
のと思われるが、音響学的にもよくできていて、パラボラのような
形で楽器の裏側に発生される音を集音し、前面に放射する。
非常に物理に適った構造である。
アンテナなどに利用される実際のパラボラの曲面は放物面である
が、ササンドーの覆いも、真球面ではなく、期せずして放物面に
近い形になっているところが、これまた興味深い。

(インドネシアの椰子文化)
東南アジアでは、椰子の木はあますところなく利用できる万能の
素材である。
ここチモールでも、椰子は油、果汁、果実の殻、葉、幹すべての
部分が人間の生活に利用されている。昼の「ナシゴレン」はヤシ
油で炒めたご飯で、つけあわせのピクルスはヤシの酢で作った
酢漬け。砂糖もヤシから作る。どぶろくまである。(この欄の最後
参照)葉や果実の殻、幹は工芸品・日用雑器、建築素材にと、
ほとんど万能の素材といっていいかも知れない。


家の前の乾燥場に干してあるロンタール椰子の葉をひとつ持って
くると、流麗な手さばきでそれを裂き、曲げて成形してゆく。
ロンタール椰子の葉のエージング(素材として使うために寝かせて
おく期間)は、2〜3日という事だった。

●ササンドー製作工程〜その2

ナイフ一本で、余分なところをカットしてゆく。

●ササンドー製作工程〜その3

中央をふくらませて、特徴的な「反響板」の形が出来上がってきた。

●ササンドー製作工程〜その4

ロンタールの葉でできた反響板に、別に作っておいた竹筒琴をは
め込んで、ササンドーの全容が姿を現す。ここまで、わずか十数
分である。

(伝統型の反響板と現代型の反響板)
ここで紹介したのは、ロンタールの葉を曲げて作る、伝統的な製法
の反響板で、ページの最初に掲載した、東ヌサ・トゥンガラ州立博
物館のササンドーはこの古い様式のものである。
古い形のササンドーは、持ち運びに不便なため、現在では新しい
様式、すなわち「折りたたみ式」の反響板が開発されている。これ
はロンタールの葉を一旦ばらばらに切り離し、可動するように一枚
づつ組み合わせて針金で固定した、かなり精密な構造を持ったも
ので、現在ジェレマイア氏の工房で作られているのはほとんどこの
タイプである。
下の写真で子供が演奏しているのは、現代型で、かつアンプにつな
いで拡声できるようピックアップが内蔵されている。
工房の片隅には、出力30w程度のベースアンプが置かれていて、
この日の楽器のプレゼンテーションは殆どエレクトリックの状態で行
われた。
私としては、アコースティックな楽器にこだわりたいというのはあるが、
ベトナムのダン・バーオと異なり、アコースティックで演奏するための
構造をしっかり維持しているので、システムそのものの置換や変容
は起こっているとは思えず、伝統的特性を失っていない、と判断し
た。

今回譲って頂いた「折りたたみ式」セミアコースティック現代型ササンドー
         
 反響板をたたんだところ     反響板をひろげたところ

・伝統型との比較
(デザインについて)
 伝統型は、垂直方向・水平方向いずれにも椰子の葉の折込による、
山と谷があり、それが複雑なプロフィールを形成しているが、現代
型は葉をゆるやかに束ねているので、凹凸がない。
(音響特性について)
 定量的な分析を行っていないのでデータはまだない。
直感的な推測では、単純に集音特性という点からだけ見れば、現代
型のほうが、放物面に近いために効率がよさそうに見える。
しかしそもそも音源の絶対的なエネルギーが低いために(おそらく0.
005wといった程度のレベルだろう)、聴感上の有意な差になるかど
うか、は不明。

●次世代に受け継がれる製作と演奏

子供達は、親の姿を見つつ、自動的に製作と演奏を受け継いでいる。
現代のササンドーは、平均律に調律され、弦もベース用の太い弦が
張られていて、まるでピアノのように伴奏とメロディー両方を演奏する。
キリスト教圏では、楽器と音楽が西洋化するのはやはり避けがたい
現象であると思われる。

アーカイヴ担当の理恵は、基礎的な技術について、御子息に演奏を習
うことにし、一方、私は、西洋音楽ではない伝統音楽の伝承の現状およ
びそのプロセスについて、ジェレマイア氏にインタビューを行った。
三木「ロトゥの伝統音楽の継承については、楽譜や、書かれたものを
    使いますか」
ジェ「いや、使いませんね。すべて口承で伝えます。
   子供たちは小さいころから見覚えていますから、楽譜の必要は
   ないのです。」
三木「現在、ロトゥの伝統音楽は、どのぐらい継承されていますか」
ジェ「我々が持っているのは六曲です」

●この後、帽子を交換する

演奏技術のアーカイヴで同行した三木理恵が、短時間の講習でササン
ドーを器用に鳴らしたこともあって、ジェレマイア氏に喜ばれ打ち解けた
雰囲気に。
三木「ジェレマイアさん、彼女はいい演奏家になれそうですか」
ジェ「なかなか筋がいいと思いますよ。ササンドーの演奏は難しい
ですからね」

さて、日本に帰国してから演奏つきで紹介するためのササンドーだが、
中型のものと大型のもの、2種類を譲ってもらうことにした。
(価格は、御想像にお任せする。‘定価’は無いので、交渉が全て)
大型の方は、ピックアップがついていてセミアコースティックになってい
る。反響板をたたむと結構コンパクトになるが、全体にかなり大きい楽
器なので、日本まで傷つけずに帰るには結構気を使ってやらねぱなら
ない。勿論飛行機は機内持ち込みである。
楽器と、取材へのお礼を丁重に述べて、ジェレマイア宅を後にする。

●東ヌサ・トゥンガラ州立博物館にて伝統楽器を見る

日を改めて、今回は京都市立芸術大学で私が研究中の楽器資料の調
査のため、州立博物館に赴く。
ここでは、今回事前に現地に問い合わせてあった、「Feku」という牧童
の笛と、「Bibiliku」という儀礼用の太鼓の奏法について情報が得られ
る、とのことであったので期待して入館した。

●FekuとBibiliku

チモール独特の形状を持つ笛Feku(左)と太鼓Bibiliku。
この笛は尺八と一緒で、管の上の一部にななめに切り込みを入れてあ
り、そこに息をあてると気流が管の内部と外部に二分され、音の原動
力である「カルマン渦」が発生して管内の空気の塊を共振させ、音程を
持った音となる。
南米のケナとも似ている。しかし尺八やケナと決定的に異なる点は、木
の塊をろくろで挽いて「木管」に成形してある点で、牧畜に用いる道具と
しては加工が高度で手が込んでいる。このろくろ技術は、おそらくインド
から持ち込まれたものだと思われるが、検証は困難である。
指穴は無いか、あっても一つで、指穴によってメロディーを作る様式の
楽器ではない。
残念ながら成立年代も確定できなかったが、Belu地方で牧童が日没
時に集牛の合図として使っていた事、太鼓のほうも同じBelu地方にて、
戦闘から帰村する兵士を迎えるため、若い女性たちによって演奏された
という情報が入手できた。
勿論、現在では戦闘に関するような儀礼は行われていない。

●他の興味深い楽器

「Biola」と呼ばれるホームメードフィドル
フローレス島で使用されていたもので、ヴァイオリンと異なり弦が三本で、
ほとんど直線形の弓が添付されている。
オランダ統治下のインドネシアでは、軍楽隊や宣教師が持ち込んだと思
われる西洋楽器をもとにしたオリジナリティあふれる楽器がよく見られる。
例えば手製のフィドルは「Biola」、手製の管楽器はなんでも「Klarinet」
と呼ばれる傾向にあるが、今回実物に接して、改めて西洋の影響を痛感
した。しかし、アジアの人間のすごいところは、楓やモミといった材料にこ
だわらないどころか、ヴァイオリン系楽器を作るにあたりこの楽器のよう
に胴体を一木の削りだしで作り、さらに共鳴板をブリキで張ってしまう、と
いう発想の自由さ・オリジナリティである。
同じような発想は南米、アフリカなどにも幅広く見られ、常に西洋に劣等
感を感じ、同じ材料、精度の高いもの、という観点でしかコピーを作れな
い日本人の発想とはかなり違う。

●胡弓型の楽器

これは空き缶の胴体に一弦を張った胡弓型の弦楽器で、一見中国系に
見えるが、弓の形から見るとアラブやアフリカのルバーブに近く、
おそらくムスリムかムスリム系の民族が持ち込んだものと思われる。

博物館を出た後、パサール、書店などを回るが、御多分にもれず書店で
は伝統音楽に関する書籍は全くみられなかった。
インドネシアでは、各州にアートセンターを設置する、という建前になって
おり、例えばバリではかなり立派なステージ付の建物ができていて文化
関係者の集いの場のようになっているが、ここクーパンは東ヌサ・トゥン
ガラ州の州都にもかかわらずアートセンターがないのであった。それに
より、チモールの伝統楽器についてのより深い情報収集は、また別の
視点、ジャワやバリのSTSI(芸術大学)の研究者との交流等にまつこと
とした。

●海岸にて・・・・・・・・チモールの自然環境

チモールはこれといった産業もなく、人間が少ないため、沖縄のように
観光汚染が進んでいない。砂浜には貝殻が沢山落ちている。
観光地でないため、商業施設は貧弱でホテルは水漏れするようなメンテ
ナンスだし、店舗などの衛生状態もいいとはいえないが、ひたすら美し
く、そして人情厚い人々の島である。

(いかにしてササンドーを無傷で持ち帰るか?)
海外フィールドワークでいつも問題なのは楽器をいかにして無傷で持ち
帰るか、である。
こわれやすい楽器は、ケースや袋に入れることがそもそもできない場合
が多い。今回のササンドーもこのタイプで、椰子の葉でできているので、
ちょっと物にあたってもすぐ曲がりそうだ。ビニールの袋に入れて、直接
手で持ち運ぶことにした。
機内持ち込みにするのは勿論当たり前だが、問題はその後で、ここか
ら航空会社によって対応の違いがある。中央アジアなどの、全長100
数十センチに及ぶ長大な弦楽器の持ち込みについては、大体キャビン
アテンダント預かり、にしてくれるが、今回のササンドーは、預かりに応
じてくれなかったので、座席の両脇、足の左右に置く羽目になった。
エコノミークラスの狭い座席で楽器を置くのは、かなりチャレンジングな
試みで、深夜便ではうたたねするので、ふみつぶしはしないかと気が気
でない。
本来なら楽器の分、別にチケットを買え、というのが航空会社の論理だ
から、あくまで客室乗務員の判断と好意にすがるしかないのだが、チモ
ールからデンパサールまでのインドネシア国内便のアテンダントは、こち
らから頼まなくても預かってくれたので、より大きな組織であるはずのガ
ルーダ国際便の対応はやや親切を欠くように感じた。
楽器は貴重な資料なので、無傷で持ち帰りたいというのが目標だが、そ
れを実現するにはやはり背後に多くの人々の助力があるのだ。
 さて、チモールから8000kmの旅を終え、ササンドーは無事、目だっ
た損傷もなく日本に上陸した。
皆さんのお目にかかる日も、そう遠くないと思う。


2.バリガムランの祖型「ガンブー」の巨大竹笛を
もとめてバリ州を行く


バリの音楽と言えば、青銅製の打楽器が沢山並んだガムラン「ゴン・
クビャール」やケチャが主役といった単一的イメージがあるが、実はこれ
らはバリでは新しい芸能で、
木製のシロホンを用いる古いガムラン「ガンバン」
鉄製のゴングを用いる古いガムラン、先住民の人たち「バリ・アガ」の
スロンディン
竹の筒をならべた楽器ティンクリッを打奏するジョゲ・ブンブン
巨大な笛を使う古いガムラン「ガンブー」
などの基層的な多くの音楽・舞踊があり、しかも現代に継承され演奏さ
れている。今回は、このバリガムランの祖型のひとつとも言えるガンブー
のメロディー楽器である巨大な竹笛「スリン」をもとめ、デンパサールの
北部 バトゥアンに向かった。
スリンは、バリでは多くの合奏に入っている縦笛で、竹の筒に4〜6個
の指穴をあけ、筒の端の吹き口からリコーダー式に吹く楽器である。
通常は直径20mm内外、全長250mmから500mm程度のスリム
な笛だが、このガンブーのものはちょっとケタが違う。
私が今回譲ってもらったもので、直径38mm、全長862mm。
電気掃除機のパイプみたいな太い楽器で、手の小さい人には持つのも
大変な大きさである。
加えて、基音(指穴を全部閉めた時の音程)がピアノの中央cの下の
f#という、非常に低い音が出るだけでなく、2オクターブにわたる広い
音域・太い管からくりだされる大きな音量とあいまって、非常にインパ
クトのある楽器となっている。

●開始前のガムランセット

会場であるバトゥアンのプラ・デサ寺院に夕刻に到着すると、ガムラン
のセットが置いてある。このセットは、非常に特徴的なもので、様々な
文化の楽器が混交された様子がよくわかる。
手前右がアラブ系の弦楽器ラバーブ、手前左はおそらく仏教系に由来
する鈴のセット。その他ジャワからもたらされたと思われる鋼鉄製の筒
状のガムラン(ジャワのクマナに似ている)、インド由来の両面太鼓クン
ダンのセット、そしてドンソン文化由来と思われるコブつきのゴン。
私の中ではセットの中核をなす巨大な笛スリンは、右中央の紫色の袋
に入っている。

●公演前の清め

演目の前に、村人が楽器と会場を清める。

●スリンを袋から出す

おもむろに楽師がひとりづつ現れ、楽器を出す。

●ゆっくりと、スリンの合奏によって始まる。

このスリンの奏法は独特で、指を常に揺り動かして音を揺らし、さらに
すこしづつひとりひとりの演奏に音程と動きのずれがあるため、非常に
広がりのある豊かな音場を作り出す。
また、南アジアでよく見られる、循環呼吸で奏するので、全んど音に切
れ目がない。

●女性の踊り

ガンブー舞踊の型は、他のバリの舞踊の成立に影響を与えている。

●男性の踊り

他に私がガンブーに注目しているのは、特異な楽器法にガムランの原
点を見る気がすることに加え、他のインドネシアの芸能で見られるように、
‘ラーマーヤナ’などのインド起源の題材をコピーしていないオリジナリ
ティである。

●大団円近く

延々二時間に渡り、パーリ語による劇を繰り広げる。その間、楽団特に
スリンは循環呼吸で鳴りっぱなし。ガンブーは、極めて見ごたえのある
古典大作で、西洋でいえばまるでオペラである。
しかし日本でほとんど知られていず、バロンダンスやケチャといった観
光演目の裏に埋没している。

終演後、スリン奏者にインタビューを行い、研究および日本での紹介
のため楽器が入手できないか聞いてみたところ、このスリンはガンブ
ー専用で、奏者が自分で作るものなので一般では販売しておらず、そ
のため、よければ彼のスリンを譲ってくれる、という。
早速一本お願いすることにし、ついでに運指・装飾のレッスンもお願い
することにした。といっても今回は時間も限られているので基本の基本
をその場で教えてもらうだけだが、スリンの演奏は日本で何度も練習し
ているので、比較的簡単にコツがつかめた。
ちなみに、支払った対価だが、200,000rp。これはインドネシアの物
価水準から言うとかなりの金額で、ワルン(大衆食堂)でカレーとライス
のセットが25回食べられる程度の額である。
製作風景を取材している時間がなかったので、アートセンターの路上で
スリンを実演販売している露天商の写真を下に入れておく。

●スリンの製作(デンパサールの露天商)

 アートセンターで出会った製作家。ここで売られているのは
 普通の大きさのもので、一本8000rp程度で入手できる。

ガンブーに関しては、研究保存会のような組織があり、運営やリサー
チを行っているが、同会が、よくまとめられたコレオグラフィー(踊りの分
解図)、楽器法と楽譜に関する資料を発行していることがわかったので
これも購入した。2冊で400.000rp。
こちらも、インドネシアの物価水準から比するとかなりの高額で、リゾー
トホテルでディナーを数回食べられる位の額である。

●スリンと筆者

帰国後、サイズを直感してもらう目的で撮影した。
かなり大きな笛である事がおわかりいただけると思う。
ちなみに、機内持ち込みだが、こちらもガルーダのアテンダントに依頼
できなかったので、足許の袋に立てかけておくという、極めてリスキー
な運搬だった。
しかし損傷もなく、こちらも無事日本に上陸した。

◆付録  バリ・アートフェスティバルと食文化

今年の二月に、ジャワ島・ジョクジャのダンサー・ミロト氏より「バリのア
ートフェスに出てみませんか」というオファーをもらっていたので、下見
としてデンパサールのアートセンターを視察していくことにした。
ここでは、丁度アートフェスティバルの開催中で、ありとあらゆる芸能人
がバリ中から集い、毎日何かを演じている。

●センター概観

おそらくバトゥブランの石工達によって建造されたであろう各建造
物は、なかなか風雅なものである。(地震には弱そう)

●竹のガムラン「ジョゲ・ブンブン」

到着した時、広場で丁度伝統芸能「ジョゲ・ブンブン」の終わりのあ
たりを演じていた。
ジョゲ・ブンブンは日本で言うところの歌垣で、女性の踊り手が自
分の気に入った相手を観客の中から誘い出すという趣向の大衆
芸能である。
青銅製の大規模なガムランが宮廷・特権階級のものであるのに
対し、これは大衆のための大衆の音楽である。
竹のシロホン「ティンクリッ」を、先端にゴムをつけた竹のバチで軽
快に鳴らすアンサンブル、ガムラン・ジョゲブンブンが活発なリズ
ムで伴奏する。

●ティンクリッ(竹のガムラン)売り

会場のそこここで、誰かが何かを演奏している。

●竹のチャルメラ売り

前項で紹介したこの製作家は大量のスリンと竹製のチャルメラ「プ
レレッ」を自作して路上販売している。管楽器の専門家としては食
指が動くので私がちょっと試し吹きをさせてもらうと、「お前なかな
かやるなあ」と言われて仲良くなるが、価格交渉はなかなか難し
い。
「3本で150.000rp」という彼の主張と、3本70.000rp程度か
ら始めようと思っているこちらの価値判断が一致しないのである。
音色と演奏性能は悪くないので交渉を続行するかどうか逡巡し
たが、ニスがべたべたで手につくような粗悪さや、竹製の胴体に
ついてはそれほど工数がかかっていないという判断から交渉を
打ち切ることにした。
 「どうもありがとう」といって笑顔で握手して現場を後にする。


*チモールとバリに見るインドネシアの食

●食文化1

左から
ナシ・チャンプル(ごはんと多種多様なおかず)・
ミーアヤム(鳥そば‐麺はインスタント)バッソ(肉団子入り春雨)

インドネシアの各地域で見られる、代表的な軽食類。5.000rp?15.
000rp。ミーアヤムの右上にあるのは黒米のアイスクリームで、おそら
く最近のオリジナルだろうが食感が楽しい。

*インドネシア人は麺に愛情はない
観光化されたバリでは、スパゲティを出すカフェが多いが、カフェで麺類
を頼むのはよしたほうがいい。ある店では、Al‐Dente、を売り文句に
しているのに伸びた麺を出されて閉口した。
また、上の写真のミーアヤムは、やはりカフェで頼んだものだが、驚くべ
きことに麺がぐにゃぐにゃのインスタント麺だった。また、総体的に麺類
はゴハンものに比べて量が少ない。
インスタント麺で金をとる、というのは日本や中国の麺屋台では考えられ
ないことで、インドネシア人には麺というものの本質がわかっていない、
という印象をかなり強くした。(インスタント、の件に関しては、勿論日本
企業特に‘油揚げ麺’を開発した日清製粉に責任の大部分がある)
粉食はやはり中央アジアの文化で、コメが中心であるインドネシア人に
とっては、麺はあくまでおやつみたいなものなのである。

●食文化2

パダン料理(バリ・デンパサール)
いってみればスマトラ島由来のスモーガスボードで、店の前のショー
ウインドーに山のような種類の副菜が積んであり、席に着くとそれが
次々と際限なく運ばれてきて、ほしいものだけ食べる。
日本では考えられない豪快な食事ができ、しかも安価。これで二人分
で60.000rpだった。
たいていの日本のガイドブックには激辛、と紹介されているが、鯵の塩
焼きなど、マイルドな副菜もある。鯵の味は全く日本と一緒。

●食文化3

野菜・肉・フルーツ
右上中央がインドネシアのサラダ・ガドガドでその横が串焼きのサテ。
サテは鳥・牛・山羊など色々な肉を焼くが、私はサテ・カンビン(山羊)
にとどめをさす。一人前だいたい6‐10本で、屋台で頼めば7.000
rp前後。
ガドガドはピーナツソースで食べると美味。
フルーツは、都市圏では熱帯の美味がそろう。チモールとバリでも
ジュースといえばフレッシュが当たり前。大衆食堂でもほとんど絞りた
てが出てくる。美味で安価で、滞在中ビタミンCが不足するというこ
とはない。
バリにはスーパーストアもあるが、フルーツ売り場では日本の品種で
あるふじりんごが売られている。おそらく中国産?
露天やスーパーでは、ファンタやコカコーラもあるが、そういうジャンク
食品を主に口にしているのはオーストラリア人やアメリカ人が多い。ま
た、ジャンクの分際でオレンジ100%の紙パックのジュースより高かっ
たりするからこれがまた馬鹿馬鹿しい。ちなに、チモールのパサール・
イカンで購入したオレンジ100%・200ccバックが2500rp(約28円)、
ファンタの350cc缶が5000rp(約55円)だった。ゴミ箱は整備されて
おらず、アルミ缶の分別とか再利用を行っているという気配はなかった。
もしかすると専用の業者がいるのかも知れない。

●食文化4

バビ・グリン(チモール)
子豚の丸焼き。これはチモールの屋台だが、特にヒンドゥーの多いバリ
で一般的で、屋台では皮と身をそいでかなり大盛りで出てくる。顔の皮
のパリパリしたところは特に美味。
ちなみに、豚や山羊は、市街地を離れると道端で歩いている。

●食文化5

総菜屋(バリ・デンパサール)
バビ・グリン、腸詰、クルプッ(えびせん)などの定番を山積している屋
台群。バリではレストランもいいが、ナイトマーケットや屋台村を一度覗
くことをお勧めする。

●食文化6

イスラム料理のワルン(チモール)
街道沿いの「かつおでんぶ」のある店。
チモールでは、料理はコメを主食としたインドネシア料理やら、とうもろ
こしを主食としたチモール人の料理など、これまた様々な食文化が混
在している。
このワルンはムスリムのための店で、しかもスタイルはスマトラのパダ
ン料理風。ありとあらゆるおかずとスープがおいてあっておまけに中華
風のちまきまである。ハイブリッドもいいところである。
この雑多さこそ、インドネシアの懐の深さといえるだろう。
あまり知られていないが、インドネシアはかつおとマグロ文化圏で、「で
んぶ」がある。棚の上段、右から二番目の箱がでんぶの山盛りで、ご
はんにでんぶをのせて食べると、よその国に来たという感じがしない。
でんぶは特産で、空港でも売られている。
東南アジア一帯でよくみられる美味な野菜「空芯菜」の炒め物があった
ので、嬉々としてほおばったら思い切り辛かった。ラー油で炒めてあっ
たのである。辛くする、という感覚もパダン風である。
ここはガイドのマルティネス氏がよく来る店、という事で、いわゆる地元
値段。調査スタッフ全員(6名)で80.000rpという安さだった。

●食文化6

パサール(市場/チモール)
これはパサール・イカン(魚市場)で、朝あがった鰹と、さよりのような
形の魚を並べていた。魚中心ではあるが、市場だから野菜・米・服・
電化製品なんでも売っていて、ついでにコミュニティセンターの役割
も果たしている。
相場は米1kgが3000rp〜、野菜が一束2000rp〜といったところ
である。(3000rpは日本円にすると33円ぐらいだが、所得水準が
低いので単純に比較はできない)
空芯菜などは、市場のすぐ横の湿地で山のように栽培しているので
本当の「取れたて」がならび、野菜の新鮮度は、日本のスーパーとは
比較にならない。
理恵はここでビンロウの実と石灰を買って、「かみタバコの世界」を
満喫しようと試みていたが、苦くてすぐ吐き出してしまったので、全く
効果がなかった。(写真左・びんろうの実、右・石灰)


ビンロウの実は、東南アジア?南アジアで一般的な清涼剤だが、噛ん
でいると口の中が真っ赤に着色するので非常に不気味である。

食文化7

ヤシのどぶろく「スピ」(コップの透明な液体)
今回、チモールでドライバーを務めてくれたsさんが、わざわざ自宅で
醸造しているどぶろくを飲ませてくれた。椰子の樹液を発酵・二回蒸留
して作る手間のかかったもので、少々酸味があり、沖縄の泡盛のような
味わいで美味。
本人は、「めちゃくちゃきついよ」と笑いながら言っていたが、沖縄の端
酒や中国の白酒(パイチュウ)、中央アジアのウォッカと比べると、それ
ほどではない。アルコール度数は、せいぜい20%前後かと思われた。

先進国?「日本」による添加物/コピー食品の輸出がアジアの食
文化に与えている影響について

●サプリメントとインドネシア料理とクズ食品と味の素
全体的に、インドネシアの伝統食の現場は「誰がどのような素材で作っ
ているか」というのが明確だし、バビ・グリン(豚の丸焼き)のように直感
的に把握できる料理が多いので、日本より安心である。また、味付けも
日本人の味覚にフィットする。
しかし残念なことだが、一方ではインドネシアの食文化が急速に破壊さ
れつつあるのも事実で、主犯は言わずと知れたコカコーラ・ケンタッキー
フライドチキン・マクドナルドハンバーガーショップといったアメリカのクズ
食品とともに日本の「味の素株式会社」や加工食品産業、およびそのノ
ウハウ自体の輸出による現地企業生産品である。これらの活発な営業
により、我々はインドネシアでその美しい伝統が破壊されるのを目にす
る機会がますます増えてゆくことだろう。
特に味の素による汚染は深刻で、ベトナムでもそうだったが、中華系の
料理店ではまず間違いなく多量の汚染が見られる。たちが悪いのは、
高級店になればなるほど量が多くなることで、いい素材をわざわざ毒で
台無しにしているのである。
●到着日にいきなり味の素の洗礼
到着日に入ったバリの中華粥のワルンでは、いきなり粥だけでなくバミ
ー(焼きそば)の中にも味の素が入っていて落胆した。粥でも、基本とな
るスープをちゃんと鳥でとっているのに、それに加えてわざわざ入れて
いる。
味の素が入っているかどうか、は、最初の一口でわかる。舌の上にの
せた瞬間、妙な甘ったるさがあるのである。それは砂糖による甘さとは
質の異なるもので、舌が何かにコーティングされたような感じになり、か
つ食後に残る不快な味である。
●味の素の内外販売戦略と伝統調味料の汚染
味の素は、アメリカの中華料理店で、大量に添加された料理を食べた
アメリカ人がショック症状を起こしたことから「MSG(グルタミン酸)シン
ドローム」として世界中に有名となり、急性毒性・変異原性の疑いがあ
ることは先進国では常識となっている。
しかし、味の素株式会社では、体系的な人体実験が行われていないこ
とを盾にとり、いまだにその毒性について認めようとしないのである。
その最近の販売戦略であるが、国内では、「化学調味料はあまり健康
によくない」という認識が高まり、食品での売り上げの伸びが期待できな
いと見るや、迅速に「アミノ酸飲料」「アミノサプリ」という抜け道を考え出
した。アミノ・バイタルという意味不明な商品名を冠し、合成アミノ酸を
「薬」ということにしてイメージチェンジを図ったのである。そしてまたまた
自国民の健康を破壊する一方、海外では合成添加物への意識の低い
アジア諸国や中南米などの国民を中心に「旧来の手法で十分だ」とば
かりに、堂々と化学調味料のまま拡販しているのである。
ベトナム、タイ、中国、インドネシア・・・アジア各国での味の素の使用は
増える一方で、料理に使うだけでなく、伝統的な調味料である醤油や味
噌のようなものにまで入っていて現地人の健康を損ねるのに寄与して
いる。インドネシアで言えばケチャップ・マニスとかサンバルとかピーナ
ツソースなどが主要な調味料ということになるが、油断しているとこれら
のメイン素材にも味の素が入っている。我々が日本のスーパーで最も
身近に見ることのできる実例は「オイスターソース」や「XO醤」などで、私
は他の加工食品/コピー食品(カニカマボコのような‘似て非なるもの’)
と同様、そのような商品を利用しない。
伝統調味料に味の素を入れる、という行為は
「文化破壊」以外の何物で
もなく
、また、素材に直接加えるのと違って「使用しない」という選択肢を
選べない上、多種の料理を汚染するという点で
極めて悪質度が高いと思
う。(何種類かの食品を組み合わせて加工食品を作った時、もともとその
どれかに添加物が含まれていて全体に持ち越される事をキャリーオーバ
ーと言う)
●ものつくりの責任(PL)と真の国際化と帝国主義的価値観
まじめに作られた日本の工業製品に関して言えば概して海外で評判が
いい。
今回も、チモール島でニコン、ホンダ、トヨタの声望は非常に高く、様々な
人から日本製品は品質がいいね、と評価された。車に関しては手放しで
喜んでいいのかどうか、とりあえず車が環境問題のひとつの中枢を占め
ているという側面はさておいて、「現地の幸福に貢献している」という観点
だけから見れば素直に喜んでもいいのかも知れないが、その一方で味の
素について考えてみると、世界中の完成された料理に、本来不要な製品
である添加物を入れるという事がその貧しい営業の全てで、しかも健康
破壊の可能性に満ち満ちている、とすれば、いったいこの会社、誰の何
に「奉仕」しているのだろうか。そして人類の歴史になかった化学合成品
の摂取による予想被害に対して、今後どのような責任を負うつもりなの
だろうか。自国民だけで飽き足らず、他国の文化や健康まで破壊して
なんとも思わない企業が存在するのは実に恥ずかしい。このような企
業の製品はより多くの市民が不買の意思を示すことで一刻も早く淘汰し
なければならないと私は思う。
国際化、とは「英語をしゃべれる」とか「海外で営業している」というような
現象が本質ではない。それは単なる手段であって、最終目的は、他地
域の人々と
共にいかに幸福になるか、という事である。そのためには、
異なる文化を尊重し、相手を知りたいと思う気持ち、学びたい、という気
持ちを持てるかどうか、がひとつの大きな資質となるのではないか。こう
いうプロセス自体の中で、私たちは社会化することができ、より幸福にな
れるのではないかと思う。
世界中に飛び、それこそ僻地の果てまで営業を展開する味の素の社員
は「国際人」だろうか。彼らの体には「学びたい」という気持ちがあるか。
アジアの人々の伝統を尊重したい、という気持ちがあるか。
そうではないだろう。自分が商売をさせてもらっている地域の人間の健
康という意識すらない味の素株式会社、その社員に他地域の人間の
幸福に寄与したいという気持ちなどあるとは思えない。もっと言うと、そ
もそもアジアの人間を同じ人間と考えているのかどうかすら疑わしい。

味の素のような企業を見ていると、どうしても私の中には戦前の帝国主
義者達の姿が浮かんで来て、ダブってしまう。現在でも、当時と全く変わ
らない頭の構造・生き様をしているように映るのである。少々脱線する
が、ちょっと話を敷衍してそれについても考えてみたい。
帝国主義者というのは、自分とその関係者だけが極大的に繁栄するこ
とを目指す人間たちであり、その繁栄のために全てのものを「利用する」
というのが信条である。関係者以外は、たとえ同国人であっても同胞で
はない。
(そういえばアメリカのブッシュが最近同じような事を言っている)

例えば戦前戦後、大日本帝国は沖縄で何をしたか読者自身で歴史を
紐解いてもらいたい。まず帝国は、沖縄の祭壇を壊し、神社を立て、同
胞であるはずの沖縄の一般市民から信仰を奪った。
そして標準語を強制し言語を奪った。「方言札」と「標準語行進曲」である。
戦争が始まると隣人である韓国人の慰安婦まで連れてきた。国内初
の地上戦の現場にした挙句、戦況が悪くなると国のために死ね(意味
不明)と言って洞窟に非難している市民も自決させた。
1945年、敗戦に際し、読谷で命からがら逃げてきた市民がようやくアメ
リカ軍に保護されると、わざわざ彼らを拉致し「スパイ容疑」をかぶせて
海岸で皆殺しにしようとした。(どちらが鬼畜なのか)
そして戦後は、本土を植民地にしないという条件で沖縄をアメリカに売り
渡した。沖縄はアメリカの一部となり、返還されるまで外国となった。さら
に今、基地の状況といったら!
本土や沖縄で出版されている郷土史やNHKなどの報道で得た情報を少
しだけつなぎ合わせただけでこの有様である。これはまさに沖縄という
ひとつの文化圏のデラシネ=根絶やし、の歴史であるが、同様なことは
戦時中、東・東南アジア各地域で行われている。

話は戻る。今度は味の素だ。利益のためなら同胞への加害も含め何で
もやるこのような人間達が「手を変え品を変え」今も世界を跳梁跋扈して
いるのだ。
●生命/文化を破壊するのは日本の国益を損なう行為
食品は、人間の生命に直結する。
核兵器で殺されるのも、食品添加物
で殺されるのも、「生命を損なう」という点で結果は一緒
だ。生命に敵対
するものに我々はもっと敏感であるべきであり、大きな声でNOを叫ぶべ
きだ。
そして最も重要な事は、他国からうとまれるような行為は、
「国益を損な
う」行為
である、という事である。一部の我利我利亡者のために、日本
人全体のイメージが悪くなる、としたら、これは大変な損失だ。
我々を含め、
アジアに住む人々はちょっとさかのぼれば皆親戚のよう
なもの
である。我々はすべて友好と信頼でもって結ばれるべきで、味の
素が実践している「他人を利用して自分とその関係者だけ物質的に豊か
になる」というアナクロ・帝国主義的価値観は断固として唾棄される必要
がある事を強く断言しておきたい。