縁側お茶会。開設五周年おめでとう企画! 少年がひとり。 「は…ッ……!は…ッ…!はッ…!」 少し長い黒髪を後ろでまとめた彼は、汗を額にうかべて下校の道を必死に走り抜けていた。 目前に、見慣れた後ろ姿が現れて、ようやく追いつけたことに安堵する。 その後姿もまた少年。 「た、………拓〜…」 走りながらその名を弱々しい声でなんとか呼んだ。 ドォン!! 「……………ん?」 カバンを肩に引っ掛けながら歩く彼が、声ではなく轟音に嫌な予感を伴って振り向く。それは経験に裏打ちされた感じ慣れた予感であった。 「壮……」 そして見慣れた姿を認識して予感は現実となる。 「な、なんとかしてくれ〜」 「またか…」 見知った姿に拓也は声をかけて、壮二郎は肩で息をして情けない声を出しながら彼の傍らを駆けていく。 拓也の目の前には、巨大な異形が確かな現実感を伴って迫ってきていた。さきほどの轟音は、そいつが土手を削るようにして現れたときの衝突音。 その異形は空を軋ませるような不快音をこちらへと殴りつけるように叫びながら、危険であることを全身で発して人の五倍はある巨躯を戦車のように猛進させてくる。 なんの変哲もない人の身でありながら拓也は真っ向にその異形と相対し、下に伸ばした左手の先にいつのまにか一枚の紙を挟んでいた。 かける言葉は何もない。 その異形の前面に、拓也は腕を軽く振って無造作に札を飛ばす。その長方形の紙片をカードのように鋭く放り、音もなく異形へと接触。 その瞬間 ドンッッッ!! 爆発した。 付着した札からその全身を抉り散らすように破裂し、異形は断末魔さえ叫ぶひまなくその巨大な身をすべて破片に分裂させて拓也の上と地面にばらまいた。 爆風が拓也の髪を揺らしバタバタと学生服の裾をはためかす。コン、コンココン、と破片が彼の体にあたり跳ね返って、それ以外はただ撒き散らされて慣性が無くなり次第に止まっていく。 後に残る物はただ小さな、異形だったカケラ。 拓也はそれらに視線をやる。 異形が見える人間には見える、もはやただのカケラ。 もう動くこともないそれですら多くの人には見えることがない。 「………た、助かったあ〜…………あ、ありがと、拓…」 よろよろと肩を上下させながら壮二郎が息を切らせながら戻ってきていた。 拓也はため息混じりに振り向く。 「大丈夫か?どっから追われてたのか知らねえけど、お前もうちょっと体力つけたほうがいいんじゃねえの?たまにとんでもないもん引寄せるんだしさ」 「………そうだ、…ねえ……」 ぜえ、はあ、と壮二郎は荒く息をつきながらひざに手を置いて呼吸をもどしていく。 「……ほんとに大丈夫か」 「なんとか……」 はあ〜、と深く壮二郎は息をつく。 ふう、と拓也は軽くため息をつく。 「なんとかしねえとなあ、いーかげんに。やっぱり俺と栄一郎さんだけじゃ手が足りねーよ」 学生カバンを肩に引っ掛けて拓也は歩き出す。 「え、でも、なんだかんだ、今までなんとかなってるじゃんか」 なんとか呼吸をもどした壮二郎が彼に並んで歩く。 「今さっき死ぬとこだったのにのんきだなお前……。壮のこといつでも守れる奴が要るって言ってんの。手っ取り早くうちの家系で年頃のお嬢様でも探して、お婿にでもしてもらえばいーんじゃねえか?」 「…え〜」 壮二郎が嫌そうに眉を下げて唇と頬をゆがめた。 「…冗談だからそんな顔すんなよ。そんな厄介な体質引き取りたいとこなんか探したってねえって」 自分のセリフを翻して言う拓也に、今度は壮はつまらなそうに口を閉じて拗ねた。 「それはそれで複雑…」 「……難儀だよなあ…いろいろ」 そんな友人の様子を横目でとらえた拓也は苦笑していた。 「おー、ふたりともお帰り」 壮二郎の家に帰り着くと袴姿で竹箒を持った彼の兄、栄一郎が出迎えた。 「ただいま兄貴」 「栄一郎さん、ちょっと」 壮二郎の後ろで拓也が挨拶もなしに手を上げた。その仕草にすぐに感づいた栄一郎は、少し考えてから弟に声をかける。 「あー、………壮二郎。そういえば昨日、札切らしてた気がすんだけどはっきりしなくてさ、ちょっと宮のほうで探してきてくれないか。下の襖とか。あったらとりあえず持ってきてくれ」 「え〜?……………んー、…わかった」 ちょっとだけ後ろの友達を見て、壮二郎も気をつかい素直に従った。いくぶん小走りで宮のほうへと足を向けて駆けていった。 その背中が充分に遠ざかったのを確認してから拓也は口を開く。 「別に壮がいてもよかったんですけど」 「また死にかけたんだろう?本人の前じゃしないのが気づかいってものじゃないか。で、今度はどんなのだ。お前がケロッとしてるならそれほどでもなかったんだろ」 竹箒に片手を乗せて栄一郎が顔も向けずに訊いてきた。 死線のあとの恒例作業なので拓也も、すでに見えなくなった壮二郎が駆けていったほうを見たままですらすらと答える。 「かなりデカイ奴が一匹だけ。もう容赦なく襲ってきてました。まあ、ありがたいことに図体の割に知能はなかったんですけどね。て言っても危険度だけでも十二分に命を落とすくらいはあったんですけど」 「……それぐらいのなら、これまででも出遭ったことはある、と楽観視もできなくはないな」 竹箒の柄頭に両手を重ねてつき、その上にあごを乗っけて憂鬱そうに目を細める。拓也がそちらに視線を向けて話す。 「…栄一郎さん。確かにそうですけどあんなんが大挙してきたらいくら俺でも逃げるのが関の山っすよ?猪突タイプに多対一されたら死にますって。強力な式神でも妖怪でもいいんで専属で守護させるべきじゃないっすか?だいたい今まで人間の俺たちだけで守ってこれたのは運が良かったと思うんですけど」 確かな術者である人間の言葉に栄一郎はため息をついた。 「…あてがないわけじゃないんだけどな……気は進まないが。…もうちょっと壮二郎が成長してからのほうがいいと思っててさ。…思ってたんだけど今度危ない目に遭ったらさすがにもういいかな、とも思ってた」 「…あて?そんなもんあるんすか?」 きょとんとする拓也に栄一郎は目だけを向けて言った。 「たぶん今から壮二郎が持ってくる」 「はあ?」 しばらくして戻ってきた壮二郎が持ってきたのは、無造作に丸められた札の塊。探して見つかったのがこれだけだと言う。 受け取った栄一郎はそれを開いて中から折れた牙のようなものを取り出した。 「で、こいつにお前の血を与えればだな。壮二郎ちょっと血だせ」 「…血だせって」 とんでもない言い様に呆れて差し出した壮二郎の手の平には、すでに血がにじんでいた。さきほど異形に追いかけられていたときに転んでできたものである。 「あれ、お前もう怪我してんのか。まあちょうどいいか」 栄一郎はその手の平に、白い、牙のようなそれを置いた。 じわり、と真紅の血が白いそれに溶け込むように染まる。 「え、ちょっと兄貴いいのかそんなことして…?これ御神体とかじゃないわけ?」 あせったように壮二郎は顔を上げた。 兄の真剣な顔があり、その後ろには拓也がよくわからなそうに腕を組んでこちらを見ており。 その、さらに後ろに いつのまにか白装束の青年が亡羊として立っていた。 真っ白な髪に、鋭く、暗い眼つき。 薄い唇からは、静寂に包まれたような 「――――――雪之蒸――――」 なつかしむような静かな言葉が漏れた。 ………………………え? 瞳孔がほんの少し開く。 聴こえないくらいの小さな声は、拓也にも栄一郎にも壮二郎にも届いていない。唇が動いたのを見ていたのは壮二郎のみ。そのこちらを見る瞳がまるで誰かを呼んでいるようだと、どうしてか彼は感じた。 「!?」 驚愕は、拓也のもの。 背後に急な気配を察知した拓也が振り向こうとした際、その青年が彼を押しのけるように左へと吹き飛ばして踏み込んでいた。拓也は車に衝突されたかのようにその身を横様へと飛ばしていく。 「ッ!!」 青年はわずかな時間差のお陰で反応が取れていた栄一郎さえも、人外の速度で拓也とは真逆の右へと片手で吹き飛ばしていた。栄一郎が取れた反応は両腕でのガードのみである。 その瞬間、邪魔は消えた。 悠然と立つ青年と、その目前には壮二郎。 「――――――」 呆然と壮二郎は青年をただ見る。 表情も変えずに冷酷な瞳で青年は壮二郎へと、す、と流麗な動きで手を伸ばす。 その状況に危険を感じていたのは、青年の目の前の壮二郎だけではない。何より彼の正体がなんであるかを知っている栄一郎こそが一番戦慄していた。 しかしその栄一郎には見えていた。 吹き飛ばされながらも防御のために掲げた両腕の間から、反対方向へと吹き飛んでいる拓也が宙で半身を捻りながら、左手にすでに一枚の札を構えているのが。 拓也は踵で土を削りながら地面を掴む。その感触だけを取っ掛かりにして捻っていた上半身を無理矢理に回し、空を引き裂き札を放った。 目測はあやまたず。 無理な体勢からの投擲のため体を後ろに倒しながら拓也はしっかりと捉えた。 白髪の頭へと命中し、そこから爆発が巻き起こったのを。 「!!?」 後頭部の激烈な衝撃に青年の意識が飛んだ。爆音が轟いて周囲の木々にとまっていた鳥が一斉に羽を鳴らして飛び立った。 「ッ!!!」 ゴズゥッ!!! そして目の前に立っていた壮二郎の額へとめり込ませるような頭突きをくらわしていた。 爆破の反動のせいである。とうぜん壮二郎の意識も彼方へと吹き飛んだ。 握っていた牙も離れ、飛んで、転がっていった。 「おー、いって……っと」 拓也が地面へと突っ込んだ後頭部をさすりながら上半身を起こす。 すぐに爆破したほうを見やるが、そこには予想外の景色があった。 「……犬?変化できんのかよ?…つーか無傷?」 起き上がって見るのは、大の字に寝ている壮二郎の姿。だがそれよりも目にとまったのが白い中型犬が壮二郎よりも向こうに寝っ転がっていることだ。ピクリともせずに倒れて血を流していなければ傷らしい傷もない。あれだけの攻撃を真っ当にぶつけられたのに気絶してるだけだというのだろうか。 と、視界の端に赤いものが映った。 「あれ?」 拓也はわずかに視線を下げる。 今見たとおりあいつは無傷… 「お、おお!?だいじょうぶか壮!?あ、わ、悪ぃ!俺のせいか!?」 赤いものは、壮二郎の額から流れ出てきた血だった。 「いった……やっぱりあんまりいいものじゃないな…。…呪術だしなあ」 慌てて駆け寄る拓也を尻目に、竹箒を杖にして立ち上がった栄一郎がふらふらとすこし離れたところへと歩み寄る。 目的のものを見つけて上半身を曲げてそれを拾い上げる。 手の中には、折れた牙。 己の家系が何であるかを端的に示す、忌まわしい媒介である。 その後、栄一郎が転がる犬を叩き起こし、牙を用いて壮二郎を家の中へと運ばせた。 壮二郎の手当てをして布団に寝かし。 彼が起きるまでに栄一郎が拓也に庭先で無理矢理に座らせた犬の存在、己の家柄について、壮二郎のことを説明し。 今度は白犬の恨みつらみを訊いた。 壮二郎がぼんやりとまぶたを開けたのはその辺り。 耳に暗く響く怨嗟の声を聞きながら思うのはたったひとつ。 可哀想だ、という思い。 同情か、憐憫か、傲慢か、慈悲か。ぼやける天井を見ながらただ思った。 ―――――可哀想だ。 そして結局は栄一郎の希望通りに事は進み。 壮二郎は数百年前からの恨みを抱く犬神との主従を望み、認める。 白露という、名を与えて。 |