―――――ここでアナタを殺してしまえばゲームの勝者は私ね〜 お気楽に告げるセリフとともに、殺されそうになった。赤子の手をひねるように、首をひねるように。あっさりと。 首を絞められながら、視界が明滅しだしながらそのとき感じたのは、恐怖ではなかった。 なぜこんなわけのわからない奴に殺されなければならないのか、という理不尽に対する、怒りだった。 その時点での俺は、まだ気丈だったと言える。 だってそうだろう。抵抗する気概があったんだから。自分を殺そうとする相手に対して。 だけど ――――――サヨナラ パン、と軽い音を聴いた。 徒競走などで用いられるスターターピストルの音より軽かった。 言葉すくなに引かれた引き金。 飛散する血。 ドサ、と静物が地面に落ちたような静かな音。それはとても『物』が発するのにふさわしい音で。 それはさっきまで俺を殺そうと道化るようにわめいていた女で。 そして嘘だったみたいに『それ』は忽然と消えた。 目の前に、リボンで一つに束ねた金髪を揺らしてるこいつが立ってて良かったと思う。 穴の開いた額も、死体になったばかりの顔も見なくてすんだ。 なにより、人が死ぬ瞬間の顔を見ずにすんだ。 だけど代わりに。人が人を殺す瞬間を見てしまった。 おかしい。 そのときからようやく恐怖が、血液みたいに体のすみずみまで循環していった。 朗らかな殺意を向けられても、自分がおかしな殺し合いに巻き込まれたとわかったときでも。首を絞められたときでさえ。 こんな恐怖は感じていなかったのに。 それはただ、異常な世界に対する実感が湧かなかっただけだと思い知る。 感情的な殺意なら、俺の生きる周囲にも探せば転がっているだろう。 人が人を殺したニュースなんて、それだけでは情報社会において希少的にはそれほどのものじゃない。 だけどこんな理性的な殺意は知らない。 ゲームのルールというだけで。 見ず知らずの俺を護るというだけで。 何一つなくためらわずにどうして相手の額めがけて引き金を引ける? おかしいだろ、これ。 だってこいつは、普通のガキじゃねえか。長くてひとつにまとめた金髪がしなやかで、顔は整ってて、美人の部類に入るけどどこかぬけてて。 風呂場の俺を見て顔を赤らめたり、路上で売ってるアイスを欲しそうに眺めたり、人の兄を父親と間違えたり。 笑顔が映える、キレイで普通のガキじゃねえか。 それなのに、あの眼はなんなんだ。 引き金をためらいなく引くあの 眼は。 ××××× バチッ、と開眼した。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 暗闇の中で自室の暗い天井がうっすらと見える。 夢。 ベッドに横たわっている俺の体は汗だくだった。呼吸は浅く、鼓動は速くて、寝覚めは見事に最悪だ。 「・・・・・・くっそ・・・・」 腕を目元に押し付けて視界は周囲よりも暗い真っ暗闇になる。顔を覆っていた汗が腕の汗にまとわりついて混ざる。ドクドクドクと高鳴る鼓動は次第にゆっくりと心臓の警鐘を通常にもどしていく。 寝ても覚めても逃れられない。 怖い。 どうして俺はあのとき酔っ払いを放っておかなかった。 どうしてあのローブの野郎は俺を選んだ。 どうしてあいつは俺を護る。 どうしてあいつはためらいなく殺す。 どうしてこんなゲームがある。 どうしてあんなやつらがいる。 どうして世界は当たり前のようにまわってる。 どうして俺はこんなにも 怯えてる。 泣きたいのに、涙は出ない。 叫びたいのに、異状を知られるのが嫌で大声は出せない。 感謝しなければいけないのに、そんな気持ちにならない。 『あなたは私が命を懸けて護ります』 護ってくれるよりも俺は、助けてほしかった。 救ってほしかった。 この恐怖から。 この、 境遇から。 あいつは、俺がこんな気持ちでいることを知ったらどんな顔をするんだろうな。 ためらいなく俺のために殺す金髪に暗闇の心中で疑問を投げかける。 思い出すその姿は、あのときからいつも。 『あの』眼をしている。 ××××× 辺りはスッカリ静まっている真夜中の、廊下の木戸を開け放って、つっかけを履いてそこの縁側に腰掛けた。 「・・・・・・・明るいな」 月光が廊下にまで差し込み、月が辺りを煌々と白く照らしていた。見慣れた庭が月光でライトアップされてるだけで幻想的にさえ見えた。 けれど太陽とは違う優しい穏やかな光りは、どこかうすら寒く感じた。 汗を吸ったTシャツは夜気にさらされて肌を凍らすように冷やす。 気分も感覚も寒かったが、抗う気にもなれなかった。 重症だなと思う。 頭を垂れて、不規則に静まっている心情を不気味に感じながら思考をめぐらす。 恐怖が心を乱雑にしていく。 逃げたい。けれどそれは解決じゃない。誰かが代わりにターゲットになったとしても後味の悪さはねっとりと絡みつくだろう。 戦いたい。けれど相手は人間じゃない。すぐに殺されるだけだ。 俺はただ護られるだけ。 護ってくれる相手に怯えて、信頼もできずに、あいつが俺のために人を殺していくのさえ目をそらして。 だけどそれでも護られるだけ。 「・・・・・・・・・・・・くそッ・・・・・・」 地面をにらみながら、烙印のような刺青のされた左胸を汗で冷えたシャツの上から心臓をかきむしるようにつかむ。 俺は泣くみたいに目元を歪ませた。 「紫夜さん?」 背後からの突然の声に上半身が恐怖に揺れた。驚愕が顔に張り付いた。そして揺れたあと俺は固まった。 「どうしたんですか?こんな夜中に?」 背後からの声にはまだ幼い響きが残っている。夜中なのに起きてるのはお互い様だと思いながらも・・・あのときからその響きを聞くたびに思う。どうしてこんな奴がアンナコトヲ? 「あ、・・あの・・・・・紫夜さん?・・・まさか刻印がどうかしたのですか?痛んだりでも・・・?」 左胸を潰さんばかりにつかむ俺を見て、あせりを含んで心配しながら顔を覗きこんできた。束ねられてないしなやかな金色の一房がふわりと頬をなでる。 胸をつかむ右手にそっとやさしく手が重ねられた。 「・・・・・・っ・・・!」 その手を拒否して弾き飛ばす。その勢いで見たやつの顔には小さく驚きが浮き出ていて、そしてわずかの失意の色をのぞかせた。 「・・・紫夜、さん?」 「さわるな。・・・別に、なんともねえから」 「そ、・・・そうですか。すいません・・・・出過ぎたようで」 傷ついたように顔を翳らす様子が月光に照らされる。相変わらず、その身に余る大きなTシャツ一枚だけという、ある意味では若い女だからできる大雑把な格好だった。 「・・・・・・・・」 しばらく気まずそうに無言でおろおろと視線だけをさまよわせたあとに、思い切ったようにTシャツの裾を引っ張って縁側に腰掛けた。 「・・・・・なにやってんだお前・・・こんな夜中に」 その様子を横目で確認したあと、俺はそちらを見ずに薄く白く照らされた庭に見るでもなく視線をやって訊いた。こんな時間にここにいる理由を訊かれたくはなかったから、ただ口を開いた。 「え、いや・・・ちょっとその・・・・・目が覚めて・・・・・・」 「・・・・・・・そうかよ」 俺はただ庭を見てどうでもいいようにつぶやいた。このまま部屋にもどる気にもなれず、だけどここを動く気にもなれない。 望むなら今すぐこいつにどっかへ行ってほしかった。 そう思い至って、さらに思う。 ・・・どっかって、・・・どこだろうな。 こいつが使ってる部屋にか?それとも俺の目の届かないどっかへか?もっと、もっと遠く。俺を護ることもできないような遠いどっかか? 思考ばかりが進んでいく。 いつか俺はこの恐怖から逃れるために、自分が死ぬことが良いように、そう思えるようになるんじゃないかとまで思う。そう考えること自体が本当に重症だ。 音にならない、息を吐いた。 「・・・・大丈夫、ですか」 気遣わしげな声が近くから聴こえる。今の俺には、なにより非現実的なことを感じさせて、なによりそれが現実であることを認識させられるヤツの声。 それを聴きたくないと思うのは、俺が現実から逃げたいと思ってるのと同じこと。 それがすこし気に入らなくて、俺は答えた。 「大丈夫なんかじゃねえよ」 ぶっきらぼうに、疲れたように。相手の顔も見ないままで。 「大丈夫なんかじゃ、あるはずねえよ」 風が吹いた。縁側に座ってる俺たちの前をぬけて、それぞれの前髪を揺らしてく。 夜らしい小さな風。静かで涼しくて、そして不気味。 「紫夜さん。・・・・・・あの」 つぶやくような問いかけ。静まった深夜である今にはそれはちょうどいい音量だ。だけど何を言おうというのだろう。慰めでもするつもりだろうか。 「明日は、・・・・・晴れるでしょうか」 「・・・・・あ?」 しかし場の流れにも俺の心境にも合わない予想外の質問がきたのでついそちらを見てしまった。 「・・・知らねえよ。最近、雨続きだし。良純にでも訊け」 「だ、誰ですかそれ。知りませんよ私」 「気象予報士だよ。あんま当たんねーけど」 「じゃあダメじゃないですか」 「じゃあ当たってばっかの予報士なんかいんのかよ」 「さあ・・・。でも、それだと天気専門の予言士みたいですね・・・・というかまあ、それは別にいいんですけど」 そう言って上を仰いだ。月がその姿を照らす。夜空を眺める横顔は、幼さを残す少女のもの。Tシャツだけの姿はさらにそれを幼く見せた。 綺麗だ、と思った。 あの血にまみれた姿からは程遠いくらいに。 そう考えたのがいけなかった。 ブワッ!とその時の姿が強烈にフラッシュバックする。 理性だけの冷たい瞳。返り血で汚れた横顔。黒く重そうな、無骨な拳銃。それを軽々と握るしなやかな手。 殺したことを当然のように告げる、抑揚のない言葉をつむぐ唇。 朱の混じった金の髪。 感情の削がれた表情。返り血。 返り、血。 「・・・・・・・・っ・・!!」 片手で顔をつかんで俺は顔を背けた。 違う。 それは確かにコイツだけど。だけど今のこいつは違う。ただ月を見上げるだけのガキじゃねえか。 いつだって銃を振り回すわけじゃない。誰にだって引き金を引くわけじゃない。いつだって血に染まってるわけじゃない・・・! わかってるのに、どうして俺は・・・・・・・! 「元気を・・・・だしてください」 そんなことを言いながら、言ってるやつの声に元気がなかった。 だから俺はうっすらと、手をはずして声のほうをゆらゆらと見た。 繊細そうなラインを描く顔で月を見上げて、その光りを一身に帯びていた。 その横顔はさみしそうだった。 そのままの表情で、言葉をつむぐ。 「駿河さん・・・でしたっけ。可愛い人でしたね。元気で、明るくて」 ――――――月見里先輩!練習来たんですか!? 驚いていた女子部員の後輩の顔が浮かぶ。 「部長さんは、穏やかな方でしたね。とても優しそうでした」 ――――――みんなしっかり水分補給すること!休憩は十分だからな! 汗を拭きながらしっかりとした声で指示を飛ばす部長の顔が。 「東さんはにぎやかで。紫夜さんとはとても楽しそうで」 ――――――うんにゃー今日はコイツは見学よん なれなれしく人の肩にひじをのせる友達が。 月を見上げていた顔がうつむいて、金髪の前髪が表情に影を落とす。 「私が護るのは紫夜さんです。・・・けれど。それは紫夜さんと、あの方たちとの関係を守ることにもなります」 うつむきがちに、こちらを見て。 「・・・・お前」 そしてさみしそうな表情のままほほえむ姿が、何かほっとけなくて。ただ呼んでいた。何を言えるわけでもないのに。 「元気を、だしてください。・・・私は、あなたを護ると決めました。拒絶されても、恐れられても、否定されても、・・・・・・どんなふうに、呼ばれても」 俺から顔を背けて再び月を見上げて、そしてまたうつむいた。 その顔に滲んでいるのは、悲しみ、だったと思う。 「だけど、ダメですね」 へにゃ、と泣くのをこらえるような笑みを地面に投げかける。月がその長い綺麗な金髪を照らす。 「紫夜さんが元気ないと、さみしいです」 何も言えない。 ただ、俺はいますぐにでもそんな顔をやめさせてやりたいと思う。 額に銃口を向けて引き金を引く。あんなことができるのに、そんな顔ができることは、すごくつらいことなんじゃないだろうか。 「紫夜さん」 そしてまたこっちを見た。真剣な面持ちで。悲しみや淋しさは、その奥に潜ませるように。 「私は、守護者としての矜持やゲームの参加者としての心意気、そしてそれ以外でも、紫夜さんを護りたいと思っています。・・・あなたは参加者といえど、その意義も理由も持っていない。私が傍にいることさえ、おかしいんです。きっと、・・・ぜったい勝って終わらせます。だから」 そこで、言葉は止まった。 俺の顔を見れなくなったように目をそらし、深くうつむいてその長い髪に視線を隠す。Tシャツの裾の上に重ねられていた両手がキュッとにぎりしめられた。どんな顔をしているかわからないままで。 うつむいたままで、言う。 「せめて私といるとき以外は、あんな顔をしないでください」 泣きそうになるのをこらえるような笑顔にさせたのは誰だった。 「・・・・・あんな、顔?」 俺の声に振り向いた顔には、張り付いたような笑顔がそこにあった。どうみても、ボロボロの笑顔だ。 下手くそな表情だ。 「明日、晴れて青空でも仰げればきっと元気もだせます。・・・おやすみなさい、紫夜さん」 それだけ言ってから、握りしめていた手を解いてシャツの裾を抑えながら立ち上がり。固まる俺にかまわず、軽く頭を下げてから早足で廊下を歩いていった。俺はそれを見送ることもなく、遠ざかる、真夜中に廊下を小さくきしませる足音を聞きながら、馬鹿みたいに今まであいつがそこにいた場所を見つめていた。 あんな・・・・顔? やさしく重ねられた手を払いとばしたとき あいつが敵を殺したあのときの姿を思い出して顔を背けたとき 俺はどんな顔をしていた? あいつが手を汚すのは誰のためだ? あいつはなんて言った? 『俺を護りたい』? ・・・自分の意思も含めて、俺を護ると? それを否定されるのは、それを拒絶されるのは。どんな痛みなんだろう。 どんな 苦しみなんだろう。 ――――――護ってくれるよりも俺は、助けてほしかった 護ってもらっといて、俺は何を願ってる。 ――――――あいつは、俺がこんな気持ちでいることを知ったらどんな顔をするんだろうな。 あんな顔をするんだ。 あんな、ボロボロの笑顔になるんだ。 俺があんな顔にさせた。恐怖から、弱さから、甘えからそれを願って。感情を隠すこともなくそれを見せてしまって。 こんな状況から逃れたいのは、あいつのほうじゃねえのか? 普通の女の子なのに、手を血に汚し、護るべき相手、護りたい相手に恐れられ、拒絶され。だけど自分で決めたと言って甘えることもない。 それは強さというのかもしれないけれど。 だけど強いということは弱さを失くすことというわけじゃないだろう。 それに。 ・・・俺に、『元気をだしてくれ』というのは・・・・わずかばかりの甘えだったのかもしれない。 自分がどう思われても構わないから、せめてその思いだけに囚われないで、恐怖に苛まれる前の、いつもの俺らしいところを少しでも取り戻してほしかったのかもしれない。 たった、それだけの甘えだったのかもしれない。 「やっぱり、・・・・・おかしいだろ、これ」 俺は頭蓋骨をつかむように、両肘をひざにつき両手で目を覆ってつぶやく。汗で濡れていたボサボサの髪の毛はもう冷えて乾いていた。 泣いていた。 語尾が震えていた。下唇が震えていた。 泣きたいときに出なかった涙が手の平にせきとめられ、あふれ、音もなくいくつも支流をつくって頬をつたう。目頭が熱をもって、鼻腔の奥がぐずる。 こめかみをつかむ親指と、額をつかむ八指にぐっと力が入れられる。震える下唇を痛いほど噛みしめる。 ぽた、ぽた、と。ぱたた、ぱたたた、と。 湿った庭の地面に数滴の雨が降る。 「・・・・なんで、」 つぶやく声は完全に涙声だった。 なんであんなヤツが、こんなゲームに参加してんだよ。 なんで、 護ってもらってる俺が、あいつを傷つけてるんだよ。 なんで俺は泣いてるんだよ。 なんで。 なんで、こんなに苦しいんだよ。 月夜の白く明るい縁側で、俺は誰にも知られずに泣いていた。 目を覆って締めつけられるような胸を抱えて、泣いていた。 ――――――明日、晴れて青空でも仰げればきっと元気もだせます お前の顔が晴れなきゃきっとそんなことは無理だと、 俺は白く照る月を見上げることもなく、そこだけ雨が降り続ける地面にうつむいて頭骨を押し潰すように両手で目元をつかんで、その手の下を情けなく歪ませて泣いていた。 思い出すあいつの姿は、泣きそうな笑顔だった。 |