春を探して ロード初体験 室生へ
ロードバイク・・・・
今まで、どちらかといえばロードバイクは正直好きではなかった。ツール・ド・フランスやジロ・デ・イタリアなどのロードレースを見るのは大好きでも、自分がそれに乗って走るなんて事は考えたこともなく、ほとんど興味を持ったことすらなかった。いわば、「モータースポーツを見るのは好きでも、自分で乗れるとは思っていない」状態であった。
しかし、最近、所謂クロスバイクやコンフォートバイクなどMTBとロードバイクのいいとこどりをしたようなバイクが続々と発売され、よく売れているということは知っていた。
そして、去年の春に子供に通学用として、その類のバイク(スペシャライズド シラス)を買った。メンテナンスなどのついでに自分で乗ったみたりすることがあって、走りが軽いのに驚いた。
今思えば自分の中では、ロードバイクはレースに使うものであって、ツーリングに使おうとは思わなかったのである。しかし、今やどんなところでも日本国内であれば、ほとんどの道が舗装されている。山の中で遊ぼうと思わない限り、自転車はMTBである必要はない。さらに拍車をかけたのが、ソロツーリングである。最近、100キロくらいの日帰りツーリングが面白くなってきているのだが、舗装路のみでもMTB(しかもフルサス)では、自分の脚力はこれくらいが限界で、もう帰路はよれよれでつらいのである。
自転車関連雑誌でも長距離ライドの楽しさなどが掲載されていて、平成15年の秋ごろからなんとなく欲しくなってきていた。行きつけのショップでいろいろ相談して、見繕ってもらい、ついに先日納車となった次第である。
納車後の初ツーリングは自分なりのペース配分やメカニカルなことを知りたかったので、ソロで行くこととした。
最近自宅の奈良市から南下して桜井方面を目指すときによく使う道がこの道。天理からほぼ大和川(初瀬川)沿いに下ってくる。何よりも交通量が少ないし、公園として整備されつつあるので、途中ベンチのある休憩所があったり、花が植えられたりしていて和むことができるし、大変走りやすい。 ここではユキヤナギが満開だった。 さて、自転車のほうであるが、ハンドルの上のほうを持って走っているととても楽である。反面、すぐにブレーキングできないという不安もあり、恐る恐る乗っているという感じである。 とりあえず、変速に慣れるということとポジションを考えながら走ることにするが、他の自転車から使いまわしたメーターが完全に作動しないことが些細な事ながら気になり、集中できなかった。 |
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三輪の町を抜け、国道165線に入るが、並行して走る旧街道を走る。おそらくは初瀬街道として昔はにぎわったであろう街並みであるが、今では自動車はもちろん、人通りすらあまりない。 しばらくこのような街並みを見ながら走る。 この日は春とはいえ、日差しは強く、ウインドブレーカーを脱ぎロングジャージで走り出した。 |
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いったんR165線に出ざるを得なくなるが、今度は長谷寺の門前町に入る。昭和30年代?の匂いが残る街並みがある。 もう少し寺の前まで行くと、土産物店などで今もそれなりの賑わいを見せているが、国道から門前の入り口はこのような感じである。近鉄の長谷寺駅で下車した徒歩の観光客はこのあたりは通らない。また、道幅は狭く、自動車は一方通行である。 ここまで、ゆるゆると登り基調であるが、苦しむこともなく、まあこれなら乗れそうかなという気になってくる。 |
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長谷寺のしだれ桜が満開だった。 山門の手前にあるのでよく目立つ。 もう少しすると長谷寺は牡丹で賑わう。牡丹にはまだ早く、それほど多くの人出はない。 長谷寺は、桜も美しい。また木蓮もあり、この日しだれ桜の隣の白木蓮も今まさに開花しようとしていた。 それぞれの季節季節に趣があり、それをいやでも感じさせてくれる木々は理屈ぬきに美しいと思う。 |
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長谷寺から、R165を走る。 途中、「吉隠」という地名がある。「よなばり」と読む。難読地名のひとつだと思う。余談ながら、桜井市内には難読地名が多い。「大豆越」は「まめこし」、「外山」は「とび」など。 走るうち徐々に坂道がきつくなり、西峠に差しかかる。たまらなくなり、少し休憩する。 昼食を調達したかったので、近鉄榛原駅前に出たかったのだが、道を間違え遠回りしたうえ通り過ぎてしまう。 そのうち天満台住宅街にさしかかり、「山部赤人」の墓 という看板を発見し、ふらふらとそちらに向かうが、これも誤算。 えらい急坂が続き、休憩し、ついには押してしまう。 |
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押しながら歩いていると、とんでもなくたくさんの土筆を発見。妙に土筆を食べるのが好きな私はしばらくどうしようか考え込むが、今回はあきらめる。とても採りきれる量ではない。 またまた余談ながら、土筆は我が家では「土筆ご飯」にするのと、「卵とじ」の2つの料理で出てくる。あのほろ苦いのが子供たちには不評だが、私には懐かしい味だ。指先や爪の間を胞子で緑色にしながらはかまをむいた思い出がある。 |
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そのまま登り続けると小さな集落があり、集落の端で舗装路は終わる。目指す山辺赤人の墓は山道に入っていく。 道端にまだ梅が咲いていた。 かわいらしいピンクの花の間から、開発が進む山村の道路や重機が見える。 いろいろ考えさせられる風景であった。 |
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なんともシチュエーションに似つかわしくない状況である。 どんどん山道に入って行き、ついには畦道、山道となった。MTBならまだ何とか乗れるがさすがに乗る気にもならず、最初は押して歩き、最後はいきなりの担ぎとなった。 FSRではフルサスの構造からして非常に担ぎにくく、逆にこのようなバイクが軽いうえ、肩にフレームをかけられるのは皮肉なものである。 |
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ついに到着した「お墓」 実は別方向から車道が通じていた。以前ハイキングの雑誌で紹介されていたのは通ってきた山道で、それしかないと思っていたのが間違いだったようだ。 山辺赤人は聖武天皇のころの宮廷歌人で、この五輪塔がその墓そのものなのかどうかは不明らしい。 誰の墓かは別としてこのような日当たりのよい里山を臨むところに静かに眠る方は幸せだろうと思う。 |
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周辺は本当にのどかな里山風景が広がっていて、初めてなのに懐かしい感じがする。 おりしも南斜面にはいつくばって山菜取りをする方の姿もあり、心和む。 |
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そのまま下ってきてR165から室生口大野の駅前のパン屋さんで昼食のパンを買い、大野寺磨崖仏と対峙しながら、室生川の川原で日向ぼっこをしながら昼食。 ここのシダレザクラも有名であるが、まだ少し早かったようだ。 |
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昼食後、室生寺を目指し、また坂を登る。 室生寺ではあまりの人の多さに驚き、パス。 そのまま行き過ぎて、室生龍穴神社を本日の最終地点とした。 ここも人が多い。 しばらく休憩して帰路についた。 |
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帰路はいつものごとく写真ゼロである。 R165から針インターを通過し、いったん笠神社まで戻り、藤井町から天理ダムを下って帰宅した。 地図は持っていたのだが、なんとなく広げるのが面倒で知っている道を記憶でたどりながら帰ったら、えらく遠回りをしていたようだ。 さて帰宅してからであるが、確かに疲れ方がMTBの疲れ方と明らかに違う。そこからまだ庭木の害虫駆除を噴霧器でするなどという余力が残っていた。脚もひざの上ではなく、ひざの裏が疲れている。またくだりでカチカチになっていたのであろう、上腕が痛い。 今回は自分なりに「春を探す」というテーマで走ってみた。桜には少しばかり早かったようだが、心地よい疲れで夕食後明け方4時まで居間のソファで寝てしまったFSRであった。 |
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