実は多数派である「形容動詞」を認めない文法

 ところで、先述の国文法における品詞分類にはそのカテゴリーの一つとして「形容動詞」なるものがあったが、実をいうと国文法の中でもこの「形容動詞」を品詞の一つとして認める文法はむしろ少数派である。この理由は、言うまでもなくこの「形容動詞」はその名のとおりさらに複数の単語へと分解できるからである。

 このことを説明すると、「形容動詞」とはそれを認める文法では「清潔だ」などのように「〜だ」という構造をしている語であると定義されている。しかし、実はこの「〜だ」は「〜である」の短縮形であり、実際書き言葉においても話し言葉においても「〜だ」と「〜である」の両方がほぼ同じ頻度で用いられている。したがって、「〜だ」(「〜である」)は「〜で」と「ある」の2つの語に分解できるのでこれを1つの単語であると見なし、さらにはこの語を「形容動詞」なる品詞として認める文法が誤りであるのは火を見るよりも明らかであろう。

 さらに言うと、この「形容動詞」なる用語自体が現在ではその原義とは異なる意味に用いられている。つまり、以前は形容詞の連用形に動詞「ある」をつけたもの(およびその短縮形)を「形容動詞」と呼んでいたが、現在では「〜である」およびその短縮形である「〜だ」、さらにはそれから動詞「ある」を除いた形である「〜で」およびその古い形である「〜に」、「〜と」を総称してこう呼んでいることが多い。

 ここで大事なことは、「〜で」などには動詞「ある」がついていないにもかかわらず「形容動詞」と呼ばれていることである。つまり、形容動詞はその名前とは裏腹に動詞よりもむしろ名詞にはるかに近い品詞であるが(したがってなぜこの形容動詞を「形容名詞」と呼ばないのかはわれわれがよく抱く疑問の一つである。)、この理由は先述のとおり誤ってこの用語がその原義とはかけ離れた意味に用いられているためである。

 そして、形容動詞を認める文法ではこの品詞の動詞「ある」がない形である「〜に」、「〜と」、「〜で」はその連用形であると解釈されているが、本来この「連用形」なる活用形は動詞を修飾するときの活用形である。(したがって本当はこの活用形は副詞に分類されねばならないはずである。)そして、この品詞の連用形についてもこの活用形はその叙述用法(不完全動詞の補語となる用法をこう呼ぶ)および副詞的用法(1品詞1用法の原則からこの用法を形容詞の用法として認めることは困難である)に用いられており、したがってこの形容動詞の連用形に対応する用法は形容詞の連用形の用法とまったく同じであることがわかる。

 したがって、この「〜で」などの語は「叙述専用形容詞」とでも呼ぶべきであろう。(それに対して通常われわれが「形容詞」と呼んでいる語は「汎用形容詞」と呼ぶべきであろう。)

実在しない用法…形容詞の動詞的用法

 ところで、形容詞の連用形に動詞「ある」をつけたものは通常国文法での扱いでは形容詞の「補助活用」と呼ばれ、この補助活用は形容詞の活用形の一部として扱われている。しかし、先述のとおり実はこの形容詞の補助活用こそが本来の意味での「形容動詞」であり、実際この補助活用は形容詞を助動詞に接続させようとするときなどこの形容詞を動詞のように用いようとするときに使われている。

 そして、実はこの本来の意味での「形容動詞」に似た語は英語などにも存在している。この「形容動詞」の英語版とは、言うまでもなく-ize、-fy、-ateなどそれを和訳すると「(〜を)〜化する」(先述のとおり日本語では自動詞が用いられている表現が英語では他動詞が用いられていることがきわめて多く、したがってこの語は「形容他動詞」とでも呼ぶべきである。)なる意味となる語である。さらに言うと、英語にはこの形容動詞のような語のみならずそれを名詞化した語(この語は「形容動名詞」と呼ぶべきであろう)まで存在し、-ity、-nessなどなどそれを和訳すると「〜であること」となる語がその例である。

 そして、国文法においてこの補助活用が形容詞と動詞「ある」の2つの語からなっているにもかかわらず形容詞の活用形の一部として扱われている理由は、言うまでもなく本来形容詞は名詞と同じくらい動詞とは異なった品詞であるにもかかわらず、国文法ではこの形容詞を無理やり動詞と同じ「用言」なるカテゴリーに分類しようとしているためにかなり無理をしているためである。

 そして、このような国文法の形容詞を動詞と同じカテゴリーに分類しようとする誤った考えを招いた元凶は、言うまでもなく実はきわめて特殊な用法であるはずの形容詞を動詞のように文の最後に用いる用法(この用法(実際には存在しないが)は、「形容詞の動詞的用法」と呼ぶことができる。)を誤って形容詞の本来の用法であると見なしたことである。そして、西洋文法などではこの実在していない形容詞の動詞的用法は単に繋辞動詞(「〜は〜に属している」なる意味の動詞。日本語の「ある」、英語の「be」などがその例であり、存在動詞と同じ語となることが多い。)が省略されたために生じたものであると説明されている。

 なお、実はむしろ全世界の言語において日本語のように形容詞が動詞の位置に来る言語が多数派を占めているが、もちろんこうした言語においても繋辞動詞を伴うのが本来の形であると考える文法のほうがはるかに合理的である。この理由は、形容詞の動詞的用法を認めてしまうと「1品詞1用法の原則」(品詞と用法が1対1の対応をなしていること)なるものが崩れてしまうためである。

 このような形容詞を動詞のように用いる用法をその本来の用法であると考える文法は、ちょうど以前に信じられていた物体の力が働かないときの姿は静止であり、したがって物体は力が働いたときにのみ運動するという説(この説(もちろん誤りである)の提唱者はアリストテレスである)によく似ている。

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