近江鉄道は1時間に1〜2本しかない。帰りの時間を気にしながら駆け足で最後に大岡寺(だいこうじ)へ寄る。古城山(282.9m)の麓にある天台宗の寺院。「岡観音(おかかんのん)」の名で親しまれている。白鳳14年(686)僧行基が諸国行脚に際し、大岡山の山頂に白彫の十一面千手観世音像を安置し創建したと伝える。境内には近江を遊行した松尾芭蕉が、「野ざらし紀行」の中で「いのちふたつ中に活たるさくらかな」と詠んだ句碑も建てられている。芭蕉の句にあるように、寺の付近は「大岡寺の桜」として名高い桜の名所という。

 世話役さんの予定では、古城山水口岡山城址史跡、宿場町の面影を残す高札場、東見付、本陣跡などが入っていたが、時間の関係で回れなかったようだ。機会があれば再訪してもいいかと感じた。またお寺も多くて歩いて間にいくつもあったが、あまりにも次々あるので写真に撮るのは諦めた。それと曳山の保管建物も背が高いのですぐに判る。町ごとにあるようで、最盛期には30基を超えていたが、今は16基になっているとか。
 近江鉄道「水口石橋駅」近くから、宿場町として賑やかだった筋がある。江戸時代、水口は東海道50番目の宿場町、加藤氏2万5千石の城下町として地域の政治、経済、文化の中心として発展した。水口宿はどちらかといえば休憩中心の中間的宿駅。初代安藤(歌川)広重の「保永堂版」にはかんぴょうを干す女たちが描かれている。このかんぴょうは藩主の加藤氏が下野から移封されたときに導入して特産にしたものらしい。また水口宿で人気の食べ物は「どじょう汁」であった。 
 少し歩いて行った旧水口町旧図書館(昭和3年〜45年)で、老朽化が進み何度かの修復を得て、現在は国の有形文化財建造物になっている。月に1〜2回しか公開しないそうだが、ラッキーにも開館の日で中を見学できた。狭くコンパクトながら出窓や椅子など使い勝手を考慮した設計がされているという。
 資料館で食事の後は、城址周囲を歩きます。埋め立てた住宅街の一角に梅が池があります。九州に左遷させれらた菅原道真の子菅原淳茂が一社を建てこの地に梅の木を植えて池を掘った。水は枯れることなく湧き続けた。これが美濃部天満宮と梅ケ池の始まりといわれている。今は、住宅地の中になってしまったが、石碑と池らしきものが残っていた。子供は四散させられたが、この地に母の生家があったという説だった。

 城址を1周して水口宿跡へ歩くが、先に藤栄神社(ふじさかえ)による。 旧水口城内になる場所で、 初代城主の祖父加藤嘉明を祀った神社があった。文政十二年(1829)藩によって創建され、明治になる前は嘉明神社(地元では、かんめさん)と呼んでいたそうである。豊臣秀吉より拝領と伝えられる刀剣や、高麗鞍など旧藩主家伝来の違宝が数多く伝えられ、水口藩政時代を知る資料である。  
  



 ここ水口町で2つのヴォーリス設計の建物を見ることができた。ヴォーリスは近江商人発祥地である近江八幡市を拠点に精力的に活動し、建造物も多いし何回かはこの建造物の見学に行っているが、各部に使いやすさや見映えを考慮した設計を説明されて感動する。

 本名ウィリアム・メレル・ヴォーリズは、アメリカ合衆国に生まれ、日本で数多くの西洋建築を手懸けた建築家で神戸地区など各地にある。建築家でありながら、ヴォーリズ合名会社(のちの近江兄弟社)の創立者の一人としてメンソレータム(現メンターム)を広く日本に普及させた実業家でもある。そしてまたYMCA活動を通し、また「近江ミッション」を設立し、信徒の立場で熱心にプロテスタントの伝道に従事した。讃美歌などの作詞作曲を手がけ、ハモンドオルガンを日本に紹介するなど、音楽についての造詣も深かった。
  
 水口キリスト教会は、木造の温かみがあり、和室も付いていて地域の活動に活用していた。理事長さんが丁寧に近辺教会建物のことやヴォーリス設計の特徴を説明していただいた。

 



  
 
 滋賀県甲賀市の水口町の散策です。江戸時代の東海道宿場町として栄えたところです。徳川家光が京都上洛の際の宿泊所として小堀遠州に築城させて水口城があった。別名「碧水城」といわれ、堀の水はどこからとも出てくる湧水だけで常に水を蓄えているという。 

  現在の水口町は、2004年10月に土山町、甲賀町、甲南町、信楽町と合併して甲賀市(こうかし)となっている。市役所の本庁など主要機関は水口町にあるそうだ。しかし、甲賀忍者の里や信楽焼の方が名前が知られているのは事実でもある

  交通はJR京都から草津経由で、草津線貴生川(きぶがわ)駅、そして近江鉄道で水口南城駅で降りました。町の元気なボランティアガイドさんに案内されて、雨の心配はないが曇った空模様の中を散策しました。

 先ずは、歴史資料館で民俗資料や大きい曳山展示などを見ます。4月19日、20日に町内各所から保管している曳山が練りだしてお祭りがあるそうだ。ここの山は担ぐタイプという。
この後は、水口城資料館にて昼食見学です。 明治維新で廃城となり大半は処分されたが、旧本丸は水口高校の運動場になり、出丸の部分に資料館の建物として再建されたようです。
滋賀・水口町散策