反戦川柳作家 鶴 彬 (1909〜1938)
        (ツルアキラ)




   

     暁をいだいて闇にいる蕾 鶴 彬


              2008年9月14日大阪城公園内衛戍監獄跡地に植樹と銘石建立
      

    29歳で獄中死した鶴彬は、作家小林多喜二と並び暗黒の時代に生きた文学者でした。
    単に反戦川柳家というだけでなく、川柳文学者として素晴らしい多くの句を残しました。
    どんな時も志を曲げずに孤立無援であっても時代に流されず自分の句を作りました。
    彼の句が70年たった今も鋭く光るのはそれだけの強さと文学性の
    高さからではないでしょうか。                

         フジヤマとサクラの国の餓死ニュース (26歳)

         修身にない孝行で淫売婦 (27歳)

         ざん壕で読む妹を売る手紙 (27歳)

         枯れ芝よ 団結をして春を待つ (27歳)

         手と足をもいだ丸太にしてかへし (28歳)

         万歳とあげて行った手を大陸において来た (28歳)

         胎内の動き知るころ骨がつき (28歳)

         タマ除けを産めよ殖やせよ勲章やろう (28歳)

         屍のゐないニュース映画で勇ましい (28歳)

         食堂があっても食えぬ失業者

         大衆の怒濤死刑を乗り越える


      1909年石川県で生まれ、15歳ごろから詩や川柳を発表していました。
      1930年に金沢で入隊、
       22歳の時に治安維持法違反で大阪の衛戍監獄に収監され
      1年8ヵ月の呻吟の日を送りました。
      その後川柳生活を再開しますが、戦争批判の作句により特高警察に検挙連行され、
      29歳で東京中野区警察署で留置中に獄死しました。
      生涯に川柳1044句、評論85編<を残しました。

      2008年9月14日没後70年、顕彰銘石建立除幕式には全国から
      約200名が集まり偉業を称えた。
      その後記念句会があり約300名の大会となりました。

      私たちは、彼の偉業をたたえるだけではなく
      彬や多喜二が生きた時代に逆行しないように
      彼らが命に代えて残してくれたこの平和を次世代へ
      バトンタッチしなければいけないと思います。
      もし彬が生きていれば100歳になるはずで、
      一緒に楽しい句を作っていたかも知れない。
      彼の命を無駄にせぬように少しは社会をピッリとさせるような柳壇であらねば・・・


      生誕100年の記念句会 入選句

              クリーミーなマニフェストから鉛玉 (準秀句を頂きました)

         
             あっちむけホイ 阿修羅は前を向いたまま


      これからも川柳をツールとして社会に対する思いを伝えていきたいと思います。      



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