この後、室生寺前バス停留所まで戻って、しばしバスを待ち帰りは大野寺前で下車する。大野寺も枝垂れ桜があるが、時期を過ぎていて寺内には入らない。塀が意外と低いので高い木は外からでも眺められる。目的は宇陀川の対岸の岩に刻まれた磨崖仏を見るためだった。高さ13.8mの壮大な弥勒如来立像で、鎌倉時代前期に興福寺の雅縁が監督をし、笠置寺本尊、弥勒菩薩を模したと言われる。
磨崖仏を拝観して近鉄室生口大野駅まで歩いてから、電車で帰途についた。雨の一日だった。
* 下の写真の左上は龍穴 右と下は大野磨崖仏
昼食後、室生寺から20分ほど歩いて龍穴神社に行く。こじんまりとした神社で、境内入口の鳥居の両脇に聳える巨木には圧倒される。鳥居をくぐった右手には、2本の杉の木が繋がった連理の杉もある。境内の奥に入母屋造の拝殿があり、拝殿の後方、朱の垣の中に朱の美しい本殿がある。前に、小さな境内社の祠(道主貴社、手力男社)が祀られている。拝殿には「善女龍王社」とある。善女龍王は、弘法大師が神仙苑に雨乞いを行った際に現れた龍王だと言われている。という。この神社は、室生寺よりも古く、室生寺は龍穴神社の神宮寺ともいわれて龍王寺と呼ばれていた時期があった。
御祭神はタカオカミノカミで、古くから雨乞いの神として知られ、平安時代には公的な雨乞いの儀式もここで執り行われたという。ここよりさらに約1km程分け入った山中には「室生龍穴神社奥宮」があり、そこに龍神が棲むと伝わる「龍穴」がある。延喜式(967)内の古社で、雨神タカオカミノカミを祭り、雨乞いの神として知られる。
神域には龍穴と呼ばれる洞穴があって、いまでも雨乞いの行事が行われている。やや急な坂道を歩き、小さな門をのところから階段を下がると洞穴が見える。
さらに石段を上ると如意輪観音を本尊とする本堂(灌頂堂)(鎌倉時代、国宝)があり、その左後方の石段上に五重塔(平安時代初期、国宝)がある。五重塔は800年頃の建立で、木部を朱塗りとする。屋外にある木造五重塔としては、法隆寺塔に次ぎわが国で2番目に古く、国宝・重要文化財指定の木造五重塔で屋外にあるものとしては日本最小である。高さは16メートル強、初重は1辺の長さ2.5メートルの小型の塔で、高さは興福寺五重塔の3分の1ほどである。朱塗りの五重塔は室生寺のシンボルで、案内パンプレットには必ず掲載される。
五重塔脇からさらに400段近い石段を上ると、空海を祀る奥の院御影堂(みえどう、室町時代前期、重文)に達する。雨で階段が滑りやすくて危ないと上に行く人はいなくて、残念ながら奥の院には今回も行けなかった。
仁王門まで戻り、ここを出たところに売店と休憩所があり、雨宿りをしながらの昼食をした。
生憎の雨になった日、 室生寺を訪問した。
ここは奈良県宇陀市にある真言宗室生寺派大本山の寺院。山号を宀一山(べんいちさん)と号する。開基は賢m(けんきょう)で、本尊は釈迦如来。奈良盆地の東方、三重県境に近い室生の地で、室生川の北岸にある室生山の山麓から中腹に堂塔が散在する。
平安時代前期の建築や仏像を伝え、境内はシャクナゲの名所としても知られる。女人禁制だった高野山に対し、女性の参詣が許されていたことから「女人高野」の別名がある。
近鉄室生口大野駅からバスに乗り20分ほど、バス停留所から川沿いに少し歩き、この室生川に架かる朱塗りの太鼓橋を渡ると、正面に本坊があるがここからは入れない。右方に行き受付で入場料を払い、しばらく行くと仁王門(近代の再建)がある。この仁王門を過ぎ、最初の急な石段(鎧坂)を上がると、正面に金堂(平安時代、国宝)、左に弥勒堂(鎌倉時代、重文)がある。金堂は特別拝観の時期で、 国宝の釈迦如来像・十一面観音像の拝観ができた。