*大徳寺大仙院も、有名な枯山水の庭園があって拝観したが、写真は一切禁止されていて何も残らず、今回の記録には載せない。自分で撮った写真を掲載しないとブログの意味もないと思うからだ。それにしても大仙院は観光優先ながら、写真撮影を禁止にしたのだろうか。受付でくどいように釘をさされ、各所に写真禁止の貼紙があった。  


*この掲示内容は、ブログから転用しています。要するに手抜きです。     
      
  

   


 
 
         
 






 
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 3.慈照寺 銀閣寺

  金閣寺と並んで有名な銀閣寺に行きました。ここも凄い人で一杯です。写真も落ち着いてとれる雰囲気ではありませんが、庭園を撮る人は少なくて反対側を向いて撮ると意外と良かったようです。

 銀閣寺は俗称であり、正式名には慈照寺である。文明14年(1482)に足利義政によって建立された。祖父義満の北山殿金閣(鹿苑寺)にならい、隠棲生活を過ごすために山荘東山殿を造営した。義政の死後に相国寺の末寺として創始された。

書 物によると、金閣になぞらえて慈照寺観音殿が銀閣と呼ばれるようになったのは江戸時代以降のことで,金閣寺の金箔が貼り付けられているのに対し、銀閣と通称される慈照寺観音殿には外壁に黒漆は塗られているが銀箔は使用されていない。「当初は名前のとおり銀箔を貼る予定だったが、幕府の財政事情のためにできなかった」という説や、「銀箔を貼る予定であったが、その前に義政が他界してしまった」という説、「外壁の漆が日光の加減で銀色に輝いて見えたから」という説がある。創建当時から銀箔はなかったのは明らかだそうだ。

 庭園は錦鏡池(きんきょうち)を中心とする池泉回遊式庭園で、苔寺の通称で知られる西芳寺庭園(夢窓疎石作庭)を模して造られたとされるが、江戸時代に改修されており、創建当時の面影はかなり失われている。波紋を表現した銀沙灘(ぎんしゃだん)と富士山型の向月台が白砂で表現されている様は見事である。

 西芳寺の座禅石と龍淵水の構造と思われる箇所や、昭和6年発掘で姿を現した傾斜地の石組は自然とは思えぬ三段の滝の跡か、作る過程で止めたのか不明なところである。


 
    







  2.金閣鹿苑寺

 金閣鹿苑寺は、銀閣寺とともに修学旅行や海外観光客の定番コースで、この日も満員の観光客でした。団体のバスが次々と入り案内係に誘導されて、金閣寺のよく見えるポイントで一斉に記念写真を撮り、そのまま庭園を回って出口へと急ぐ、駆け足の見学だ。金色の建物だけが印象に残る訳だ。

 だいだいがツアーで観光地へ行けば、こんな情景になるのであって、お寺がたっぷりと儲けているのだろう。警備員が各所にいて見張っているし、ビデオカメラの監視もいたるところで設置してある。本来はイタズラで破壊する者を監視するのだと思うが、カメラの三脚はダメ、そこへ行ってはダメと煩く注意される。 ある意味では観光気分も台無しになっている。行き過ぎた警備をして高い入場料を取ってと、本来ならば行きたくないところだ。京都の観光地は皆なではないが、こんな雰囲気になってきていると思う。

 今回の目的は庭園鑑賞なので、建物はあまり関心もないが、由来は足利3代将軍義満が、応永4年(1397)に、山荘北山殿として造る。義満の死後、遺言により夢窓国師を開山として鹿苑寺と名付ける。国師の思想による庭園の美が残っている。

 鏡湖池を中心とし、葦原島など大小の島々や、銘石が配された池泉式回遊庭園は、当時の優雅な趣があり、国の特別史跡に指定されている。また、ほとんどの人は素通りしてしまう、銀河泉、竜門瀑などは、本来ならば日本庭園の形式として残ってほしい箇所なのだ。
 京都の有名なお寺巡りの2回目になる、今回も庭園見学で研究されている先生の説明付だから、先生の説明資料をところどころで拝借して一日を追った。

 最初は龍安寺なので、ここが集合場所になる。立命館大学の近くにあり市バスで行くが、バスは満員だ、学生がやはり多いし、休日とあって家族連れも多い。また、修学旅行生がボランティアガイドの案内で、10名ほどのグループで来る。最近は、子供の自主活動に任せてグループで、行きたいところを話し合って決めさせているのか、先生は見当たらずに京都市委託のガイドさんが引率している。

 この後も、各地で見かけたし、減っているのだろうが外国人、韓国人、中国人はよく見かける。だいぶんマナーはよくなってきたようだが、それでも割り込みや大声で煩いなど気になることも多々ある。日本人でも平気でゴミは捨てるし、バスや電車で座席を独占するし、横に広がって歩くので危ないなど嫌な光景もよく目にする。


  1.竜安寺

 龍安寺は、枯山水の石庭で有名なところだが、臨済宗妙心寺派に属する。宝暦2年(1450)に、細川勝元が寺地とし妙心寺の義天玄承を開山として創建されている。
庭の解釈は難しいが、先生の話から重森三玲の抽象化された鶴亀蓬莱の庭と解釈し、三方の壁に囲まれた白砂の平庭は枯山水の原点と言う。

 
 








京都日本庭園拝観        (2回目)