バレンタインにかこつけて息抜き企画2! そのひとの前ではよく顔が赤くなる女の子は、その意味をわかってもらえず、考えてももらえず、 それでも必死に 彼女は恋をしている。 お昼休み。学内の生徒たちの大半はいまだに昼食を取っているその最中。 ぶっきらぼうだが繊細さと年頃の少年らしさを併せ持つ高校生、月見里紫夜は武道館にいた。 活動中は竹刀を打ち合う乾いた音と床板を踏み抜く音、喝のぶつかり合いで活気に溢れている剣道場。 窓から日中の陽光が差し込んでいるその真ん中で今は、ただ一人の気迫が静かに、鋭く舞っていた。 紫夜は道着に着替えて素振りをしていた。 しかし白の剣道着は裾を紺袴に挟んだまま脱いでおり、腰にぶら下がった形になっている。 つまりは半裸で素振りをしていた。 その上半身には汗がとめどなく流れ続けている。竹刀の柄をにぎる両腕は絶え間なく振り続けられている。 振りかぶりながら右足を半歩前に出し、空気を斬断して剣先をビタリと面の位置で止め、それと同時に左足を右足のかかとに引きつける。 そして左足を下げながら振りかぶり、振り下ろすのと連動して右足をもどす。 それらを一連の動作にして止まることもなく繰り返し続けている。 前後を往復する送り足の踏み抜く位置は、寸分の狂いもなく同じ箇所を踏み。振り下ろされる竹刀の刀身はその度に烈しく、ぶれもせず空気を裂断して叩く。 細身ながらも男らしい肩幅。逆三角形をつくる盛り上がった広背筋。そこを流れ続ける汗の線。 振り下ろすたびに鋭く呼気を吐き、脇腹が締まって浅く割れた腹筋が溝を深める。 床板では、彼が足を往復する周り一帯に汗が水溜りをつくっていた。寸分でも足さばきを狂えば途端にすべるだろう。 どれくらい繰り返しているのだろうか。 本人すら最初から回数は数えていないのでわからない。汗でぬれてる髪の毛は少し元気のなさそうにボサボサとしており、汗をたらしながら宙を見据える眼は疲労ににじむことはなく澄んでいる。 無心だった。 そうなりたくて竹刀を振り続け、その状態に至ってからはもはや時間の感覚を忘れて振り続けていた。 髪の毛から汗が散る。振る腕から汗が散る。そうして散る汗すらも竹刀で叩き落し、紫夜は素振りをし続けていた。 その絶え間ない汗だくの一連動作を後ろからじーーーーと熱視線でさらに紫夜の汗を流させるように見つめる制服姿の後輩がいた。 入り口に隠れながらも覗かせるその髪形は、横髪から後ろ髪へ坂を上がるように斜めに切りそろえられたボブカット。ランランと輝くゆるんだ瞳で頬をトマトにも負けじと赤くしていて口は半開きだった。 「駿河」 少女の名前が呼ばれた。 「むぐ!?」 「片思いの相手とはいえ覗きはどうかと思うな」 と同時にその覗き犯のだらしなく半開きの口が急に背後から伸びてきた手で覆われた。 「〜〜〜〜〜〜〜!!?」 「しー」 口を塞がれたまま首だけで振り向くと優しげな顔つきの我らが剣道部の部長がいた。 頼りになるしっかりものの先輩である。あと名字も名前も読み方がとっても難しい。 やっぱりこちらも制服で、口元にもう片方の手の人差し指を立てて『静かに』のサインをしている。 困惑に開かれる瞳で部長を見たまま、駿河はおどおどしながらこくりと一度頷いた。それを確認しておそるおそるゆっくりと慎重に部長は手をはずす。 「な!なんむぐう!!」 「・・・だから静かに」 予想していたようにはずした手をすぐにまた押し付けて駿河の口へもどした。 「・・ふ、ふいあへん・・・」 「うん」 頬が赤いままもごもごと謝る駿河も三度目はしないだろうと思うので部長はすぐに手を離した。 視線を移して、入り口の影の駿河の頭上からいまだに竹刀を振って汗を散らしている紫夜の裸の背をチラリとうかがう。 どうやら気づいてはいない。ずいぶんと集中している。 部長は内心で感嘆した。 「あの・・・・・ぶ、部長、・・・・・いつ、から・・・・あの・・」 「ちょっと前から」 体を完全に紫夜から隠して、入り口の影で後輩のつむじを見下ろした。しどろもどろで羞恥にうつむいてそれはもうとっても気まずそうである。 「月見里に用があるけど声をかけられないのかな、と思って一分ぐらい見てたけどそうじゃなさそうだったので」 「・・・・・う、・・・うあぁ・・・・・・・!」 駿河はぼうんっ!と頬から顔全土を赤くして、この世の終わりみたいにうめいたら崩れるように膝からぺたんとスカートもくしゃくしゃに座り込んで真っ赤な顔を両手で覆った。ボブカットと手の合間から見える肌が道路工事の赤色灯のように染まっている。 「私っ・・・・!」 と、両手を顔から離して握り、平静な部長の顔を見上げたらまたも口の前に人差し指が立っていた。はっとして声の音量を落とす。 でも勢いは変えないで、ていうかその勢いに任せて駿河は真っ赤な顔に加えて半泣きで訊いた。 (ぶ、部長っ!わ、私、どんな顔してました・・・・!?) (いや、後ろから見てたからわかんないんだけど) 部長も合わせて声を落とす。ついでにしゃがんで目線も合わせた。ふたりで内緒話してる格好になった。 (でも肩たたいても声かけても大声あげると思ったからまあ、あまりひとに見せられないような顔をしているんだろうなと) (うわーーーーー!!だからって口ふさぐことないじゃないですかーーーー!!通り過ぎてくれればよかったのにーーーーー!!) もはや全泣きになって小声ながらも全力で駿河は抗議した。 (危ない顔して覗いてるところを月見里に見られるよりはいいかと思ったんだけど) (はう!・・・・・・あ、あぶない・・・・・!やっぱり・・・!?・・・・・・・・うぅ・・・・・・・ううう) (まあ、あんな格好で素振りしてる月見里もどうかと思うよ?) (あり・・・・・・・・あ、ありがとう、ございますぅ・・・・・・) (・・・無理して言わなくていいから) 赤い顔のまま涙を流してうつむいて、苦しげにお礼を言う後輩に苦笑して部長はなぐさめた。 「でも、どうしたんだろうね」 「え?」 声の音量をもどしてすっくと立ち上がった部長は朗らかな顔つきをすこし引き締めてそう言ったと思ったら、上履きを静かに脱いで入り口の影から出た。 (ぶ、部長!?) 「月見里!」 小声で、見つかりますよというニュアンスを加えて呼びかけたのに、それを吹き飛ばすように声を大にして部長は紫夜のたくましい背中に向かって呼びかけた。 「え、ええ!?」 そしてしゃがんだままの駿河の腕をつかんで立ち上がらせて、同じく道場の床の間に引っ張り出した。慌てて無造作に上履きをほっぽり脱ぐ。 「・・・・?うお!?なんだお前ら!?」 竹刀をビタリと振り下ろして止め、同じ筋肉ばかり酷使していたためにゆっくりと首だけ使って振り返ると部活の部長と後輩がいて紫夜は驚いた。同時に彼らに背を向けながらとっさに右腕で胸を隠す。 「・・・なんでそんな女の子みたいな反応を?」 「う、うるせえよ!」 部長のクエスチョンを浮かべる顔を無視して、急いで無造作に腰の後ろにぶらさがっている剣道着の袖に右手を通す。 すばやく竹刀を持ち替えて今度は左腕に袖を通す。 あせって剣道着を羽織ったのは左胸に刻まれた紋様を隠すためである。アンダーウェアなんぞはしていない。そういう男ならわざわざ脱がないのだろうが。 「で・・・・なにやってんだお前、ら!?」 するっ と、襟を重ねながら振り向いた紫夜が自分の汗ですべって足を交差させてひっかけてつんのめり 「げ」 紫夜の眼前に床板の木目が迫っていた。 「せ、せんぱーい!?」 ガゴンッッッ! 運動直後だったのでろくに反応も出来ず、一声もらしただけで紫夜は床板に体重をのせた頭突きをくらわしてその音を道場内に響かせた。竹刀が投げ出されて軽い音をさせながら床板を跳ねて離れていった。 駿河が赤かった顔を瞬間冷却して青くし先輩に駆け寄る。頭から床に突っ伏してる紫夜のもとにすべるように膝をついた。 「だだだ大丈夫ですか!?うわあ!ゆ、湯気が出てるー!?」 「おう・・・そうか・・・・じゃあ、俺の頭はわいてんのかな」 「なに言ってるんですか!?大丈夫ですか!?あ、いや頭がって意味じゃなくて!あれ!?頭なんですけど、あれ!?」 「額は大丈夫か、月見里」 平常通りの足取りで歩いてきて駿河の後ろに立ちどまってしゃがみ、正座をして、部長はわかりやすく駿河の言葉を言い直した。 「額っつーか、・・・・まあ駿河の言うとおり頭のほうが心配っつーか」 「え、ええ!?」 せっかく部長が言い直したのに、床につぶやきかけるような紫夜は駿河のほうが正しいように言う。聞いた本人だって驚いた。 「と、とにかくちょっと仰向けになってくださいよ」 「ん、ああ・・・」 駿河は想い人の肩に両手を掛けてその筋肉の感触にドギマギしながらぎこちなく動かし半回転させる。紫夜もそれに合わせて体をひねりごろんと転がった。 しゃがんで膝をついている駿河のすぐそばに紫夜の顔がある。憧れであり、好きな人。 駿河はその片思い相手の顔を、今日初めて見た。 さすがに汗でボサボサの髪もしなっていて、額の真ん中は痛そうに赤く腫れていて。澄んだ瞳は天井を見ていて。規則正しく吐き出される息は夏の陽気のような熱気がこもっていて。それと同じくして剣道着の胸が押し上げられて。 そして すごい、汗。 額にはびっしりと冬の窓の結露みたく汗が張り付き、つぎつぎに眉間やこめかみを通って頬のラインに落ち着き、最終的にあごにたどりつく。そこからしたたる汗はぽつぽつと、首元や鎖骨のくぼみへと落ちてゆく。すでにそこの小さなくぼみは満杯になっていた。 拭ってあげたくて、反射的に駿河の手はスカートのポケットに入ってハンカチを取り出していた。 「どうして・・・こんなに・・・」 不安そうに言いながら駿河は紫夜の額を拭う。腫れた部分はことさらにやさしく。 練習はしっかりやる人だけど、部活外でこんなにも無茶苦茶に竹刀を振るひとなんかじゃない。覗きながらも目を離せなかったのには、そういう疑問もあった。 改めて、さっきまでの自分がひどく浅ましく思えてちょっと落ち込む。 「あ、おい駿河、いいって。ハンカチびしょぬれになんぞ」 紫夜は熱い息を吐きながら、あごの汗を拭う後輩の手首をつかんでやめさせた。 「え」 いきなり手首を取られてその熱い感覚にドキッと駿河が硬直した。不安に翳ってた表情が一瞬で赤くなる。 「あ、・・・わりぃ」 紫夜は気づいてパッと手を離した。 いま自分の体はどこも汗だくだ。もちろん手の平だって汗だく。つかんだところを湿らすどころかぬらしてしまうぐらい水分を排出している。 駿河が固まったのはそれとは違う理由だということには気づかぬまま紫夜は寝たままで視線を頭上のほうへやる。 「あー、タオルあっちのほうに置いててな。ちょっと、待っててくれ」 「あ、そんないいです!大丈夫です!いいですからほんと!ほんともう大丈夫ですから!」 起き上がろうと半身を上げかけた紫夜を、ドキッとしたせいで舌が回らない頬の赤い駿河がとどめる。 しかし紫夜はためらって、汗を拭かれてちょっとさっぱりした表情で赤い顔をしている後輩を見た。 「・・・・いや、でもよ」 「いいですって!」 「道着の袖で拭いてやればいいんじゃないか?」 後ろで正座しながら黙っていた部長が、前髪の間から涼しげな目をのぞかせて急に提案した。 きょとんとしたふたり分の視線がそちらを向く。 「そっか。じゃ、悪いけどこれで我慢してくれ」 「ぅえ!?え、ええ!?」 上半身だけ起きた紫夜が即座にその提案にのり、道着の袖をつかみながら駿河の手首をぬぐった。 ハンカチを持ったまま駿河は片腕をひじを曲げて立てている、というおかしな姿勢のままで先輩に手首を道着で擦られてた。 な、なんか その状態のまま駿河はさらに顔の赤を増し続ける。 な、なんかなんかなんか! ヒートアップしていく駿河は早くも混乱状態に陥った。 なんかよくわからないけどすごく恥ずかしい・・・・・!なにこれ!なんでこんなことに!?う、ああ!先輩の熱気が手首から伝わってくる!近い、顔が近い!手首見られてる!すっごい見られてる!手首だけど見られてる!うああ先輩からもれる息がかかった!わ、わー!さ、さささ鎖骨のくぼみから汗がこぼれたー!!わー!わーー!うわーーー!し、心臓が破裂するぅーーーー!? パニックのあまり出血でもしそうな駿河の顔から湯気がシューシューと出てきて目がぐるぐるとしてきたところ 「ん・・・こんなもんか。まあでも、あとでちゃんと洗っといてくれ」 「へ!?あ、はははい!そ、そうですね!?」 顔を離して言う紫夜に目を回しながら頷いたが絶対洗わない!と駿河は決意していた。 実際は駿河のハンカチで拭いてしまうのが手っ取り早かったのだが、紫夜自身がなんとかしたかったのと部長の提案により嬉し恥ずかしの事態になった。部長のファインプレイである。 「・・・うーん」 でも部長はこんなにも駿河が興奮すると思わなかったのでちょっとやりすぎたかと思いながら正座のまま腕を組んでいた。 「それで?どうしたんだいったい」 それはともかくとして部長は、手を膝に落として汗だくの部活仲間に問いかける。 思い出したように駿河が部長を向いて、赤の残る顔で今度は前を向いて紫夜を見た。紫夜は部長を見てから、途端に心配げな表情になった駿河を見返す。すると視線をはずし、うつむき加減になって諭すように言った。 「あーちょっと、・・・なんつうか・・・ムシャクシャ、しててな。誰もいないとこで竹刀振りたかったんだよ」 「ムシャクシャ、・・・ですか?」 傍らの駿河が遠慮がちに、うつむき加減の先輩の表情を頭を傾げてのぞく。駿河は不安そうな表情で、紫夜はもどかしげだった。 「ん、・・・ああ」 はっきりしない物言いで、さらにうつむく紫夜に。駿河は拒否感を感じた。 先輩は、そのムシャクシャする理由に踏み込んでほしくないのかもしれない。 だけど。・・・・だけど。 チャンスだ、とか。元気を出してほしい、とか。なぐさめたい、とか。 こういうとき、片思いの相手に思うことはいくつもあって。そのどれもが本当で、とにかくなにかをしてあげたくって。 「何が、あったんですか?」 自前の、切りそろえられたボブカットのようにまっすぐにうつむく先輩の顔を見た。 その質問は部長がしたのと同じようで、だけどそれよりも一歩踏み込んだ問いかけだった。 紫夜が顔をあげる。 その顔が、困ったように眉が下がったのを駿河は見逃さなかった。 でも 「・・・・・それがよ」 話し出してくれた。眉はもう平坦で。だけど眉間にしわがすこし刻まれる。 「はい」 気づくと駿河は部長のように居住まいを正して正座をしていた。制服のスカートはしっかりももの内側に挟み、手は膝のうえに。 「・・・・ひとに言うとさらにムシャクシャしそうな話でな」 「はい・・・・え!?」 せっかく正した姿勢が前のめりになった。 「言えねえんだよ」 「ええ、そ、そんな・・・!」 前のめりになった背が固まった。ショックで開いた口が塞がらなかった。 そんな駿河を見て紫夜が固くなってた顔をくずしてちょっと笑った。 「竹刀を振ればなんとかなるような問題なのか?」 固まってしまった駿河はそのままにして、後ろのほうからピンと綺麗に姿勢を伸びている部長が言う。その言葉はなんとも平易で雑談みたいだった。 「なわけねえだろ。何やってもどうしようもねえから竹刀振ってたんだよ」 部長を見て答える紫夜の声もいつもと同じで。 「そうは言っても部活の前にやりすぎなんじゃないか?怪我だって治りかけなんだろう?」 「もう治ってるって。もともと大した傷じゃなかったのに周りが騒ぐからよ」 「釘が貫通したと聞いたけど」 「治ったもんは治ったんだ。疑うなら見るか?」 「よしなさい。女の子の前ではしたない。ほら袴に手をかけない」 「いや・・・太腿だぜ?」 「月見里は太腿なら女子に見せてもいいと思っているのかな」 「そうは言ってもセクハラにはなんねえだろ。それにこの前、駿河は軽く返してきたから特に問題はねえと思うじゃねえか」 固まっていた駿河をおいて雑談みたいに、というか雑談そのもので話すふたりの中間で、自分の名前が出てるのが聞こえた駿河はハッとして解凍され再起動する。 すると落ち込みからのため息が出た。前のめりがさらにのめって背が丸まり、床板と顔がスレスレの近さになる。 やっぱり、そう、簡単じゃないよね・・・・。 「ほれ見ろ。月見里先輩の太腿なんかどうでもいいよ、みたいなため息が出たぞ」 「え、ええ!?な、なんの話ですか!?」 紫夜が後輩のため息を勝手に解釈して部長に言う。駿河の丸まってた背がびよんともどった。 「月見里の太腿の話」 「な、なんでそんなやらしい話に!?ムシャクシャの理由は!?」 「別に俺の太腿はやらしくねえ。あともーいーってそれ。話したって俺の悩み増えるだけだし」 「ええ!?」 駿河は先輩に挟まれて首を前や後ろやぶんぶん振るう。 部長の真面目な顔が見えて、そして振るっていた視界に入った紫夜の顔に気づいた。 あれ? 首を止めて駿河はもう一度ちゃんと見る。 「・・・あれ・・・・?」 笑ってた。 普段でもあまり見れない、力の抜いた優しげな笑み。柔和で嬉しそうで勝気な、先輩にはちょっと似合わないような、だけどドキッとさせられるほほえみ。 「まあ、気にすんなって。お前見てたらなんかスッキリした」 「え・・・」 紫夜がまっすぐに駿河を見て、言った。 先輩の襟元の首筋を汗が一筋ながれた。 やばい。 駿河の体が硬直して、胸が熱くなる。 なんで先輩、そんな顔してるんですか。 頭が呆としてしまう。いろんなことがどうでもよくなってきてしまう。ただただ、幸せを感じてしまう。 「あ・・・う」 駿河の目が泳いで口が半開き、頬が桜色に染まる。目元には涙までもがにじんできた。 口をつぐんで短めの前髪で目元を隠すようにうつむいて、膝の上の両の手をぎゅっとスカートの襞をまきこんで握り締めた。眉間と鼻頭に力をこめて涙をぐっと抑える。 だめだ。 やっぱり、力になりたい。このひとのためになることをしたい。このひとのために、動きたい。 好きなんだ、このひとのことが。 「やっぱり、あのペンフレンドのことかな」 「!」 その駿河の様子を見てとった部長が、脇にいきそうになってた主題を引っ張りもどした。 駿河の体がさっきとは違う意味で硬直。膝上の両の手がさらにぐぐっと握られる。スカートから完全に膝頭が出た。汗がたらり、とこめかみを伝う。 顔を上げて紫夜を見ると、「あー・・・」と曖昧な声を出して目が脇に泳いだ。 「漫才のことで行き違いが?」 「・・・・もうそのネタよくねえ?」 歯切れ悪く紫夜は、にこやかな部長につっこんだ。 「・・・・先輩。理由が言えないのはわかりました」 こぶしを握ったままの駿河の心中にメラメラメラと燃えるものがある。譲れない想い、譲れないひと。ペンフレンドと言ったけど、駿河はあの金髪美少女が『生死を共にする仲』と言ったときの真剣な眼差しを憶えている。冗談だったとしても、どうしてもあの眼差しが心をざわつかせる。 駿河のすこしトーンを落とした声色に「やはり夫婦としては若すぎるのが問題になったのかな」「だから違えっつってんだろ」と進まない問答を繰り返していた声が止まった。 ふたりが両側から中間にいる後輩を見る。 「でも、何かできることがあるはずです!」 試合中のような真剣さを瞳にこめて先輩を見た。もしくは試合中以上の。 負けられない。 何もしないままなんて、絶対に無理だ。ていうかすでに負けてる気がしてちょっとあせる。 後ろの部長が慈愛を含んで微笑んだ。だれに向けるでもない自然に出たものだった。いつもにこやかな部長だからこそ、その微笑にふたりは気づかない。 「いや、でもよ」 「うん、そうだね」 「おいちょっとまて」 紫夜の否定的な雰囲気を押し込めるように部長は駿河に賛同する。 「あるはずです!先輩!なにか!なにかお願いします!なにか!」 「・・・つったってなあ」 あきらめムードの紫夜は部長に視線を送った。 いつものように笑顔である。その微笑みはこちらに味方する気はないようだ。 視線をずらして駿河を見る。 ものすごく、真剣に俺を見ている。 その瞳、その表情に宿る、真剣になっているわけを紫夜は読み取れない。 だけどその真剣さはわかりやすいほどに伝わってくる。 「・・・・じゃ、んー」 一応、あごに手をやり頭を傾げて、横目で離れた道場の木壁を眺めながら考えてみる。 紫夜のムシャクシャというのは、部長の言うとおりルチルが持ってきたものである。 諸悪の根源はローブの変人だが、しかしルチルの存在が彼をかき回すのは事実である。紫夜と同じこちらの世界の住人になんとかできることではなく、それはもちろん紫夜自身も例外ではない。ひとに言ったところで笑われるか胡乱げに見られるか、もしくは悩ませるだけになるだろう。その反応はそのまま、紫夜の負い目になるだろう。己の現実を、思い知らされる羽目になるだろう。 だからこそ、どうしようもなく。彼は竹刀を振るっていた。 難しく、考えることもねえか。 視線を、いまだに俺を見つめる後輩にもどした。 答えを促すようにうん、と向かいの駿河がひとつ頷いた。 「んじゃよ、あの金髪またここに来るかもしれねえからさ。来たら俺から遠ざけてくれっか?」 「はい!」 特に考えず勢いこんでいい返事をした駿河は 「・・・・はい?」 今度は首を傾げてすぐに曖昧な返事を返した。 予想していた反応に紫夜はすぐにその要望を引こうと 「いやならいいんだけ」 「や、やります!やりますよなに言ってんですかやります!」 こぶしをにぎったまま駿河は即座に立ち上がった。スカートの襞がほんのすこし揺れる。 予想していなかった反応に一瞬呆気にとられた紫夜は、あごを上に傾けて後輩を見ながらああ、引くに引けなくなってんのかなと思って 「いやならいいんだけど」 「な、なんでもう一度言うんですか!?やりますってば!だめって言ってももうやりますよ!!やりますからね!」 もう一度言った。が、なぜかさらに意固地になられて追い込んだような形になってしまった。 むむむ・・・と駿河がさっきよりもどこか可愛げのある真剣さで紫夜を見ていた。 「うーん」 提案したくせに腕を組んでうつむいて紫夜はちょっと考えてしまった。 まあ・・・・いいか? ずっとあいつにそばにいられると、頭がパンクしそうになるのは確かである。 あいつが同年代の女子といるところを見れば、俺のほうも変化があるかもしれない。それに駿河もそこまで根を詰めて追っ払おうとはしないだろう。たぶん。 「じゃ、まあ頼むぞ?」 「はいっ!!」 顔を上げるとこれから試合でもするような気合十分な後輩が短い髪をゆらして思いっきり返事をした。 「これはまた、最適なお願いをしたねえ。月見里」 「そうか?」 まったくわかってない顔で部長を見ると、涼やかな前髪の奥で変わらずににこやかな微笑をして正座をしていた。 駿河は立ち上がったまま燃えていた。 こぶしをにぎり、唇を引き締めて頭の中は打倒金髪少女でいっぱい。どこにいるかわからないけれど、見据える先にその姿を思い浮かべて剣道場の窓を射抜く。 負けないんだからと。その熱とともに決意を胸に刻み付けて。 「そういえばどうして半裸で素振りしていたんだ?」 「いーじゃねえか。部活中じゃねえし、誰もいなかったんだからよ。暑かったんだ」 「そうか、暑いと脱ぐのか。そうらしいよ駿河」 「へ!?」 「なんでわざわざ駿河に言うんだおい」 「は、はははい!わ、わかりましたあ!!」 「・・・いや、思いっきり返事すんなよ・・・」 その後はなんでふたりはここに来たのかと訊かれてやたらとどもってあせる駿河にそれを難なくフォローする部長であった。 駿河の頭にさっきまでの紫夜の姿が浮かんで、どうせなら次は前から・・・・などと考えて顔がにやけていた。 その顔を紫夜が困惑してあやしげに、部長が微笑みながらも呆れて見ていた。 おわり |