偽札とラブレター
その6


 純平が目を覚ましたのは、午前十時を大きく回ったころだった。あくびを一つして、布団の上に起きあがると、取り戻した本が目に入った。
「あれ?」
 素っ頓狂な声をあげて、彼は本を取り上げた。
「どうしてここに『うつくしい日本語』があるんだ?」
 純平は動揺しながらも、ページをぱらぱらとめくった。するとひらひらと一枚の紙が畳の上に落ちた。レポート用紙を折り畳んだもので、広げるとそこには、びっしりと鉛筆で書かれた文字が並んでいた。
 ラブレターの下書きか。
 純平は、紙の上に目を走らせた。書かれた文章を読み進むうち、頬がゆるんでくるのをどうしようもなかった。
 つたない文章だとは思う。それでも純平には、一生懸命考えながら文章をひねり出そうとしている慎一の姿が目に浮かんだ。
 まったく罪な女だよキョンキョンは。
“誰かの書いた文章のコピーなんか、お断りします”。
 コピーか──。
 それならどうだい、俺のやっていることは。
 純平は部屋を見回した。パソコンや高性能の印刷機に薬品、インク、果ては紙を作る機械まで。
 これはすべて“コピー”を作るための設備だ。キョンキョンのお気には召さないかな?
 その時、紙の隅っこに走り書きされた四文字熟語が目に入った。『温故知新』。
 懐かしい言葉じゃないか。小学校で習ったっけ。古いものを研究し、そこから新たなものを生み出す。
 ……俺のやったことは、温故どまりだった?

 純平は、ふうと息を吐いた。そしてやおら万年床の上に立ち上がると、ジャケットに袖を通し、慎一の本を小脇に抱えて──もちろんレポート用紙を中にはさんで、家の外に出た。

「お父さん、あそこに止まってる車、私服警官なんでしょ?」
「……よくわかったな」
 慎一と父親はもう二時間ほど、図書館の前に立っていた。入口の自動ドアには『本日は休館日です』の立て札がつり下げられている。
「あの一万円札、そんなによくできてたの?」
「うん。ふつうなら父さんにも見分けられなかったろうな」
「作ったのは、純平さん?」
「たぶん……いや、それをたずねるために、一度警察に来て、話してもらう必要があるんだよ」
「………」
 何本目かの電車が、図書館前の駅にすべり込んだ。改札から乗客が出てくる。
 慎一の目が、その中に純平の姿を認めた。右手にはあの本を持っている。そして自分の右手にも──。
 純平は手のひらを目の上にかざすと、道路の向こう側からこちらを見上げた。そして信号の変わった横断歩道を、手を振りながら駆け寄ってくる。
 隣の父親が何か合図したらしい。覆面パトカーから二人の刑事が降りてきた。
 慎一は緊張した。そして思わず叫んでいだ。

「純平さん、逃げてーーーっ!」

 歩道を通行していた人々、横断歩道を渡っていた人々、駅の券売機の前にいた人々、みんながこちらを振り向いた。純平の足も横断歩道の途中で止まった。そして慎一の肩を押さえている年輩の男性の姿が目に入った。同時に自分に駆け寄ってくる、いかめしい顔の二人にも気がついた。
 信号が点滅を始めた。まもなく車が走り出す。
 今ならまだ逃げられる。今なら──。
 純平はおおげさに深呼吸すると、軽快な足取りで横断歩道を渡り終えた。そして図書館の階段をトントンと昇ると、両足をそろえて、慎一の前に立った。
「こんにちは、慎一君」
「……こんにちは、純平さん」
 背後に迫った刑事たちも、純平の様子に顔を見合わせた。
「お父さんでいらっしゃいますか?」
「あ、ああそうだが」
「どうして気づかれたんですか?」
 父親はどうしたものかと面を伏せたが、すぐに決心がついたように顔を上げた。
「君は作った紙幣を日光に当てたかね?」
「いいえ。ずっと閉めきった家にこもっていたもので」
「少しでも当てたらすぐわかったろうにな」
「──そうか。変色したんですね。やはり検証不足だったか」
「………」
 純平は慎一の方に向くと、持ってきた本を差し出した。
「うっかり間違えてしまった。ごめん」
「あの……あの」
 目を泳がせる慎一に、純平は優しく話しかけた。
「安心して。レポート用紙はこの中にちゃんとはさまってるよ。──それから済まないけど、君の持ってる本は、ぼくの代わりに図書館へ返しておいてほしい」
「……はい」
「ありがとう──これですべて終了だ」
 純平はその場で身体の向きを変えると、立ちつくしている刑事の前に降りていった。
「あ、そうそう」
 純平は階段の途中で立ち止まると、振り返って慎一に笑いかけた。
「いつかぼくも、キョンキョンにラブレターを書いてみようと思ってるんだ。いいかな?」        
〈了〉

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