10KMあまりの散策になったが、尼崎のいったんを少し知ったのだ。蒸し暑い日であったので、懇親で飲んだナマビールがとてもおいしかった。何にも代えがたいものだ。 
 大物近辺を散策し、築地(江戸時代の埋立地)の浦の初島で初嶋大神宮にくる。主祭神は天照大神で、創始は不詳ながら、正和年間(14世紀)といわれる。『尼崎志』には、近江坂本の日吉神社に属する一社が尼崎に祀られ、のち別所町と別所村に分社。別所町南浜(現東本町4丁目)の初嶋恵比寿が築地開発にともない寛文6年(1666)現在地に移築されたとしています。

  また、築地・松島・初島一帯は、江戸時代以前、静かな海原に浮かぶ小舟、点在する幾多の芦茂る砂州の島々、白砂につらなる青松などから摂津の松島と詠われた。この景勝の地を多くの歌人達は「歌枕 浦の初島」と呼び、しげくこの地を往来したと言われている。初嶋大神宮には宝暦5年(1755)に、「古歌もあまたあれど、今またあらたに浦の初島と題してと、京都の公卿8人に歌を所望する」とあり、現在8首の歌が残されている。

  
  築地には「町家」が建ちならんでいた。前庭を持たず直接通りに面して建っていて、塀や垣・柵というもが比較的少なく格子窓が通りと建物内を区切っている。材料も木・竹・壁の土が昔の面影を残している。実際に住んでいる家なので、中には入れないし少し離れて概観するだけであったが、2軒の町家を撮った、尼崎市都市美形成建築物に指定されているうちに入るという。
  駅前に戻り中央公園で昼食になる。雲はかかっているが陽がでてくると蒸し暑さが一気に増すが、カンビールで喉を潤す間は気持ちがいい。その後は、再び駅構内を通過して寺町へ向かう。
 寺町は、寺院が集中して配置された地域につけられる町名であり、日本全国の都市に見られる。多くの城下町においては寺院を都市の外縁にまとめ、攻撃の際の盾とする意図があった。尼崎は、1617年、膳所藩から尼崎藩へ移封された戸田氏鉄が尼崎城築城の際、他所にあった寺院を現在地へ集め一画を寺町とした。という。

  江戸時代初期は20ヶ寺あったが、藩主移封に伴う移転などで現在は11ヶ寺が残る。国の重要文化財7件をはじめ、県・市の文化財が多数あり、尼崎市都市美形成条例によって景観の保全・整備が進められた。一部寺町外になっている寺もあるらしい。
  



 町から商店街を抜けて、再び駅前に戻り駅校内を通過して東方向に出る。大物(だいもつ)地区へ向かうのだが、元々はこちらの方がこの土地の中心だった場所という。尼崎城中心部がありここから城下町を形成していたのだ。

  元和3年(1617)、戸田氏鉄(うじかね)が5万石で入封し、戦国時代の城跡に築いた。3重の堀をもち、本丸には4重の天守と3重の櫓が上げられた。 戸田氏は18年間で美濃国大垣に国替えとなり、その後は、青山氏が76年間、そして正徳元年(1711年)桜井松平忠喬(ただたか)が4万6千石で入り、以後桜井松平家の支配が160年間と続き、明治維新で終わることになる。なお、青山氏の江戸下屋敷のあった場所が、現在の東京の名所青山通りになっている。

 戸田氏鉄以前には、大物公園近辺に大物城があった。細川高国が永正16年(1519)に当初は柵程度の城を築城。その後、増改築をし本格的な戦国期の城が大永6年(1526)には築城していたと思われる。また、この大物城が別名「尼崎城」とも呼ばれていたので、現在の尼崎城とも混同されやすいし、以前は同じと見られていた。

 当時の城壁を模して造られた、尼崎城址公園の外壁で、この右は中央図書館になっている。
本丸付近、現在は明城小学校になっていて、校庭に天守閣のミニチュア模型(網越しで撮ったため構図は?)があり、学校の塀の一角に伏見櫓跡の石碑が残っていた。


 



  
 
 尼崎の散策をした。10年以上前には仕事の関係もあり尼崎には数回きている。でも、この時はJRの駅の方なのであった。今回は、阪神尼崎駅周辺の散策である。

 寺町の周辺に、尼崎信用金庫の最初の本店建物があって、ここは記念館になっている。隣接して尼信会館があり平成13年に創業80周年記念事業で建てられた。研修室・展示室として利用しているが、現在は尼崎城の歴史と世界のお金の収集展があった。内部は残念ながら写真は撮れない。 

 すぐ隣の2代目の尼信ビルは、現在は世界の貯金箱博物館になっている。先の尼信会館の並びにあるのだ。ここには世界62ケ国の今昔の貯金箱約13000点収蔵している。展示ははこのうちから1200点くらいを順次交替で展示するという。今は、夏休みに入って子供向けの漫画キャラクターものが多かった。

 スヌ^ピーやドラえもん、忍たま乱太郎、ミッキー、ウルトラマンなどなど、また江戸時代の服助、おかめ、達磨などもあるし、海外のスターや英国王室関係、そして東京スカイツリーもお目見え、500円玉が634000円入るようになっているとか。

  館長さんから、動くユニークな貯金箱の実演紹介もあり、童心になってしばし見とれていた。また、こうした貯金箱は数名の収集家からの寄贈を元に始められたが、今は、ここに置いてほしいと送ってくれる人もいるらしい。また、テレビやラジオでも取り上げられて博物館の存在が知られるようになってきているとか。家で眠っている古い貯金箱があったら、寄贈してここで大事に扱って貰う方がいいですね。

兵庫・尼崎散策