世界を結ぶひょうたん

ひょうたんのオーケストラ「ザ・ひょうたんフィルハーモニック」
とオリジナル・アートプロジェクト

世界各地に現存するひょうたんの文化。近代化の波の中でそれを忘れてしまったのは先進国とよばれる地域です。しかし私達は、現代の技術とひょうたんを組み合わせる中から、新しい文化を追求し、それを持って国外にも真価を問いつつあります。横笛、弦楽器・・・60種類を越える、ひょうたん製楽器による世界初の楽団。それがザ・ひょうたんフィルハーモニックです。
ジャンルを越えて集まったアーティスト達、世界各地との交流で吸収した新しい音楽の中から生まれるオリジナルな奏法。

ひょうたんは、伝統素材を元に、文字通り人々を文化で結ぶ新しいオーケストラなのです。

小編成によるエレクトリック・ライヴ公演/難波ハッチ


A.国内活動
特産品で新しい文化を

1. 地域活性化

・ひょうたん産地などに密着した活動
(関連資料:「神戸新聞 '99.11.7」、「新潟日報 '99.11.8」等。)
2.教育事業

  学校教育等での指導(楽器学の初歩、製作技術の初歩、作曲法など)
3.一般的商業公演、ワークショップ

  コンサートホール、公共施設など


B.海外活動

ひょうたんフィルは、海外活動を次の3つの柱をもとに行っています。(より詳しい活動内容、特に調査/研究等の一部は、「特集」の項でご覧になれます。)

  1. 音楽家集団としての演奏交流
  1. 学術関係者との研究交流
  1. 消えつつある伝統音楽などの現地フィールドワーク
(演奏交流)
1999年
アゼルバイジャン共和国の伝統音楽演奏家と

(研究交流)
2001年
ベトナムの伝統音楽
研究者と


オリジナル・アート・プロジェクトとは?

「ひょうたんフィルは単なる大人の遊びではない」

ひょうたんで楽器、というと、たいていの場合、‘笑い’で受け止められます。それはそれで場が和んで大変いいことなのですが、最終的には、「で、結局なぜひょうたんなの?」という言葉で締めくくられる事が多いというのがコンサートなどの反応です。「なぜ」という言葉の背景には、「既存の楽器が色々あるのに、どうしてひょうたんで新しく楽器をつくらなければならないのか」という、疑問があることでしょう。

「創造に対する新たなスタンスの必要性」

その答えは、ずばり、芸術音楽の世界にも「共生と多様化」を実現し、日本の文化の未来を考えていこうという事です。もとをただせば、三味線も尺八もピアノもギターもすべては輸入文化でした。「純粋な日本人」が「全くはじめから創造した」などといえるものは、原理的にあり得ません。日本の民族・音楽文化そのものが、渡来民族・文化の融合でできた、雑種なものであるからです。
ところが、このところ日本では、外来文化が山のように流入しているにもかかわらず、新しい芸術に耐える楽器、音楽は生み出されていません。これは、拝金主義に代表される、文化を軽視した態度が音楽文化そのものを駄目にしていることと、コンピュータに象徴される「なんでも機械にやらせて人間が作った気になっている」という時代背景によるところ、大であると感じずにはいられません。このような時代であるからこそ、私は「オリジナル・アート・プロジェクト」を立ち上げました。輸入楽器、輸入の音楽にのみとらわれず、渡来した文化の全てを消化・吸収し、そのなかから日本のそしてアジアの新たなアイデンティティーを確立して行く。それがこの思想の実質です。

「具体的内容」

そしてその具体的な特徴は、「地域で創造し、世界と共に」という手法です。地域の産物、日本の、その地域で特産となっている素材で楽器を作り、その楽器専門の音楽家も育て、教育も新たに興して、まさに個別の音楽文化そのもので村興しをしよう、という、遠大な計画です。この計画では、「みなで同じことをしない」というのが大事です。共生と多様化というコンセプトは、口で言うのはたやすいですが、本当に個性を育む社会を実現することは、色々な既成の概念との戦いでもあるのです。

「極力環境破壊のない楽器作り」

やみくもな輸入資源の浪費が世界規模の問題となっている今、地元の産物で地元の文化を作る、ということは非常に環境負荷の少ないやり方です。ひょうたんは、この計画の第一弾として取り上げた素材ですが、その主たる舞台は京都府福知山市と兵庫県三木市です。この二つの産地との連携で、この楽団は完成しました。言って見れば、この二つの産地は、「ひょうたんフィル」という文化を共有しているわけです。そしてひょうたんの優れている点は、一年草なので、たった一年で素材が出来、楽器になるということです。環境負荷も少なくて済み、しかもまるごと使いますので捨てる部分がほとんどありません。そして渡来楽器とは違う仕組みを持ち、美しい音色が出るとしたら・・これが私達の楽器だ、と胸を張って世界に出られるのではないでしょうか。
たとえば、商業的ヴァイオリン販売の現状を見てみましょう。ヴァイオリンの材料は、何十年も何百年もかかって育ったモミやカエデや黒檀といった木です。それらを切り倒し、その後に植樹するわけでもなく、製材した中の一部を利用し、楽器として使えない部分は他の用途にまわすか、捨ててしまいます。製作工程においても、ほとんどの工程を削ることによって仕上げますので、ごみを大量に出します。その始末は、また化石燃料で燃やすことで温暖化を助長します。そして出来あがった楽器を、特に量産品の場合、化石燃料と労力をかけて外国へと輸出し、さらなる環境負荷をかけています。環境意識の高い欧米人が、「100年計画で、リサイクル可能なヴァイオリン用の自然環境を整える」「ヴァイオリンの材料そのものを再検討する」といった代替案を考えることなく、このような野放図な楽器製作法を続けている、ということは、時代背景に照らして信じられない不合理なことだと感じます。楽器製作そして音楽創造の現場も、直面する環境問題をさけて通るわけには絶対に行かないと私は思います。
明治以来、モノを輸入して、欧米文化そのものを輸入したつもりになっている日本人の姿勢も、そろそろ改めなければならない時期に来ているのではないでしょうか。私達は、限りある資源を、できるだけ長く生かして次代に引き継いでいかねばなりません。「昔からそうしているから」という理由だけでやり方を代えないでいると、環境は破壊され、芸術は沈滞・衰微してゆく、そうなること必至です。私は、時代の要請に応える、まっとうな音楽文化の創造を「根本に帰って」考えていきたいと思っています。