実に「ディジタル」なシステム…言語

 世間では意外に知られていないことであるが、「言語」というシステム(「言語」が「システム」の一種であること自体が一般にはほとんど知られていないが)は実はきわめて「ディジタル」な性格をもつシステムなのである。この「ディジタル」という性格は単に「離散的(その極端な例が『定性的』である)」という性格だけではなく、「言語」の持つ意味がその言語の物理的性質とは無関係に決まるというまさに「ディジタルシステム」の本質といえる性格を「言語」というシステムは有しているのである。

 このことを具体的に言うと、「言語」の持つ意味はその音声(話し言葉の場合)や文字(書き言葉の場合)の大きさとはまったく無関係に、音や文字の種類とそれらが並ぶ順序だけで決まるのである。しかも、「言語」には大きく分けて「話し言葉」と「書き言葉」という2種類の形態が存在するが、物理学的にはこの「話し言葉」と「書き言葉」はまったく異なった性質を持っているのである。すなわち、われわれはそれぞれ「話し言葉」は聴覚、「書き言葉」は視覚によって脳に入力され、さらには「聴覚」は音波、「視覚」は電磁波をそれぞれ検出する感覚なのである。しかも、「話し言葉」は1次元の時間的な信号、「書き言葉」は2次元の空間的な信号であり、「話し言葉」と「書き言葉」は物理学的にも幾何学的にもまったく異なった言語であるとしか考えられないのである。

 それにもかかわらず、世界中のどの言語においても「話し言葉」と「書き言葉」は常に一対一の対応をなしている。だからこそ「話し言葉」を「書き言葉」に変換したり、あるいはその逆の変換ができるのであるが、この事実は後で述べるとおり「言語」というシステムが「ディジタル」なシステムだと考える以外に説明のしようがないのである。

 「言語」のこのような性格は、まさに「ディジタル」の定義とまったく一致している。すなわち、「ディジタル」とは元来「その信号の意味がその物理的性質とは無関係に、その信号の論理的性質だけで決まる信号や情報源の総称」と定義されており、この定義はまさに「言語」の特徴そのものだからである。

「無意識」のうちに

 このようにわれわれは無意識のうちに太古から「言語」というディジタルシステムを使い続けてきた。言うまでもなくこの「言語」というシステムは文明が成立するために必要不可欠なものである。また、われわれが生存するために必要不可欠な「遺伝」、「脳」、「神経」、「ホルモン」などのしくみは先述のとおりすべて「ディジタル」なしくみである。このようにわれわれの生活と密接に関係している「生命」や「文明」はすべて「遺伝子」、「脳」や「言語」などのディジタルシステムが支えているのである。

 しかし、意外なことに「遺伝子」、「ホルモン」、「言語」などのしくみが「ディジタル」であることは長い間われわれ人類には気づかれなかったのである。そして現在でも、それらのしくみが「ディジタル」なしくみであることはごく少数の学者や専門家を除けばほとんど知られていないといってもよい。このような状況では、われわれ人類は「知的生物」と名のる資格などないのである。

 このように、この世の中には科学の力を駆使しても長い間わからなかったことや、現在でもわからないことがたくさん存在するのである。また、少数の科学者だけが知っていて、一般大衆にはほとんど知られていない事実も(もちろん改善を要することだが)決して少なくないのである。

 そして、次章以降で詳しく述べようとしている「魂」はこれらの例にずばりあてはまるのである。すなわち、「魂」は太古からその存在が考えられているにもかかわらず未だにその存在が証明されていないのである。また、「魂」についての太古からの考え方は20世紀になってやっと誕生した「量子物理学」の考え方に驚くべきほど似ているのである。それにもかかわらず、「量子物理学」の考え方は「魂」についての考え方にそっくりであることは本書の読者を除けばまったくと言っていいほど知られていないのである。

 「魂」という名の素粒子を発見し、この「魂」が「生命」をつかさどる一種の「素粒子」であることをつきとめ、さらにその結論として「生命」が宇宙第5の「力」(この表現はあまり適切な表現ではない。なぜなら、自然は箇条書きできない性質をもっているからだ。)であることを証明し、その結果として宇宙における「生命」の地位を引き上げることはこれからの科学者(主に物理学者、哲学者、心理学者、生命科学者、宇宙科学者など)に課せられたとても大きな課題なのである。

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