正しく見えて実は誤りである表現…「気体」の「液化」

 気体を液体にするときには通常「液化」なる表現が用いられている。この一見するとごくあたりまえの表現にみえる「『気体』の『液化』」なる表現は実はきわめて不適切な表現である。

 このことを理解するには、「液体」なる語が何と対比させてつくられた語であるかを考えてみる必要がある。つまり、長い間東洋でも西洋でも「液体」の最大の性質は「流動性」があることだと考えられてきたのであった。そして、流動性のある物体を「液体」と定義し、一方流動性のない物体を「固体」と定義したのであったが、その当時はまだ「気体」なるものの存在は知られておらず、したがって「気体」は「液体」の一種であると考えられていたのであった。ついでに言うと、「液体」の「液」も英語で「液体」を指す語である「liquid」もそれらの原義はいずれも「流れるもの」という意味である。つまり、現在ではこの意味には「流体」(英語では「fluid」)なる語が用いられているが以前は「流体」(「液体」と「気体」の総称)の意味にこの「液体」なる語が用いられていたのであった。

 以上のことから、「液体」なる語が「固体」と対比させてつくられた語であることは火を見るよりも確かであろう。したがって、物質を「液化」するということは単に「物質を『液体』にする」ことを意味するのではなく、正しくは「流動性をもたない物質(『固体』のこと)に流動性を与える」ことを意味しているのである。このように、「液体」の語源から考えて「気体」を「液体」にすることを「液化」と表現することは実に正しくない表現なのである。それどころか、このことから「液化」のみならず「気体」と対比させようとするときにこの「液体」なる語を用いること自体が実は誤った表現であることがわかる。また、この語に当たる英語は「liquefy」であるがもちろんこの「liquefy」を「『気体』を『液体』にすること」の意味に用いるのは誤りである。

 なお、気体を「気体」以外のものにすることを表す語(「気化」あるいは「蒸発」の対義語)はちゃんと存在しているのである。この語とは「凝結」または「凝縮」である。しかも、この「凝結」や「凝縮」は気体を液体のみならず固体にする動作にも使えるのである。また、その逆に気体以外のものを気体にする場合にも「気化」ではなく「蒸発」を用いたほうがはるかに適切である。なぜなら、物質の三態の一つとしての「気体」が知られるはるか以前から水が水蒸気となって大気中に拡散してゆく意味にこの「蒸発」なる語が使われていたからである。また、「沸騰」なる語の意味は液体がその内部から蒸発することであり、したがって言うまでもなくこの「沸騰」は「蒸発」の一種である。

 それどころか、固体を液体にするときにこの「液化」なる表現を用いることすら実は誤りである。この理由は、固体を液体にすることを表す語には「融解」および「熔融」(「溶融」は誤り)なる語がちゃんと存在しており、しかも固体を液体にすることを表すにはこの「融解」と「熔融」のみが科学用語として認められているためである。したがって、もちろんこの「液化」のみならず「固化」(その正しい表現は「凝固」である)も「気化」も決して科学用語としては認められていない、言わば「俗語」(本書では「液化」のように科学用語としてふさわしくない語を「俗語」と定義する)である。したがって、物質が相転移するときにこれらの語を用いることは誤りである。

気体を「凝縮」する目的を考えよ

 それにもかかわらず、われわれは誤って「液化石油ガス」(liquefied petroleum gas、「LPG」と略すことが多い)や「液化天然ガス」(liquefied natural gas、略すと「LNG」となる)などの例でわかるとおり気体を凝結して液体にしたものを堂々と「液化〜」と呼んでいることが実に多い。なお、ここで「gas」とは英語で「気体」を指す語であり、したがって「liquefied 〜 gas」なる表現は「気体」以外のものを「気体」と呼んでいることになり形容矛盾となる。したがって、この表現は気体を液体にするときに「液化」と表現していることとあわせて二重に誤っているのである。

 ところで、「液化石油ガス」などにおいて気体を液体にする目的を考えるとただでさえ不適切なこの表現がさらに不適切となるのである。つまり、「石油ガス」や「天然ガス」を液体にする目的は言うまでもなくその密度を大きくして小さな容器にも収まるようにすることである。したがって、「気体」が「気体」以外のものにさえなればもちろんそれが「液体」であろうと「固体」であろうとかまわないのである。以上のことから、気体を液体にする目的がその体積を小さくするためである場合にこの「液化」なる表現を用いることは甚だ不適切な表現となるのである。実際、二酸化炭素を小さな容器に収めるには普通それをドライアイス(固体の二酸化炭素)にするが、このときには「固化」なる表現が用いられている。この理由は、二酸化炭素を冷却してゆくと液体を経ずに直接「固体」となるからである。

 以上のことから、密度を大きくすることを目的に気体を液体にする場合には「凝結」や「凝縮」を用いるほうがはるかに適切なのは火を見るよりも確かであろう。したがって、一刻も早く「気体の『液化』」なる表現をやめ、この「液化」を「凝結」や「凝縮」(英語ではもちろん「condense」)なる語に言いかえるべきである。

確かに存在する「気体』以外のもの」の総称

 ところで、実は気体と液体との相異は液体と固体との相異よりもはるかに大きいのである。つまり、気体は液体や固体よりもその密度が桁違いに小さい(液体や固体の密度は気体の1000倍程度)のみならず、「ボイル・シャルルの法則」(気体の密度はその圧力に比例し、温度に反比例する。)でご存知のとおり気体は圧力や温度を変化させることによってその体積や密度が著しく変わるのである。しかも、気体のこの変化のしかたは気体の種類に関係せず共通である。このことから、気体にはその「個性」なるものがほとんど存在しないことがわかる。

 しかも、液体から気体(あるいはその逆)への変化はその体積や密度の変化がきわめて激しいだけではなく、出入りするエネルギーの量も固体から液体(あるいはその逆)の場合よりも桁違いに大きい(蒸発熱は融解熱の10倍程度)のである。以上のことから、気体と液体との相異は液体と固体との相異よりも文字通り「桁違い」に大きいことが明らかであろう。

 それにもかかわらず、実際に液体と固体の総称が用いられている頻度は気体と液体との総称(「流体」のこと)の頻度に比べるときわめて小さいのである。この理由は、先述のとおり流動性の有無は誰にでもすぐにわかる特徴であるのに対して、密度の差異は素人には大変わかりにくい特徴であるからである。

 それでも、液体と固体の「総称」なるものはちゃんと存在しているのである。つまり、これらの総称として、「凝縮相」なる用語がつくられている。言うまでもなくこの「凝縮相」の語源は「凝縮」と同じである。つまり、「凝縮」の原義は「ばらばらのものが一つに固まって縮まること」であり、このことは正しく「気体」以外の物質の分子のふるまいそのものである。

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