縁側お茶会。開設五周年おめでとう企画! 「……ただいま…」 がちゃり…と白雉家の玄関ドアをゆ〜っくりと忍び入るようにそっと開けるその家の長男、嘉祥。 「おーう兄貴おかえ、てうおおおい!!こらあ!!こ、こんの…っ!バカ兄貴またかこらあああ!!」 「…すまん。だがその、悪いとは思ってるんだけどほら…大声出すと寛和に聞こえるから」 んぐっと、いきなり爆発したこともまとめて飲み込み、廊下で眉間にしわを寄せているのは白雉家次男、嘉禄。 何を怒鳴ったのか。 それはいまの彼の兄の姿が、妹である五歳児の女の子にはちょいと刺激が強すぎるものになっているからである。 「…それよお、…兄貴の血も混ざってねえだろうな……」 嘉禄が不快げに唇を歪めてにらむ、目の前に立つ兄はなんと、行儀よく閉じられた学ランの前面を真っ赤にしていた。 ようは血まみれだった。 「どうだろう、あるかもしれないけど」 きょとんとした顔で自分の赤黒い胸元をつまんで目をやるその仕草は、アンバランスでなんとも言えず不気味である。弟である嘉禄であっても気味が悪いと思う。 と様子を見るために突っ掛けを履いて玄関まで出てくると、ドアに隠れていた嘉祥の右手が見えた。 「あっ!?なんだそのバット!?」 「……その、…置いとくところがなくて」 嘉祥が申し訳なさそうにそっぽを向いてうつむき返り血を浴びた頬をかく。 そして嘉禄はそのバットの様々な凄まじさに目をむいた。 「く、釘バット!?うっわ血まみれだし!?げえ!?しかもなんか引っかかってんの肉片かそれ!?…マジで!?うわあ!うっわあ兄貴ついに殺したのかよまさか!?い、いますぐどっかに身ぃ隠しやがれ!うちなんかじゃすぐに警察くんぞおいいいい!!」 と、どれだけ耳の遠い世間様であろうとも聞こえるかのように騒ぎ立てて、嘉禄はむりやり兄の背を方向転換させようとぐいぐいと押す。 「ま、まてまて嘉禄。べつに殺してない。それにこの引っかかってんの相手の制服だぞ」 慌てるふうもなく嘉祥が片手で持ち上げて示すバットに引っかかっているのは、人間の肉ではなく、千切れた布キレであった。 血まみれの。 ぐっぢょり…と粘性のある赤い液体に染まりあがった元の色がすでに判別しがたい布は、嘉禄が見誤っても、というか悪いほうに誤解しても仕方はない有様であった。 彼はそれが何であるかしっかりと認めるとうんざりしたように片頬を引き上げて呆れた。 うろんげに兄を見据える。 血まみれの釘バットを持って学ランを血まみれにして頬にも髪の毛にも赤を飛び散らせている、殺人現場から帰ってきたような兄弟の姿を。 年が離れてるとはいえなんでこんな兄貴にあの寛和がなついてんだか。ぜってー教育上よくねえぞこいつの行い。 肉片だろうと制服の千切れた布だろうと、けっきょくそれが相手のものであるのは違いがないのだ。それで殴らない限り、千切れることなどない。 「…そのバットで殴ったのには変わりねーわけだ…。ほんとに殺してねーだろうなあ、おい。…ほっといて失血死とかしてねえとも言えねーじゃねえか」 「そんなヘマしない。全員にほっといたって塞がるような傷しかつけてないって」 向き直ってさらっと嘉祥は言い放った。 「全員ね……何人いたんだか。つーか釘バットでそんな手加減できんのかよ。てかどこで手に入れたんだよこんなもん」 嘉禄は兄の手から釘バットを取って掲げる。 …うっわ。持つとこまで血に濡れてやがる……。湯気が漂ってそうなほどの新鮮さだなおい…。 ものすっごい嫌そうな顔をした嘉禄の手の平にベッタリと血がついた。バットも兄も手の平も同じく血なまぐさいったらない。 「急所はしっかり避けたぞ。それはもともと相手が持ってたんだ」 当然のように弁明する血まみれの兄に嘉禄は目をやる。 「向こうは半端なく本気だったんじゃねえか………。しかし兄弟でなんつー会話してんだ俺らは………はあ…ったく………」 血まみれ釘バットをガンッ!と地面に打ち下ろし、一度うつむいてため息を吐き出すと、ぐわっと顔を上げて嘉禄はお説教モードへと突入した。 「…いーいーかーげんっっっ!にっ!ケンカやーめろって言ってんじゃねえかよこんの不良兄貴!!俺ら男兄弟はともかくとしてだな!寛和にどう影響すっかわかんねーんだぞ!だいたい恨み買って寛和にも俺らにも危害が及ぶ可能性だってあるじゃねーか!そん時どーすんだ兄貴はよお!?」 す、と静かに殺気が発生する。 「…そいつに一生歩けなくなる傷を神経かそれとも足そのものに負わせて一生俺と同じ町にいられなくなるぐらいの恐怖を叩きつけてそれで一生」 怒鳴り散らす弟の言葉に瞬間、わずかに目を見開くとどす黒く目元を暗くしてうつむき血の臭いたっぷりの呪詛の言葉をおどろおどろと吐き出す嘉祥。 「そーいう思考回路をやめろってんだろーが血みどろクソ兄貴ィ!!」 嘉禄の怒りがバットを持っていないほうの手でチョップとなってドゴンッ!と兄の脳天へと一直線に突き刺さる。 「…いや、でも…その……だな。今日の人たちだっていつものようにその、向こうから…きたんだけど」 弟のチョップを脳天に乗っけたままでしどろもどろとうつむきがちに言い訳しはじめる情けのない血まみれ嘉祥。 「それだって最初兄貴が手出した相手なんだろ!?」 手をもどし嘉禄は一歩前へ。兄の嘉祥は気圧されるように一歩後ろへと後ずさる。ばごん!と壊しかねない勢いで嘉禄は後ろ手にドアを勢いよく思いっきり閉めた。 一応寛和がこの光景を目撃してしまうのを避けるための措置である。 遅すぎるが。 「…まあ一番初めは、憶えのないことで因縁つけられてきたんだけど。それからどんどん数が増えていって」 思い出そうとするように上を仰ぐ嘉祥。薄暗い藍色の空にきらりとした輝きがあった。 あ、一番星だ。たぶん。 「憶えがないなら解けよ誤解!がんばってよ!どうせ誰かに都合よく悪者にされただけだろ!?解けなくても逃げるとかなかったのかよ!」 「…でも手っ取り早かったし」 責め続ける弟に、嘉祥が気まずそうにそっぽを向いた。 「怠けんな!」 一喝する弟に、弁解しようと思って申し訳なさそうに眉を寄せて嘉祥が顔をもどして反論する。 「そういうけど、タイムセールがあったんだぞ?」 「そんな理由か!それこそ逃げてスーパーまで一直線でいーんじゃねえの!?」 ヒートアップはまだ続く。 「いや、でもほら、一度完全にやっちゃえばもう来なくなるし…」 「どんどん数増えてったんだろ!?」 「うん、まあ、だから今回は念入りに」 と、そこで兄のそっけないセリフに嘉禄の勢いと動きがピタリと止まった。ここまできてようやく上がりっぱなしのテンションは急ブレーキを踏まされる。 怒りでねじれるようにしていた顔を、苦さ満点の顔つきに歪ませて再確認した。 「……………………………………ほんとうに殺してねえんだろうな………」 「大丈夫だ。慣れてる」 うん、と血塗られた頬でまっすぐにこの兄貴は頷きおった。 「…言葉のわりに安心できねーセリフだわ」 はああああああああああああああああ、と長いため息をいろんなやるせないものとともに吐き出す嘉禄。額にあいてるほうの手を乱暴に押し当てて前髪をぐしゃぐしゃとかき回す。 「ネンショーとか行かれっとマジで困るんだからな」 本人相手に愚痴をこぼす。 社会的にも、生活的にも。…寛和に対する説明的にも困る。 ていうかよくもまあ今まで捕まってないものだとも思うけれども。 「…まあ、少刑よりはマシじゃないか?」 嘉祥は落ち込むような弟をなぐさめようとして言った。さすがに悪い気になったらしい。のだが 「とんでもねえこと言うな!」 お気に召してもらえなかった。 「えと………冗談、なんだけど」 「てめえが今のセリフ言ってそんないいもんになると思ってんのかあ!!!」 嘉禄の怒りがまた爆発していた。 「兄さん。まだ終わりませんか?」 がちゃりと嘉禄の後ろのドアが向こうから開かれた。顔を覗かせたのは三男の嘉元である。 嘉禄が振り返る。首をめぐらせて血塗られた釘バットを持っている有様で。 嘉祥が見る。首を傾げて学ランの前面血まみれの凄惨な姿で。 その赤いツーショットを嘉元が見ると、慣れたように力なく苦笑した。 「…通報ものの絵面ですね………『ブラッディブラザーズ』とか名付けられても知りませんよ」 「なんだそのうぜえあだ名は。つか俺も含めんな」 「ただいま、嘉元」 長男はマイペースに挨拶。それに対して今度は三男からのお説教が返ってくる。 嘉元は腕を組み、流暢に兄の問題点を指摘する。 「おかえりなさい大兄さん。でもですね、せめてその血落としてから帰ってきてください。寛和が見たら恐慌しますよ。嘉吉にだって悪い影響与えますよ。それとやたらめったらケンカで使った武器持ち帰ってこないでくださいよ。金属バットならいざ知らず、そんなウニみたいに釘が刺さってまだらに赤く染まった木製バットなんてどうするんですか」 と、嘉禄が持っているバットの来歴をつっかえもなくすぐさま理解して受け入れる三男。 「…あー、金属バットなら使えそうなのお前んとこの野球部に寄付してたもんな……付いてた血洗い落として」 嘉禄は呆れ気味に弟を見て、いつかの行動を思い起こした。 と、ワンテンポ遅れて三男の非難に対して、考え込んでた嘉祥がずれた答えをする。 「…土耕すとか、どうだ」 釘の部分を利用すれば、できるんじゃないかと嘉祥は真面目に考えた。 嘉禄がバカにしたように半目になった。 嘉元が一拍の間を置いて腕を解いて苦笑いした。 「シュールな図だなおい。バットで地面殴んのか。大地に恨みでもあんのかと思われんぞ」 「スコップ使ったほうがよほど早いです。とにかくそれはいつものところに置いときましょう。大兄さんは早いところその髪と顔と学ランの血を洗い落としてください」 「…わかった」 嘉祥は言われて水場のほうへとすごすごと向かう。案外、良い案だと思っていたようで納得してなさそうに首をひねっていた。 後姿だけなら特に問題のない兄を見ながら嘉禄が、ぶらぶらとバットを揺らして疲れたように口を開く。 「まーた溜まんのかよ……木刀とかバットとか鉄パイプとかゴルフクラブとか…もれなく誰のかわからない血液付いたの洗ったのが」 「そこに刃物が含まれてないだけマシと考えましょう」 「……そのうち追加されるかもな」 「やめてください。………とりあえず中兄さんもそれと一緒に手洗ってきたらどうですか」 弟二人の声のトーンは、次第に暗く落ちていった。 「ねー吉っちゃんー、まーだー?」 家の中では嘉吉が寛和の両耳を後ろから抑えていた。おとなしく従ってるようだが不満そうに眉を下げて一番年の近い兄へと振り返る。 「あー、まあ、もういいかな」 嘉吉は意識を外に向けながら手を離した。 怒鳴り声も聞こえなくなったし…なんか洗うような水音も聞こえてきたから大兄が流してるんだろう。……たぶん、返り血を。 「ねー?なんで寛和は祥ちゃんのとこに行ったらだめなのー?」 「俺もダメって言われてんだけど。だからさ、あーやって中兄が叫んでるときは大兄がとんでもないことになってるから俺たちに見られたくないんだよ」 「とんでもないことって?」 「俺が知るわけないじゃん」 ほんとうは知ってるんだけど。 でもそれを言ったら秘密にされてるのが自分だけだと気づいた寛和は不満がとまらなくなるだろうし。 はふーと嘉吉はため息をついた。 「…みんな何してるのかなー」 つまらなそうにそうこぼして、寛和は甘えるように嘉吉へとぽむ、と背を預けた。 あはは…と嘉吉は妹にわからないように表情だけで乾いた苦笑を浮かべていた。 「なあ、元。もうあのダメ兄貴、寛和に説教してもらうのが一番効くんじゃねえか」 「……あんな小さな妹を巻き込まないとなんとかならないんでしょうかねえ…」 ドア前で、いろんなことを諦め気味にふたりが呟いていた。 |