C 円満寺 (西本願寺)
  天文2年(1533)、証如上人を守るために殉教死した21人の門徒宗の菩提のために、久左衛門が証如上人より教圓という名を授けられて、天文3年(1534年)に一宇の坊舎を建立。これが居原山円満寺のはじまりで、創建時は摂津国下仲嶋野田村惣道場と称していた。その後、江戸時代中期の宝暦4年(1754)に圓満寺という寺号を拝受、本尊は阿弥陀仏像。山門は寛政7年(1795)に上棟されこの寺の建造物では最古のもの。 本堂は万延元年(1860)に再建されて現在に至っている。欄間の微細な彫刻や樺材や檜材をふんだんに使用した江戸時代後期の建築様式を今に伝える希少な建造物という。境内には証如が与えた感謝の文書と供養碑がある。

D 野田恵比須神社
  大阪湾が今よりもずっと奥深くはいり込んでいた頃、初めて野田の地に住みついた漁民の一団が、自分たちの信仰するエビスの大神を祀ったのが起源。 戦国時代には、大阪方面に勢力を伸ばそうとした織田信長に対抗した四国の豪族三好氏がここに城を築き、野田城の守護神として武士たちの信仰の対象となっていたと考えられている。 祭神は、事代主大神、天照皇大神、八幡大神。

  明治の時期、古事記や日本書紀などに載っている神様を祀ったものが正式の神社だった。えびす様では、神社の祭神としては認められず、少しでも関係のありそうな神を古典の中から探して、大国主命の御子である事代主命と解釈したという。従って、野田の氏神であり、漁業の神、転じて商業の神、福の神である恵美須大神として信仰することが、最も素直な姿であり、最も自然な姿。また、境内に末社が三社ある。熊野神社、稲荷神社、金刀比羅神社で、野田の地に住んでいた人々の中にも、全国的に著名なこの神々を特に信仰する人たちがあって、年代は不明ながら、この社の境内にこれらの神々を祀りはじめたらしい。


E 野田御坊極楽寺 (東本願寺) 野田城跡の石碑
  円満寺と同じ證如上人ゆかりの寺である。天文2 年(1533)、本願寺第10世証如上人が布教活動中、六角定頼と法華宗徒に襲撃される。この時、野田福島の一向宗門徒の百姓たちが、命がけで証如上人を守って紀州へ逃がしたが、21人が殉教死した。その菩提を敬うため、門徒宗の墓所に建てられたのが極楽寺。江戸初期には、大阪・南御堂(難波別院)の掛所となり、その後、野田御坊として今日に至っている。御本尊は阿弥陀仏。

  また、この辺りは野田城跡伝承地と言われる。野田城は享禄4年(1531)頃に築かれ、後に畿内一円に勢威をふるった三好一党が改築したのではないかと推測されている。元亀元年(1570)織田信長は、石山本願寺に攻め入り、この後10年にもおよぶ「石山の合戦」が始まり。天正4年(1576)、石山本願寺と同盟を結ぶ三好一党は野田城に立てこもり、織田軍と戦うが落城。 天正6年(1578)には毛利水軍と戦う織田軍の重要な拠点になるが、その後は歴史から忘れ去られ、現在ではその痕跡すら見つからないという。「城之内」「弓場」という地名が明治はじめまで残されていたことから、玉川付近にあったと推察されている。

 この後、大阪中央卸売市場(元住友伸銅所跡)の前を抜けて、JR野田駅へ行き解散となった。中央卸売市場は休日で閉まっていたのだ。また、下福島公園(元福島紡績・日本紡績跡)もノダフジを探して通過した。   

 


B のだふじ
 福島区の花は「のだふじ」である。玉川春日神社総代の藤さんは「のだふじ博士」と言われている人で、ご定年後から本格的に代々伝わる古文書を解読、整理して、神社横に「のだふじ史料室」を開設されている。今回、グループでは機会があって、この場所で藤さんから「のだふじ」の由来を丁寧にご説明していただいた。(藤さんは、「ノダフジ」は表現が硬いので「のだふじ」と記すようにしているとか)

 
  説明していただいた資料などから、「野田藤(正確にはノダフジ)は、ヤマフジに対するフジの別名であり、藤の花の学名が「ノダフジ」であることはあまり知られていない。総称としてのフジと区別するため、牧野富太郎博士が命名した日本のフジの固有種である。江戸時代には、「吉野の桜、野田の藤、高尾の紅葉」といわれた「野田藤」は、現在の大阪市福島区玉川付近に咲いていたフジのことであるという。」

  「ノダフジは、ヤマフジと比較すると、つるは伸張しやすく右巻き。花は小型で花穂は長く、普通は20-60cm。中には九尺フジといって、花穂が2m近いものもある。一本仕立て、鉢植えにもできるが、つるが伸張しやすいので棚づくりに向き、古くから各地にフジの名所や名木がある。成長すると花の房が地面に届くほど長くなり、優雅に薄紫の花を咲かせる点。但し、手入れが大変でこまめに剪定してつるの誘因をしないと花は咲かないそうだ。

 ヤマフジは、花は大きく香りも強いが、花穂は10-20cm程度。葉はやや厚みがあり、つるは左巻き。ノダフジに比べて開花が早く、花の見応えがあるので、一品仕立てに用いられるが、鉢植えにもできる。」

  4月中旬から下旬ごろが藤の花の咲くころ。玉川春日神社ではこの頃の休日に、「のだふじ祭り」が催されているそうだ。今春にはぜひとも藤棚から下がった満開ののだふじを鑑賞したいものだ。咲く時期は毎年の気温などで影響されるそうだが、ゴールデンウイーク前あたりがいいそうだ。
A 近辺の長屋
 福島区には、戦災の被害にあまり遭わなかったため、長屋など昔の住居が比較的多く残っている場所がある。その中で景観は見事で、懐かしい昭和30年代頃の路地に迷い込んだような錯覚を覚えるところがある、。住人の方々が、この長屋を大事に守っておられる様子がうかがえますし、耐震への備えは充分にされて、ぜひとも残していってほしい町並です。現在は、空家を強制的に増やして、再開発でマンションにしてしまう場所が多く、こういう雰囲気の場所は凄く減っている。

  このエリアには約2000戸の長屋があるそうですが、毎年200戸ほど取り壊されているという数字がある。最近各地で昔の景観保存や町興し運動が広まっており、この付近でもぜひとも取り組んでほしいものです。直接に中を拝見することもできず、外からの町並をいくつか撮ってみました。名前などが入らないように配慮したつもりです。

 今回は野田・福島で、長屋通り、野田のフジの由来、神社寺院などの見学で近辺を散策した。

@ 松下幸之助創業の地
 野田阪神は、大阪市福島区大開にあり大阪市営地下鉄千日前線と阪神の駅がある。野田阪神駅前から野田阪神本通りはあり、ここ大開町は松下幸之助さんゆかりの地である。創業の場所と工場跡に看板があるが、とうぜんながら記念碑と看板以外は何もない。松下幸之助さんの物語りは今更説明するまでもないし、現場の写真のみにしました。

創業の地を歩こうMAPは「大開町と松下幸之助に関する事業」委員会の資料より
野 田 福 島 散 策