7.俊徳丸鏡塚古墳
横穴式石室の古墳で、入り口が狭くて実際には外から見ただけだった。
俊徳丸は高安の信吉長者左衛門尉通俊の子で、継母に嫌われ呪われ家を追われ放浪の末盲目となり四天王寺に辿りつく、これが和泉国蔭山長者の娘の愛情と祈りが、京都清水の観音菩薩に通じて呪いが消え、目も見えるようになり、娘と夫婦になり幸せになる。浄瑠璃、歌舞伎で上演されて、この物語に感動して河内から四天王寺へ参詣する人が増え、その道筋を俊徳道と呼ぶようになったと言う。この鏡塚が俊徳丸の塚と伝えられる。
この後は、近鉄信貴線の服部川駅まで歩いて解散となる。
5.都夫久美神社 (つぶくみ)
古代にこの地に勢力をもっていた積組連(つぶくみのむらじ)が、氏族の本家物部氏の祖である宇麻志摩治命(うましまじ)を祭神とした氏神。
6.佐麻多度神社
本来の祭神は不詳であるが、大和時代(600年代)の創建と伝えられている。現在の祭神は佐麻多度大神で山畑村の産土神である。境内の鳥居の脇に重さ165kgほどある「力石」がある。かつて山畑村の青年たちの娯楽として「力比べ」をした時に用いられたものである。
*上は都夫久美神社、下は佐麻多度神社
4.愛宕塚古墳
住宅内の狭い道の間から入るので下見をした人でないと判らない場所だ。
高安山古墳群の中では最大規模と推定され6世紀中頃築造の円墳。墳丘の高さ9m、直径22.5m、長さ16.6mの横穴式石室になっている。巨大な石はどこから運んだものか、どうやって積んだのか疑問が湧いてくる。
明日香の石舞台は有料になっているが、ここは訪れる人も少ない穴場だ。
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今回の散策は、近鉄東花園駅から、池島条里制遺構~池島神社~心合寺山古墳(シオンジ゙ヤマ)・しおんじ山古墳学習館~愛宕塚古墳~都夫久美神社~八尾市立歴史民族館~佐麻多度神社~俊徳丸鏡塚~近鉄服部川駅解散のコースを歩いた。
1.池島条理制遺構
条里の後は残っていないが、住宅が碁盤の目のように道ができているところも名残であった。条理制とは古代における1町(約90m)方格の地制で行われた農地開拓と、その土地制度で、大化の改新後に起こった班田収授の必要からでた地番付である。
2.池島神社
池島町集落の北端に池島神社が産土神として鎮座している。
3.心合寺山古墳・古墳学習館
心合寺山古墳はきれいに整備されて公園になっていた。桜も咲いてきれいだった。
ここには八尾市教育委員会管理の「八尾市立しおんじやま古墳学習館」があって、学芸員さんから説明を受けられる。古墳の説明が学校の教材向けにもなるように作れらていた。
心合寺山古墳は、古墳時代中期の前方後円墳で、中河内では最大の全長160で、当時この地域一帯を治めた首長の墓と考えれている。平成13年から17年まで史跡整備を行い、墳丘や埴輪列を復元し、史跡公園として憩の場所にもなっている。
写真の上2枚は池島神社で、後は古墳の風景、広いので写真では全貌は判りにくい。