1998年2月26日
朝、4:30に起きる。
5:00にピックアップトラックが迎えにくるのでゲストハウスのロビーで待つ。
ボートのチケットは昨日、ゲストハウスの人に手配してもらっている。
ボート代はUS$18。船着き場まではピックアップトラックで行き、そのお金200K(1$=250K)は運転手に直接支払ってくれということであった。
しばらくして運転手が来る。ゲストハウスのスタッフが熱い中国茶を入れてくれた。
昼間は暑いが、朝晩はちょっと肌寒いのでこれは体が暖まる。
やがて欧米人カップル、シンガポールから来ているというの女性が現れて、ぼくたち4人を乗せたピックアップトラックは出発した。
途中、2カ所ほど他のゲストハウスに寄り、数人を載せてバガン行きの船着き場に到着した。
まだ、真っ暗だがどこかの店からはビルマの音楽が大きな音量で流れている。また、ボートに向かう道は所狭しと露店の店が並んでいてにぎやかだ。
日本人とわかると「ヘイ、ジャパニ!これ要らないか?」などと声をかけてくる。
さっそくボートに乗り込む。
欧米人たちも次々と乗船してきて定刻通りボートは汽笛をあげゆっくりと岸を離れていった。
しばらくは座っていたが、動き出すと外の景色が見たくて甲板に出た。
といっても外はまだ真っ暗。 風が強く寒い。
フリースを出しておけば良かったと思う。
起きてから何も食べていないので少し早いが朝食にする。
チキンカレーが500K、コーヒーが100Kと少し高めだ。
やがて夜が明け始め東の方がだんだんと赤く染まっていく。
エヤーワディ川の遥か彼方からまるい赤い太陽が昇り始めた。
幻想的な風景だ。 そしてしだいに外が明るくなってきた。川を行き交うボートも増え、川沿いに生活する人々の風景も眺めることができる。
そして3時過ぎバガンの船着き場に到着。
9時間の船旅だが、長く感じず快適な旅だった
。 降りたのはいいが、ホテルやタクシーの客引きが来ない。
ここがバガンのどこかもわからない。
地図を見せてもあまり要領を得ない。何人か客引きらしき人がいたが、ぼくが行こうと思ってるニャンウーには行かないという。
船で知り合った日本人3人でうろうろしているとようやくニャンウーまで行くという馬車とサイカーの運転手が現れた。
このサイカーの運転手、上り坂になるとしんどいらしく降りて一緒に押してくれという。 「まぁ、いいか」と思いながらニャンウーまで連れていってもらった。
あとでわかったことだが着いたところはオールドバガンというところでニャンウーまでは約8Kmくらいある。
この距離をサイカーの運転手は汗だくになってわずか20Kで行ってくれた。
サイカーの運転手にいくつかのゲストハウスを紹介してもらいながら行ったが結局、最後に行ったEden Motelというところに決めた。
この時間だとまだ日が暮れていないのでさっそく夕日に染まるパゴダを見に行くことにする。
このあたりではシュエサンドーパゴダというところがほぼ上まで登れてて夕日も綺麗に見渡せるそうだ。 パゴダの下で裸足になり急な階段を何段も登っていく。
ここから見る風景は、まさに写真で見る風景そのとおりである。
大きいパゴダから小さいパゴダまで、有名なパゴダから廃墟になったパゴダまで360度見渡す限りパゴダが平原に広がっている。
やげて日が傾いてきてパゴダが夕日に染まっていく。
これもまた幻想的な風景だ。
考えてみれば朝日と夕日を同じ日に見たのは何年ぶりだろうか?
もしかしたら初めてかも知れない。
そんなことを思いながらバガンでの最初の日は過ぎていきました。
バガンでの一日
ゲストハウス 4$(朝食、ホットシャワー、トイレ付き)
昼食 フライドライス  150K
夕食 チキンカレー   150K
ミネラルウォーター   35k
レンタルサイクル    200k
US1$=250K