「運動の法則」で気付くこと

 ニュートンの「運動の法則」は学校教育(後述のとおり、学校教育自体が一種の洗脳である)では「慣性の法則」(物体は力が働かない限り等速直線運動をする)、「運動の法則」(加速度は物体に働く力に比例し、その物体の質量に反比例する)、「作用・反作用の法則」(物体Aが物体Bから力を受けると、物体Aも物体Bに力を及ぼす。この2つの力は大きさが等しく、方向が正反対である)の3つがあると教えられている。なお、これらの法則は順に「運動の第一法則」、「第二法則」、「第三法則」とも呼ぶがもちろん本書の読者には絶対にこの呼称は使わないでもらいたい。

 しかし、考えてみるとわれわれは以下のことにすぐ気付くはずである。まず、「慣性の法則」は「運動の法則」の例としてこの法則にふくまれていることに気付くであろう。また、「運動の法則」なる用語がこれらの3つの法則の総称およびこの法則群中の2番目の法則の名称という2つの意味に用いられていることにも気付くであろう。さらに、「作用・反作用の法則」は運動とは関係のない法則だということにも気付くはずである。さらには、もっと考えてみると「万有重力の法則」がこれらの法則と同じくニュートンが発見した法則であるにもかかわらず「運動の法則」のメンバーとして扱われていないことにも気付くであろう。

 上記のとおり、力と運動との関係を表す法則には「慣性の法則」と「運動の法則」があるけれども、よく考えると「慣性の法則」は「運動の法則」の例としてこの法則にふくまれているのである。すなわち、「運動の法則」では加速度はa=F/mなる式で表されるが、この式において力(F)がゼロならば加速度(a)もゼロ、したがってこのことは物体は力が働かないときには速度が一定の運動をすることを意味し、したがってこの事実は「慣性の法則」で述べていることとまったく一致している。すなわち、「慣性の法則」は「運動の法則」において力がゼロである場合を指しているのであり、したがって「運動の法則」の例の一つにすぎないのである。

 このように、ある公式、定理や法則の特別な例となっていてかつ使用頻度の高い公式、定理や法則のことを「系」と呼ぶのである。たとえば、「因数定理」(関数f(a)=0ならばf(x)は(x-a)で割り切れる。また、その逆も成り立つ。)は「剰余の定理」(f(x)を(x-a)で割った余りはf(a)である)においてf(a)=0である場合における例となっている。また、別の例をあげると「ピタゴラスの定理」(線分A、Bをはさむ角を直角とする直角三角形においてもう一つの線分Cの長さの2乗は線分A、Bの長さの和に等しい)は「余弦定理」(線分A、Bをはさむ角をθとする三角形において線分A、Bの長さをそれぞれa、bとするともう一つの線分Cの長さの2乗はa^2+b^2-2abなる式で表される。)において線分A、Bをはさむ角が直角である場合における例となっている。したがって「因数定理」、「ピタゴラスの定理」はそれぞれ「剰余の定理」、「余弦定理」の「系」であることが直ちにわかる。

 このことから「慣性の法則」は「運動の法則」の「系」であることが直ちにわかるのである。なお、ある「定理」や「法則」の「系」である「定理」や「法則」を表わすにはまず元となる「定理」や「法則」を表記し、その後に「特に…の場合には…となる」と表記するのが適切な表記方法とされている。

 つまり、「運動の法則」と「慣性の法則」をまとめて表すと「物体はその物体に働く力に比例し、その物体の質量に反比例した加速度で運動する。特に、物体に力が働かない場合にはその運動は等速直線運動となる。」なる表現となるのである。しかし(このことについてはすぐ後で詳しく述べる)、学校教育ではこのル−ルが守られていないことが実に多いのである。そして、もちろん「運動の法則」と「慣性の法則」のケ−スもこれに該当しており、「慣性の法則」が「運動の法則」の例としてふくまれているという事実は物理学の教科書には一言も書かれていないのである。

 このことをより詳しく述べると、「慣性の法則」は「速度の合成の公式」とともにガリレイおよびデカルトによって発見され、これらの法則・公式から「ガリレイ変換」が導き出されたのである。後にニュ−トンは等速度運動(等速直線運動のこと)以外の運動について研究し、力が物体の速度ではなく加速度と関係していることをつきとめ、「運動の法則」を発見したのである。

 また、先述のとおり「ケプラーの法則」の発見後、公転天体の加速度の方向がつねに公転天体と中心天体を結ぶ線上にあることが検証され、したがって中心天体がそのまわりの物体に加速度を及ぼしていることが明らかとなったのである。このように、「ケプラーの法則」の発見によって天体が運動する方向とその天体から見た中心天体の方向が異なることが明らかとなり、したがって物体が受ける力とその物体の速度とは直接関係がないことがわかったのである。この事実がニュ−トンによる「万有引力の法則」の発見へとつながってゆくと同時に、同じくニュ−トンによる「運動の法則」の発見にも一役買ったのである。

 したがって、「慣性の法則」および「運動の法則」はいずれも「力」という物理量が「質量*速度」ではなく「質量*加速度」なる次元をもっていることを証明している法則である。したがって、「慣性の法則」はまぎれもなく「運動の法則」の例の一つであり、これを逆に言うとガリレイとデカルトが発見した「慣性の法則」をニュートンが加速度運動の場合にも拡張したものが他ならぬ「運動の法則」なのである。

 そして、19世紀の終わりにマッハ(航空機の速度を表す「マッハ」もこの学者の名に由来する)が「慣性の法則」が「運動の法則」の例としてふくまれているという事実を指摘し、したがって「運動の法則」があれば「慣性の法則」は不要であると述べたのである。

「系」は不要とはならない

 もちろん、「系」にはそれなりの意味がある。例えば、「ピタゴラスの定理」はユークリッドノルム(「2乗ノルム」とも呼ぶ)を定義する定理である。したがって、この定理はユークリッド空間の性質を表しているのである。そして、「慣性の法則」は実は慣性系を定義する法則なのであり、したがって「運動の法則」よりも先に発見されているのである。

 したがって、「慣性の法則」と「運動の法則」との関係は「ピタゴラスの定理」と「余弦定理」の関係とまったく同じなのである。つまり、ご存知のとおり「余弦定理」において2辺のはさむ角を直角(90°)とすると「ピタゴラスの定理」となる。だからといってこの「余弦定理」があれば「ピタゴラスの定理」が不要となることにはならないのである。すなわち、「直角」という角は直角座標系を定義するために必要不可欠なものであり、したがって先述のとおり「ピタゴラスの定理」は直角座標系で表されたベクトルの大きさを求めるのに必要不可欠なのである。したがって、当然のことながらやはりこの「ピタゴラスの定理」も「余弦定理」が発見されるずっと以前に発見されている。

 そして、運動においてもやはり等速度運動(「等速直線運動」としても意味はまったく同じ)が特別な運動なのである。すなわち、「慣性系」なるものの定義にはこの「等速度運動」が不可欠なため、「運動の法則」においても物体に働く力がゼロであるケースが特に重要となってくるのである。この理由は、速度は相対的なものであるがそれに対して加速度は速度とは異なり絶対的なものであるからである。

 したがって、運動を扱うときに「相対速度」を考えたのと同じ理屈で「相対加速度」を考えてはならないのである。また、加速度運動している観測者から見た他の物体の見かけの加速度を求めるにはその物体の真の加速度から観測者の加速度を減ずればよいが、このことについては観測者の加速度を-1倍したものがすべての物体に一律にかかっているという解釈をすることが多く、この架空の加速度は「慣性力」(この「慣性力」はその名称とは異なって「力」ではなく「加速度」であることに注意せよ)と呼ばれている。そして、このように力学のルールに反して「相対加速度」なるものを考えるときには架空の存在である「慣性力」なるものを考える必要が生じてくるのである。この理由は、「相対加速度」を考えること自体がルール違反なのでこの時点で力学の理論が破綻してしまうからである。

 そして、やはり「相対性理論」も「等速度運動」とそうでない運動によって大きく2つに分けられているのである。つまり、ご存知のとおり「等速度運動」およびそれによって定義される「慣性系」を対象とするものが「特殊相対性理論」、一方「加速度運動」を対象とするものが「一般相対性理論」なのである。すなわち、このことを相対性理論の表現方法で表すと、物体が時空間に描く線(この線のことを「経歴線」または「世界線」と呼ぶ)が直線である場合を扱うのが「特殊相対性理論」、一方「経歴線」が曲線である場合を扱うのが「一般相対性理論」となるのである。

 そして、この「一般相対性理論」によれば「万有引力」もまた「慣性力」の一種として片づけられるのである。

このことは科学界全体の問題である

 また、「慣性の法則」と「運動の法則」の関係はちょうど「化学」と「物理学」の関係にも似ていることがわかる。つまり、ご存知のとおり最近ではほとんどの化学の現象が物理学によって解明されるようになった。

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