通天橋から出て、本堂前を通り山門に寄る。三門は、応永32年(1425)の再建で1977(昭和52)年、大修理が完成した。、現存する禅寺の三門としては日本最古のものであるという。五間三戸二重門である。「五間三戸」とは正面の柱間が5つ、うち中央3間が通路になっているという意味、「二重門」は2階建ての門だが、「楼門」と違い、1階と2階の境目にも軒の出を作るものを言う。上層には釈迦如来と十六羅漢を安置。三門は空門・無相門・無作門の三解脱門の略。南都六宗寺院の中門にあたる。東福寺は新大仏と呼ばれるような巨大な本尊を安置するなど南都二大寺に影響を受け、この三門は大仏様(天竺様)、禅宗様(唐様)、和様をたくみに組み合わせた建造方式となっている。

  ここも入れなくて外廻りを見るだけだった。まだまだ回るところもあるが、時間的に空腹になってきてもいて先を急ぐことになる。入ってきた日下門を出て右に折れ行くと臥雲橋があり、ここから通天橋を眺めると渓谷洗玉澗に広がる絶景の景色になる。さっき見た通天橋から見た景色を裏側から見ることになる。ジーズンになると大勢のカメラを構える人が並ぶので、立ち止まり禁止にしているところだそうだ。無料で絶景が見られからなおのもと駆け付ける人が多いという。今でもガーどマンがたくさんいて、入り口出口や主な角には立っている。観光バスからは次々と客が入ってくるという状況なので最盛期はとても来られるものではないと思った。

  短い散策ながら京都の名所を見るのは楽しみなことだった。人が少ないといいが、それは名所を訪問する以上は無理なことだ。
 通天橋を通過して右手の少し坂の階段を上がり、門を通って目に入るのが開山堂の建物で、別名常楽庵といい、もとの建物は文政)年(1819)に焼失し、同6年に一条忠良によって再建された。屋上に閣を持つ類例を見ない開山堂で、正面柱間八間、内部は禅式瓦敷(四半敷)、祀堂は床高で開山国師像を安置。上層伝衣閣は正面三間、内部左右いっぱいに壇を設け、中央に阿弥陀、右に薬師、左に布袋像を祀ります。前方天井は格子天井で、この縁から見る庭園は、四辺の眺望を借景にして格別である。

 普門院は、開山堂の西に位置する寝殿造風の建物で、開山国師常住の方丈とつたわる。内部は三室に仕切られ、その襖絵は花鳥草花・唐人物を主題とし七十四面(重要文化財、桃山−江戸)からなる、画流各派の競作が残されている(現在は収蔵庫に収納)。開山堂・普門院をはじめ、書院、庫裏、楼門、裏門そして鐘楼を合わせて全7棟が、国の重要文化財に指定されている。公開されていないので残念ながら判らない。

  普門院の前庭も兼ねた池泉鑑賞式庭園は、開山堂への参道を中ほどまで進めば左手に枯山水の庭が開けます。枯山水は約百坪の平庭式で市松の砂紋をつけ、鶴島、亀島を象った石組を配して蓬莢山水をあらわし、対面の池庭は築山風、池中に亀島をつくり枯滝がある。別の方丈庭園、龍吟庵には重森三玲の作になる庭園があり、近代庭園の傑作と言われているところもあるのだが行けていない。

 開山堂をでて道を下り、通天橋に戻らずに下の方に行き、通天橋上から見た景色の中に入って周辺を撮る。以外とこの辺りまで観光客は来ていないのが不思議だ。
 京都散策で紅葉の東福寺に行くことになったが、11月中旬前では早すぎて紅葉はあまり見られなった。一緒に行ったメンバーは寺院に興味のない人もいて、ゆっくりと見たいところを回れなかったのは残念だ。最近の散策の記録はいつも、時間がなくてというグチになる。一人で気の向くままに歩くのが一番いいのだが。一人では寂しいし、一人でわざわざ出かけるという行動が億劫になってしまうのだが。

  東福寺は、京都市東山区にある臨済宗東福寺派大本山の寺院で、山号を慧日山(えにちさん)と号する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は、九条道家、開山(初代住職)は聖一国師円爾(しょういちこくしえんに)である。京都五山の第四位の禅寺として中世、近世を通じて栄えた。明治の廃仏毀釈で規模が縮小されたとはいえ、今なお25か寺の塔頭(山内寺院)を有する大寺院である。京都紅葉の名所として、いつも秋には紹介される。京阪東福寺駅で降りて、伏見街道を歩き中門から入る。本来ならば北門から入り仁王門を見るとことなのだが、案内するメンバ−は何回もきているようで、一番効率的な歩き方をしているようだった。

 紅葉の見られる名所、通天橋に入る。ここは有料であるが人も多い。遠くからきた人たちもいるようで、日本語以外の話声も耳に入る。東福寺は三門、本堂、方丈、庫裏などからなる主要伽藍を中心に25の塔頭寺院がある。主要伽藍の北には洗玉澗という渓谷があり、西から東へ臥雲橋、通天橋、偃月橋という3本の橋(東福寺三名橋)が架かる。通天橋は、本堂から通じる廊下がそのまま屋根付きの橋となったもので、この付近は特に紅葉の名所として知られる。残念ながら早かったのだが。

  それでも、色づいた付近をアップで撮ってそれなりに雰囲気はでていると思う。自画自賛になるが。通天橋は天授6年(1380)に春屋妙葩が谷を渡る労苦から僧を救うため架けたと伝えられる。昭和34年(1959)台風で崩壊したが2年後に再建、その際橋脚部分は鉄筋コンクリートとなった。洗玉澗一帯に繁る楓は俗に通天紅葉と呼ばれ、開山聖一国師円爾弁円が宋国より渡来したものとつたわる。葉は三つに分かれ、黄金色に染まるのが特徴で、数は二千本あるという。


     
      



京都「東福寺」散策