飛鳥資料館は、あまりにも資料が多いし有名なところであり説明は割愛するが、シーズン外れであり空いていた。65歳以上は無料になる。
そして、ゆっくり観覧して駅まで歩いて帰った。雨雲が近づいていて気になったが、幸いにも雨に遭わずにラッキーだった。
5.山田寺跡
山田寺は、蘇我氏の一族である蘇我倉山田石川麻呂の発願により7世紀半ばに建て始められ、石川麻呂の自害(649年)の後に完成した。中世以降は衰微して、明治時代初期の廃仏毀釈の際に廃寺となった。山田寺の伽藍配置は中門・塔(五重塔と推定)・金堂・講堂を伽藍の中軸線上に南から北へ一直線に並べるもので、四天王寺式伽藍配置と似る。回廊は金堂と講堂の間を通り、講堂は回廊の外側に位置している。回廊の規模は東西85m、南北89m。
山田寺跡は昭和50年(1975年)に国有地化され、以後本格的な発掘調査が実施され昭和57年(1982年)、東回廊の建物そのものが出土した。土砂崩れにより倒壊、埋没した回廊の一部がそのまま土中に遺存していたもので、柱、連子窓などがそのままの形で出土した。腐朽しやすい木造建築の実物が見つかったのは、日本建築史では貴重な資料である。出土した回廊の3間分が復原された形で奈良文化財研究所飛鳥資料館に展示されている。
3.飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)
延喜式神名帳には「飛鳥坐神社四座」とある。現在の祭神は、事代主神、高皇産霊神、飛鳥神奈備三日女神、大物主神の四座であるが、多くの異説がある。2月第1日曜日(元は旧暦1月11日)のお田植神事「お田植祭)」には夫婦和合の所作があり、奇祭として知られている。また境内には、江戸時代に式内小社飛鳥山口坐神社が遷座している
4.大伴夫人(おおともぶにん)の墓
飛鳥坐神社の東南、誕生山とも墓山とも言われる丘上の杉檜に覆われた小墳丘があり、石碑が建っているが他には何もない。大伴夫人は藤原鎌足の母であったとされる。墓の根周り36m、高さ1.5mとある。
飛鳥には幾多もの散策コースがある。
今回は、橿原神宮駅ー水落遺跡ー酒船石遺跡ー飛鳥坐神社ー大伴夫人の墓ー山田寺跡ー飛鳥資料館ー橿原神宮駅の約10kmのコースになった。
1.水落遺跡(みずおちいせき)
飛鳥埋蔵文化財展示室の近くにあり、付近は現在は発掘調査中で横を通っただけだった。斉明天皇6年(660年)に日本で初めて水時計を作ったと「日本書紀」にあり、1981年にここが発見されてその場所と推定され、水時計の建物跡とされている。
2.酒船石遺跡
万葉文化館の近くにあり、下には亀の形を掘ったもので亀石と言われ、その南に小判形の石造物が水を注ぎこむような位置にある。そして、その延長線上の丘陵に酒船石がある。謎の石造物であったが、下に導水施設が見つかったことで何らかの関係があると調査は継続中である。下の施設は有料知地域なので今回は近くには行っていない。