●トップページへ


 ぼくがサッカーを好きになったわけ。

  2002年6月14日金曜日−−−。そう、日韓FIFAワールドカップ
H組予選リーグ第3戦、日本VSチュニジアの日である。

                  

  スタジアムは長居。この日、ぼくはひとりSB席にいた。もちろん、チケ
ットは、正規申込みで手にしたものではない。ラッ;;キーにも、ネットでの個人
売買でドイツ人の名が書かれたチケットを(嫁に聞こえるとまずいので、大き
な声では言えないが)9万5千円で手に入れたものだ。まあ、15万や20万、
30万という話もあったので、良心的な価格で買えたのだろう。
  その日ドイツ人となったぼくが、そのG2ブロック38列77席と名付け
られた席に座ったのは試合開始3時間前。JR長居駅を降りたところで買った
代表ユニTを着ていた。背番号は、8。ホントは、18<小野>のが欲しかっ
たのだが、Lサイズが売り切れ。「まあ、これでもええか…」と「モリシの8」
の最後の1枚を、上半身マネキンから引っ剥がして買ったのだ。
  一生に一度のW杯という祭りに参加するのに、まあ衣装はいるよな…。代
表戦はテレビで何度か見ていた。ドーハの悲劇における中山の歪んだ顔も、ジ
ョホールバルの喜劇での野人岡野の顔もリアルタイムで見てきた。でも、その
時点では、サッカーに対しての思いはそんな程度でしかなかった。

  そして、はじめての長居スタジアム。目の前に見えるのは、一面の緑の芝
生。そこに転々と散らばる、遠くからでもなんとなくわかるA代表選手達の姿。
耳慣れたニッポンコール。時間の進みの遅さのもどかしさを忘れようと、なん
度も繰り替えされるウェーブ。僕を含め、本当に本当に、幸運にもこの日の出
来事に参加できた=選ばれた人になった幸運を噛み締める日本人たちの祭りだ
った。

                 

  15時30分、ホイッスルが鳴り響き、前半開始。アイーダとニッポンコ
ールが鳴り響く最初の45分間。素人目に見てそれは点をとられる気配もなか
ったが、点をとるような気配もなかった45分間だった。
  ゲーム後半。予選落ちの可能性も含んだ、よどんだ空気のなかでの後半の
キックオフ。前半の鬱々とした試合運びが続くのかと思われた、後半開始3分。
鈴木→ヒデから鈴木に出されたボールを相手DFがクリア。そのボールをペナ
ルティエリアのなかで巧みに瞬時にポジションチェンジしていたモリシが押し
込んでの、そう、ゴールだ。
  ゴールネットが揺れた、まさにその瞬間、スタジアムも揺れた。全員が立
ち上がる。ぼくも同じように立ち上がり、頭上に腕を付きだしそして声を上げ
た。まさにどよめく叫びの連続だった。それは、1分近くの時間だっただろう
か。

  今思えば、この1分の間にぼくのからだにサッカーが染み渡ったのだろう。

  サッカーにおけるゴールとは、スタジアムが歓びの歌を奏でる合図のため
のスイッチだった。ゴールネットが揺れた瞬間にそれが始まる。ゴールを得る
ことによって勝利を得るのは、選手達であって、観客ではないはずだ。なのに、
みんなもぼくも叫んだ。選手の歓びとスタジアムの歓びを奪い取ろうと、ぼく
は叫んでいた。

                 

  ただ、結果であるゴールはあくまでも結果であってサッカーの本質ではな
いはずだ。そこにあるのは、ボールをシュート、ゴールへつなげようと、選手
達によって何度も執拗に繰り替えされる行為(プレー)の数々。そのひとつひ
とつを目撃する観客たち。
  パスミスをする、タックルなどによって相手DFに奪われる。シュートし
てもふかす、蹴りそこなって枠外へ打つ、ポストに嫌われる、ほんの僅かので
バーに弾かれる、キーパーに阻まれる・・・。そんな数々の失敗の山のなかの、
ほんの、ほんのひとつまみの成功。それがゴールの正体であり、フットボール
とも呼ばれるスポーツだった。

                 

  同じ歓びを再び目撃し味わうために、ほぼ1カ月の後、セレッソ大阪の長
居での試合に足を運んだ。
  7月に2試合。8月1試合。9月1試合。10月1試合。11月2試合。
あの日と同じように、ゴールのたびに立ち上がった。ゴールを外すたびに落胆
した。そうして、ぼくはサッカーの虜となり、セレッソ大阪のSB席のサポー
ターとなった。


●トップページへ